Criminal marrygoraund

有箱

文字の大きさ
上 下
133 / 245

【2】

しおりを挟む

 鈴夜は蒼い顔のまま、会社に来ていた。勿論淑瑠に咎められたが、迷惑を恐れ、こうして出てきたのだ。
 辿り着いた時には歩は居らず、戻ってきたのは懸命に勤務に励んでいる時点でだった。

「…鈴夜くん、大丈夫か?」

 後ろ姿だけで気分の降下を感じ取ったのか、歩は通りすぎようとする足を止め声をかけてくれていた。

「……大丈夫です」
「顔蒼いな、熱ないか?」

 歩は手の平を、鈴夜の額に宛てた。鈴夜は反応したが、行動が決まらず硬直する。

「やっぱり、少し医務室に行った方がいい」
「………でも、仕事が…」
「大丈夫、体が優先だよ」
「…はい…じゃあ少し、行ってきます…」

 歩の寛大で優しい台詞を聞きながら、鈴夜はまた、かけてしまった迷惑に心を沈めていた。

 医務室に置いてあった体温計で熱を測ると、温度は38度に達していた。
 朝から気だるさと吐き気はあったが、精神的な物だと勘違いしてしまっていた。

「あれー鈴夜くん、どうしたの?」

 鼓動が跳ねた。強張る体の向かいに、勇之が詰め掛けてくる。毎度、計っているのかと訝るくらい奇妙なタイミングだ。

「あれ?辛そうだね」

 勇之の右手が伸びてきて、鈴夜は思わず目を瞑ってしまった。
 だが、右手が柔らかく触れたのは頬だった。

「やっぱり、顔火照ってる」

 警戒が一時的に通り過ぎ、ゆっくりと瞼を開く。
 直ぐ先に勇之の視線が待っていて、鈴夜は即座に逸らした。

「…そんなに僕の事怖い…?」

 頬に触れていた指先が、首筋を軽く押す。緊張が、脈を早くする。

「…怖がってるね…そりゃそうか…でもまだ誰にも言っていないみたいだね…まぁまだこの間の事だから当たり前かぁ」

 勇之は鈴夜の背首に手を回し、その頭を近づけた。
 耳元で、静かな静かな囁きが落ちる。

「…どこまで頑張れるかな…?」

 勇之は、恐怖に苛まれ呆然とする鈴夜を放置し、笑顔のまま医務室を出て行った。

「………勇之君がここにいるとは珍しいな…って鈴夜くんどうかしたか?辛いのか?」

 別の声にゆっくりと顔をあげると、目の前で心配そうに自分を見る歩が目に映った。

「………折原さん…何でもないですよ、ほらこの通り…!」

 泣きたい気持ちを押し殺し、縋りたい気持ちを閉じ込めて、鈴夜は作り笑いで腰を上げる。
 だが、体が上手く意志を反映せず、歩に身を預けるような形で倒れこんでしまった。 


 明灯は、合流した勇之の雰囲気がどこか楽しげな事に気付いた。

「…どこ行ってたの?」

 勇之は質問に疑問しながらも、当然であるかの如く答えを述べる。

「どこって商談だけど」
「他を聞いているんだよ」

 深く内容を掘り下げられ、勇之は漸く自分の行動が淡く見破られていると知った。

「別に」

 明灯は大して追求する気も無かったのか、軽く流し足を踏み出す。

「…そう。次行くよ」

 勇之は、秘密裏で行われた鈴夜との出来事を、脳内で再度描き、にっこりと笑った。


 依仁は、音もない空しい個人部屋で思いに耽っていた。時々やってくる同僚達は、その度上手く交わし、早めに帰宅させた。

 墓参りの夜が、脳内から離れない。事件に巻き込まれる事が、こんなにも恐怖だったとは知らなかった。
 確かに、恨まれる理由も理解出来るけれど。

 依仁は、新たに生まれた思いを胸に、両手を翳し手に残る感覚を思い起こしていた。
 そして、その思いと目的をぶつけ合い、また深い葛藤を始めた。


 目覚めると病院にいた。見慣れた天井が直ぐに把握させた。そして、その視界に歩が現れた。

「鈴夜くん良かった…!全然起きる気配が無かったから心配したよ…!本当に良かった!」

 鈴夜は呆然としながら、歩の安堵に満ちた顔を見詰める。

「…とりあえず先生を呼ぶよ」

 そう言うと歩は、ナースを呼び寄せる為、設置された受話器に手をかけた。
 歩から目を逸らし、何気なく見た窓の外が仄かな闇に染まっていて、起床早々かけられた言葉の意味を理解する。

「直ぐに来てくれるみたいだよ」

 続いて、シャツのままの歩を見て、仕事を中抜けさせてしまっている事態に多大な罪悪感を抱いた。

「………折原さん、お仕事…」
「良いんだよ、調子はどうかな?」

 それ以上何も言えなくて、唯尋ねられるがままに答えを弱い声で零す。

「……大分良くなりました…」
「そうか、良かった」
「………ご迷惑おかけしました…」

 歩の手が伸びてきて、額上部から頭頂部を優しく撫でた。温もりに安堵してしまう。

「気にしなくていい。じゃあ安心もした事だし戻ろうかな」
「…はい、有り難うございました…」

 扉の閉まる音と引き換えに静寂が落ちた部屋で、複雑に圧し掛かる気持ちが雫として零れ落ちる。
 だが扉の外から、歩と、恐らく待機していた淑瑠の声が聞こえてきて、反射的に涙を呑んだ。

「…鈴夜、入るね…?」

 淑瑠が、根を詰めたような顔で入室してきた。自分が齎したものだと考え、心を痛める。

「……ごめん…」
「…謝らないで、それより調子大丈夫?」

 淑瑠は表情を一転させ、微笑んだ。鈴夜も、今以上の煩いを掛けたくなくて無意識に微笑んでいた。

「…うん大丈夫、熱あっただけだから。自分でも気付かなかったけど」
「…そう…」

 ノックの音が響き、医師が顔を出した。

「…じゃあ一度戻るね、着替えとか持ってくるよ」

 淑瑠の配慮に対し、鈴夜は否定する。勿論、申し訳なさを理由にして、だ。

「…有り難う、でも今日はもういいや…このまま寝ちゃうよ」

 淑瑠は窓の外を一瞥し、再度にっこりと笑った。

「そう?じゃあ今日は帰って、また明日来るね」
「…うん、ごめん、ありがとう…」

 医師は鈴夜の精神面の異変を感じ取ったのか、体の状態が相当悪かったのか、大事をとっての短期入院を薦めてきた。
 鈴夜は、またの欠勤が嫌で拒否したが、今後を考慮しても、せめて明日までは安静にするべきだと言われてしまった。

 ――――暗くなると、心が落ちる。自分の価値観ごとゆっくりと落ちてゆく。まだ頭がぼんやりとしているのに、その脳内では多数の出来事が交錯している。
 鈴夜は舞い戻る日付感覚の所為で、腹部に痛みを感じて、その部分を摩りながら後ろを振り向いた。
 だが、あるのは壁で、勿論だが誰も居ない。

 後ろが気になったと思えば、前にも、その首元にも気配を感じてまた振り向く。
 だが、薄暗い空間が、広がっているだけだ。

 強く気を張り恐怖に纏われ、体を震わせながら、鈴夜は浅く呼吸を繰り返した。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

薫る薔薇に盲目の愛を

BL / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:54

今宵、鼠の姫は皇子に鳴かされる

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:880pt お気に入り:10

選んでください、聖女様!

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:52

1泊2日のバスツアーで出会った魔性の女と筋肉男

恋愛 / 完結 24h.ポイント:276pt お気に入り:99

明らかに不倫していますよね?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:4,645pt お気に入り:117

死が見える…

ホラー / 完結 24h.ポイント:1,874pt お気に入り:2

断罪されて死に戻ったけど、私は絶対悪くない!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,934pt お気に入り:208

処理中です...