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六章
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「さあ、出たわ!待ってなさい、オーレリアス。只じゃおかないわよ……!」
ドグラスが開けた扉から目の据わった女性が飛び出して来たとき、私は、説得を諦めた。これは人の話を聞ける状態の人間ではない。
「レイモンドを探しましょう」
率先して場を仕切り、ドグラスの腕を軽く叩いて螺旋階段を駆け下りていく。
まるで私とファロンの存在など目に入っていないかのような扱いにも驚いていた。併し、これまでの会話も扉越しだったということだから、一言も発していない御供が実はずっといたのだろうと判断されたのかもしれない。
ともあれ、追いかけなくてはならなかった。
階段を下り切り通路に出たところで、カニングハム公爵夫人マーガレットが長い髪を靡かせ振り返り私とファロンを交互に睨む。
「噂は聞いているわ。それで、どちらがマルムフォーシュ伯爵の恋人?」
「え……」
恐い。
「あ。あなたね」
「?」
答えられなかったというのに、マーガレットは私に視線を据え言い当てた。
「そのペンダント、フォーシュバリ侯爵家の紋章よね。結婚式に招かれた時に貰ったの?」
「……」
私は困惑し、言葉を無くしたままドグラスを見上げた。
ドグラスは注意深くマーガレットを観察している。その視線が左耳の辺りで留まり、僅かに目を眇めるのを私は見た。
「……マーガレット様のは、イヤリングですか?」
鎌をかけてみた。
すると彼女は短いながらも質問した以上の返答を寄越す。
「少し違う。耳朶に埋められたから取れないの」
「!」
私は再びドグラスを見遣ったけれど、彼の目はマーガレットに据えられたままだ。
「君は、この城の構造以外に何を知っているんだ?」
「あなたは何を?私はこのお嬢さんに訊いてるの」
今度はドグラスが機転を利かせた。
「彼女が知り得ることなら全て知っている。君のそれは、オーレリアス卿とお揃いか?」
「ええ。忌々しいけどね」
短い会話の中で以下のことが判明した。
バムフォード辺境伯とマーガレットは同一のヴァンパイアに守られている。
併し、マーガレットはドグラスとユーリアの関係を知らない。
「……?」
私はある違和感に気づいた。
肩を怒らせ突進していくマーガレットを追いかけながら、ドグラスとファロンを順に見遣る。
二人の視線は鋭くマーガレットを観察していた。
同じ事を考えているのだろうか。
私は不思議だった。
マーガレットは異様なほど頑固で、強引で、勝手だ。
マーガレットは怒りに囚われている。
冷静になれそうな気配は微塵もない。
そのせいで彼女は、自分の行いに疑問を持てないのだろうか。
バムフォード辺境伯の判断が信じられないのは何故だろう。
本当は気付いているのに、目を背けている?
バムフォード辺境伯が悪者でいてくれなければ、自分の愛の決断が間違いだったと認めざるを得なくなってしまうから?
過ちを認めたくなくて、現実から目を背けているのだろうか。
隣国の聖職者まで巻き込んだ人物が夫なら、彼女は止めるべきだった。
それができたかもしれないのに、マーガレットはしなかった。彼女は私のペンダントを見ただけでユーリアとの関係を察した。自分たちが何に守られているか、理解しているのだ。
どうして……
「何を自白させられたとしても、私の夫は無実よ」
「……!」
わかった。
一度目の過ちの為ではない。
二度目の過ちの方が重大で、責任は遥かに重い。叛乱軍を招き入れてしまったなら、彼女は守るべきものをその手で壊すことになる。だから、あってはならなかったのだ。
「……」
でも、逆に考えると、叛乱を企てたカニングハム公爵は、これを望んでいたのではないだろうか。妻が道を用意し、妻が叛乱軍を庇い続け、妻がバムフォード辺境伯の手を煩わせている間に、監獄で大人しくしているだろうか。
ヴァンパイアへの対抗策を講じたなら、今こそ、その時間なのでは?
「裾、持ち上げなさい。女が下りていけるような造りにはなっていないから」
「はい」
マーガレットは額縁裏のレバーや動く壁、書架の隠し扉等、あらゆる隠し通路を通り、陰鬱とした地下の空洞へ私たちを導いた。
さすがに恐い。私はドグラスにぴったりと身を寄せて歩いた。
暫く歩くと、細い通路から灯りが洩れているのが見えた。
「どういうこと……!?」
マーガレットがまた怒りを新たにして呟いたかと思うと、唐突に駆け出した。私たちは後を追った。
ドグラスがしっかりと肩を抱いていてくれなければ、卒倒したかもしれない光景が広がっていた。
負傷した兵士が何人も倒れている。
湾曲した広い通路には血の跡も長く続いている。
開け放たれた鉄格子。
幾つか並ぶ牢の中には、悍ましい拷問器具が備え付けられている。
「何があったの!?」
マーガレットの怒声が反響する。
「マーガレット様……!」
負傷兵の一人が悶えながら身を起こした。
マーガレットが駆け寄っていく後ろ姿を、私はただ愕然と見つめることしかできない。
「脱獄だ」
ドグラスが私を腕に抱き、早口に小声で状況を伝えてくれた。
マーガレットが負傷兵の前に跪き、労わるのかと思いきやその傷ついた体を容赦なく揺さぶった。
「夫は何処!?」
「……危険です……早く、オーレリアス様の……お傍へ……っ」
「…………嘘よ……」
ついにマーガレットの声が頼りなく揺れた。
此方を振り仰ぐその表情からは怒りも失せている。
バムフォード城の人間に傷を負わせてまで脱獄したからには、その先も穏便な話し合いで済むなどということはあり得ない。私たちは今、やっと、同じ現実を見ていた。
ファロンが動いた。
鉄格子は全て開いているにも関わらず、取り残されている囚人がいた。傷のせいか、それとも病気なのか。何れにしても脱獄に加われる万全の体調ではなかったようだ。
ファロンはその牢に入り、横たわる囚人と少し会話をしてすぐに戻って来た。
「例の司教は、別の場所に収監されているようです」
ドグラスが応じる。
「切り札は兵士の中に隠した方が堅実だ。恐らく捕虜に紛れ込ませている。なるほど、これはオーレリアス卿も躍起になって拷問するわけだ」
「実際、相手は何ができるのですか?」
「さあ。ただ、連れて来たからには、あの力を無効化できるか、或いは、侵入を阻む術でも使えるんだろう」
「バムフォード城の軍勢でも、武力だけでは不利ですか?」
事態に立ち向かうファロンの強さが羨ましかった。
私は、今、震えて言葉も出ない。
ドグラスが軽く溜息をついた。
「少なくとも、ユーリアが来てくれたらこれ以上は誰も血を流さないで済むが……」
「でも、もし……傷つける力が、あったら……」
私は声を絞り出した。
ドグラスも同じ懸念を抱いている。
人間の力だけで解決すべき事態なのか。
ヴァンパイアさえも危険に晒し、叛乱軍の悲願を叶えてしまう結果に陥ってしまわないか。判断を迷っている。
「事実、あの方を助けにいらっしゃる気配はありませんでしたが」
ファロンがマーガレットを視線で示した。
さすがにこの状況ではマーガレットも現実を受け止めざるを得ないようで、あれほど怒りの炎で燃え滾っていた瞳は今や恐怖に昏く染められている。
「……本当に……レイモンドが、叛乱を……?」
「誰か死ぬ前に力を借りよう」
ドグラスが決断した。
私はペンダントを両手で包み込み、強く願った。
けれど、何も起きなかった。
「……」
あの、刺すような冷気も。
あの、唐突な呼び声も。
目の前の情景は、一つも変わらない。
「駄目」
マーガレットが吐き出すように短く洩らす。見ると、彼女も耳に手を当て集中していた。
「でも、私だから駄目なのよ。裏切り者だもの。あなた、もっと頑張って」
「嫌よ……」
ふいに怒りが込み上げた。
私は気付くとドグラスの腕から滑り出てマーガレットの前まで進んでいた。
「あなた、さっきから何様のつもり?全てがあなたのせいとは言わないけれど、もっと早い段階で正しい選択をしていれば……っ」
マーガレットが手をあげた。
一瞬、打たれるのかと思い、私は身を竦ませた。
けれど、そうではなかった。
「謝罪は、オーレリアスにする。最初は、彼にするべきだと思う」
マーガレットは微笑んでいた。
愛や喜びではなく、覚悟を決めた悲哀の微笑だった。
「立てないの。手を、引いてくれる?」
微かに震える声に同情などできない。
それでもマーガレットの協力がなければ、城内を迅速に移動するのは難しい。
私はマーガレットの手を取った。
けれど、私の力では到底、彼女を立ち上がらせることはできなかった。悩み、焦り、苛立った時、ドグラスとファロンが加わり軽々とマーガレットを持ち上げた。
「……」
若干の気まずさを覚えるけれど、私よりマーガレットの方がそれを噛み締めているだろう。
「二手に分かれましょう」
ファロンが提案する。
ドグラスが頷き、大きな図面をファロンに渡した。
「司教を頼む。城外へ出すか、口を封じてくれ」
「はい、閣下」
ファロンが敬礼し、その後で私の手を一瞬握る。短い挨拶だけ残し、ファロンは身を翻した。歩き出したファロンをマーガレットが追いかける。
ドグラスがマーガレットを雑に引き摺り戻した。
「私なら顔がわかるのよ!?」
「あんたは夫と元婚約者の殺し合いを止めるんだよ。ちっとは考えろ」
厳しい。
王国とヴァンパイアの一族を危険に晒した相手となれば、あの余裕綽々で軽薄なお喋り好きのマルムフォーシュ伯爵ではいられないようだ。それもそうか。
そんな憮然としたドグラスの表情が一瞬で切り替わる。
「キティ。行けるか?」
私を覗き込む表情は、いつもの優しい労わりに満ちたものだった。
私は頷いた。一刻を争う事態だ。たとえ足が竦んでいようと、愚図愚図してはいられない。
ドグラスが私の手を握る。
私は反対の手でマーガレットの背中を軽く叩いて促した。
彼女一人に叛乱は止められないだろう。ドグラスが言うような男性二人の仲裁も、この性格で可能なのか甚だ疑問だ。
でも一つだけ、マーガレットにしかできないことがある。
「道案内して」
私は短い一言を懇切丁寧、噛んで含めるように伝えた。
それでやっとマーガレットの目に生気が宿る。いろいろな意味で強い女性なのは間違いない。彼女ははっきりと頷き、颯爽と歩き出してから私たちに命じた。
「ついて来て」
ドグラスが開けた扉から目の据わった女性が飛び出して来たとき、私は、説得を諦めた。これは人の話を聞ける状態の人間ではない。
「レイモンドを探しましょう」
率先して場を仕切り、ドグラスの腕を軽く叩いて螺旋階段を駆け下りていく。
まるで私とファロンの存在など目に入っていないかのような扱いにも驚いていた。併し、これまでの会話も扉越しだったということだから、一言も発していない御供が実はずっといたのだろうと判断されたのかもしれない。
ともあれ、追いかけなくてはならなかった。
階段を下り切り通路に出たところで、カニングハム公爵夫人マーガレットが長い髪を靡かせ振り返り私とファロンを交互に睨む。
「噂は聞いているわ。それで、どちらがマルムフォーシュ伯爵の恋人?」
「え……」
恐い。
「あ。あなたね」
「?」
答えられなかったというのに、マーガレットは私に視線を据え言い当てた。
「そのペンダント、フォーシュバリ侯爵家の紋章よね。結婚式に招かれた時に貰ったの?」
「……」
私は困惑し、言葉を無くしたままドグラスを見上げた。
ドグラスは注意深くマーガレットを観察している。その視線が左耳の辺りで留まり、僅かに目を眇めるのを私は見た。
「……マーガレット様のは、イヤリングですか?」
鎌をかけてみた。
すると彼女は短いながらも質問した以上の返答を寄越す。
「少し違う。耳朶に埋められたから取れないの」
「!」
私は再びドグラスを見遣ったけれど、彼の目はマーガレットに据えられたままだ。
「君は、この城の構造以外に何を知っているんだ?」
「あなたは何を?私はこのお嬢さんに訊いてるの」
今度はドグラスが機転を利かせた。
「彼女が知り得ることなら全て知っている。君のそれは、オーレリアス卿とお揃いか?」
「ええ。忌々しいけどね」
短い会話の中で以下のことが判明した。
バムフォード辺境伯とマーガレットは同一のヴァンパイアに守られている。
併し、マーガレットはドグラスとユーリアの関係を知らない。
「……?」
私はある違和感に気づいた。
肩を怒らせ突進していくマーガレットを追いかけながら、ドグラスとファロンを順に見遣る。
二人の視線は鋭くマーガレットを観察していた。
同じ事を考えているのだろうか。
私は不思議だった。
マーガレットは異様なほど頑固で、強引で、勝手だ。
マーガレットは怒りに囚われている。
冷静になれそうな気配は微塵もない。
そのせいで彼女は、自分の行いに疑問を持てないのだろうか。
バムフォード辺境伯の判断が信じられないのは何故だろう。
本当は気付いているのに、目を背けている?
バムフォード辺境伯が悪者でいてくれなければ、自分の愛の決断が間違いだったと認めざるを得なくなってしまうから?
過ちを認めたくなくて、現実から目を背けているのだろうか。
隣国の聖職者まで巻き込んだ人物が夫なら、彼女は止めるべきだった。
それができたかもしれないのに、マーガレットはしなかった。彼女は私のペンダントを見ただけでユーリアとの関係を察した。自分たちが何に守られているか、理解しているのだ。
どうして……
「何を自白させられたとしても、私の夫は無実よ」
「……!」
わかった。
一度目の過ちの為ではない。
二度目の過ちの方が重大で、責任は遥かに重い。叛乱軍を招き入れてしまったなら、彼女は守るべきものをその手で壊すことになる。だから、あってはならなかったのだ。
「……」
でも、逆に考えると、叛乱を企てたカニングハム公爵は、これを望んでいたのではないだろうか。妻が道を用意し、妻が叛乱軍を庇い続け、妻がバムフォード辺境伯の手を煩わせている間に、監獄で大人しくしているだろうか。
ヴァンパイアへの対抗策を講じたなら、今こそ、その時間なのでは?
「裾、持ち上げなさい。女が下りていけるような造りにはなっていないから」
「はい」
マーガレットは額縁裏のレバーや動く壁、書架の隠し扉等、あらゆる隠し通路を通り、陰鬱とした地下の空洞へ私たちを導いた。
さすがに恐い。私はドグラスにぴったりと身を寄せて歩いた。
暫く歩くと、細い通路から灯りが洩れているのが見えた。
「どういうこと……!?」
マーガレットがまた怒りを新たにして呟いたかと思うと、唐突に駆け出した。私たちは後を追った。
ドグラスがしっかりと肩を抱いていてくれなければ、卒倒したかもしれない光景が広がっていた。
負傷した兵士が何人も倒れている。
湾曲した広い通路には血の跡も長く続いている。
開け放たれた鉄格子。
幾つか並ぶ牢の中には、悍ましい拷問器具が備え付けられている。
「何があったの!?」
マーガレットの怒声が反響する。
「マーガレット様……!」
負傷兵の一人が悶えながら身を起こした。
マーガレットが駆け寄っていく後ろ姿を、私はただ愕然と見つめることしかできない。
「脱獄だ」
ドグラスが私を腕に抱き、早口に小声で状況を伝えてくれた。
マーガレットが負傷兵の前に跪き、労わるのかと思いきやその傷ついた体を容赦なく揺さぶった。
「夫は何処!?」
「……危険です……早く、オーレリアス様の……お傍へ……っ」
「…………嘘よ……」
ついにマーガレットの声が頼りなく揺れた。
此方を振り仰ぐその表情からは怒りも失せている。
バムフォード城の人間に傷を負わせてまで脱獄したからには、その先も穏便な話し合いで済むなどということはあり得ない。私たちは今、やっと、同じ現実を見ていた。
ファロンが動いた。
鉄格子は全て開いているにも関わらず、取り残されている囚人がいた。傷のせいか、それとも病気なのか。何れにしても脱獄に加われる万全の体調ではなかったようだ。
ファロンはその牢に入り、横たわる囚人と少し会話をしてすぐに戻って来た。
「例の司教は、別の場所に収監されているようです」
ドグラスが応じる。
「切り札は兵士の中に隠した方が堅実だ。恐らく捕虜に紛れ込ませている。なるほど、これはオーレリアス卿も躍起になって拷問するわけだ」
「実際、相手は何ができるのですか?」
「さあ。ただ、連れて来たからには、あの力を無効化できるか、或いは、侵入を阻む術でも使えるんだろう」
「バムフォード城の軍勢でも、武力だけでは不利ですか?」
事態に立ち向かうファロンの強さが羨ましかった。
私は、今、震えて言葉も出ない。
ドグラスが軽く溜息をついた。
「少なくとも、ユーリアが来てくれたらこれ以上は誰も血を流さないで済むが……」
「でも、もし……傷つける力が、あったら……」
私は声を絞り出した。
ドグラスも同じ懸念を抱いている。
人間の力だけで解決すべき事態なのか。
ヴァンパイアさえも危険に晒し、叛乱軍の悲願を叶えてしまう結果に陥ってしまわないか。判断を迷っている。
「事実、あの方を助けにいらっしゃる気配はありませんでしたが」
ファロンがマーガレットを視線で示した。
さすがにこの状況ではマーガレットも現実を受け止めざるを得ないようで、あれほど怒りの炎で燃え滾っていた瞳は今や恐怖に昏く染められている。
「……本当に……レイモンドが、叛乱を……?」
「誰か死ぬ前に力を借りよう」
ドグラスが決断した。
私はペンダントを両手で包み込み、強く願った。
けれど、何も起きなかった。
「……」
あの、刺すような冷気も。
あの、唐突な呼び声も。
目の前の情景は、一つも変わらない。
「駄目」
マーガレットが吐き出すように短く洩らす。見ると、彼女も耳に手を当て集中していた。
「でも、私だから駄目なのよ。裏切り者だもの。あなた、もっと頑張って」
「嫌よ……」
ふいに怒りが込み上げた。
私は気付くとドグラスの腕から滑り出てマーガレットの前まで進んでいた。
「あなた、さっきから何様のつもり?全てがあなたのせいとは言わないけれど、もっと早い段階で正しい選択をしていれば……っ」
マーガレットが手をあげた。
一瞬、打たれるのかと思い、私は身を竦ませた。
けれど、そうではなかった。
「謝罪は、オーレリアスにする。最初は、彼にするべきだと思う」
マーガレットは微笑んでいた。
愛や喜びではなく、覚悟を決めた悲哀の微笑だった。
「立てないの。手を、引いてくれる?」
微かに震える声に同情などできない。
それでもマーガレットの協力がなければ、城内を迅速に移動するのは難しい。
私はマーガレットの手を取った。
けれど、私の力では到底、彼女を立ち上がらせることはできなかった。悩み、焦り、苛立った時、ドグラスとファロンが加わり軽々とマーガレットを持ち上げた。
「……」
若干の気まずさを覚えるけれど、私よりマーガレットの方がそれを噛み締めているだろう。
「二手に分かれましょう」
ファロンが提案する。
ドグラスが頷き、大きな図面をファロンに渡した。
「司教を頼む。城外へ出すか、口を封じてくれ」
「はい、閣下」
ファロンが敬礼し、その後で私の手を一瞬握る。短い挨拶だけ残し、ファロンは身を翻した。歩き出したファロンをマーガレットが追いかける。
ドグラスがマーガレットを雑に引き摺り戻した。
「私なら顔がわかるのよ!?」
「あんたは夫と元婚約者の殺し合いを止めるんだよ。ちっとは考えろ」
厳しい。
王国とヴァンパイアの一族を危険に晒した相手となれば、あの余裕綽々で軽薄なお喋り好きのマルムフォーシュ伯爵ではいられないようだ。それもそうか。
そんな憮然としたドグラスの表情が一瞬で切り替わる。
「キティ。行けるか?」
私を覗き込む表情は、いつもの優しい労わりに満ちたものだった。
私は頷いた。一刻を争う事態だ。たとえ足が竦んでいようと、愚図愚図してはいられない。
ドグラスが私の手を握る。
私は反対の手でマーガレットの背中を軽く叩いて促した。
彼女一人に叛乱は止められないだろう。ドグラスが言うような男性二人の仲裁も、この性格で可能なのか甚だ疑問だ。
でも一つだけ、マーガレットにしかできないことがある。
「道案内して」
私は短い一言を懇切丁寧、噛んで含めるように伝えた。
それでやっとマーガレットの目に生気が宿る。いろいろな意味で強い女性なのは間違いない。彼女ははっきりと頷き、颯爽と歩き出してから私たちに命じた。
「ついて来て」
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