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「何やってるんですか?」

私が鏡の前で両手を上げて深呼吸しているところへレオンが現れた。

ザシャの客が帰ったあと、ヨハンの働きで男娼全員酷い虫刺されで《ユフシェリア》は緊急休業ということになり、実質的に私が借り切る形になっていた。

館全体を気楽に歩き回れるようになり、四六時中レオンに世話を焼いてもらう必要もなくなっていたが、一応は客であるので度々こうして様子を見に来てくれるのだ。

私は手を上げたまま戸口のレオンの方へ体を向けた。
レオンはきょとんとしている。

「あなたの隣にいる私があまりにも不格好に見えて、体質改善を試みているの」
「……え?」

協力者を集めるというヨハンの試みは成功の兆しを見せ、日々、私に対する同情と義憤の篭った返信がヨハン宛に届いている。

それと同じくらい三人の男娼の馴染客からハーブや軟膏や心地よい病人着などが届けられているが、それらは使用人によって大切に保管されていた。
誰から貰った何で快適さを享受したか、私の滞在後に皆辻褄を合わせなければならないだろう。

私が買いつけた大量のドレスも全て届き、浴室に続きまた一部屋が私の衣装室と化していた。

客の目を気にしなくていい為、レオンは私を散歩や釣りにも誘ってくれる。特に朝晩の散歩は長閑で美しい風景を楽しむことができ、私も気に入っていた。
そうして一緒に歩いていると、特に出がけや帰り、窓や鏡に映るアンバランスな二人組に違和感を覚えるようになってしまったのだ。

私は身嗜みを整えてはいるが、美を極めた男娼の隣に立つと滑稽だ。
元々の体格や地味な目鼻立ちが実に野暮ったい。
私自身はそれを受け入れており変身願望もない。併し人前に立つとなってはもう少し見映えに気を配るのもいいだろうと思えたのだ。

今までの人生に於いて華美に着飾る行為は意味を持たなかった。美しく着飾る他の令嬢や貴婦人を見れば、それは微笑ましくよいことに思えていた。
彼女たちに与えられた女としての一生を豊かに彩る行為は同じ女として理解できる。

要は、私は自分を着飾る価値のないものと見做していたのだ。

他に価値を与えられた人生であり、神に祈る日々は豊かに恵まれていた。
女ではなく、人間としての生の側面のみ私は見つめてきた。

レオンに誘われドレスを大量に購入したことや、客として《ユフシェリア》から提供される化粧品によって肌に艶が増したことが、私の心に変化を齎した要因でもあると考えられる。

体格や目鼻立ちは変えられないが、姿勢や振る舞いは改善できるはずだ。
そして人体について詳しい男娼のレオンは今や私の入浴や着替えなどを通し健康管理まで行っており、私にとって専属の医師のような存在になりつつあった。

よって気兼ねなくこんな話ができる。

「私、ダンスは好まなかったから体が硬くても気にしなかったのよ。背が低いわりに肩幅と胸が張っていて顔が丸いから、太って見える」
「そこが可愛いんですよ?」

男娼であるレオンは私の全てを肯定してくれる。
いちいち真に受けて謙遜するのも可笑しな話である。

「こうして手を上げて息をすると、全身がすっきりするの」
「ふぅん……では、柔軟体操を朝の日課にするというのは如何でしょう?」

もうすぐ午後のお茶の時間である。
レオンは私の傍まで歩いてくると、私の真似をして両手を高く上げた。背の高い彼がそんなことをすると一層大きな人物に見えた。併し私に優しい微笑みを注ぎながら、ゆっくりと円を描くように手を下げ始める。今度は私がそれを真似した。

「朝に体をほぐすとその日一日が快適ですよ。きっと散歩もはかどります。倍は歩けるかも」
「体力がつくのはいいわね」
「丁度、乗馬用ドレスを買ったでしょう?あれなら上半身も動かしやすいし、それでいて急所は保護されていますから運動には最適です」

私はレオンの動きを真似て両手をゆっくりと大きく回しながら深呼吸を繰り返す。ただ背伸びしてそうするより全身に活力が満ちていく感覚があった。

「指先を意識して」

言われてみて、私の手の意識というのは掌で終わっていると気づく。
レオンに言われた通り指先まで意識することで両手の描く円は大きくなったような気がしたし、動作そのものが滑らかになった。

「足の裏から床を通り抜けて地面のずっと奥深くまで細い針が通っているように想像してみてください」

人体に詳しい私のレオンは、体質を改善したいという私の願望を全力で後押ししてくれた。

翌朝から朝の柔軟体操が日課になった。
辺り一帯が庭といえる館の外でレオンに従っていろいろなポーズで体をほぐしていると、面白がった様子のヨハンが現れ当然のように加わった。

朝の少しひんやりした清々しい空気を胸一杯に吸い込みながらの体操はとても気持ちがよかった。

「ヒルデガルド。その時、腰の角度を……」
「触るな!」

手取足取り私の姿勢を監督しようとするヨハンにレオンが声を荒げ、その真剣な様子はまるで厳しい教師そのものだった。私は微妙に噛み合わない二人のやりとりを見聞きしながら、いつしかそれを楽しむようになっていた。

「何やってんだ……」

ついには寝ぐせをつけたままのザシャまで現れ、呆れ顔で私たちを眺め、三日もすると体操に加わった。
更にはザシャに届けられた贈り物と思われる缶を私に差し出し、爽やかな匂いの付けられた粉を指にとって自身の腕などに軽く叩きつけて見せる。

「お嬢様。こうやって、虫除けにこれを塗ってください」

レオンやヨハンとは違い、ザシャにとって私は突如現れ館を貸し切った只の闖入者だ。友好的に接してもらえるとは思っていなかった。
ザシャに対する限定的な肉体的苦手意識もこの頃には薄れていたので、私はこの申し出がとても嬉しかった。
そしてこの虫除けの粉は汗ばんだ際にも素晴らしい快適さを齎してくれた。

雨が降ると私たちは玄関広間で横並びになりこの活動を続けた。
心地よい連帯感が育まれていく感覚は純粋に胸躍る経験となった。

私は確かに男娼を買い、館を貸し切っている。
それでも仲間ができたように感じたのだ。そして、その感覚は正しかった。

彼らは人生を通し掛け替えのない仲間となったのだ。
この時の私はその未来を想像してもいなかった。
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