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【3】
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◇
樹野は仕事が手につかず、流し台にて皿を割ってしまっていた。
今日に入って2枚目になる、昨日と合わせるとこれで3枚目だ。自分の素直さが嫌になる。
「八坂さん大丈夫?」
「あっ、だ、大丈夫です…!痛っ…」
急いで欠片を拾い集めようとしたのが徒となり、鋭い破片で指を切ってしまった。
じわりと溢れ落ちそうになる血を、備え付けのペーパータオルで押さえつける。
「変わるから手当てして来なよ」
「…す、すいません…」
そのまま、救急箱の置かれている休憩室へと走った。
じんじんと傷が痛むと同時に、僅かにタオルが染まっていくのを見て、樹野はまた依仁を思い出していた。
後日、樹野はニュースにて依仁の身に起こった出来事の概要を知った。
その時感じた痛みや恐怖を思うと、当人でもないのに表情を歪めてしまう。自分が今抱いているよりも遥かに深く、心も抉られるような痛みを感じたと思うと居た堪れない。
やはり、止めなくてはならないとの決意が強くなる。
だが、その度に鮮明に思い出されるキスの感覚に、樹野の頬は紅潮してしまうのだった。
◇
勇之には、通りすがりに見た、明灯の凝視するサイトの会社に見覚えがあった。確か、先日倒産した会社だ。
「寿さん、また潰したんですか?」
「…人聞きの悪い事言わないの」
明灯は見られている事自体は何とも思わないのか、視線の移動も咎めも無しに、平然と返してきた。
「でも偽装工作したんでしょ?」
「社長の命令だからね」
明灯はホームページを閉じ、文字で埋まっている別の画面を出した。
「やっぱりかー、ニュース見てそうかなって思ってたんだよね。さすが寿さん、遣り口が綺麗だね」
「からかってるでしょ」
「ううん、本当に思ってるよ。怖いくらいだよ」
勇之は強く眉を吊り笑った。
明灯の勤める会社は、悪行を生業とする企業だった。
勿論表向きは一般業者と変わらないが、本当の姿は別にある。
その裏側を、明灯はじめ勇之も、ここにいる従業員は皆、理解した上で会社に従事していた。皆が皆、心から尽くしていると言ったら嘘になるが。
「まぁ、裏切れば社長が許さないからねー」
従業員一同に聞かせるようにして、勇之は明灯に言い放つ。
明灯はこれまた、顔色を一切変えず席を立った。
◇
結局は医師の薦めを拒否し、夕方、鈴夜は淑瑠と共に家路についていた。暗がりが恐怖を呼び起こし、どうしても気を張ってしまう。
「大丈夫?」
「…うん、大丈夫…」
まるで口癖になっってしまったように、自然に¨大丈夫¨という単語が出てきた。
淑瑠は鈴夜の怯えを目に映し、溜め息を――吐かずに飲み込んだ。
「…早く車買わないとなぁ…」
結局は、幾つかの候補だけ定め、決定までの過程を踏まず、そのまま帰宅してしまった。
「……ごめん…振り回して…」
ぎゅっと握り締めてきた手を、淑瑠も握り返す。
「いいよ、思ってないし。今度の日曜にでも決めに行こうか?」
「…うん…」
アパートが見えて来て、下りてくる人の姿も見えた。あの背格好は岳だ。今日もスーツを着ている。
二人に気付かず帰ってしまいそうな岳へ、鈴夜の代わりに淑瑠が声をかけた。
「岳ーどうしたの?」
岳は吃驚して振り向き、駆け寄ってきた。鈴夜は反射的に、握っていた手を離す。
「…こっ、こんばんは…」
「……もしかして来てくれたの?」
「……はい、自分で言っておいて顔出せてなかったので…調子いかがですか?」
毎日来ると言った約束を、彼は忘れていなかったらしい。
「…大丈夫だよ、岳さんは?体調悪くとかしてない?」
「…大丈夫です、今また凄く気分が良いんです」
岳は、ふにゃりと柔らかな笑顔を浮かべた。表情や顔色からも良好さが伝わってきた。
「…良かった」
岳は、感情の起伏が体調に現れやすい性質だ。だから、元気そうだと安心する。
「…榛原さんと上手く行ってる感じかな?」
一瞬、声を詰まらせたように見えたが、返事自体はすぐ返って来た。きっと、この間の件を思い出したのだろう。
「…はい、鈴夜さんのお陰です…」
「そんなこと無いよ、岳が元気そうで本当に良かった」
岳の笑顔を見ると、救われる気持ちになる。この悲惨な現実の中で、純粋な幸福感に笑顔を浮かべている姿は希望になる。
「…はい、有り難うございます…明日もまた来ますね…」
「ありがとう、無理しないでね」
彼自身は、自分が希望を与えている等と、思ってはいなさそうだけど。
淑瑠は、久しぶりに目の当たりにする鈴夜の心からの笑顔を見て、同じように色を変えた。
樹野は仕事が手につかず、流し台にて皿を割ってしまっていた。
今日に入って2枚目になる、昨日と合わせるとこれで3枚目だ。自分の素直さが嫌になる。
「八坂さん大丈夫?」
「あっ、だ、大丈夫です…!痛っ…」
急いで欠片を拾い集めようとしたのが徒となり、鋭い破片で指を切ってしまった。
じわりと溢れ落ちそうになる血を、備え付けのペーパータオルで押さえつける。
「変わるから手当てして来なよ」
「…す、すいません…」
そのまま、救急箱の置かれている休憩室へと走った。
じんじんと傷が痛むと同時に、僅かにタオルが染まっていくのを見て、樹野はまた依仁を思い出していた。
後日、樹野はニュースにて依仁の身に起こった出来事の概要を知った。
その時感じた痛みや恐怖を思うと、当人でもないのに表情を歪めてしまう。自分が今抱いているよりも遥かに深く、心も抉られるような痛みを感じたと思うと居た堪れない。
やはり、止めなくてはならないとの決意が強くなる。
だが、その度に鮮明に思い出されるキスの感覚に、樹野の頬は紅潮してしまうのだった。
◇
勇之には、通りすがりに見た、明灯の凝視するサイトの会社に見覚えがあった。確か、先日倒産した会社だ。
「寿さん、また潰したんですか?」
「…人聞きの悪い事言わないの」
明灯は見られている事自体は何とも思わないのか、視線の移動も咎めも無しに、平然と返してきた。
「でも偽装工作したんでしょ?」
「社長の命令だからね」
明灯はホームページを閉じ、文字で埋まっている別の画面を出した。
「やっぱりかー、ニュース見てそうかなって思ってたんだよね。さすが寿さん、遣り口が綺麗だね」
「からかってるでしょ」
「ううん、本当に思ってるよ。怖いくらいだよ」
勇之は強く眉を吊り笑った。
明灯の勤める会社は、悪行を生業とする企業だった。
勿論表向きは一般業者と変わらないが、本当の姿は別にある。
その裏側を、明灯はじめ勇之も、ここにいる従業員は皆、理解した上で会社に従事していた。皆が皆、心から尽くしていると言ったら嘘になるが。
「まぁ、裏切れば社長が許さないからねー」
従業員一同に聞かせるようにして、勇之は明灯に言い放つ。
明灯はこれまた、顔色を一切変えず席を立った。
◇
結局は医師の薦めを拒否し、夕方、鈴夜は淑瑠と共に家路についていた。暗がりが恐怖を呼び起こし、どうしても気を張ってしまう。
「大丈夫?」
「…うん、大丈夫…」
まるで口癖になっってしまったように、自然に¨大丈夫¨という単語が出てきた。
淑瑠は鈴夜の怯えを目に映し、溜め息を――吐かずに飲み込んだ。
「…早く車買わないとなぁ…」
結局は、幾つかの候補だけ定め、決定までの過程を踏まず、そのまま帰宅してしまった。
「……ごめん…振り回して…」
ぎゅっと握り締めてきた手を、淑瑠も握り返す。
「いいよ、思ってないし。今度の日曜にでも決めに行こうか?」
「…うん…」
アパートが見えて来て、下りてくる人の姿も見えた。あの背格好は岳だ。今日もスーツを着ている。
二人に気付かず帰ってしまいそうな岳へ、鈴夜の代わりに淑瑠が声をかけた。
「岳ーどうしたの?」
岳は吃驚して振り向き、駆け寄ってきた。鈴夜は反射的に、握っていた手を離す。
「…こっ、こんばんは…」
「……もしかして来てくれたの?」
「……はい、自分で言っておいて顔出せてなかったので…調子いかがですか?」
毎日来ると言った約束を、彼は忘れていなかったらしい。
「…大丈夫だよ、岳さんは?体調悪くとかしてない?」
「…大丈夫です、今また凄く気分が良いんです」
岳は、ふにゃりと柔らかな笑顔を浮かべた。表情や顔色からも良好さが伝わってきた。
「…良かった」
岳は、感情の起伏が体調に現れやすい性質だ。だから、元気そうだと安心する。
「…榛原さんと上手く行ってる感じかな?」
一瞬、声を詰まらせたように見えたが、返事自体はすぐ返って来た。きっと、この間の件を思い出したのだろう。
「…はい、鈴夜さんのお陰です…」
「そんなこと無いよ、岳が元気そうで本当に良かった」
岳の笑顔を見ると、救われる気持ちになる。この悲惨な現実の中で、純粋な幸福感に笑顔を浮かべている姿は希望になる。
「…はい、有り難うございます…明日もまた来ますね…」
「ありがとう、無理しないでね」
彼自身は、自分が希望を与えている等と、思ってはいなさそうだけど。
淑瑠は、久しぶりに目の当たりにする鈴夜の心からの笑顔を見て、同じように色を変えた。
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