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後編:陽南と僕

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「紗夜、調子はどう?」

 ノイズの所為で感情の読みづらい声を耳に、陽南の表情を読み取ろうと努める。

 数分見詰めて漸く理解した時、彼女は笑っていた。少し苦しげな笑顔が胸を突く。
 そう言えば、よくこんな顔をしていたな、と想起した。

 恐らく、陽南の中で僕は二番目の恋人だ。しかも、本当に愛しい人の代用としての恋人である。

 ¨陽南、愛してるよ。代用でも、君を愛しているんだよ¨

 醜くなった声を気にし、発言を躊躇した。もちろん、心の痛みもあってのことだ。
 こんなにも愛しているのに、大好きの気持ちは誰にも負けない積もりなのに、それすらも全て作り物だなんて。代用品になる為の、嘘の感情だなんて。

「紗夜、愛してる、愛してるよ」

 ――彼女が見ているのは、きっと僕じゃない。

 今まで、陽南はどんな目で、何を思い僕を見ていたのだろう。

**

 時間を追うごとに、様々な耳を劈く音が増えていった。日ごとに自分が壊れてゆくのを、ひしひしと感じた。
 その内、彼女が遣って来る時間も減った。遣って来ても姿が上手く捉えられなかったり、声が上手く聞き取れない日もあった。

 これが¨死¨に近付く事なのだろうと実感し、正直怖くなった。無くなるのが怖くなった。
 作り物のくせに、¨死ぬ¨のが怖くなった。

 ロボットが何を考えているのか、ずっと興味があった。人に紛れ、人と同じように生活する彼らが、何を思い何を考え生きているのか知りたかった。
 けれど、今になっては知らなければ良かったと後悔している。

 こんなにも人に近くて、こんなにも複雑に思考を回せるだなんて。知らなければ陽南を純粋に愛せたままだったのに。

「――て下さい!」

 遠く、遠くから、愛しい人の声が聞こえた。長い事聞いていたクリアさはもうなく、ノイズで濁っているのにそれでも確りと分かってしまう。 
 来てくれて、安心している自分もいる。悲しいのに、安心している自分が。

 姿を探してみたが、複雑な文字列ばかりの世界に陽南の顔を見つけられなかった。

「直して下さい!」

 その内、どこにいるかも分からない彼女が、僕とではない誰かと話している事に気付いた。
 五月蝿い騒音の中、そっと陽南の声だけに耳を済ませてみる。

「私には、紗夜がいないと駄目なんです! 紗夜まで居なくなったら私は……!」

 少し胸が痛み、同時に温もりも覚えた。
 インプットされた愛情は、どれだけ嘆こうと形を変えないようだ。やはり、何を思おうと嘆こうと、僕は陽南が愛しい。誰よりも、彼女が好きだ。

『――――――――』

 どうやら相手方の声は読み取れないらしく¨何かを話している¨としか理解出来なかった。

「そんな事言わないで下さい! お金はどうにかします! だから買い換えるなんて物みたいなこと言わないで……」

 涙ぐんでいる姿が自然と脳裏に浮かんだ。きっと相手に、買い換える方が安いとでも言われたのだろう。
 もしかしたら、最近やってくる頻度が減ったのは、費用と何か関係があるのかもしれない。忘れてしまっていたが、入院にも費用は掛かるだろうし。

 それなのに彼女は、何一つ言わず、僕に笑顔を向けていてくれたというのか。
 それほどまでに、僕を愛してくれていたというのか。

『――――――――』
「私にとって紗夜はあの人しかいない! もう一人の大切な存在なんです!」

 目尻に、温かな水が伝った。心が、熱を持った気がした。
 純粋な喜びが降り立ち、救われた気持ちになった。

 作り物だとしても、記憶が偽りだとしても、そんな事は問題じゃなかった。
 陽南は僕を、一人の人間として、大切な存在として認めてくれていた。愛してくれていた。

 僕にとっては、もうそれだけで十分だった。

**

「――てるよ」

 翌日には、声が半分ほど聞こえなくなっていた。別の音に掻き消され、聞き取れないと言った方が正しいかもしれない。
 しかし、陽南が何を言っているか、どんな顔をしているか、見なくても、聞こえなくとも理解出来る気がした。

「……陽南、僕も、愛してる……だから……」

 愛しい彼女の為、砕け続ける思考を必死に回した。

「……家に……帰ろう……」

 これ以上、迷惑は掛けられない。負担も大きくしたくない。

「……この気持ちも全部、プログラム、かもしれない……けれど、それでも……君の大切だった人より……君を愛している自信があるよ……」

 陽南の驚く顔が浮かんだ。頬を染めていてくれたらいいな、と勝手に表情の上に足してみる。

 全て、気持ちを曝そう。打ち明けよう。一つ残らずは無理だから、ありったけの気持ちを込めて渡そう。

「……ここに長く居る事で……陽南に……負担をかけたくない……それに、もう直らない事は……何と無く……分かっているんだ……」

 陽南の暖かな指先が、僕の手に触れた。動かない指に絡められ、強い力が込められる。
 愛しさが流れ込んでくるような、そんな不思議な感覚を覚えた。

「…………だから、最期くらい……陽南と二人きりで……居たい……」

 繋がった手から愛情を伝えるように、願う。

 シルエットにもならない陽南の影が、ゆっくりと動いた気がした。それが肯定を表していると分かり、久しぶりに素直な笑顔が零れた。

**

 その日、直ぐ家に帰った。久しぶりに嗅ぐ我が家の匂いは、何も変わっていなかった。五感の中で、嗅覚だけは唯一損傷していなかったらしい。

 まるで生まれ変わったような気分で、陽南との新しい生活を始めた。
 きっと直ぐに終わってしまうであろう生活は、愛しさで溢れ返っていた。

 声も聞こえない。姿も見えない。景色は真っ暗で、唯一残っているのは感覚だけ。それと、伝える術として発声も。

 残された二つの機能を用い、精一杯陽南を愛した。大好きだと、愛していると伝えた。抱きしめあって、指先を絡めあった。

 それこそ一人の存在として、彼女を愛した。

**

 けれど、終わりは直ぐにやってきた。そしてそれは唐突だった。
 体が突然強い熱を持ち、温度の上昇を始めたのだ。
 陽南の指が、一瞬だけ触れる感覚があった。しかし、かなり熱かったのだろう。その手は直ぐに離れてしまった。

 ¨死¨を悟った。今度こそ確かな死だ。オーバーヒートにより、内部が壊れてゆく感覚がある。

 ぽつりと、頬に雫が降ってきた。それは何粒も降り、熱い頬の上で蒸発する。
 陽南が泣いているのだと分かった。彼女もまた、日々の最期おわりを悟ったのだろう。
 そうして、悲しんでくれているのだ。僕の為に、悲しんでくれているのだ。

 不思議な感覚だ。ずっと人だと思いこんで生きていた筈なのに、今やっと正真正銘の人間になれたような気がしている。
 いや、それでも僕がロボットである事実は変えられないのだが。

 また繰り返し作ることの出来る、ロボットだという事実は――。

「……また、会えるよ……」

 発した声への、返答は聞こえなかった。しているのかすら分からない。ただ、ポタポタと涙が落ち続けている。

「…………陽南に会いたいって……脳に……焼き付けておくから……また、きっと……」

 そうだ、ロボットだからこそ、もう一度出会えるかもしれないのだ。確実性は無いけれど。ロボットだったからこそ、もう一度。

「……だから……泣かないで……」

 落ち続けていた雫が無くなった。
 零れそうな涙を我慢して、辛そうに笑う陽南の姿が浮かぶ。目には映せないものの、優しく頷いてくれている気がした。

「……また、いつか……会おう……」

 来世じゃなく、今世で。生まれ変われたら、直ぐに会いに行くから。
 だから、待っていて。

「……陽南……ずっと愛してるよ……」
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