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【2】
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◇
歩は勤務中、いつも通りに見える鈴夜の横顔を、ずっと気にしていた。
表情は固いが、集中している状態で和らいでいる方がおかしいだろうと、冷静に考える。
だが殺人現場に立ち会って、まだ2日しか経過していないのだ。
しかも自身のトラウマも、大智の悲しみも、まだ完全に抜け切っていない筈だろう。
それなのに極自然と日常に溶け込む鈴夜を、歩は平常心で見ている事が出来なかった。
かと言って、懸命に頑張る鈴夜に無理を止めさせる事もできない。迂闊な発言は、彼を責める事にもなりかねないのだ。
今は、緊張の糸を張り詰めさせている状態にあるのだろう。それを意図的に切ってしまえば、脆く崩れ去ってしまう気がして怖い。
かと言って、いざ急に切れた時も怖い。
歩は鈴夜にとって、どの対応が一番相応しいか、手は仕事に打ち込んだまま必死に考え込んでいた。
◇
緑は、美音の深刻そうな表情を横目で見ていた。
携帯電話を耳に宛がい、なにやら悲しそうな顔で何度も頷いている。
宛がっていた電話を下ろしたのを見て、会話の終了を読み取り口を開いた。
「どうした?」
「あっ、緑見てたんだ~」
美音はいつも通りを演出しようとしているのか、にっこりと笑う。だが、
「悲しい顔してただろう」
緑が何気なく問い詰めると、いとも簡単に表情を崩し言葉を吐いた。項垂れ、影を浮かべて。
「………友達が、殺されちゃったんだって…」
緑は驚愕した。美音の口から、そんな報告が出てこようとは思わなかったのだ。
病院に通っていた事から、友人の死までは推測していたが、まさか病死でないとは。
「……そうか…、辛いな…」
緑は言いながら、一つの可能性を考えていた。ねいに話を聞いている内に浮かんだ、想像に基づく可能性だ。
美音は携帯をポケットにしまいこみ、全くの無言で座り込んだ。
そして通話前と同様、無表情でノートに文字を綴りだした。
◇
夕方、定時少し前、鈴夜の起立を見て歩も立ち上がった。
「鈴夜くん終わったのかな?」
「はい」
「お疲れ様、送るよ」
「…あっ、えっと、すみません…」
鈴夜は拒否しようと思ったのだが、気分が落ち、拒否する力も無く、そのまま受け入れてしまった。
仕事をしながらも、様々な出来事について思案してしまっていたのだ。
歩きながら考えるのも、飛翔の事だった。歩が隣に居る事で、また一層強く考えてしまう。
歩も飛翔を知っていると言っていた。だったら彼も、悲しみに沈んでいるのではないだろうか。
歩の、どこか深刻な雰囲気を感じ取り、鈴夜は考えた。
「……折原さん」
「どうした?」
鈴夜は気を紛らわせる為に、何でもない話をしようと試みていた。
しかし、それも突発的な行動である。あっさりと計画倒れし、声は力なく消えてしまった。
「………御免なさい…」
涙が、また溢れ出してきたのだ。
歩は、歩きながらも手の平を鈴夜の頭に乗せ、柔らかく撫でてくれた。
「…いいよ、辛いよな…うん辛いな…」
車に乗り込んでも、一度流れてしまった涙は留まる事を知らない。心配をかけまいと、一日中繕おうと思っていたのに無理だった。
「……鈴夜くん、今日は一日お疲れ様、がんばったな」
隣から聞こえて来た静かな声に、鈴夜はまた大きな雫を落とす。
考える事を阻止するでもなく、出来事を思い出させるでもない、労いの言葉は酷く暖かい。
「………折原さん、どうしたらいいですか…」
鈴夜は困らせてしまうと分かっていながらも、走る口を止められなかった。縋りたくなってしまったのだ。
「…そうだなぁ…」
勿論の事、歩は戸惑っていた。
その姿を見て、鈴夜は改めて我に返る。
心配をかけないようにと会社に来たのに、負担をかけてしまってどうするんだと、罪悪に駆られた。
「……すみません、変な事ききました…」
「…変じゃないよ、私もこの気持ちにどう対処したらいいか困っているからな…鈴夜くんの気持ちは分かるよ」
やはり、歩も心を痛めていたのだと知り、また辛くなった。
けれど、共感できる相手の存在に安堵も抱いてしまった。
「………飛翔君の事、聞いてもいいですか」
歩はあの日、飛翔の身を気にしていた。そして、同じ気持ちで悲しんでもいる。
だが、歩と過ごしてきた長い月日の中で、飛翔の話は一度も聞いた事がない。
病院で会った事も、そもそも誰かの見舞いに行っていた話も聞いた事が無かった。
だから、歩が悲しむ理由があまり見えなくて、知りたいと思ってしまったのだ。
「…いいよ…」
鈴夜は、考える歩の横顔を見、謝罪の意も込めて強く頷いた。
「…私が知っている彼は、まだ幼い少年だったよ」
歩の証言に出てきた、遠い日の飛翔を想像してみたが、イメージが湧かなかった。
そのまま昔話を聞いていると、だんだん辛くなり胸が締め付けられた。
歩の知る飛翔はとても明るくて、仲間内でリーダーをも務める優しい少年だったという。
病院にて再会した日、その変貌に驚いたとも歩は話してくれた。
そして、
「…小さい頃は大智君とも仲良くしていたんだよ、後もう一人ユメちゃんって言う女の子とよく一緒にいるのを見かけたなぁ…」
歩が切なそうに話す内容に、鈴夜は息を詰まらせた。
飛翔と大智の関係性がそんな所にあったなんて。全く知らなかった。
そうなると、飛翔は友人に手をかけた事になる。
「鈴夜くん?」
家の前で車を止めた歩が横を見ると、辛そうに両手を口元に当て耐えている鈴夜の姿が目に入った。
涙が零れて、手の上を伝っている。
「ご、ごめん、嫌な事を言ってしまったかな」
鈴夜は必死に、首を横に振った。
歩のせいではない。何も知らない歩が、内面まで考慮できる訳が無いと分かってはいる。
それに、話を持ち出したのは自分だ。
「……なんで、飛翔君は…」
両手を当てたままで、立ち上る疑問を堪えきれずに零す。
くぐもった声であるのに拘らず、歩は聞き取り考えていた。
「…恐らく15年前だよ、彼が変わったのは」
暫く下りずにいた車内に、漸く声が零されて、鈴夜はその答えを自然と受け入れていた。
あの日、柚李に聞いた話の答え合わせをしたみたいだ。
彼が事件の関係者である、という話の。
「…そう…ですか」
歩は答えを躊躇ってはいた。答えは――――いやその話自体が、鈴夜を傷つけるかもしれないと分かっていたからだ。
だが、鈴夜が答えを待っているように見えた為、躊躇いつつも声にしたのだ。
「……鈴夜くん、ごめんな、辛くなる話ばかりしてしまったな…」
鈴夜はまた、首を横に振った。
「…僕が聞いたので、折原さんは何も…」
また分からなくなった二人の因果に、正直困惑しかない。
男が唆した時、どうして飛翔は否定しなかったのだろうか。相手が大智だとは知らなかったのだろうか。
歩も鈴夜の表情を見て、僅かな愁いを瞳に宿した。
歩も、飛翔や大智の死に、そして凜の死にも、深い喪失感を抱いていた。
だから、鈴夜の気持ちは痛い位に分かるつもりだ。
「……鈴夜くん…、そう落ち込まないようにな…」
歩は真っ直ぐ前を向いたまま、左手をそっと鈴夜の頭の上に置いた。
歩は勤務中、いつも通りに見える鈴夜の横顔を、ずっと気にしていた。
表情は固いが、集中している状態で和らいでいる方がおかしいだろうと、冷静に考える。
だが殺人現場に立ち会って、まだ2日しか経過していないのだ。
しかも自身のトラウマも、大智の悲しみも、まだ完全に抜け切っていない筈だろう。
それなのに極自然と日常に溶け込む鈴夜を、歩は平常心で見ている事が出来なかった。
かと言って、懸命に頑張る鈴夜に無理を止めさせる事もできない。迂闊な発言は、彼を責める事にもなりかねないのだ。
今は、緊張の糸を張り詰めさせている状態にあるのだろう。それを意図的に切ってしまえば、脆く崩れ去ってしまう気がして怖い。
かと言って、いざ急に切れた時も怖い。
歩は鈴夜にとって、どの対応が一番相応しいか、手は仕事に打ち込んだまま必死に考え込んでいた。
◇
緑は、美音の深刻そうな表情を横目で見ていた。
携帯電話を耳に宛がい、なにやら悲しそうな顔で何度も頷いている。
宛がっていた電話を下ろしたのを見て、会話の終了を読み取り口を開いた。
「どうした?」
「あっ、緑見てたんだ~」
美音はいつも通りを演出しようとしているのか、にっこりと笑う。だが、
「悲しい顔してただろう」
緑が何気なく問い詰めると、いとも簡単に表情を崩し言葉を吐いた。項垂れ、影を浮かべて。
「………友達が、殺されちゃったんだって…」
緑は驚愕した。美音の口から、そんな報告が出てこようとは思わなかったのだ。
病院に通っていた事から、友人の死までは推測していたが、まさか病死でないとは。
「……そうか…、辛いな…」
緑は言いながら、一つの可能性を考えていた。ねいに話を聞いている内に浮かんだ、想像に基づく可能性だ。
美音は携帯をポケットにしまいこみ、全くの無言で座り込んだ。
そして通話前と同様、無表情でノートに文字を綴りだした。
◇
夕方、定時少し前、鈴夜の起立を見て歩も立ち上がった。
「鈴夜くん終わったのかな?」
「はい」
「お疲れ様、送るよ」
「…あっ、えっと、すみません…」
鈴夜は拒否しようと思ったのだが、気分が落ち、拒否する力も無く、そのまま受け入れてしまった。
仕事をしながらも、様々な出来事について思案してしまっていたのだ。
歩きながら考えるのも、飛翔の事だった。歩が隣に居る事で、また一層強く考えてしまう。
歩も飛翔を知っていると言っていた。だったら彼も、悲しみに沈んでいるのではないだろうか。
歩の、どこか深刻な雰囲気を感じ取り、鈴夜は考えた。
「……折原さん」
「どうした?」
鈴夜は気を紛らわせる為に、何でもない話をしようと試みていた。
しかし、それも突発的な行動である。あっさりと計画倒れし、声は力なく消えてしまった。
「………御免なさい…」
涙が、また溢れ出してきたのだ。
歩は、歩きながらも手の平を鈴夜の頭に乗せ、柔らかく撫でてくれた。
「…いいよ、辛いよな…うん辛いな…」
車に乗り込んでも、一度流れてしまった涙は留まる事を知らない。心配をかけまいと、一日中繕おうと思っていたのに無理だった。
「……鈴夜くん、今日は一日お疲れ様、がんばったな」
隣から聞こえて来た静かな声に、鈴夜はまた大きな雫を落とす。
考える事を阻止するでもなく、出来事を思い出させるでもない、労いの言葉は酷く暖かい。
「………折原さん、どうしたらいいですか…」
鈴夜は困らせてしまうと分かっていながらも、走る口を止められなかった。縋りたくなってしまったのだ。
「…そうだなぁ…」
勿論の事、歩は戸惑っていた。
その姿を見て、鈴夜は改めて我に返る。
心配をかけないようにと会社に来たのに、負担をかけてしまってどうするんだと、罪悪に駆られた。
「……すみません、変な事ききました…」
「…変じゃないよ、私もこの気持ちにどう対処したらいいか困っているからな…鈴夜くんの気持ちは分かるよ」
やはり、歩も心を痛めていたのだと知り、また辛くなった。
けれど、共感できる相手の存在に安堵も抱いてしまった。
「………飛翔君の事、聞いてもいいですか」
歩はあの日、飛翔の身を気にしていた。そして、同じ気持ちで悲しんでもいる。
だが、歩と過ごしてきた長い月日の中で、飛翔の話は一度も聞いた事がない。
病院で会った事も、そもそも誰かの見舞いに行っていた話も聞いた事が無かった。
だから、歩が悲しむ理由があまり見えなくて、知りたいと思ってしまったのだ。
「…いいよ…」
鈴夜は、考える歩の横顔を見、謝罪の意も込めて強く頷いた。
「…私が知っている彼は、まだ幼い少年だったよ」
歩の証言に出てきた、遠い日の飛翔を想像してみたが、イメージが湧かなかった。
そのまま昔話を聞いていると、だんだん辛くなり胸が締め付けられた。
歩の知る飛翔はとても明るくて、仲間内でリーダーをも務める優しい少年だったという。
病院にて再会した日、その変貌に驚いたとも歩は話してくれた。
そして、
「…小さい頃は大智君とも仲良くしていたんだよ、後もう一人ユメちゃんって言う女の子とよく一緒にいるのを見かけたなぁ…」
歩が切なそうに話す内容に、鈴夜は息を詰まらせた。
飛翔と大智の関係性がそんな所にあったなんて。全く知らなかった。
そうなると、飛翔は友人に手をかけた事になる。
「鈴夜くん?」
家の前で車を止めた歩が横を見ると、辛そうに両手を口元に当て耐えている鈴夜の姿が目に入った。
涙が零れて、手の上を伝っている。
「ご、ごめん、嫌な事を言ってしまったかな」
鈴夜は必死に、首を横に振った。
歩のせいではない。何も知らない歩が、内面まで考慮できる訳が無いと分かってはいる。
それに、話を持ち出したのは自分だ。
「……なんで、飛翔君は…」
両手を当てたままで、立ち上る疑問を堪えきれずに零す。
くぐもった声であるのに拘らず、歩は聞き取り考えていた。
「…恐らく15年前だよ、彼が変わったのは」
暫く下りずにいた車内に、漸く声が零されて、鈴夜はその答えを自然と受け入れていた。
あの日、柚李に聞いた話の答え合わせをしたみたいだ。
彼が事件の関係者である、という話の。
「…そう…ですか」
歩は答えを躊躇ってはいた。答えは――――いやその話自体が、鈴夜を傷つけるかもしれないと分かっていたからだ。
だが、鈴夜が答えを待っているように見えた為、躊躇いつつも声にしたのだ。
「……鈴夜くん、ごめんな、辛くなる話ばかりしてしまったな…」
鈴夜はまた、首を横に振った。
「…僕が聞いたので、折原さんは何も…」
また分からなくなった二人の因果に、正直困惑しかない。
男が唆した時、どうして飛翔は否定しなかったのだろうか。相手が大智だとは知らなかったのだろうか。
歩も鈴夜の表情を見て、僅かな愁いを瞳に宿した。
歩も、飛翔や大智の死に、そして凜の死にも、深い喪失感を抱いていた。
だから、鈴夜の気持ちは痛い位に分かるつもりだ。
「……鈴夜くん…、そう落ち込まないようにな…」
歩は真っ直ぐ前を向いたまま、左手をそっと鈴夜の頭の上に置いた。
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