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次の日、3月にしては暖かな気温に、鈴夜は目覚めた。暖房を入れていた事で体が熱くなってしまい、目覚めたのだ。
時刻を確認すると、通常と何ら変わらない時間を示していた。もう直ぐ、いつも淑瑠がやって来る時間になる。
鈴夜は設定していた用事を思い出し、暖房を切り襟を摘みはためかせると、さっと布団を出た。
同時に、チャイムが鳴る。淑瑠にしては早いな、と首を傾げながらも対応に当たる。
『お早う鈴夜。良かった出てくれて、起こした?』
淑瑠の声であった事に安堵した。穏やかな声色は前と全く変化がない。
「…ううん、大丈夫。丁度起きたところだよ。今日早いね」
『うん、昨日から新人さんを教える事になってね。朝夕と少し時間が延びるんだ』
「そうなんだ、大変だね。教えるの頑張ってね」
『うん、頑張るね!』
溌剌とした声に、鈴夜は微笑んでいた。会話終了のムードに用件を思い出す。
「あ、タッパー返そうと思ってたんだ。取りに行って来るよ、コロッケ凄く美味しかった」
『ありがとう、嬉しい!あ、でももう行くね。帰りにまた寄るからその時に良い?今日作ったやつ掛けとくから、これも食べてくれると嬉しいな』
「ありがとう。帰りね、分かった、行ってらっしゃい」
『行って来ます』
階段を駆け下りる音が聞こえて、また揺らぐ。
淑瑠は無理をしていないだろうか、涙を抑えていないだろうか。明るく振舞おうと努めているだけではないのだろうか。
無意識に現れる憂いに気付き、鈴夜はまた表情を歪めた。平凡な会話を重ねていても浮かび上がってくる気持ちに、どう対処していいものか小さく困惑した。
◇
ねいは、2月末に張り出された、3月のシフト写真を見ながら考えていた。
日付を見て、泉のシフトと自分のシフトを見比べる。休みの重なりや、時間の誤差を把握して行く。
こうしてみると、泉と自分のシフトは重なる事が多い気がする。考えているのは班長であり泉ではないが、仕組まれているような気もする。
シフトを見ながら、本来出勤の日に泉がやってきていなかったことも知り、無言の上に絶句を重ねる。
ねいは、宛てにならないシフトを見る事をやめ、パソコンの電源を入れた。
◇
樹野は、画面の先が気になってしまい仕方がなかった。
だが、明らかに怪しいサイトに――事件の原因を詰め込んでいるというサイトに登録するのはやはり気が引ける。
個人情報を要求されれば悪用されるとしか思えないし、ボタンを押しただけでメールが来たらどうしよう、なんて未知の場面まで想像してしまう。
「…どうした?今日無口じゃね?」
「え?そうかな…!」
どうやら車は赤信号に差し掛かっていたらしく、隣で運転していた依仁が樹野を直視していた。
樹野なりに話をしているつもりだったが、どうやらいつもより口数が減ってしまっていたらしい。また態度に出ていたと思うと恥ずかしさが込み上げてきた。
「…ごめん、ちょっと考え事…」
「心配事か?」
「…ううん、大丈夫、本当に私情だから」
「…そうか」
切り良く信号が青に替わり、依仁はアクセルを踏み込み発進させた。
樹野は無理矢理感が否めない自分の反応を客観視しながら、今後の言い訳を考えた。
◇
美音は、柚李の家のチャイムを鳴らしていた。
よくよく意識して見ると、車がちゃんと倉庫に置かれているのが見える。黒色で小さめの車だ。乗っている姿を思い描くと、柚李のイメージが格好いい方へと色を変えた。
「はい、あっ美音さん」
「柚李さん!遊びに来ちゃいました!」
言いながら突き出したのは、幾つか駄菓子の入った袋だった。スーパーで揃えた品々である。
「あ、えっと、散らかっていますがどうぞ」
訪問向けではない品物に驚いたのか、一瞬唖然としてから、柚李は可笑しそうに軽い笑顔を乗せた。
柚李の家に入ると、以前よりも少し物が目立って見えた。とは言え気になるほどの量ではない。
「ごめんなさい、少し片付け中でして。汚いですよね」
机の上に出しっぱなしになっていたお洒落な食器を、重ねてダンボールの中へと仕舞いこむ。
「お片づけですか、新年度に向けてですか?」
「って言う訳じゃないんですけど、ちょっと要る要らないの整頓です」
美音は腰掛けながらも、箱に入れられた食器を見遣った。同じ箱に、太めの本も放り込まれている。
「それなんですか?」
「えっ?」
「その本」
「あっ、あぁ、気にしないで下さい」
柚李はダンボールを閉めると、近くに置いておいたガムテープで手早く蓋をしてしまった。
「あ、今日は飲み物何がいいですか? お菓子なら普通のお茶ですかね?」
美音は、アルバムらしき本が気になりながらも、思考を切り替え返答した。
◇
サービスエリアで取る休憩時間も、信号待ちの時間も、新人教育に忙しく鈴夜の事を考える暇が取れない。
その方が良いと分かりながらも、淑瑠は何か物足りなさの残る心情に疑問を抱いていた。
「どうしました?」
「あっ、ううん何でも」
「そうですか。すみません、私の為にずっと時間使わせちゃって」
向かいで飲み物を見詰める新人の言葉が、またも鈴夜に重なる。
「仕事でしょ、気にしちゃ駄目」
「あっ、すみません」
新人教育にまた別の思惑を組み込み、淑瑠は焦りを浮かべる新人に向けて満面の笑みを見せた。
時刻を確認すると、通常と何ら変わらない時間を示していた。もう直ぐ、いつも淑瑠がやって来る時間になる。
鈴夜は設定していた用事を思い出し、暖房を切り襟を摘みはためかせると、さっと布団を出た。
同時に、チャイムが鳴る。淑瑠にしては早いな、と首を傾げながらも対応に当たる。
『お早う鈴夜。良かった出てくれて、起こした?』
淑瑠の声であった事に安堵した。穏やかな声色は前と全く変化がない。
「…ううん、大丈夫。丁度起きたところだよ。今日早いね」
『うん、昨日から新人さんを教える事になってね。朝夕と少し時間が延びるんだ』
「そうなんだ、大変だね。教えるの頑張ってね」
『うん、頑張るね!』
溌剌とした声に、鈴夜は微笑んでいた。会話終了のムードに用件を思い出す。
「あ、タッパー返そうと思ってたんだ。取りに行って来るよ、コロッケ凄く美味しかった」
『ありがとう、嬉しい!あ、でももう行くね。帰りにまた寄るからその時に良い?今日作ったやつ掛けとくから、これも食べてくれると嬉しいな』
「ありがとう。帰りね、分かった、行ってらっしゃい」
『行って来ます』
階段を駆け下りる音が聞こえて、また揺らぐ。
淑瑠は無理をしていないだろうか、涙を抑えていないだろうか。明るく振舞おうと努めているだけではないのだろうか。
無意識に現れる憂いに気付き、鈴夜はまた表情を歪めた。平凡な会話を重ねていても浮かび上がってくる気持ちに、どう対処していいものか小さく困惑した。
◇
ねいは、2月末に張り出された、3月のシフト写真を見ながら考えていた。
日付を見て、泉のシフトと自分のシフトを見比べる。休みの重なりや、時間の誤差を把握して行く。
こうしてみると、泉と自分のシフトは重なる事が多い気がする。考えているのは班長であり泉ではないが、仕組まれているような気もする。
シフトを見ながら、本来出勤の日に泉がやってきていなかったことも知り、無言の上に絶句を重ねる。
ねいは、宛てにならないシフトを見る事をやめ、パソコンの電源を入れた。
◇
樹野は、画面の先が気になってしまい仕方がなかった。
だが、明らかに怪しいサイトに――事件の原因を詰め込んでいるというサイトに登録するのはやはり気が引ける。
個人情報を要求されれば悪用されるとしか思えないし、ボタンを押しただけでメールが来たらどうしよう、なんて未知の場面まで想像してしまう。
「…どうした?今日無口じゃね?」
「え?そうかな…!」
どうやら車は赤信号に差し掛かっていたらしく、隣で運転していた依仁が樹野を直視していた。
樹野なりに話をしているつもりだったが、どうやらいつもより口数が減ってしまっていたらしい。また態度に出ていたと思うと恥ずかしさが込み上げてきた。
「…ごめん、ちょっと考え事…」
「心配事か?」
「…ううん、大丈夫、本当に私情だから」
「…そうか」
切り良く信号が青に替わり、依仁はアクセルを踏み込み発進させた。
樹野は無理矢理感が否めない自分の反応を客観視しながら、今後の言い訳を考えた。
◇
美音は、柚李の家のチャイムを鳴らしていた。
よくよく意識して見ると、車がちゃんと倉庫に置かれているのが見える。黒色で小さめの車だ。乗っている姿を思い描くと、柚李のイメージが格好いい方へと色を変えた。
「はい、あっ美音さん」
「柚李さん!遊びに来ちゃいました!」
言いながら突き出したのは、幾つか駄菓子の入った袋だった。スーパーで揃えた品々である。
「あ、えっと、散らかっていますがどうぞ」
訪問向けではない品物に驚いたのか、一瞬唖然としてから、柚李は可笑しそうに軽い笑顔を乗せた。
柚李の家に入ると、以前よりも少し物が目立って見えた。とは言え気になるほどの量ではない。
「ごめんなさい、少し片付け中でして。汚いですよね」
机の上に出しっぱなしになっていたお洒落な食器を、重ねてダンボールの中へと仕舞いこむ。
「お片づけですか、新年度に向けてですか?」
「って言う訳じゃないんですけど、ちょっと要る要らないの整頓です」
美音は腰掛けながらも、箱に入れられた食器を見遣った。同じ箱に、太めの本も放り込まれている。
「それなんですか?」
「えっ?」
「その本」
「あっ、あぁ、気にしないで下さい」
柚李はダンボールを閉めると、近くに置いておいたガムテープで手早く蓋をしてしまった。
「あ、今日は飲み物何がいいですか? お菓子なら普通のお茶ですかね?」
美音は、アルバムらしき本が気になりながらも、思考を切り替え返答した。
◇
サービスエリアで取る休憩時間も、信号待ちの時間も、新人教育に忙しく鈴夜の事を考える暇が取れない。
その方が良いと分かりながらも、淑瑠は何か物足りなさの残る心情に疑問を抱いていた。
「どうしました?」
「あっ、ううん何でも」
「そうですか。すみません、私の為にずっと時間使わせちゃって」
向かいで飲み物を見詰める新人の言葉が、またも鈴夜に重なる。
「仕事でしょ、気にしちゃ駄目」
「あっ、すみません」
新人教育にまた別の思惑を組み込み、淑瑠は焦りを浮かべる新人に向けて満面の笑みを見せた。
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