職業病

有箱

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結論

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 あの日から、私の心は変化した。世界は変わらず白黒だが、己が不憫だとは思わなくなった。

「斎藤さん、資料出来ました。あら、どうかされたんですか?」

 提出すべく向かった先には、眉間に皺を寄せる社長がいた。目の前にはパソコンの画面がある。こちらも資料作成中らしい。

「あ、いや。今ここに入れるイラストをどうしようかと思って……ってあ! ごめん!」

 謝罪され、理由を一瞬で理解した。口をつぐんだ斎藤さんは、酷く申し訳なさそうだ。

 実際、一瞬だけ息が詰まりかけたが、直ぐに飲み込めた。ちゃんと過去から離れられている証拠だろう。

「良いですよ。気にしないで下さい」

 古いトラウマが蘇る時のように、心が霧を放っている。だが、今になっては耳を塞ぐ気も、逃げ出したい気持ちも生まれなかった。それどころか、もう大丈夫だろうとすら思えてくる。

「…………どこですか?」

 無意識に声を発していた時は、さすがに驚いたけど。
 斎藤さんは驚きつつも、優しい笑顔で教えてくれた。

「ここなんだけどね、中々しっくり来るイラストが見つからないんだ」
「ちょっとマウス借りますね」

 別のフリーイラストサイトに飛び、資料に関連付いたワード検索してみる。だが、どれも思いと違えてしまい、中々見つからなかった。

 ――描きたい。表現したい。自分の中にあるものを形にしたい。

 懐かしい感覚が蘇った。それこそ、最初の頃の感覚だ。イラストレーターを志す前の、純粋な時の記憶とも言えよう。

 机の端に目をやると、ペン立てが見えた。色味は二段階化され、濃いか薄いかくらいしか分からない。だが、軽く描くくらいなら、白い紙に黒い線で十分だ。

「……これって黒いボールペンと白い紙ですよね」

 ペン立ての中から、"黒"の文字情報がある物を摘まむ。横付けされていたメモも取った。

「そうだけど……」

 思いをペン先に委ねる。滑らかに踊るペンの感触が心地良かった。やっぱり、文字を書く時とは違う。
 脳内完全再現は出来なくとも、生み出されてゆく形に心踊った。

 あーあ。楽しいって感覚、思い出しちゃった。一回描いただけなのに。

「凄い! 河上さんこんなにイラスト上手かったんだね! これこそ僕が求めてた絵だよ!」

 不思議と、嫌な思いはしなかったけれど。



 描くことへの感情なんて、とうに薄れたものだと思っていた。己の中に存在していると知ってはいたが、こんなに強くあったなんて。

 苦しいではなく、楽しいとの感情があったなんて――。

 職業病にかかって、早いもので五年が経とうとしている。
 それに気付いたのは、帰ってスマホのカレンダーを遡ったからだ。どのくらいの期間離れていたのか、ただ知りたくなって遡った。

 きっともう、あの世界に私の場所はないだろう。
 関わっていた会社が、倒産している可能性だってある。業界の中でも様々な変化が起き、常識すら変わっているかもしれない。

 五年も立てば、そうなるのは必須だ。寂しさが浮上したが、涙までは出なかった。

 世界が変わるなら、人だって変わる。きっと、知らず知らず私も変わっていた。
 新しい環境に身を置き、新しい人と触れあうことで、過去として扱えるようになったのだろう。

 引き出しに封印していた、愛用のペンを引っ張り出す。脳内でだが、はっきりと色が見えた。久々に、色彩と言うものを感じたかもしれない。

 共に仕舞われていた文具も、幾つか机上に出してみた。泣きながら描いていた日も、褒められて喜んだ日も、数ある思い出が流れ出す。

 あの時の諦めを、まだ完全には肯定出来ない。続けていれば報われていたかもしれない。そう考える自分だっている。

 けれど、そんな自分を、病気になって良かったと思う自分が抱き締めている。今は、そんな状態だ。

 紙に少し引っ掛かりながらも、ペン先はインクを放出する。真っ白いスケッチブックに、不器用なラインが描かれた。それはどんどん繋がり、想像を形にして行く。

 やっぱり、私は描くことが好きだ。色を塗ることは出来ないけど、色なんかなくても表現は出来る。
 それで良いんだって、楽しめれば良いんだって、なんで忘れていたんだろう。

 がむしゃらに描き、深呼吸した。見上げた景色に、やっぱり色はない。
 この景色を塗りたいな。
 考えては、なんだか可笑しくて一人笑った。
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