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「お父様……どうして受け取ってしまったの……!?」

初夏の香りを含む風を浴びながら、私は父を詰った。
父は五つの木箱の前で跪き、金貨を指で撫でた後、私の瞳によく似た一粒のペリドットを抓み上げた。

「私が男娼を買うわけがないじゃない!!」

私は泣きながら笑っていた。

余りにも酷い。
婚約者を奪われた上、淫らな汚らわしい罪を犯したことにされるなんて。

「わかっている」

父はこちらに背を向けたまま枯れそうな声で呟いた。

「お父様だけがわかっていれば私が満足するとお思いなの!?お父様が受け取ってしまったら、王女の嘘を裏付けてしまう!お父様は王女の嘘を認めたのよ!!どうして……っ」
「!」

振り向いた父の目も熱く潤んでいるのを見て、私は息を止めた。
父は私を見上げたままペリドットを木箱に戻すと、私のドレスの裾を握りしめた。

「ソフィア王女はお前の人生を買ったんだ。断れば、お前の命を差し出すことになる」
「……!」

涙が溢れた。
どれだけ歯を食いしばっても嗚咽が洩れた。

こうして私は一生分の財宝を得た代わりに、愛と名誉を失った。

母は私と共に泣いてくれたが、父と同様、王女には逆らえないことを理解していた。だから私より慟哭したのだ。私は……それまでの清く正しい生き方をしてきたビズマーク伯爵令嬢ヒルデガルドは、死んだも同じ。

母は痩せ細り、やがて寝室に篭ってしまった。
恐らくはこの先に私が受ける迫害を思い描き、心が折れてしまったのだろう。私には母を慰め励ますだけの余裕など残されていなかった。

シェロート伯爵令息ウィリスは正式に婚約を破棄した。
彼は現在、ソフィア王女との愛を大切にしたい、だから汚れた元婚約者のことなど考えたくもない、そう吹聴しているようだ。

ウィリスがソフィア王女に付きっ切りであることから、シェロート伯爵が直々に抗議に来た。

「ソフィア王女の恩情で息子は貴族の皮を被った淫婦ヒルデガルドを罰さなかったが、これはシェロート伯爵家に対する侮辱だ!」

慰謝料を要求された。
心身共に打ちのめされつつあった私は、父が例の木箱の内一つを慰謝料と称して渡すのを見ても、何も思わなかった。

シェロート伯爵は真実を知らない。
私がウィリスの愛を裏切り、シェロート伯爵家の信頼を裏切ったと苛烈に責め立てた。

慰謝料を受け取った後も、汚らわしい娼婦の金と周囲に憤りを零し、結局は領内の教会へ全額寄付したようだ。

シェロート伯爵と同じように、真実を知らない人々は私が男娼を買い淫欲に溺れた汚れた令嬢であると信じてしまったようだった。

予てから招かれていたクローゼル侯爵家の昼食会に父と共に出席した私は、軽蔑と侮蔑の眼差しを浴びた。周囲から明確に避けられていた。

私に思い知らせる為に招待を取り下げなかったのだと悟った時には、もう罵声を浴びていた。

「きゃあ!汚い!こっちに来ないでちょうだい!」

モリン伯爵家の令嬢アイリスはそう叫ぶと私のドレスにワインを掛けた。

「よく顔を出せたわね。図々しい。下賤な牡馬に大金を払ってまでして欲望を満たそうだなんて、一体どのような教育をしたらこんなふうに育つのかしらね」

ダーマ伯爵の夫人イザベルは夫に縋りつくような素振りで私を忌避しつつ、私と父を罵った。

「何かの間違いではないですか?ビズマーク伯爵家といえば敬虔な一家として有名では?」

宴の主催者であるクローゼル侯爵家の令嬢ヘレネが周囲に問いかける。
静々と首を横に振って否定したのは未亡人のデシュラー伯爵夫人パメラだった。

「根が真面目な分、刺激的な悪い蜜の味に溺れてしまったのですわ。悪魔の手に落ちたのです。聖人ぶった地味な顔をして、恐い娘ですこと」
「変態!」

初めて見る顔の令嬢から投げつけられた卵は私の左眉の上で割れた。
父に、造船で成り上がり爵位を買ったライスト男爵の末娘ジェーンだと聞かされた。

クローゼル侯爵令嬢ヘレネが私に歩み寄りハンカチを差し出したが、それは優しさに見せかけた最後通告だった。

「汚らわしい。二度と顔を見せないで。ビズマーク伯爵、あなたも終わりです。父から陛下へ諫言して頂きますわ。ソフィア王女はヒルデガルドという魔女に優しすぎたと」

反論も弁明も許されない。
三人の令嬢と二人の伯爵夫人、この五人に同調し、宴に参加している貴族たちからも罵声が上がり始めた。そうでければ遠巻きに汚物を見るような目を此方に向け、陰口を叩いていた。

嫌悪感や過剰な正義感から殺され兼ねないと判断した私と父は文字通り宴から逃げ去った。

父は領地を守る義務がある。執務がある。
私だけでなく父までが窮地に立たされている現実に、私は次第に怒りを抑えられなくなっていった。

唯一の救いだったのは、領民からの抗議はなく同情や疑問の声が上がっていたことだった。

それでも領内の教会からは、私の罪の為に祈るという手紙が届けられた。
名付け親である司教の署名を見て私は初めて絶望した。神に見放されたと理解せざるを得なかったからだ。

私個人やビズマーク伯爵家への誹謗中傷は止まず、母が医者の目を盗み毒を飲んだ。
幸い一命は取り留めたが、母の為に寝ずに祈らずにはいられなかった私は、朝焼けを眺めながらやっと気づいた。

ソフィア王女はビズマーク伯爵家が自滅するのを待っている──と。
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