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27(ニコラス)
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「…………!」
なんなんだ、あの女は。
余りの太々しさについ度胆を抜かれ、呆気に取られて姿が見えなくなるまで凝視してしまった。消えてから我に返り、そんな自分自身に唖然とする。
本当にあれが私の妹なのか。
婚期を逃しつつある事実に対しての嫌味は受け流すこともできるが、王太子として相応しい人間ならばと面と向かって言われたことに対しては憤りも甚だしい。
誰に向かって言っているのだ。
私は最早、妹が狂っているとしか思えない。
妹かどうかは一旦保留とした上で、あれが王家の一員であり王女として罷り通っているのが我慢ならない。
王妃である母はさして興味を抱いた素振りも見せずに、元侍女のもとへ行ってしまった。お喋りしたいそうだ。手紙ではいけないのか。
敬虔な伯爵令嬢の人生を自分の娘が踏み潰し蹂躙しているというのに、一体どういうつもりなのだ。ファンスラー伯爵家が解決してくれるとでも言うのか。
何が、真の聖女であれば神は見棄てないだ。無責任にも程がある。
併し態度はどうあれ母の無関心も理解できてしまった。
ソフィアとは話が通じない。まともな会話が成立しないのだ。あれは狂人だ。狂信者とも言える。自分自身を神として崇める傲慢な人間の最たるものだ。だから身勝手なのだ。あれを相手にしても時間の無駄だ。
「ああっ」
忌々しい!
私は身震いしてその場を立ち去った。
話の通じない妹に筋を通すのは至難の業だが、要は不道徳極まりない略奪愛を認めなければいいだけの話でもある。私は父の元へ急いだ。
謁見の準備中であった父、国王ハルトムート三世陛下は、私の顔を見るなり目を逸らした。どのような要件かを察し逃げたのだ。
「父上」
「ニコラス……」
「お聞きください。ソフィアが宮殿にいます」
「やめてくれ。たくさんだ。王女のことは考えたくない」
「父上、それでも一国の国王ですか。父上が謁見に応じるのは臣民を愛する国王陛下だからです。ビズマーク伯爵家を見殺しにするのですか?」
「災難だった」
「災難!?」
頭にきたが公務に当たる父を長く引き留めることはできない。
私は簡潔に要求を伝えた。
「ソフィアの婚約を認めないでください」
「……」
「それだけでいいのです」
「……王女を好むような男は、件の令嬢の元へは戻らないだろう。終わったことだ」
「いいえ、まだです。今のまま終わらせたとしたら王家は敬虔なビズマーク伯爵家を見棄てたことになります。王家の娘の蛮行です。私たちが動いて然るべきです。まず手始めに、シェロート伯爵令息との婚約を断固として認めない姿勢をとるべきです」
「ニコラス……」
謁見に向かう国王ではなく、父親としての疲弊した姿で父は私をひたと見据えた。
「頼む」
「何がです?」
「王女のことで妃を失いかけた。もうたくさんだ」
どういう意味だろうか。
具体的な理由らしきものを聞くのは初めてだった。
「……難産だったのですか?命に関わるような?」
妹が産まれるとき母の命を奪いかけたのだとしたら、感情の良し悪しは別として父が頑なに忌避する気持ちもわからないでもない。
だが今は他人を巻き込んでいるのだ。王家とはいえ家庭内のいざこざで他人に迷惑を掛けるのは謹んで然るべきである。
「違う。お前の考えるほど単純ではないのだ」
父の言葉に私はかつての記憶を掘り起こす。
当時、まだ幼く自我さえなかった私には、妹の誕生に関する記憶なぞ存在すらしない。年子だから当然だ。だが私の成長に伴う記憶とは、妹を疎む歴史だった。
身勝手で我儘なソフィアが厳しく折檻されている場面は見たことがない。
手を焼き忌避しているといった方が正しい。
王女としての生活は保障され、教育も施されている。ソフィアの強烈な嫌がらせのせいで何人もの優秀な教師が失われた。その点だけは私も実害を受けたと言ってもいい。
手が付けられない出来損ないだから存在しないかのように振舞う。
そんな言い訳がいつまでも通用するわけがない。
兄の私が傲慢な妹にあしらわれようとも、父ならそうはならないはずだ。
何故、父は国王の絶対的権力を用いて再教育を施さないのか。これでは只の情けない父親ではないか。
「私からは何も言えん。それが妃との約束なのだ。聞き分けてくれ」
相変わらずの逃げ腰に苛立ちも募るが、今日はいつもと違う。
度重なる私の詰問に折れてついに少しずつ口を滑らせている。
「……母上との、約束……?」
普段の数倍具体的な内容に私は注意深く問いを重ねる。
「ファンスラー伯爵家も関係しているのですか?」
「妃に委ねている」
「答えになっていません!」
逃げるように謁見の間へ向かいかけた父が意を決した様子で振り向き、私の肩に手を置いた。
「ニコラス。お前は正しい子だ。頼もしい王太子だ。王女を近づけないでくれ」
この期に及んでまだそんなことを……
ソフィアと関わると内臓でも奪われるのか。肉を割かれるのか。
何を恐れている?
「父上」
「お前もあれに関わってはいけない。私たちの子どもはお前だけだ」
「……」
私の中にある、母が王妃としての信頼を損なう過ちを犯したという仮説を裏付けられたようで、心が痛い。只もしこの忌まわしい仮説が正しいとすれば、父の母に対する溺愛や信頼はなんだというのか。
この王家には秘密がある。
由々しき問題といえる。
王太子である私が暴き、命あるうちに正さなければならない。
「避けては通れない問題です。もう野放しにはできません」
「すまない」
私に詫びた直後、父は憔悴しきった顔色を即座に国王の威厳へと塗り変え背を向けた。
謁見は公務。
王太子である私が陛下の足を止めてはいけない。
私は気持ちに区切りをつけ引き返した。
本来は王太子として謁見の間に同席するのが筋だが、成人してすぐそのようにしていた王家に不穏な印象を持たれた為、親子共に健康であることを証明するためにも公の場で父の隣に立つ機会を減らしている。
先代国王である祖父は若くして病に倒れた。
私が物心つく前に逝ってしまった。
年若い私が父の隣に立つことによって、国王の発症が噂されたのだ。
国王が王位継承を急ぐほど健康を害しているなど王国が揺らぐ誤解であり、王家の権威に関わる問題だった。臣民の不安を甘く見てはいけない。
その代わり枢密院を含む協議には欠かさず同席している。
ソフィアの姿を見かけるかもしれない宮殿に母がいないのは幸運だったと捉えるべきなのだろうか。
父から洩れた新たな情報の欠片を繋ぎ合わせようとしても想像の域を出ない。だがこのまま押し続ければきっかけをつかめるかもしれない。
父は母を愛しているが、私にも甘いのだ。
私室に戻り従僕から書簡の束を受け取る。
残念ながら王国には私を擁立し父を廃位させようとする輩も潜んでいる為、注意深く目を通すのが日課だ。
「ん……?」
私はある一通の書簡の差出人を目にした瞬間、反射的にやや自分から遠ざけた。指の端で摘まみ、これを読むべきか否かを逡巡する。
結局、私は思い切って開封した。
民は誰一人として疎かにしてはならない。
「……」
厳格なツヴァイク伯爵によって勘当された元貴族ヨハン・クラインベックの美しい文字は、驚くべき文面をもって綴られていた。
肉欲に溺れ落ちぶれた今であっても格式高い文章や書簡に於いての礼節は見事だ。
何故、道を踏み外した。併し今はそんなことはどうでもいい。私は一瞬で書簡を読み終え、歓喜に任せ握りしめ天井を仰いだ。
汚れた聖人の代名詞でもあるヨハン・クラインベックは元は敬虔な男だった。外見の美しさも手伝いかつては天使とまで呼ばれていた。同世代の私もその姿を見て息を飲んだ経験もあるくらいだ。
ビズマーク伯爵令嬢の件を聞き及んだ堕天使が義憤にかられ陳述書を寄越した。
自分でさえ破門されていないというのに何の罪もない清廉潔白な令嬢を貶めたままにはしておけないと。
「やってくれたな堕天使め……!」
私は歓喜に打ち震えた。
ヨハン・クラインベックは教会と聖公領を巻き込み王女を訴える宮廷裁判を提案している。
聖なる乙女ヒルデガルドの弁護人を王太子である私に担ってほしいと嘆願している。
神をも恐れぬ傲慢なソフィアを倒すべく、神はハルトルシア王国に聖女ヒルデガルドを遣わしたのだ。更には真の意味で汚れた堕天使ヨハンまでこの聖戦に招き立役者としている。
希望を見出した私は全てを差し置いて至急ヨハンに承諾する旨の書簡をしたためた。
「これが神の御業だ、ソフィア……」
時が来た。
その足で無慈悲に踏みつけた弱き存在がお前を裁き砕くのだ。
今こそ罪の深さを思い知るがいい。
なんなんだ、あの女は。
余りの太々しさについ度胆を抜かれ、呆気に取られて姿が見えなくなるまで凝視してしまった。消えてから我に返り、そんな自分自身に唖然とする。
本当にあれが私の妹なのか。
婚期を逃しつつある事実に対しての嫌味は受け流すこともできるが、王太子として相応しい人間ならばと面と向かって言われたことに対しては憤りも甚だしい。
誰に向かって言っているのだ。
私は最早、妹が狂っているとしか思えない。
妹かどうかは一旦保留とした上で、あれが王家の一員であり王女として罷り通っているのが我慢ならない。
王妃である母はさして興味を抱いた素振りも見せずに、元侍女のもとへ行ってしまった。お喋りしたいそうだ。手紙ではいけないのか。
敬虔な伯爵令嬢の人生を自分の娘が踏み潰し蹂躙しているというのに、一体どういうつもりなのだ。ファンスラー伯爵家が解決してくれるとでも言うのか。
何が、真の聖女であれば神は見棄てないだ。無責任にも程がある。
併し態度はどうあれ母の無関心も理解できてしまった。
ソフィアとは話が通じない。まともな会話が成立しないのだ。あれは狂人だ。狂信者とも言える。自分自身を神として崇める傲慢な人間の最たるものだ。だから身勝手なのだ。あれを相手にしても時間の無駄だ。
「ああっ」
忌々しい!
私は身震いしてその場を立ち去った。
話の通じない妹に筋を通すのは至難の業だが、要は不道徳極まりない略奪愛を認めなければいいだけの話でもある。私は父の元へ急いだ。
謁見の準備中であった父、国王ハルトムート三世陛下は、私の顔を見るなり目を逸らした。どのような要件かを察し逃げたのだ。
「父上」
「ニコラス……」
「お聞きください。ソフィアが宮殿にいます」
「やめてくれ。たくさんだ。王女のことは考えたくない」
「父上、それでも一国の国王ですか。父上が謁見に応じるのは臣民を愛する国王陛下だからです。ビズマーク伯爵家を見殺しにするのですか?」
「災難だった」
「災難!?」
頭にきたが公務に当たる父を長く引き留めることはできない。
私は簡潔に要求を伝えた。
「ソフィアの婚約を認めないでください」
「……」
「それだけでいいのです」
「……王女を好むような男は、件の令嬢の元へは戻らないだろう。終わったことだ」
「いいえ、まだです。今のまま終わらせたとしたら王家は敬虔なビズマーク伯爵家を見棄てたことになります。王家の娘の蛮行です。私たちが動いて然るべきです。まず手始めに、シェロート伯爵令息との婚約を断固として認めない姿勢をとるべきです」
「ニコラス……」
謁見に向かう国王ではなく、父親としての疲弊した姿で父は私をひたと見据えた。
「頼む」
「何がです?」
「王女のことで妃を失いかけた。もうたくさんだ」
どういう意味だろうか。
具体的な理由らしきものを聞くのは初めてだった。
「……難産だったのですか?命に関わるような?」
妹が産まれるとき母の命を奪いかけたのだとしたら、感情の良し悪しは別として父が頑なに忌避する気持ちもわからないでもない。
だが今は他人を巻き込んでいるのだ。王家とはいえ家庭内のいざこざで他人に迷惑を掛けるのは謹んで然るべきである。
「違う。お前の考えるほど単純ではないのだ」
父の言葉に私はかつての記憶を掘り起こす。
当時、まだ幼く自我さえなかった私には、妹の誕生に関する記憶なぞ存在すらしない。年子だから当然だ。だが私の成長に伴う記憶とは、妹を疎む歴史だった。
身勝手で我儘なソフィアが厳しく折檻されている場面は見たことがない。
手を焼き忌避しているといった方が正しい。
王女としての生活は保障され、教育も施されている。ソフィアの強烈な嫌がらせのせいで何人もの優秀な教師が失われた。その点だけは私も実害を受けたと言ってもいい。
手が付けられない出来損ないだから存在しないかのように振舞う。
そんな言い訳がいつまでも通用するわけがない。
兄の私が傲慢な妹にあしらわれようとも、父ならそうはならないはずだ。
何故、父は国王の絶対的権力を用いて再教育を施さないのか。これでは只の情けない父親ではないか。
「私からは何も言えん。それが妃との約束なのだ。聞き分けてくれ」
相変わらずの逃げ腰に苛立ちも募るが、今日はいつもと違う。
度重なる私の詰問に折れてついに少しずつ口を滑らせている。
「……母上との、約束……?」
普段の数倍具体的な内容に私は注意深く問いを重ねる。
「ファンスラー伯爵家も関係しているのですか?」
「妃に委ねている」
「答えになっていません!」
逃げるように謁見の間へ向かいかけた父が意を決した様子で振り向き、私の肩に手を置いた。
「ニコラス。お前は正しい子だ。頼もしい王太子だ。王女を近づけないでくれ」
この期に及んでまだそんなことを……
ソフィアと関わると内臓でも奪われるのか。肉を割かれるのか。
何を恐れている?
「父上」
「お前もあれに関わってはいけない。私たちの子どもはお前だけだ」
「……」
私の中にある、母が王妃としての信頼を損なう過ちを犯したという仮説を裏付けられたようで、心が痛い。只もしこの忌まわしい仮説が正しいとすれば、父の母に対する溺愛や信頼はなんだというのか。
この王家には秘密がある。
由々しき問題といえる。
王太子である私が暴き、命あるうちに正さなければならない。
「避けては通れない問題です。もう野放しにはできません」
「すまない」
私に詫びた直後、父は憔悴しきった顔色を即座に国王の威厳へと塗り変え背を向けた。
謁見は公務。
王太子である私が陛下の足を止めてはいけない。
私は気持ちに区切りをつけ引き返した。
本来は王太子として謁見の間に同席するのが筋だが、成人してすぐそのようにしていた王家に不穏な印象を持たれた為、親子共に健康であることを証明するためにも公の場で父の隣に立つ機会を減らしている。
先代国王である祖父は若くして病に倒れた。
私が物心つく前に逝ってしまった。
年若い私が父の隣に立つことによって、国王の発症が噂されたのだ。
国王が王位継承を急ぐほど健康を害しているなど王国が揺らぐ誤解であり、王家の権威に関わる問題だった。臣民の不安を甘く見てはいけない。
その代わり枢密院を含む協議には欠かさず同席している。
ソフィアの姿を見かけるかもしれない宮殿に母がいないのは幸運だったと捉えるべきなのだろうか。
父から洩れた新たな情報の欠片を繋ぎ合わせようとしても想像の域を出ない。だがこのまま押し続ければきっかけをつかめるかもしれない。
父は母を愛しているが、私にも甘いのだ。
私室に戻り従僕から書簡の束を受け取る。
残念ながら王国には私を擁立し父を廃位させようとする輩も潜んでいる為、注意深く目を通すのが日課だ。
「ん……?」
私はある一通の書簡の差出人を目にした瞬間、反射的にやや自分から遠ざけた。指の端で摘まみ、これを読むべきか否かを逡巡する。
結局、私は思い切って開封した。
民は誰一人として疎かにしてはならない。
「……」
厳格なツヴァイク伯爵によって勘当された元貴族ヨハン・クラインベックの美しい文字は、驚くべき文面をもって綴られていた。
肉欲に溺れ落ちぶれた今であっても格式高い文章や書簡に於いての礼節は見事だ。
何故、道を踏み外した。併し今はそんなことはどうでもいい。私は一瞬で書簡を読み終え、歓喜に任せ握りしめ天井を仰いだ。
汚れた聖人の代名詞でもあるヨハン・クラインベックは元は敬虔な男だった。外見の美しさも手伝いかつては天使とまで呼ばれていた。同世代の私もその姿を見て息を飲んだ経験もあるくらいだ。
ビズマーク伯爵令嬢の件を聞き及んだ堕天使が義憤にかられ陳述書を寄越した。
自分でさえ破門されていないというのに何の罪もない清廉潔白な令嬢を貶めたままにはしておけないと。
「やってくれたな堕天使め……!」
私は歓喜に打ち震えた。
ヨハン・クラインベックは教会と聖公領を巻き込み王女を訴える宮廷裁判を提案している。
聖なる乙女ヒルデガルドの弁護人を王太子である私に担ってほしいと嘆願している。
神をも恐れぬ傲慢なソフィアを倒すべく、神はハルトルシア王国に聖女ヒルデガルドを遣わしたのだ。更には真の意味で汚れた堕天使ヨハンまでこの聖戦に招き立役者としている。
希望を見出した私は全てを差し置いて至急ヨハンに承諾する旨の書簡をしたためた。
「これが神の御業だ、ソフィア……」
時が来た。
その足で無慈悲に踏みつけた弱き存在がお前を裁き砕くのだ。
今こそ罪の深さを思い知るがいい。
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