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明け方目覚めた時には、既に雨が降っていた。どれだけ時間が経過しても明るくならない風景に、鈴夜はもぐりこんだまま憂鬱を重ねる。
頭痛がする。常に重い体には、軽い頭痛でも大変苦痛になる。鈴夜は逃れる為、この間淑瑠がかってきてくれた頭痛薬を飲もうと、ゆっくり腰を上げた。
それから暫く頭痛と戦いながら横になり、漸く薬が効いて来て楽になってきた所で再度目を閉じようとした瞬間、チャイムが鳴った。
誰だろうと思いながら、インターホンの受話器を取ると、淑瑠の挨拶が聞こえて来た。
今まで、合鍵によって入室してからの挨拶だった為、奇妙な寂しさに苛まれた。
≪…今から出るね≫
外そうとした受話器から、留める声が聞こえてくる。
≪大丈夫だよ、ただ仕事行って来るねって言いに来たんだ。今日は早めに帰ってくるね。そしたらまた岳の所行こう≫
昨日部屋を退室する際に¨また明日¨と告げていったのを確り聞いてくれていたらしい。
≪…うん、行ってらっしゃい。頑張ってね≫
頭痛は止んだものの、雨によって芳しくない体調の所為で、動かない体をもどかしく思った。
◇
美音はまだ柚李の家に居た。絶対に帰らないと言い放った美音が一人で行動するのを心配し、仕方なく泊めたのだ。
「あの、私そろそろお出掛けしたいので、申し訳ないんですが一緒に出ませんか?」
やはり出かける際に美音を一人置いてゆくのは、美音の性格上どこか気掛かりで出来なかった。
美音自身もそれは分かっていた。故に素直に応じる事を選ぶ。
「いやいや、お布団まで用意してもらって、洗濯もご飯もいっぱいありがとうございました。本当に楽しかったです」
まだ悲しみに歪んだ感情が美音の中にあったが、欲しかった家族のように、共に過ごせた時間に温かみも感じてしまっていた。
喜びと悲しみが両方詰め込まれた心に、どう対応していいものか美音自身も正直戸惑う。
優しい柚李の言葉を受け入れ、懸命に良い人間になるべきか、それとも復讐心に従事して犯人を捜すべきか。
美音は、一緒に扉の外に出て鍵をかける柚李の横で、借りたジャンプ傘を開きながら考えていた。
◇
明灯はまた部屋に篭っていた。パソコンで勇之と緑の事件について調べこむ。だがやはり新情報は無く周知の情報のみが記載されている。
同時に現れた鈴夜と依仁の事件についての記事が目に留まり、ページを躊躇いも無く開いていた。
その後何らかの形で捜査に進展があったのか、記事は確信を込め緑が犯人であると強調していた。
緑の家に、事件に使われた型と同じ銃があった事。本人の持ち物にも拳銃が入っていた事。事件の目撃証言があったこと。
明灯は¨拳銃¨と言う単語に表情を微かに歪めていた。天井を叩く激しい雨の音が、まるで心境を表現しているようで気持ちが悪い。
あの時、緑に脅しをかけた時にも、身辺調査をした際にも、一切気配は無かったのに。
今更気付いた事実に、無念さが込み上げた。
◇
樹野は依仁に送ってもらい、職場に来ていた。
依仁は大智の事でも考えていたのか、少し表情が硬かったように思える。きっと依仁も、歩や自分と同じように罪悪感と戦っているんだろう、と感じた。
忘れた事は無かったが、昨日改めて思い出したCHS事件について、自宅に帰ってからも長時間に渡り、しかも遅い時間まで巡らせていた為、樹野は眠気に襲われていた。
母親が自分を見る目と、教師が自分を見る目を思い出して、体を強張らせる。真逆の色を纏っているのに、自分にとって両方痛かったのを強く覚えている。
幾人の生徒の酷い仕打ちと、言葉の暴力が悪夢のように残っていて、樹野を突き刺した。
私さえ居なければ。初めから存在しなければ、皆幸せだったのに。私さえ居なければ。
何度も何度も、数えられないくらい心に抱いた感情に樹野は沈んだ。
◇
歩は休日を利用し、自宅から近い場所にあるネットカフェに来ていた。
昨日大智の墓参りに行って樹野と会った事で、自分にも出来る事は無いかと考えた結果、まずは数々の事件を詳しく知る所から入ろうと思ったのだ。
大智の事件も、凜の事件も、飛翔の事件も、志喜の事故も、緑と勇之も事件もCHS事件に関わった皆に関わる全てを。
◇
鈴夜は睡眠薬を使用し、もう一眠りしていた。そのため目覚めた時には正午を大きく過ぎていた。
雨はまだ止まない。それどころか先程よりも強くなっている気がする。こんな空気の中に一人晒されると、どうしても追想してしまう。
鈴夜は思考が不覚に落ちてゆくのを阻止しようと、リモコンを取りテレビをつけた。
だが、早速流れてきたニュースにより、思惑はあっさりと打ち壊されてしまう。
自分が巻き込まれた事件の犯人が、緑であると報道されていたのだ。
名前は全て伏せられているが、近日のニュースを見ている人間なら誰もが分かるようになっている。
断定に至る根拠を3つ、キャスターが淡々と語ってゆく。改めて、あの緑が犯人であった事に心痛を覚えた。
緑と話した数少ない場面を思い起こすと、美音の顔が現れた。関係者である美音は、一気に与えられた二つのダメージにどれほど傷ついている事だろう。
トーンが一切変えられないまま、そんな容疑者がなぜ殺害されたのか、との問題に番組は話題を変えた。
鈴夜は己の内にも渦巻いている疑問が、様々な勝手な想像と共に推測されているのを見ていられずにテレビを消した。
この感情は、緑を失った美音も、勇之を失った明灯も、飛翔を失った柚李も、志喜を失った岳も、淑瑠も歩もきっと抱いている感情だろう。
痛くて痛くて、どうしたらいいか分からなくて、それでも乗り越えなければならない悲しみ。
だから、自分だけが嘆いてはいられない。
鈴夜は懸命に事実を言い聞かせ、負に澱む気持ちを封じ込めようと試みた。
◇
依仁は傘を差しながら歩いていた。目的地は事件現場だ。恐らくは規制線が張られていて、遠くからしか目視出来ないだろう。それでも確かめてみようと思ったのだ。
向かう途中、店の屋根の下で雨宿りする美音の姿を見つけた。不図、いつかに抱いた疑問が蘇る。
「よぉ、何やってんの?」
「え?何?依仁さん?」
依仁は姿を認識してもらうと、傘を窄め美音の横に入った。
「え?何?どうしたの?」
美音は気味悪そうに眉を顰めている。依仁は警戒心を素直に表す美音に対し、苦笑いした。
「いや、急に聞きたくなってさ」
「……何を?」
「あの日飛翔に何してた?てかなんで突きつけといてやめたんだ?」
すっかり緑の事だと思い込んでいた美音は、意外な内容に小さく驚いた。
「…あったね、そんな事」
忘れていた、と言わんばかりの美音に対し、忘れる事の出来ない依仁は怪訝さを浮かべてしまった。
「あれね、飛翔君が生きたそうにしてたからやめたんだよ、本当は殺して楽にしてあげるつもりだったんだけどね」
美音の選ばない言葉のチョイスに、銃の所持について直接問い質した時に似た不穏感を蘇らせた。
この間の、純粋な寝顔がまるで嘘かのように、少女は歪みきった空気を放っている。
美音は善意で、飛翔に武器を突きつけた日の事を思い出していた。
一発で死に至らせる為、胸元に銃口を当てようと、美音は飛翔の手を引いた。しかし、その時感じた強い脈拍が、美音の意志を阻止したのだった。飛翔の怯えた物を見る目と。
「結局殺されて死んじゃったけどね」
嘲うかのような笑顔を浮かべた美音の¨死¨についての感覚が疑わしくなってくる。語気が異常に軽くて、重んじている雰囲気が全く感じられないのだ。
大事な兄が殺されたと言うのに、嘆いて復讐を願ったと言うのに、死について話す姿はそれとはどこかそぐわない。
「……お前さ、人の死なんだと思ってんの?」
聞ける立場には無いとは思いながら、尋ねずにはいられなかった。人生経験の浅い、若干15歳の少女の心理を知りたいと思った。
美音は雨降る空を見上げ、首を傾げる。
「…うーん、分かんない」
依仁は答えに、一瞬でも犯人候補としての警戒を緩めてしまい、家に入れた自分を疑った。
その為、再度¨危険人物¨として、見守る事に決めた。
頭痛がする。常に重い体には、軽い頭痛でも大変苦痛になる。鈴夜は逃れる為、この間淑瑠がかってきてくれた頭痛薬を飲もうと、ゆっくり腰を上げた。
それから暫く頭痛と戦いながら横になり、漸く薬が効いて来て楽になってきた所で再度目を閉じようとした瞬間、チャイムが鳴った。
誰だろうと思いながら、インターホンの受話器を取ると、淑瑠の挨拶が聞こえて来た。
今まで、合鍵によって入室してからの挨拶だった為、奇妙な寂しさに苛まれた。
≪…今から出るね≫
外そうとした受話器から、留める声が聞こえてくる。
≪大丈夫だよ、ただ仕事行って来るねって言いに来たんだ。今日は早めに帰ってくるね。そしたらまた岳の所行こう≫
昨日部屋を退室する際に¨また明日¨と告げていったのを確り聞いてくれていたらしい。
≪…うん、行ってらっしゃい。頑張ってね≫
頭痛は止んだものの、雨によって芳しくない体調の所為で、動かない体をもどかしく思った。
◇
美音はまだ柚李の家に居た。絶対に帰らないと言い放った美音が一人で行動するのを心配し、仕方なく泊めたのだ。
「あの、私そろそろお出掛けしたいので、申し訳ないんですが一緒に出ませんか?」
やはり出かける際に美音を一人置いてゆくのは、美音の性格上どこか気掛かりで出来なかった。
美音自身もそれは分かっていた。故に素直に応じる事を選ぶ。
「いやいや、お布団まで用意してもらって、洗濯もご飯もいっぱいありがとうございました。本当に楽しかったです」
まだ悲しみに歪んだ感情が美音の中にあったが、欲しかった家族のように、共に過ごせた時間に温かみも感じてしまっていた。
喜びと悲しみが両方詰め込まれた心に、どう対応していいものか美音自身も正直戸惑う。
優しい柚李の言葉を受け入れ、懸命に良い人間になるべきか、それとも復讐心に従事して犯人を捜すべきか。
美音は、一緒に扉の外に出て鍵をかける柚李の横で、借りたジャンプ傘を開きながら考えていた。
◇
明灯はまた部屋に篭っていた。パソコンで勇之と緑の事件について調べこむ。だがやはり新情報は無く周知の情報のみが記載されている。
同時に現れた鈴夜と依仁の事件についての記事が目に留まり、ページを躊躇いも無く開いていた。
その後何らかの形で捜査に進展があったのか、記事は確信を込め緑が犯人であると強調していた。
緑の家に、事件に使われた型と同じ銃があった事。本人の持ち物にも拳銃が入っていた事。事件の目撃証言があったこと。
明灯は¨拳銃¨と言う単語に表情を微かに歪めていた。天井を叩く激しい雨の音が、まるで心境を表現しているようで気持ちが悪い。
あの時、緑に脅しをかけた時にも、身辺調査をした際にも、一切気配は無かったのに。
今更気付いた事実に、無念さが込み上げた。
◇
樹野は依仁に送ってもらい、職場に来ていた。
依仁は大智の事でも考えていたのか、少し表情が硬かったように思える。きっと依仁も、歩や自分と同じように罪悪感と戦っているんだろう、と感じた。
忘れた事は無かったが、昨日改めて思い出したCHS事件について、自宅に帰ってからも長時間に渡り、しかも遅い時間まで巡らせていた為、樹野は眠気に襲われていた。
母親が自分を見る目と、教師が自分を見る目を思い出して、体を強張らせる。真逆の色を纏っているのに、自分にとって両方痛かったのを強く覚えている。
幾人の生徒の酷い仕打ちと、言葉の暴力が悪夢のように残っていて、樹野を突き刺した。
私さえ居なければ。初めから存在しなければ、皆幸せだったのに。私さえ居なければ。
何度も何度も、数えられないくらい心に抱いた感情に樹野は沈んだ。
◇
歩は休日を利用し、自宅から近い場所にあるネットカフェに来ていた。
昨日大智の墓参りに行って樹野と会った事で、自分にも出来る事は無いかと考えた結果、まずは数々の事件を詳しく知る所から入ろうと思ったのだ。
大智の事件も、凜の事件も、飛翔の事件も、志喜の事故も、緑と勇之も事件もCHS事件に関わった皆に関わる全てを。
◇
鈴夜は睡眠薬を使用し、もう一眠りしていた。そのため目覚めた時には正午を大きく過ぎていた。
雨はまだ止まない。それどころか先程よりも強くなっている気がする。こんな空気の中に一人晒されると、どうしても追想してしまう。
鈴夜は思考が不覚に落ちてゆくのを阻止しようと、リモコンを取りテレビをつけた。
だが、早速流れてきたニュースにより、思惑はあっさりと打ち壊されてしまう。
自分が巻き込まれた事件の犯人が、緑であると報道されていたのだ。
名前は全て伏せられているが、近日のニュースを見ている人間なら誰もが分かるようになっている。
断定に至る根拠を3つ、キャスターが淡々と語ってゆく。改めて、あの緑が犯人であった事に心痛を覚えた。
緑と話した数少ない場面を思い起こすと、美音の顔が現れた。関係者である美音は、一気に与えられた二つのダメージにどれほど傷ついている事だろう。
トーンが一切変えられないまま、そんな容疑者がなぜ殺害されたのか、との問題に番組は話題を変えた。
鈴夜は己の内にも渦巻いている疑問が、様々な勝手な想像と共に推測されているのを見ていられずにテレビを消した。
この感情は、緑を失った美音も、勇之を失った明灯も、飛翔を失った柚李も、志喜を失った岳も、淑瑠も歩もきっと抱いている感情だろう。
痛くて痛くて、どうしたらいいか分からなくて、それでも乗り越えなければならない悲しみ。
だから、自分だけが嘆いてはいられない。
鈴夜は懸命に事実を言い聞かせ、負に澱む気持ちを封じ込めようと試みた。
◇
依仁は傘を差しながら歩いていた。目的地は事件現場だ。恐らくは規制線が張られていて、遠くからしか目視出来ないだろう。それでも確かめてみようと思ったのだ。
向かう途中、店の屋根の下で雨宿りする美音の姿を見つけた。不図、いつかに抱いた疑問が蘇る。
「よぉ、何やってんの?」
「え?何?依仁さん?」
依仁は姿を認識してもらうと、傘を窄め美音の横に入った。
「え?何?どうしたの?」
美音は気味悪そうに眉を顰めている。依仁は警戒心を素直に表す美音に対し、苦笑いした。
「いや、急に聞きたくなってさ」
「……何を?」
「あの日飛翔に何してた?てかなんで突きつけといてやめたんだ?」
すっかり緑の事だと思い込んでいた美音は、意外な内容に小さく驚いた。
「…あったね、そんな事」
忘れていた、と言わんばかりの美音に対し、忘れる事の出来ない依仁は怪訝さを浮かべてしまった。
「あれね、飛翔君が生きたそうにしてたからやめたんだよ、本当は殺して楽にしてあげるつもりだったんだけどね」
美音の選ばない言葉のチョイスに、銃の所持について直接問い質した時に似た不穏感を蘇らせた。
この間の、純粋な寝顔がまるで嘘かのように、少女は歪みきった空気を放っている。
美音は善意で、飛翔に武器を突きつけた日の事を思い出していた。
一発で死に至らせる為、胸元に銃口を当てようと、美音は飛翔の手を引いた。しかし、その時感じた強い脈拍が、美音の意志を阻止したのだった。飛翔の怯えた物を見る目と。
「結局殺されて死んじゃったけどね」
嘲うかのような笑顔を浮かべた美音の¨死¨についての感覚が疑わしくなってくる。語気が異常に軽くて、重んじている雰囲気が全く感じられないのだ。
大事な兄が殺されたと言うのに、嘆いて復讐を願ったと言うのに、死について話す姿はそれとはどこかそぐわない。
「……お前さ、人の死なんだと思ってんの?」
聞ける立場には無いとは思いながら、尋ねずにはいられなかった。人生経験の浅い、若干15歳の少女の心理を知りたいと思った。
美音は雨降る空を見上げ、首を傾げる。
「…うーん、分かんない」
依仁は答えに、一瞬でも犯人候補としての警戒を緩めてしまい、家に入れた自分を疑った。
その為、再度¨危険人物¨として、見守る事に決めた。
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