そうして蕾は開花する

有箱

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 小さなホールにて、公演は行われる。道具は先に搬送されているため、直接現地に集合だ。

 心が騒いでいる。昨晩も今朝も落ち着かず、上手く眠れなかった。出発も急ぎすぎて、到着時、会場にいたのは先輩だけだった。先輩は壇上から客席を見下ろしていた。

 軽く挨拶しあい、鼓舞の変わりに微笑み合う。真横から同じ世界を眺めると、広がる光景に圧倒された。
 無人でこの圧力だ。有人となったホールをイメージし戦慄く。斜め下へ目を逸らすと、先輩の震える手が見えた。
 やはり、怖いのだ。場数を踏み、完璧に演じられる先輩でも怖いのだ。

「……先輩、あの、こんな時にって思うかもしれませんが……先輩はどうして、演劇をしようと思ったんですか?」

 目が合う。緊張気味に驚いていた先輩は、少し間を開け苦く笑う。それから、両腕を後ろで組んだ。

「…………変わりたいと思ったの」

 理由が、心の深くに染みていく。

「自分が、嫌いだったから。喋れないのが嫌で……えっと、自信とかつくかなって……まぁ、結局素の方は変えられなかったんだけど……」

 先輩と僕は、よく似ている。人が苦手で、自信がなくて。それでも先輩は踏み出して、自分を変えようとした。

「で、でも、先輩は素晴らしいです。僕は素敵だと思います」

 素の姿が変わらなくとも、先輩は充分魅力的な人だ――そう伝えたかったが、適切な表現はできなかった。
 僕の憧れた人が、どこまでも快活な先輩じゃなくて良かった。今はそう思う。

「……僕も変わりたいな」
「ありがとう……そうやって思ってくれたなら本当に嬉しいよ」



 集合時間十五分前になり、ようやく大体のメンバーが揃った。残りの数人を待ちながら、設備を整えていく。僕と先輩も、各々の持ち場へと散った。
 舞台裏にて、単独で道具の移動をする。

 十分前になり、どこかで騒ぎ声がした。それは瞬く間に伝染し、僕の方まで流れてくる。ただ、内容は聞き取れず、不穏な空気だけを飲む羽目になった。
 ただならぬ気配に呼ばれ、足が勝手に動き出す。誰かに訪ねる勇気は持てず、事情を察知できるまで歩き続けた。
 そうしている内に、ステージに着いてしまった。

 数人に囲まれ、先輩が暗い顔をしている。狼狽えていると目が合い――反らされた。空気から、かなり深刻な何かが生じているのだと悟る。
 成功への願いが、強くこだました。多大な勇気を必要とはしたが、近くにいた生徒に事情の説明を求めた。

 生徒が口にしたのは、ある役者の欠席だった。誰が代役を演じるかで議論中らしい。

 唖然とした。危機となっている役――ウィリアム役の台詞が脳内を独りでに駆けはじめる。最終的には、全ての台詞が繋がった。一字一句、抜けることなく全て。

 僕なら、台詞を読むことはできる。だが、役を買う勇気は出ない。

 先輩は、ずっと俯いたままだ。恐らく、僕が記憶していると知った上、口を噤んでいる。僕を巻き込まないように。

「ぼ、僕……ウィリアムの台詞全部言えます! え、え、演技は……下手かも……しれないけど……」

 思わず手を挙げていた。飛び付いてきた視線に圧され、声が萎れて行く。
 認知されていないようで、怪訝な顔で僕の名前やポジションを確認しあっていた。

「確かに演じられそうな人は皆役を持ってるし、台詞全部覚えてる人はいないけど」
「動きとかもあるしね。他の部員も合わせられるかな」
「うーん。二、三年はいいとしても一年がねー」

 会話からあぶれないよう、必死で唇を読む。
 確かに、掛け合いのシーン以外、僕は動きを身に付けていない。一応、頭には入っているが実践未経験だ。それに、初舞台の経験者は何も僕だけじゃない。戸惑わせてしまうのも目に見える。

「私が導きます」

 空気を切り裂き、声が響いた。

「合図だしたりとか、します」

 覚悟を宿した先輩が、鋭い視線の中で公言した。

「それに、林野くんなら大丈夫だと思う」

 後押しが注ぎ込まれ、空気が一変する。皆の表情に明るさが灯り、険悪さは消えた。

「花ちゃんが言うなら大丈夫か。まぁ、今回は流れを楽しむためのものだしね」
「お客さんも分かってくれてるやつだしね。よし、やってみよ!」
「まぁなんとかなるでしょ。じゃあ、私一応皆に伝えてくるー」
「そういうことだから宜しくね林野くん。フォローはするから、あんま気張んないでいいからね」
「あ、が、頑張ります!」

 空気の変化に伴い、先輩の顔にも晴れ間が戻る。次の瞬間には、固い笑みで笑いあっていた。


 
 舞台袖から、賑わいはじめた客席を覗く。着なれない衣装とリハーサルのミスで、固まった体が更に強張った。不意に、震える手を握られる。

「……ありがとう、頑張ろうね」

 そういった先輩の手も、微笑みに反して震えていた。
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