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テレビでは、節分を祝う声が楽しそうに響いている。
鈴夜は、朝一で気を紛らわす為つけたテレビを直ぐ消した。
深い溜め息を吐くと同時に、ノックが響き医師が部屋に入室してきた。
「お早うございます、調子はいかがですか?」
「大丈夫です」
鈴夜は上手くなった作り笑いでその顔を満たした。医師はあっさりと受け容れたのか、その表情を綻ばせてゆく。
医師は、すっかり過去の物となった傷跡を見てから、包帯の無い額を見る。
「傷はもう全然いいね、頭は痛くない?」
「もうすっかり」
鈴夜は精神面から来る不快感については、一切告げようとはしなかった。
「そうか、じゃあ退院考えてみようか?」
「お願いします」
欺く事に罪悪感を覚えつつも、鈴夜は笑い続けた。
◇
歩は職場にて奔走していた。明灯の会社との取引が滞留している間でも、職務は尽きる事を知らない。
寧ろ一時停滞している事で、職務が増えるという悪循環に襲われていた。
歩は鈴夜の元へと顔を出せていない事で、状態が気になり始めていた。次は何時会社に顔を出すのだろうとか、また自分を追い詰めていないだろうか、とか。
勇之もの事件について知ってショックを受けていないだろうかなど、色々と考えてしまう。
それにもう一人、ニュースを見て憎しみを抱き、良からぬ行動をしてしまいそうな人物が浮かび、心がざわついた。
歩はズボンのポケットを何気なく見据える。今は入れていないが、その場所に一時的にしまったナイフを思い出し、歩は大きく息を吐いた。
◇
岳は流れ落ちそうになる涙を、何時間も耐え続けていた。流してしまっては志喜との約束を思い出して、また堪える。謝罪を何回も繰り返してから、また我慢を試みる。
「…志喜さん、ごめんなさい…本当にごめんなさい…」
体は鉛のように重くて、全く動けない。視力の悪さと栄養不足が合間って、視界も霞む。
景色が見えない変わりに、見えるのはあの日の一部だ。志喜が自分を突き飛ばす瞬間と、その死を知った瞬間が視界にちらつく。
岳はまた吐き気に口を塞いでいた。気持ち悪さを堪えきれずに、用意された袋を広げ吐く。
「……志喜さんのところに行きたい…」
岳の視界に、ゆらゆらと揺れる点滴の管が移った。
◇
樹野は階段を下りながら、勇之の事を考えていた。一足遅く昨日ニュースで見たのだが、見た瞬間衝動的に泣いてしまった。
怖ろしい存在であったにも拘らず、悲惨な事件に巻き込まれてしまい命を落としたという事実は痛く悲しくて、勇之の気持ちを思うと胸が苦しくなった。
階段を最下まで下り、車内から手を振る依仁を見つけると安堵感が沸いてきた。すぐさま駆けて行き助手席に飛び乗る。
「大丈夫?」
依仁は樹野の横顔を見て早々尋ねていた。その顔に薄暗い陰がかかっていたのだ。樹野は驚いた様子で反応する。
「へっ?」
「…暗い顔してんぞ、勇之と緑の事件か?」
恐らくニュースを見て怖がっているのだろう、と依仁は予想を立てた。
樹野は言い当てられ直ぐに顔に陰を戻した。依仁も同じ心境にあると考えると、繕う必要が無いと思えたのだ。
「…うん。…なんでかなぁ…やっぱり事件に関わっていたからかなぁ…」
話し始めてまだ少ししか経過していないというのに、樹野の瞳は早くも悲しみに揺れていた。
「さぁ、今回のはなんとも言えねぇや」
「……どうして?」
「根拠は無いけどさ、可笑しい点があるんだよ」
依仁の中で引っかかるポイントが幾つか存在していた。サイトの事も勿論、別のポイントも。
「…そうなの?」
「だから決まった訳じゃないから、怖がらなくてもいい」
「……うん…」
樹野は依仁がそう思う理由について、欠片でさえ想像する事は出来なかった。だが、ほぼ断言できるくらいなのだ、信じる価値はあるだろう。
「……俺、何があっても樹野のこと守るから。行ってくれればどこでも連れてくし、迎えに行くし」
「…あ、ありがとう、でも依仁くんも気をつけてね」
「ああ」
優しい依仁の、その優しさに対し不安要素を抱きながらも、樹野はにっこりと微笑を浮かべた。
◇
勇之がいた職場は静かだった。ただタイピングが鳴る無機質な音だけが鳴っている。嘗て勇之が使っていた机上には、小さな花束が献花されている。
「…あれ?パソコン誰か使った?」
静かな明灯の声だけが響いて、その後は無機質な音がまた舞い戻っただけだった。
「…勇之かな…」
明灯は痕跡の残るフォルダを開き、見詰めた。そこには何人かの友人と共に写る少女の写真があった。
花の乗せられた勇之の席を、一瞥し明灯は浅く俯いた。
◇
鈴夜は、足が向かうまま岳の部屋へと向かっていた。付き次第ノックして扉を開くと、そこには衝撃の光景があった。
岳が点滴の管で、自分の首を絞めていたのだ。
「何してるの!やめて!」
鈴夜は駆け足してその腕を掴み、強く絡んでいた管を緩めた。岳は掴まれるがまま呆然としている。
「……鈴夜さん…?」
「何でこんな事するの!」
鈴夜は泣いていた。見た瞬間、一気に涙が溢れ出したのだ。岳は震えた声に涙を悟ったのか、漸く正気に戻ったのか、表情を動かした。
「…………苦しいです…もう、耐えられません…」
苦痛に歪む顔は、酷い心痛を映し出していた。
「…それでも駄目なの…嫌なの…」
鈴夜はただ願いを訴える事しかできなかった。心を動かすほどの理由も、分からせるだけの言葉も何一つ無い。けれど、気持ちは本心だ。
鈴夜は、岳の首周りに緩まったままかかっている管を取外し、棚の上へと置いた。視線を逸らしたまま声を突きつける。
「……お願い、もうやめてよ…自分をそんなに責めないでよ…岳の辛いとこ見るのもう嫌だよ…」
自分を幾度となく救ってくれた、あの笑顔がもう一度みたい。志喜の横で浮かべていた、屈託のない笑顔がもう一度みたい。これだけ苦しんだんだ、涙はもう十分だろう。
「………ごめん、なさい…」
岳の瞳から、大きな涙が零れ落ちた。落ちた雫の動きが鈴夜の視界にチラつき、反射的にその顔を凝視してしまった。岳はゆっくりとした動きで涙を拭うと、そのまま腕で目元を隠してしまった。
「…僕も、御免」
何もしてあげられなくて、一緒に泣いているくせに悲しみを半分にしてあげられなくてごめん。本当にごめん。
鈴夜は心に謝罪内容を据え、岳の頬を伝う雫を浚った。
暫く時間が経過して二人とも落ち着きを見せる頃には、岳は眠ってしまっていた。恐らく体力が限界に至ったのだろう。
改めて見た岳の体は痩せ、顔色も当初より更に色を失っている。
「…また明日も来るからね…お休み」
鈴夜は重い腰を上げ、部屋へと戻った。
◇
結局、その日も淑瑠は現れなかった。歩が姿を見せる事もなかった。
その事で会社が忙しいのだと悟り、早急に復帰しなくてはとの気持ちに駆られた。
◇
勇之の事が頭から離れない。事件を想像すると怖くなってしまう。辛くなってしまう。
その他のニュースを見ながら抱いた感情の中に、また別の靄々とした感覚が残っていた。その原因となったのが、緑である。
樹野は緑の事を知らなかった。名前を聞いた事はある気がするのだが、その顔や思い出が全く思い出せないのだ。
だが、依仁は知っている様子だった。しかも呼び捨てるほどの仲なのだ。それに自分へと問いかけてきたという事は自分も知っている筈の人物なのだろう。
そうなるとやはり子どもの頃の知り合いという事になりそうだ。
しかし、もし緑が加害者側の人間ならば、記憶にあるはずだ。知らないとなると、被害者の人間であるという事か。
樹野は依仁の言う不審なポイントを見つけた気がして、不可解さに唖然としてしまった。
CHSの被害者と、加害者の人間が共に殺されていた事になるのはおかしいと、依仁は言っていたのかもしれない。
樹野は益々分からなくなる不可解な事件に、忙しく皿を拭きながらも思考を揺らした。
鈴夜は、朝一で気を紛らわす為つけたテレビを直ぐ消した。
深い溜め息を吐くと同時に、ノックが響き医師が部屋に入室してきた。
「お早うございます、調子はいかがですか?」
「大丈夫です」
鈴夜は上手くなった作り笑いでその顔を満たした。医師はあっさりと受け容れたのか、その表情を綻ばせてゆく。
医師は、すっかり過去の物となった傷跡を見てから、包帯の無い額を見る。
「傷はもう全然いいね、頭は痛くない?」
「もうすっかり」
鈴夜は精神面から来る不快感については、一切告げようとはしなかった。
「そうか、じゃあ退院考えてみようか?」
「お願いします」
欺く事に罪悪感を覚えつつも、鈴夜は笑い続けた。
◇
歩は職場にて奔走していた。明灯の会社との取引が滞留している間でも、職務は尽きる事を知らない。
寧ろ一時停滞している事で、職務が増えるという悪循環に襲われていた。
歩は鈴夜の元へと顔を出せていない事で、状態が気になり始めていた。次は何時会社に顔を出すのだろうとか、また自分を追い詰めていないだろうか、とか。
勇之もの事件について知ってショックを受けていないだろうかなど、色々と考えてしまう。
それにもう一人、ニュースを見て憎しみを抱き、良からぬ行動をしてしまいそうな人物が浮かび、心がざわついた。
歩はズボンのポケットを何気なく見据える。今は入れていないが、その場所に一時的にしまったナイフを思い出し、歩は大きく息を吐いた。
◇
岳は流れ落ちそうになる涙を、何時間も耐え続けていた。流してしまっては志喜との約束を思い出して、また堪える。謝罪を何回も繰り返してから、また我慢を試みる。
「…志喜さん、ごめんなさい…本当にごめんなさい…」
体は鉛のように重くて、全く動けない。視力の悪さと栄養不足が合間って、視界も霞む。
景色が見えない変わりに、見えるのはあの日の一部だ。志喜が自分を突き飛ばす瞬間と、その死を知った瞬間が視界にちらつく。
岳はまた吐き気に口を塞いでいた。気持ち悪さを堪えきれずに、用意された袋を広げ吐く。
「……志喜さんのところに行きたい…」
岳の視界に、ゆらゆらと揺れる点滴の管が移った。
◇
樹野は階段を下りながら、勇之の事を考えていた。一足遅く昨日ニュースで見たのだが、見た瞬間衝動的に泣いてしまった。
怖ろしい存在であったにも拘らず、悲惨な事件に巻き込まれてしまい命を落としたという事実は痛く悲しくて、勇之の気持ちを思うと胸が苦しくなった。
階段を最下まで下り、車内から手を振る依仁を見つけると安堵感が沸いてきた。すぐさま駆けて行き助手席に飛び乗る。
「大丈夫?」
依仁は樹野の横顔を見て早々尋ねていた。その顔に薄暗い陰がかかっていたのだ。樹野は驚いた様子で反応する。
「へっ?」
「…暗い顔してんぞ、勇之と緑の事件か?」
恐らくニュースを見て怖がっているのだろう、と依仁は予想を立てた。
樹野は言い当てられ直ぐに顔に陰を戻した。依仁も同じ心境にあると考えると、繕う必要が無いと思えたのだ。
「…うん。…なんでかなぁ…やっぱり事件に関わっていたからかなぁ…」
話し始めてまだ少ししか経過していないというのに、樹野の瞳は早くも悲しみに揺れていた。
「さぁ、今回のはなんとも言えねぇや」
「……どうして?」
「根拠は無いけどさ、可笑しい点があるんだよ」
依仁の中で引っかかるポイントが幾つか存在していた。サイトの事も勿論、別のポイントも。
「…そうなの?」
「だから決まった訳じゃないから、怖がらなくてもいい」
「……うん…」
樹野は依仁がそう思う理由について、欠片でさえ想像する事は出来なかった。だが、ほぼ断言できるくらいなのだ、信じる価値はあるだろう。
「……俺、何があっても樹野のこと守るから。行ってくれればどこでも連れてくし、迎えに行くし」
「…あ、ありがとう、でも依仁くんも気をつけてね」
「ああ」
優しい依仁の、その優しさに対し不安要素を抱きながらも、樹野はにっこりと微笑を浮かべた。
◇
勇之がいた職場は静かだった。ただタイピングが鳴る無機質な音だけが鳴っている。嘗て勇之が使っていた机上には、小さな花束が献花されている。
「…あれ?パソコン誰か使った?」
静かな明灯の声だけが響いて、その後は無機質な音がまた舞い戻っただけだった。
「…勇之かな…」
明灯は痕跡の残るフォルダを開き、見詰めた。そこには何人かの友人と共に写る少女の写真があった。
花の乗せられた勇之の席を、一瞥し明灯は浅く俯いた。
◇
鈴夜は、足が向かうまま岳の部屋へと向かっていた。付き次第ノックして扉を開くと、そこには衝撃の光景があった。
岳が点滴の管で、自分の首を絞めていたのだ。
「何してるの!やめて!」
鈴夜は駆け足してその腕を掴み、強く絡んでいた管を緩めた。岳は掴まれるがまま呆然としている。
「……鈴夜さん…?」
「何でこんな事するの!」
鈴夜は泣いていた。見た瞬間、一気に涙が溢れ出したのだ。岳は震えた声に涙を悟ったのか、漸く正気に戻ったのか、表情を動かした。
「…………苦しいです…もう、耐えられません…」
苦痛に歪む顔は、酷い心痛を映し出していた。
「…それでも駄目なの…嫌なの…」
鈴夜はただ願いを訴える事しかできなかった。心を動かすほどの理由も、分からせるだけの言葉も何一つ無い。けれど、気持ちは本心だ。
鈴夜は、岳の首周りに緩まったままかかっている管を取外し、棚の上へと置いた。視線を逸らしたまま声を突きつける。
「……お願い、もうやめてよ…自分をそんなに責めないでよ…岳の辛いとこ見るのもう嫌だよ…」
自分を幾度となく救ってくれた、あの笑顔がもう一度みたい。志喜の横で浮かべていた、屈託のない笑顔がもう一度みたい。これだけ苦しんだんだ、涙はもう十分だろう。
「………ごめん、なさい…」
岳の瞳から、大きな涙が零れ落ちた。落ちた雫の動きが鈴夜の視界にチラつき、反射的にその顔を凝視してしまった。岳はゆっくりとした動きで涙を拭うと、そのまま腕で目元を隠してしまった。
「…僕も、御免」
何もしてあげられなくて、一緒に泣いているくせに悲しみを半分にしてあげられなくてごめん。本当にごめん。
鈴夜は心に謝罪内容を据え、岳の頬を伝う雫を浚った。
暫く時間が経過して二人とも落ち着きを見せる頃には、岳は眠ってしまっていた。恐らく体力が限界に至ったのだろう。
改めて見た岳の体は痩せ、顔色も当初より更に色を失っている。
「…また明日も来るからね…お休み」
鈴夜は重い腰を上げ、部屋へと戻った。
◇
結局、その日も淑瑠は現れなかった。歩が姿を見せる事もなかった。
その事で会社が忙しいのだと悟り、早急に復帰しなくてはとの気持ちに駆られた。
◇
勇之の事が頭から離れない。事件を想像すると怖くなってしまう。辛くなってしまう。
その他のニュースを見ながら抱いた感情の中に、また別の靄々とした感覚が残っていた。その原因となったのが、緑である。
樹野は緑の事を知らなかった。名前を聞いた事はある気がするのだが、その顔や思い出が全く思い出せないのだ。
だが、依仁は知っている様子だった。しかも呼び捨てるほどの仲なのだ。それに自分へと問いかけてきたという事は自分も知っている筈の人物なのだろう。
そうなるとやはり子どもの頃の知り合いという事になりそうだ。
しかし、もし緑が加害者側の人間ならば、記憶にあるはずだ。知らないとなると、被害者の人間であるという事か。
樹野は依仁の言う不審なポイントを見つけた気がして、不可解さに唖然としてしまった。
CHSの被害者と、加害者の人間が共に殺されていた事になるのはおかしいと、依仁は言っていたのかもしれない。
樹野は益々分からなくなる不可解な事件に、忙しく皿を拭きながらも思考を揺らした。
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