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32(ソフィア)
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取るに足らない存在だと思っていたヒルデガルドが兄の手駒になるとは想定していなかった。
聖人ぶった世間知らずの箱入り娘で、しかもあれほど不格好な令嬢なら、当然、声も上げずに泣き寝入りすると思っていたのに……
堂々としていた。
兄はやはり、母と少し似ているあのヒルデガルドに同情以上の感情を抱いたのだろうか。
まさかあれほど不格好な女と結婚する気だろうか。母がヒルデガルドを神の娘とまで宣ったのだ、兄の心が動いても不思議ではないかもしれない。
ヒルデガルド……
潔白だの侮辱罪だのと、そんなことはどうでもいい。
ヒルデガルドの人生を思えばこそ大金を支払ったというのに、恩知らずめ。
何が証拠だ。王女の私が宮殿の宝物庫に入ろうと財宝を持ち出そうと罰せられることはない。全て返還されたのだから何も問題はない。
落ち着いたら、必ず痛い目を見せてやる。
母を壊す予行演習に抜擢してやってもいい。
併し、兄は何故ダーマ伯爵を極秘逮捕したのだろうか。
兄に何か掴まれているかもしれないという懸念は到底軽視できず、私は下らない裁判に於いて愛に飢えた無様な王女を演じるよりほかなかった。
兄を思わせる金髪碧眼の男をさらい人格改造の実験をしているなど、さすがに今の段階で露顕しては王女の私であろうとこの身が危うい。最悪、幽閉されてしまうだろう。
ダーマ伯爵夫人イザベルから便宜を図るよう個人的に嘆願されて逮捕を知った。
何処かに収監されているであろうダーマ伯爵が余計なことを話さなければいいが……本人も自身に降りかかる厳罰を思えばうっかり口を滑らせたりしないはずだと信じたい。
ザシャとレオンはいい。
ダーマ伯爵家は同じ伯爵位でもツヴァイク伯爵家よりは格下だ。ヨハンの一件で首を刎ねられる恐れがある。
「……」
いっそ獄中で死んでほしい。
私にその手段があればいいが、宮殿内で政務に関われるほどの侍女は私の周りにはいなかった。
そして裁判の最中、私の侍女たちは皆故郷へと返されてしまっていた。
兄の差し金か、母の入れ知恵か。私の再教育と称して母の侍女頭であるホリー夫人が配置され、私は自由を奪われた。
「失恋には甘いお菓子がいちばんですよ、王女様」
優しい言葉を冷酷に吐くホリー夫人は職務だから全うしているだけで、私に対する敬意を持ち合わせてはいない。母の犬だ。
併し駄犬ではなく忠犬だった。
たとえ苛立とうとホリー夫人に襤褸を出すわけにはいかない。
私は恋人に見棄てられた無様な王女のふりをする。
「食欲がないわ」
「だからこそケーキやマフィン、クグロフやパイがいいのです。今以上に痩せてしまっては御体を壊してしまいます」
テーブルでお茶の用意をしているホリー夫人を横目に、私は一縷の望みに縋る思いで自身を律する。
ウィリスはデシュラー伯爵家で治療を受けている。
次の実験がいつ行えるか現段階ではわからないが、とにかく、兄はウィリスが私を見棄てたと思い込んでいる。だから奪った愛はその程度という旨の馬鹿らしい挑発ができたのだ。
兄はダーマ伯爵を逮捕したが、今の時点ではウィリスとの関係には気づいていない。
私を油断させる為の演技ではなく、兄の偽善的な挑発であったと信じたい。
ダーマ伯爵。
お願いだから沈黙を貫きこのまま死んで。
「……ウィリス」
「あまり寂しそうには見えませんね」
ホリー夫人が生意気な口を利いた。
ウィリスに関してであれば私の感情が爆発しても不思議ではないはずだ。
私はホリー夫人に苛立ちをぶつける。
「あなたに何がわかるの!?私は王女よ!?いくらお母様のお気に入りだからって図に乗らないで!私にはあなたにない王家の血が流れているのよ!」
ホリー夫人は動じなかった。
王女の逆鱗に触れ怒鳴られようと冷静でいられる侍女とは、いったいなんなのか。
母と兄さえいなければこんな生意気な年増女はいたぶって泣かせてやるのに。
「そうですね」
ホリー夫人が微かに口角を上げる。
「……?」
私はあまりの違和感に得体の知れない恐れを抱いた。
ホリー夫人の顔に刻まれた表情、それは純然たる軽蔑によって浮かんだ嘲笑だった。
聖人ぶった世間知らずの箱入り娘で、しかもあれほど不格好な令嬢なら、当然、声も上げずに泣き寝入りすると思っていたのに……
堂々としていた。
兄はやはり、母と少し似ているあのヒルデガルドに同情以上の感情を抱いたのだろうか。
まさかあれほど不格好な女と結婚する気だろうか。母がヒルデガルドを神の娘とまで宣ったのだ、兄の心が動いても不思議ではないかもしれない。
ヒルデガルド……
潔白だの侮辱罪だのと、そんなことはどうでもいい。
ヒルデガルドの人生を思えばこそ大金を支払ったというのに、恩知らずめ。
何が証拠だ。王女の私が宮殿の宝物庫に入ろうと財宝を持ち出そうと罰せられることはない。全て返還されたのだから何も問題はない。
落ち着いたら、必ず痛い目を見せてやる。
母を壊す予行演習に抜擢してやってもいい。
併し、兄は何故ダーマ伯爵を極秘逮捕したのだろうか。
兄に何か掴まれているかもしれないという懸念は到底軽視できず、私は下らない裁判に於いて愛に飢えた無様な王女を演じるよりほかなかった。
兄を思わせる金髪碧眼の男をさらい人格改造の実験をしているなど、さすがに今の段階で露顕しては王女の私であろうとこの身が危うい。最悪、幽閉されてしまうだろう。
ダーマ伯爵夫人イザベルから便宜を図るよう個人的に嘆願されて逮捕を知った。
何処かに収監されているであろうダーマ伯爵が余計なことを話さなければいいが……本人も自身に降りかかる厳罰を思えばうっかり口を滑らせたりしないはずだと信じたい。
ザシャとレオンはいい。
ダーマ伯爵家は同じ伯爵位でもツヴァイク伯爵家よりは格下だ。ヨハンの一件で首を刎ねられる恐れがある。
「……」
いっそ獄中で死んでほしい。
私にその手段があればいいが、宮殿内で政務に関われるほどの侍女は私の周りにはいなかった。
そして裁判の最中、私の侍女たちは皆故郷へと返されてしまっていた。
兄の差し金か、母の入れ知恵か。私の再教育と称して母の侍女頭であるホリー夫人が配置され、私は自由を奪われた。
「失恋には甘いお菓子がいちばんですよ、王女様」
優しい言葉を冷酷に吐くホリー夫人は職務だから全うしているだけで、私に対する敬意を持ち合わせてはいない。母の犬だ。
併し駄犬ではなく忠犬だった。
たとえ苛立とうとホリー夫人に襤褸を出すわけにはいかない。
私は恋人に見棄てられた無様な王女のふりをする。
「食欲がないわ」
「だからこそケーキやマフィン、クグロフやパイがいいのです。今以上に痩せてしまっては御体を壊してしまいます」
テーブルでお茶の用意をしているホリー夫人を横目に、私は一縷の望みに縋る思いで自身を律する。
ウィリスはデシュラー伯爵家で治療を受けている。
次の実験がいつ行えるか現段階ではわからないが、とにかく、兄はウィリスが私を見棄てたと思い込んでいる。だから奪った愛はその程度という旨の馬鹿らしい挑発ができたのだ。
兄はダーマ伯爵を逮捕したが、今の時点ではウィリスとの関係には気づいていない。
私を油断させる為の演技ではなく、兄の偽善的な挑発であったと信じたい。
ダーマ伯爵。
お願いだから沈黙を貫きこのまま死んで。
「……ウィリス」
「あまり寂しそうには見えませんね」
ホリー夫人が生意気な口を利いた。
ウィリスに関してであれば私の感情が爆発しても不思議ではないはずだ。
私はホリー夫人に苛立ちをぶつける。
「あなたに何がわかるの!?私は王女よ!?いくらお母様のお気に入りだからって図に乗らないで!私にはあなたにない王家の血が流れているのよ!」
ホリー夫人は動じなかった。
王女の逆鱗に触れ怒鳴られようと冷静でいられる侍女とは、いったいなんなのか。
母と兄さえいなければこんな生意気な年増女はいたぶって泣かせてやるのに。
「そうですね」
ホリー夫人が微かに口角を上げる。
「……?」
私はあまりの違和感に得体の知れない恐れを抱いた。
ホリー夫人の顔に刻まれた表情、それは純然たる軽蔑によって浮かんだ嘲笑だった。
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