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【2】
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鈴夜は放心しながら歩いていた。何度か味わった恐怖感を思い出しながらも、勇之の境遇に心を痛めている自分もいる。
初めて見た明灯の表情にも、苦痛を感じてしまう。
そう言えば、明灯も薬の服用者なのだろうか。いや、聞かずとも持っている時点で分かるけれど。
「鈴夜くん」
向かいから歩が駆け足で近付いてきた。
「あっ、折原さん…!」
泣き顔を覆うようにして、微笑んでみせる。歩は一瞬丸い目で見詰めたが、直ぐに笑ってくれた。
「明灯さんならもう直ぐいらっしゃると思いますよ、先程会ったので…!失礼いたします…!」
歩は涙の理由を大方悟り、早足で去ってゆくその背を追いかける事はしなかった。
彼の心情が、軽くなりますように。
願いつつも明灯が気になり、歩はまた駆け足した。
明灯は予想通り、談話室に留まったままだった。既に涙は無かったが、表情は憂鬱そのものだ。
「明灯さん」
「折原さん、先程水無さんと話すことが出来ました」
歩の存在に気付くと、即座に笑顔を湛えだす。その表情の変化に、歩は戸惑いつつも笑い返した。
「そうか、ありがとう。明灯さんは大丈夫かい?」
「なぜ私なのですか?」
「辛いだろう?勇之君の代わりに謝るのは」
発言はやめたが、¨勇之を思い出す¨事も含めた。明灯は静かに瞳にかかっていた笑みを取り去り、口元だけに残す。
「いいえ、辛いのは水無さんですし、部下の無礼を謝罪するのは上司の勤めですから」
「…そうか。うん、そうだな、ありがとう」
「では私はこれにてご無礼致します」
鞄を手に持ち立ち上がると、明灯はそっとお辞儀を残し、去っていった。
◇
仕事に手が付かなくて、残したまま帰宅してしまった。
頻繁に欠勤する事実から感じているのだろう。皆、体調面を配慮してくれて、快く残りの仕事を引き受けてくれたが、それもまた心苦しい。
行き場の無い感情が、疼いて逃げ場を求めている。誰かに怒りや悲しみをぶつけられたなら楽になれるのだろうか。
鈴夜は、淑瑠や歩に感情をぶつける姿を想像してみたが、相手の悲しげな顔を想像すると、絶対に出来ないと思ってしまった。
スタンガンを突きつけられた時の細い傷も、ナイフで切りつけられた時の鋭く深い切り傷も、首を絞められた時の赤みも全て消えているのに、心の中にはまだ生傷が残っていて、酷く痛む。
けれど、突きつけられていた恐怖は、ただの憎しみではなく不安定な心を安定させる為の方法であったと知ってしまった。
もし勇之の内側に湧く状態を知っていれば、もっと別の方法で彼を助ける事が出来たかもしれないのに。今になっては確かめる事も、試す事すら出来ないのだ。
怖がらず、ちゃんと勇之と向き合えば良かった。自分の腕を切り裂く理由を、ちゃんと考えていれば良かった。
鈴夜は、遣り切れないもどかしさを、血を流す事で拭った。
◇
その頃淑瑠は、自宅にて携帯と向き合っていた。鈴夜にメールを入れるためだ。
用件はもちろんあるのだが、それ以外の余計な部分を入れ込むか迷っていたのだ。この間会えて良かっただとか、また料理を持ってゆくね、だとか、泊まりに行ってもいいかなど、打ち込んでは消す。
気にしている事を前面に押し出してしまってはお節介だと思われるだろうか、と考えてしまうのだ。
随分前、鈴夜に言われた言葉が時々蘇ってきて、深く関わろうとしてしまうのを制止する。
淑瑠は結局、用件のみを書き込み、送信した。
◇
鈴夜は深夜になってベッドに潜り込み、時刻を確認した事でメールに気付いた。包帯を強く巻いた左手が、今更ズキズキと痛む。
[明日は病院行く?休みだから付いていくよ]
文章内容が思考と沿っていて、驚くべき事ではないと分かりつつも驚いてしまった。
睡眠薬を切らしてしまい、欲しいと考えていたのだ。
常に調子の悪い現状で診察に行くのは嫌だったが、行かなければ更に悪化してしまいそうだ。
鈴夜は、着信画面を凝視しながら迷った。
一人きりで外出するのには、まだ抵抗感がある。しかし、淑瑠と顔を合わせるのを避けている状態で、長時間共に居るのはやはり躊躇われる。うっかりした発言や、診察結果で淑瑠を傷つけてしまうかもしれない。
それは嫌だし、そもそも自分の用件につき合わせて時間を無駄にさせたくは無い。
結果、早く行って早く帰ってこれば一人でも大丈夫だろう、と結論づき返信した。
初めて見た明灯の表情にも、苦痛を感じてしまう。
そう言えば、明灯も薬の服用者なのだろうか。いや、聞かずとも持っている時点で分かるけれど。
「鈴夜くん」
向かいから歩が駆け足で近付いてきた。
「あっ、折原さん…!」
泣き顔を覆うようにして、微笑んでみせる。歩は一瞬丸い目で見詰めたが、直ぐに笑ってくれた。
「明灯さんならもう直ぐいらっしゃると思いますよ、先程会ったので…!失礼いたします…!」
歩は涙の理由を大方悟り、早足で去ってゆくその背を追いかける事はしなかった。
彼の心情が、軽くなりますように。
願いつつも明灯が気になり、歩はまた駆け足した。
明灯は予想通り、談話室に留まったままだった。既に涙は無かったが、表情は憂鬱そのものだ。
「明灯さん」
「折原さん、先程水無さんと話すことが出来ました」
歩の存在に気付くと、即座に笑顔を湛えだす。その表情の変化に、歩は戸惑いつつも笑い返した。
「そうか、ありがとう。明灯さんは大丈夫かい?」
「なぜ私なのですか?」
「辛いだろう?勇之君の代わりに謝るのは」
発言はやめたが、¨勇之を思い出す¨事も含めた。明灯は静かに瞳にかかっていた笑みを取り去り、口元だけに残す。
「いいえ、辛いのは水無さんですし、部下の無礼を謝罪するのは上司の勤めですから」
「…そうか。うん、そうだな、ありがとう」
「では私はこれにてご無礼致します」
鞄を手に持ち立ち上がると、明灯はそっとお辞儀を残し、去っていった。
◇
仕事に手が付かなくて、残したまま帰宅してしまった。
頻繁に欠勤する事実から感じているのだろう。皆、体調面を配慮してくれて、快く残りの仕事を引き受けてくれたが、それもまた心苦しい。
行き場の無い感情が、疼いて逃げ場を求めている。誰かに怒りや悲しみをぶつけられたなら楽になれるのだろうか。
鈴夜は、淑瑠や歩に感情をぶつける姿を想像してみたが、相手の悲しげな顔を想像すると、絶対に出来ないと思ってしまった。
スタンガンを突きつけられた時の細い傷も、ナイフで切りつけられた時の鋭く深い切り傷も、首を絞められた時の赤みも全て消えているのに、心の中にはまだ生傷が残っていて、酷く痛む。
けれど、突きつけられていた恐怖は、ただの憎しみではなく不安定な心を安定させる為の方法であったと知ってしまった。
もし勇之の内側に湧く状態を知っていれば、もっと別の方法で彼を助ける事が出来たかもしれないのに。今になっては確かめる事も、試す事すら出来ないのだ。
怖がらず、ちゃんと勇之と向き合えば良かった。自分の腕を切り裂く理由を、ちゃんと考えていれば良かった。
鈴夜は、遣り切れないもどかしさを、血を流す事で拭った。
◇
その頃淑瑠は、自宅にて携帯と向き合っていた。鈴夜にメールを入れるためだ。
用件はもちろんあるのだが、それ以外の余計な部分を入れ込むか迷っていたのだ。この間会えて良かっただとか、また料理を持ってゆくね、だとか、泊まりに行ってもいいかなど、打ち込んでは消す。
気にしている事を前面に押し出してしまってはお節介だと思われるだろうか、と考えてしまうのだ。
随分前、鈴夜に言われた言葉が時々蘇ってきて、深く関わろうとしてしまうのを制止する。
淑瑠は結局、用件のみを書き込み、送信した。
◇
鈴夜は深夜になってベッドに潜り込み、時刻を確認した事でメールに気付いた。包帯を強く巻いた左手が、今更ズキズキと痛む。
[明日は病院行く?休みだから付いていくよ]
文章内容が思考と沿っていて、驚くべき事ではないと分かりつつも驚いてしまった。
睡眠薬を切らしてしまい、欲しいと考えていたのだ。
常に調子の悪い現状で診察に行くのは嫌だったが、行かなければ更に悪化してしまいそうだ。
鈴夜は、着信画面を凝視しながら迷った。
一人きりで外出するのには、まだ抵抗感がある。しかし、淑瑠と顔を合わせるのを避けている状態で、長時間共に居るのはやはり躊躇われる。うっかりした発言や、診察結果で淑瑠を傷つけてしまうかもしれない。
それは嫌だし、そもそも自分の用件につき合わせて時間を無駄にさせたくは無い。
結果、早く行って早く帰ってこれば一人でも大丈夫だろう、と結論づき返信した。
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