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その後暫く向き合ったまま、静寂の中座りこんでいた。窓の外は薄暗くなり、月の存在もはっきりとしてきた。
そんな中、二人の脳内にあるのは大智の事と、鈴夜に関しては歩の事ばかり考えていた。
大智は優しさゆえに、その命を捨ててしまった。どうしてもっと先の事について深く考えてくれなかったのか、と責めたくなる。どうして何を犠牲にしてでも生きてくれなかったのかと嘆きたくもなる。
もっと、大智と一緒に笑い合って、ささやかな時を過ごしたかっただけなのに。どうして気配に向き合ったのか。
そして歩は事件を予知していた。皆が気付く前の段階で。所謂無関係ではなかったという事だ。
どういった関係性で彼らと繋がっているのか、鈴夜は直ぐに分かった。¨先生¨と呼ぶのを何度か聞いた事があったからだ。
歩は恐らく教師だったのだ。しかもCHS事件が起こった当時に勤めていた教師。彼も数少ない生存者の一人だったのだろう。
心がざわつく。この騒ぎから遠ざけようとしていたのに、既に輪の中にいたなんて。
「……淑兄…僕そろそろ帰るね…」
静かな声を耳に、淑瑠が顔を上げた。表情は困惑に満ちている。
「…え、あ、うん、大丈夫?」
「……大丈夫だよ、ありがとう」
鈴夜は笑ってみせた。感情が渦巻くほどに、無理矢理な笑顔が滲んでしまう。
「…そう、じゃあまた明日…」
「……うん、またね」
家に辿り着き、早々に鈴夜は電話をかけていた。
夜には仕事についての決断を伝えると約束していたのを、今思い出したのだ。
≪もしもし、こんばんは≫
「……もしもし」
歩のいつも通りの筈の声が、また違った色を纏って聞こえる。
今までどんな気持ちでニュースを見ていたのだろうと考えてしまう。大智の物も、凜の物も、飛翔の物も。
≪大丈夫かな?≫
「……大丈夫です」
鈴夜は澱みだす心を一旦止め、目的を口にした。
≪…あの、仕事の事決めました…≫
「ありがとう、聞かせてくれるかな?」
≪……暫く、お休み…させてください…≫
「分かった。決めるの勇気が要っただろう、頑張ったな」
爽やかな声が、小さな痛みを連れて来る。恐らく電話越しで落とされているであろう笑顔が、脳内でくすんで描かれる。
どうして大智を救ってくれなかったのだろう。いや、歩の事だ、救おうとして出来なかっただけだろう。
もしかして、ずっと苦しい思いを背負っていたのだろうか。
≪……鈴夜くんどうした?辛いのか?≫
「…あの、ずっと前の心配事ってなんだったんですか?」
鈴夜は切り出してしまっていた。歩が関係者であった事があまりにも衝撃的で、そして気付けなかった事があまりにももどかしくて。
苦しんでいると思うと、黙っている事が出来なかった。
もちろん、全て理解したいとの欲も、無いと言ったら嘘になる。
≪……どうしたんだ?急に≫
いつもと違う雰囲気に気付いたのか、歩の語気が落ちた。電話越しの静寂が、不安を彷彿させる。
≪……折原さんは…CHS事件に関わっていたんですか…大智の事を、知っていたんですか…≫
止められなくて続々と零れだす疑問に、歩は無言で耳を傾けている。互いに顔が見えない状態にあるため、感情は読めない。
けれど、悲しみは伝わってきた。
「…うん、ごめん…」
鈴夜は、涙と共に漏れ出しそうな嗚咽を堪える。歩の悲しみは持続されたまま、笑声が混じった。
鈴夜には、歩の感情がどういったものか直ぐに理解できた。自分でもよくある感情だ。
≪……でも吃驚したよ、どこまで知ってるんだ…?≫
「………理由は言えませんが、大智が事件に巻き込まれる前から、騒ぎを知ってたって事と…想像ですが、折原さんはその頃先生だったのでは…と…」
≪……そうか……≫
苦しさを、無理矢理に笑顔で埋めようとしている顔が簡単に描けた。恐らく、想像は正しかったのだろう。
≪……ごめん、大智君を死なせてしまったのは私だ…知っていながら止められなかった…ごめん…≫
急に声が不安定に揺れだして、後悔の深さを物語った。
ずっとずっと長い間、一人で秘めていたのだろう。それはとても辛い事なのだと、鈴夜には痛いくらいに分かった。
「……僕も気付かなくてごめんなさい…」
悲しみを一人で堪えると言うのは、とても苦しくて辛い。死にたくなってしまうほどの感情が、膨らむばかりで納まらないのだ。そうしてどんどん心を食いつぶしていくのだ。
経験したから、よく分かる。
≪…いいや、私が隠していたからな…≫
「………辛かったなら、どうして何も言って下さらなかったんですか…」
≪…言えないよ、そもそも事件は…私が…ごめん…≫
「……聞かせてください…」
口を噤んだ歩の心に寄り添いたくて、鈴夜は無意識に落としていた。
不安定な状態にある自分に、聞く価値は無いのかもしれない。救うなんて無理な話かもしれない。
それでも、いつも寄り添おうと、共にいてくれようとした歩に、一人で抱えて欲しくないと思ってしまった。
返って責めてしまう可能性もあると、分かってはいるけれど。
≪………この間、昔のこと話しただろう。あれは教師時代の話なんだ……私はその時新米教師で…≫
歩は、長きに渡り秘めていたであろう思いを、沸かせるようにして語りだした。それほどに苦しんでいたのだと分かり、鈴夜は泣かずにはいられなかった。
けれど、泣き声は飲み込んだ。
歩は、自分がCHS生存者で、当時教師を務めていたこと。当時は4年生を教えていた事。一人の生徒を対象としながらも、数人を巻き込んだ酷い虐めを止める事ができなかった事。その力が無かった事を悔やんでいるとの話をしてくれた。
周りの教師は事情ゆえ、虐めから目を逸らしてしまっていたという。寧ろ加担している者もいたらしい。
そんな状況で立ち上がる事もできず、結果何も出来なかった、との理由も確りと存在していた。
それでも、無力だった自分を恨んでいるとの事だ。
事件後直ぐに仕事を辞め、教師とは縁のない会社へと転職し、今の職場にいるらしい。
そしてから、サイトの存在を昔から知っていた事。事件の予兆を知りながらも、本気で止めに入ろうとしなかった事。その所為で大智を死なせてしまったとの後悔も聞いた。
事件前、一度大智にあっていた事も、その口から話してくれた。
一連の事件に、自分の知っている愛しい生徒達が関わっていて殺されているのを知りながら、また何も出来ないのだと嘆いていた。
どれもに自責の念が詰まっていた。何度も謝罪の言葉を含めていた。
≪……長い話になってしまってすまない…≫
「…い、いいえ、ありがとうございました…」
≪…ごめん、辛くさせたな…≫
歩の声は揺れながらも、涙が混ざる事は無かった。終始静かで、作ったとは思えない真っ直ぐさだった。それだけ同じ思いを何度も抱いたのだと分かる。
≪…でもありがとう、責めずにいてくれてありがとう…殺してしまったも同然なのに、赦してくれてありがとう…≫
鈴夜は完全に一致した、自分と同じ思い込みを聞き、胸に鋭い痛みを感じた。もしかすると歩は、実際誰かに責められた経験があるのかもしれない。
「…違いますよ、折原さんは悪くないです…」
少しばかりの間があいて、歩の囁きに似た答えが聞こえてきた。
≪……ありがとう、聞いてくれて少し軽くなったよ…鈴夜くんも何かあったら聞くからな≫
嘘か本当かは分からないが、本当であればいいと思った。
「……はい、ありがとうございます」
≪じゃあ、またな。仕事が早く終われたらまた訪問してもいいかな?≫
「…はい、是非」
その夜、鈴夜は夢を見た。
それは、歩が無惨に殺害されるという単純な夢だった。勇之と緑の事件の影響を受けているのか、自分のトラウマが残っているのか銃もナイフも見た気がする。
目覚めた時には汗が身体中を纏っていて、鼓動も呼吸も早くなっていた。天井を見詰めても暫く現実に帰れず、曖昧にしか覚えていないのに不安感が心臓を締め付ける。
――暫くして現実を理解しても、吐き気と震えが止まらず、鈴夜はキッチンに走っていた。
直ぐに水と錠剤を飲み込み、その場で崩れ落ちる。そしてそのまま泣いた。
一気に現実感の深くなった夢が、夢のままで終わると思えなくて、涙が止まらない。
どうか、歩がずっとこのままでいられますように。巻き込まれてしまいませんように、と強く強く願った。
神なんていないと思いながらも、縋るしか出来なかった。
そんな中、二人の脳内にあるのは大智の事と、鈴夜に関しては歩の事ばかり考えていた。
大智は優しさゆえに、その命を捨ててしまった。どうしてもっと先の事について深く考えてくれなかったのか、と責めたくなる。どうして何を犠牲にしてでも生きてくれなかったのかと嘆きたくもなる。
もっと、大智と一緒に笑い合って、ささやかな時を過ごしたかっただけなのに。どうして気配に向き合ったのか。
そして歩は事件を予知していた。皆が気付く前の段階で。所謂無関係ではなかったという事だ。
どういった関係性で彼らと繋がっているのか、鈴夜は直ぐに分かった。¨先生¨と呼ぶのを何度か聞いた事があったからだ。
歩は恐らく教師だったのだ。しかもCHS事件が起こった当時に勤めていた教師。彼も数少ない生存者の一人だったのだろう。
心がざわつく。この騒ぎから遠ざけようとしていたのに、既に輪の中にいたなんて。
「……淑兄…僕そろそろ帰るね…」
静かな声を耳に、淑瑠が顔を上げた。表情は困惑に満ちている。
「…え、あ、うん、大丈夫?」
「……大丈夫だよ、ありがとう」
鈴夜は笑ってみせた。感情が渦巻くほどに、無理矢理な笑顔が滲んでしまう。
「…そう、じゃあまた明日…」
「……うん、またね」
家に辿り着き、早々に鈴夜は電話をかけていた。
夜には仕事についての決断を伝えると約束していたのを、今思い出したのだ。
≪もしもし、こんばんは≫
「……もしもし」
歩のいつも通りの筈の声が、また違った色を纏って聞こえる。
今までどんな気持ちでニュースを見ていたのだろうと考えてしまう。大智の物も、凜の物も、飛翔の物も。
≪大丈夫かな?≫
「……大丈夫です」
鈴夜は澱みだす心を一旦止め、目的を口にした。
≪…あの、仕事の事決めました…≫
「ありがとう、聞かせてくれるかな?」
≪……暫く、お休み…させてください…≫
「分かった。決めるの勇気が要っただろう、頑張ったな」
爽やかな声が、小さな痛みを連れて来る。恐らく電話越しで落とされているであろう笑顔が、脳内でくすんで描かれる。
どうして大智を救ってくれなかったのだろう。いや、歩の事だ、救おうとして出来なかっただけだろう。
もしかして、ずっと苦しい思いを背負っていたのだろうか。
≪……鈴夜くんどうした?辛いのか?≫
「…あの、ずっと前の心配事ってなんだったんですか?」
鈴夜は切り出してしまっていた。歩が関係者であった事があまりにも衝撃的で、そして気付けなかった事があまりにももどかしくて。
苦しんでいると思うと、黙っている事が出来なかった。
もちろん、全て理解したいとの欲も、無いと言ったら嘘になる。
≪……どうしたんだ?急に≫
いつもと違う雰囲気に気付いたのか、歩の語気が落ちた。電話越しの静寂が、不安を彷彿させる。
≪……折原さんは…CHS事件に関わっていたんですか…大智の事を、知っていたんですか…≫
止められなくて続々と零れだす疑問に、歩は無言で耳を傾けている。互いに顔が見えない状態にあるため、感情は読めない。
けれど、悲しみは伝わってきた。
「…うん、ごめん…」
鈴夜は、涙と共に漏れ出しそうな嗚咽を堪える。歩の悲しみは持続されたまま、笑声が混じった。
鈴夜には、歩の感情がどういったものか直ぐに理解できた。自分でもよくある感情だ。
≪……でも吃驚したよ、どこまで知ってるんだ…?≫
「………理由は言えませんが、大智が事件に巻き込まれる前から、騒ぎを知ってたって事と…想像ですが、折原さんはその頃先生だったのでは…と…」
≪……そうか……≫
苦しさを、無理矢理に笑顔で埋めようとしている顔が簡単に描けた。恐らく、想像は正しかったのだろう。
≪……ごめん、大智君を死なせてしまったのは私だ…知っていながら止められなかった…ごめん…≫
急に声が不安定に揺れだして、後悔の深さを物語った。
ずっとずっと長い間、一人で秘めていたのだろう。それはとても辛い事なのだと、鈴夜には痛いくらいに分かった。
「……僕も気付かなくてごめんなさい…」
悲しみを一人で堪えると言うのは、とても苦しくて辛い。死にたくなってしまうほどの感情が、膨らむばかりで納まらないのだ。そうしてどんどん心を食いつぶしていくのだ。
経験したから、よく分かる。
≪…いいや、私が隠していたからな…≫
「………辛かったなら、どうして何も言って下さらなかったんですか…」
≪…言えないよ、そもそも事件は…私が…ごめん…≫
「……聞かせてください…」
口を噤んだ歩の心に寄り添いたくて、鈴夜は無意識に落としていた。
不安定な状態にある自分に、聞く価値は無いのかもしれない。救うなんて無理な話かもしれない。
それでも、いつも寄り添おうと、共にいてくれようとした歩に、一人で抱えて欲しくないと思ってしまった。
返って責めてしまう可能性もあると、分かってはいるけれど。
≪………この間、昔のこと話しただろう。あれは教師時代の話なんだ……私はその時新米教師で…≫
歩は、長きに渡り秘めていたであろう思いを、沸かせるようにして語りだした。それほどに苦しんでいたのだと分かり、鈴夜は泣かずにはいられなかった。
けれど、泣き声は飲み込んだ。
歩は、自分がCHS生存者で、当時教師を務めていたこと。当時は4年生を教えていた事。一人の生徒を対象としながらも、数人を巻き込んだ酷い虐めを止める事ができなかった事。その力が無かった事を悔やんでいるとの話をしてくれた。
周りの教師は事情ゆえ、虐めから目を逸らしてしまっていたという。寧ろ加担している者もいたらしい。
そんな状況で立ち上がる事もできず、結果何も出来なかった、との理由も確りと存在していた。
それでも、無力だった自分を恨んでいるとの事だ。
事件後直ぐに仕事を辞め、教師とは縁のない会社へと転職し、今の職場にいるらしい。
そしてから、サイトの存在を昔から知っていた事。事件の予兆を知りながらも、本気で止めに入ろうとしなかった事。その所為で大智を死なせてしまったとの後悔も聞いた。
事件前、一度大智にあっていた事も、その口から話してくれた。
一連の事件に、自分の知っている愛しい生徒達が関わっていて殺されているのを知りながら、また何も出来ないのだと嘆いていた。
どれもに自責の念が詰まっていた。何度も謝罪の言葉を含めていた。
≪……長い話になってしまってすまない…≫
「…い、いいえ、ありがとうございました…」
≪…ごめん、辛くさせたな…≫
歩の声は揺れながらも、涙が混ざる事は無かった。終始静かで、作ったとは思えない真っ直ぐさだった。それだけ同じ思いを何度も抱いたのだと分かる。
≪…でもありがとう、責めずにいてくれてありがとう…殺してしまったも同然なのに、赦してくれてありがとう…≫
鈴夜は完全に一致した、自分と同じ思い込みを聞き、胸に鋭い痛みを感じた。もしかすると歩は、実際誰かに責められた経験があるのかもしれない。
「…違いますよ、折原さんは悪くないです…」
少しばかりの間があいて、歩の囁きに似た答えが聞こえてきた。
≪……ありがとう、聞いてくれて少し軽くなったよ…鈴夜くんも何かあったら聞くからな≫
嘘か本当かは分からないが、本当であればいいと思った。
「……はい、ありがとうございます」
≪じゃあ、またな。仕事が早く終われたらまた訪問してもいいかな?≫
「…はい、是非」
その夜、鈴夜は夢を見た。
それは、歩が無惨に殺害されるという単純な夢だった。勇之と緑の事件の影響を受けているのか、自分のトラウマが残っているのか銃もナイフも見た気がする。
目覚めた時には汗が身体中を纏っていて、鼓動も呼吸も早くなっていた。天井を見詰めても暫く現実に帰れず、曖昧にしか覚えていないのに不安感が心臓を締め付ける。
――暫くして現実を理解しても、吐き気と震えが止まらず、鈴夜はキッチンに走っていた。
直ぐに水と錠剤を飲み込み、その場で崩れ落ちる。そしてそのまま泣いた。
一気に現実感の深くなった夢が、夢のままで終わると思えなくて、涙が止まらない。
どうか、歩がずっとこのままでいられますように。巻き込まれてしまいませんように、と強く強く願った。
神なんていないと思いながらも、縋るしか出来なかった。
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