Criminal marrygoraund

有箱

文字の大きさ
上 下
122 / 245

【2】

しおりを挟む

 樹野は上の空で、珈琲をカップに注いでいた。満たされてゆく白い空間を、放心状態で見詰め続ける。

「八坂さん、零れそう!」
「わっ!」

 丁度通りかかった同僚に指摘され、何とか零れる前にポットの傾きを戻せた。
 樹野は反射的に、恥ずかしさで頬を染め謝罪する。

「上の空だね、大丈夫?」
「…だ、大丈夫です、すみません…」

 同僚は下げてきた皿を、流し台に優しく置いた。流し台には、洗浄を待つ皿が何枚も重ねられている。
 樹野は、直ぐ横に置いておいたカップにも、コーヒーを注ぎ始めた。今度こそは、注意して。
 同僚は洗剤をスポンジに噴射し、皿に擦りつけてゆく。

「八坂さんは考えすぎる性格みたいだから、たまには流してみるのもいいと思うよ。見ててたまに心配になる」

 始めて聞いた同僚の意見に、樹野は更に赤面した。

「…わ、私そんなに顔に出てますか…」
「顔に出てるって言うか、態度に出てる?」
「…そ、そうなんですか、すみません…」

 樹野は、用意出来た飲み物二つを右手のお盆に乗せ、もう片手には、生クリームがあしらわれたパンケーキが乗ったお盆を持った。

 同僚の見解が、引っかかる。
 自分ではあまり気付いていなかったが、どうやら自分は悩み事があると態度に表れてしまうらしい。
 考えてみれば、よく依仁に心配されていた、気もする。
 そうであれば、自分が悩んでいるのは既に悟られているのかもしれない。
 そして、心配もさせているかもしれない。
 だったら尚更、ちゃんと話した方が良いよね。

 樹野は、気持ちに対立して立ちはだかる、自分の自覚している性格に僅かに苛立ちながら、冷蔵庫の前、誰も見ていない場所で小さく溜め息を付いた。


 薄く目を開いた鈴夜の、目前に歩が見えた。
 歩は、鈴夜の視線が自分を捕らえたのに気付くと、にっこりと微笑む。

「大丈夫かな?」
「…はい、すみません…」

 あの後、明灯に支えられ会社の玄関まで来た。予め連絡でも受けていたのか直ぐに歩がやってきて、休憩室へと連れて来て貰い、促されるがまま仮眠を取った。
 その流れを、ぼんやりと思い出す。
 暫く呆然としていた鈴夜だったが、自分の頭が歩の腿に支えられていると急に自覚した。膝枕、と言うやつだ。
 ソファをベッドに、歩を枕にしていたとは恐れ多い。

「す、すみません!」

 鈴夜は、勢い良く上体を起こした。
 急に頭を振った事により眩暈が襲い、反射的に手の平で頭を支えた。

「だ、大丈夫か?」
「……すみません、折原さん仕事大丈夫ですか…?こんなに付き合ってもらって本当に申し訳ないです…」
「大丈夫だよ、鈴夜くんが思っているほど時間も経っていないしね」

 時計を指差され時間を確認し、感覚のずれを知る。随分と眠ったように思えたのだが、実際はそうでもないようだ。

「……良かった」
「……あまり眠れないのかな?」

 歩は、悲しげな表情で鈴夜の頭を撫でた。
 子ども扱いされている感覚は否めないのだが、それを包めても、やはりこの行為は自分を落ち着かせてくれる。

「………そう…ですね…。実はあまり眠れてないんです…少し心配事があるだけ、なんですが…」

 控え目に発言しておいて、不図台詞に聞き覚えがあるのに気付いた。
 いつかは忘れてしまったが、随分前、歩が零していた台詞とよく似ている。
 あの時の問題は、今はもう解決したのだろうか。

「…そうか、大変そうだな、無理だけはするなよ」
「…はい、有り難うございます…」

 鈴夜は配慮を受け容れつつも、無意識に虚勢を張った。

 その後鈴夜は無事仕事に―――勿論無理をした状態でだが、復帰する事が出来、定時まで忙しく働いた。
 帰りを歩にお願いすると、途中である仕事を止め、快く受け容れてくれた。
 肯定はお願いする前から見えていたが、それでもやはり申し訳なさは拭えなかった。

 久しぶりに、一人の部屋に帰る気がする。
 あの日以降、殆ど淑瑠が側か家に居てくれた為、空しい空気を味わう機会が無かったのだ。

「…ただいまー…」

 前は癖だった挨拶をしてみたが、返らない返事の寂しさは深く、改めて自分が守られているのだと感じた。
 孤独は、とても怖い。誰かと過ごす事もまた違った恐怖を生むが、それでもやはり誰かが隣にいてくれるというのは、自分にとって守りになっていたようだ。
 緊張の糸が解れ、大きく溜め息を吐き椅子に座った時、淑瑠からメールが入った。

[返事が遅くなってごめんね、ちゃんと着いたかな?]

 鈴夜は文字を追いながら、今までの淑瑠との日々を思い返していた。
 考えてみれば、ずっとずっと自分の事ばかり気にかけていてくれた気がする。
 鈴夜は湧き上がる気持ちを、そっとメッセージに込めた。

[今家に着いたよ。淑兄いつもありがとう、淑兄が居てくれて本当に良かった(^^)]


 依仁は長引いた仕事を終え、車に乗り込もうとしている所だった。
 不意に感じた気配に振り向く。が何もない。有るのは、まだ中から賑やかな声を響かせる、灯りの灯った事務所だけだ。

 今日一日で、何度か似たような気配を感じた気がする。だが、何度振り向いても誰もいないのだ。
 気の所為かと軽く流し、依仁は車に乗り込んだ。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

薫る薔薇に盲目の愛を

BL / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:54

今宵、鼠の姫は皇子に鳴かされる

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:1,377pt お気に入り:10

選んでください、聖女様!

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:52

1泊2日のバスツアーで出会った魔性の女と筋肉男

恋愛 / 完結 24h.ポイント:262pt お気に入り:99

明らかに不倫していますよね?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:6,924pt お気に入り:121

死が見える…

ホラー / 完結 24h.ポイント:3,067pt お気に入り:2

断罪されて死に戻ったけど、私は絶対悪くない!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,002pt お気に入り:208

処理中です...