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【3】
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その頃、樹野も泣いていた。
休憩室にやってきた同僚に励まされながらも、その涙を止める事ができず唯々泣く。
出会った数回の間にどうして面影を見つけられなかったのか、どうして気付いてあげられなかったのか、今になって後悔ばかりが浮かんだ。
◇
いつも通り早くに出勤してテレビを見詰める明灯の横で、珍しく勇之も一緒になってテレビを見ていた。
「また近場で事件だね」
「うん」
見ながらも時々下を見て、手元で携帯を操る。明灯は上下する顔を、横目で見ながら笑う。
「どうしたの?」
「なにが」
勇之の視線が、上下から右の明灯へと動いた。
「不満そうな顔してない?」
「してないよ」
勇之は眉を顰め、明灯を睨む。
「うーん、あ、もしかして悲しいの?」
「まさか」
嘲るような笑顔で言い捨て、立ち上がり背を向ける。
一言、低い声で言葉を投げ捨てて。
「…だって僕、あいつ嫌いだもん」
◇
その後、元々体力が削られていた状態にあった鈴夜は、泣きながら倒れてベッドに横になっていた。
その時意識を失ってはおらず、目覚めた状態で横たわる。
左腕に、点滴が繋がる。
「…鈴夜大丈夫?どうしたの?」
心配そうに自分を見る淑瑠と美音の顔が、心配が、ナイフみたいに突き刺さってくる感じがして苦しくなった。
「…ごめん」
故に、それだけ言って背を向けてしまった。
何も知らない美音にも、事件の関係者である淑瑠にも、いや、誰にもこの事は話せない。
きっと、辛くなってしまって、誰にも話せない。
鈴夜はまた込み上げてくる涙を、声を漏らさないようにして静かに流した。
「…あの、私戻りますね…」
「うん、ありがとね」
声が聞こえてから―――美音が出ていく音だろう―――扉の開閉の音が聞こえた。
「…鈴夜…本当にどうしたの?何かあったの?」
背を向ける鈴夜に、淑瑠は静かな声をかける。
凜と知り合っていると知らない淑瑠には、鈴夜がニュースを見て痛く悲しむ理由等、想像もつかなかった。
敢えて思いつきをあげるならば、銃で襲われた事が自分と重なったから怖くなった、といった所だろうか。
でもそれならば、今朝の段階でこうなっていたはずだ。
やはりメールか、それともまた別の何かを見たのか…
淑瑠は必死に考えてみたが、納得いく答えは得られなかった。
「…ごめん、今は話せない…」
鈴夜の、囁くほどの小さな声が聞こえた。
暫く泣いて、やっと正気に戻って、鈴夜は考える事ができるようにはなっていた。
けれどそれでも、考える内容と言ったら、凜の零していた様々な言葉の意味や、そこから繋がる大智や自分の事件の数々、そして犯人の事、自身の無力さなど、ネガティブなものしか浮かんでこなかった。
言ってしまえば、凜は面識の殆ど無い人間だ。それなら他人事だと割り切ってしまえばいい、と己に言い聞かせても、センチメンタルになっているからか割り切れなかった。
「.……分かった」
淑瑠は受け止めた。受け止める振りをした。
本当は気になって気になって、全て突き止めてしまいたい。けれどその意思を伝えてしまえば、鈴夜はもっと隠してしまうだろうから。
◇
その後暫く泣き止めなかった樹野は、状態を考慮されてか早めに退勤する事を進められ、家路を歩んでいる最中だった。
一応依仁に連絡は入れたが、暫くコールしても繋がらなかったため諦めた。
歩きながら樹野は考えていた。
大智と凜、いや俊也が、事件に巻き込まれて命を落としてしまった。
依仁も非常に心配し、自分を守ろうとしてくれている。
その理由は単純に、事件が2件もあった町を女性が一人で歩くのは危ない、と考えたからかもしれない。
でももしかしたら、本当にもしかしたら、自分の知らない場面で何かが起こっているのではないだろうか。
自分にも、大智にも、俊也にも関わる大事な事が。
推理し樹野は、昔の出来事を自然に思い起こしていた。
◇
夜になり、昨日と似たような時刻に歩が現れたが、背を向ける鈴夜と静かにしている淑瑠を見て、休んでいるところだと勘違いし帰っていった。
夜、消灯時間前、何時間も静かだった部屋に漸く淑瑠の声が響いた。
「…鈴夜、そろそろ戻るね」
鈴夜は考え込み気持ちが落ち込んでいて、どう返事したらいいかが分からなかった為、眠ってしまった振りをした。
「また明日早めに来るね」
淑瑠は騙されたのか、囁きに似た声で残していった。
淑瑠が去って直ぐに消灯時間になり、部屋は暗がりに包まれた。
続けざまの悲劇に疲れきった鈴夜の心が、また恐怖を訴え始めた。今日はその恐怖に、自責が足されている。
大智の時も凜の時も、近くにいながら自分は何もしてあげられなかった。それどころか、異変に気付く事さえ出来なかった。
二人とも、事件の前から前兆や不可解な点はあった筈なのに、それをよく考えもせず流してしまった。
気付いていれば、大智は、凜は、まだ生きていたかもしれないのに。
そう考えると、また涙が出てきた。
今宵もまた、背後から襲う恐怖を錯覚してずっと震えているくせに、自分なんか死んでしまっても良かったのかもしれないとも思ってしまう。
無力な自分に、価値は無いとも思えてくる。
だが、そう考えても、やはり弱さには勝てず、向かってきた死にまだ恐怖している。
その矛盾にまた、鈴夜は絶望を覚えた。
不図、凜のメールの事を考えていた繋がりで、岳の着信が気に留まった。
忘れていた訳ではなかったが、先まで違う方に気を取られて考えられなかったのだ。
岳の異常なまでの着信数は、助けを求めていたようにしか思えなかった。
その日から、もう随分経っている。一週間は経過してしまっているかもしれない。
時間の経過が招く最悪の事態を何通りも想像して、鈴夜は思わず青い顔をした。
明日の朝、直ぐに電話を折り返そう。まだ電話が繋がるならば、岳の声が聞こえたならば、次こそは助けよう。
そうしなければならないと心が叫んでいる。
自分の所為で誰かが不幸になると、考えただけで胸が締め付けられる。
希望は無いかもしれないけれど。
鈴夜は大智の動画や凜の最後をイメージし、そこから湧く岳の死に際を勝手に浮かべてしまい、たくさんの涙で枕を濡らした。
◇
まだ暗い部屋で、電気の明かりの元、携帯画面に見入る人影があった。目の前には、目を覆いたくなるような画像が展開されている。
その写真は、俊也のものだった。
赤々しい血を体の至る所から流して、横たわる俊也の痛々しい写真。
そこに女警官の姿はなく、本当に俊也だけを切り取ったような写真だった。
そう、まるで俊也だけを狙ったようにシャッターが切られているのだ。。
その人物は写真を見て、深く溜め息をついた。
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