王女様、それは酷すぎませんか?

希猫 ゆうみ

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豊かな緑が秋の彩を纏って久しいある日の夕刻、私はまた一つ溜息をついた。

潔白が証明されて穏やかな日々は戻ったが、私は以前の私ではなくなっていた。
一つは、もう私に婚約者などいないということ。
もう一つは《ユフシェリア》が恋しいということだった。

「……」

感謝を伝える機会さえなかった。
私はニコラス王太子の見送りを受け父と共に帰還した。

それからは以前より足繁く教会に通いながら一応は静かな日々を送っているが、私への謝罪に訪れる貴族が度々現れ意図せず忙しくなる日もあった。

更には宮廷裁判で王妃から神の娘とまで称されてしまうと、神の娘に面会を求める人物も無下にはできなくなる。
聖職者ではない私だが、ビズマーク伯爵家は以前より教会と同一視されつつある風潮が広がり、やはり訪問者が増えてしまったのだ。
そうなると私か父が来客者を伴い教会へ行くことになる。そういう意味で足繁く通っているのだ。

今の私に男娼の館《ユフシェリア》を訪れる正当な理由はない。
そしてニコラス王太子の弁護を受け宮廷裁判で王女の筋書きを覆した私が、この期に及んで自ら男娼に関わることを、誰も許しはしないだろう。

「……」

レオン。

完全勝利の計略を見事に完遂させてくれたヨハンや、館を貸り切った私を迷惑がらず結果的には庇護してくれたザシャ、二人への感謝とは違う気持ちがレオンに対してだけは胸の奥でひっそりと芽吹いていた。

「……」

会いたい。
彼の笑顔に。
せめて直接お礼を言いたい。

冷静に考えれば彼らにとって私との日々は私を送り出した日に終わりを迎えたのだろう。
彼らは男娼であり、私と過ごし私を励まし協力してくれた日々が異例だったのだ。

「……」

私ができるのは、彼らの人生に安らぎと恵みがあるように祈ることだけ。

「……」

もしニコラス王太子が連鎖的に男娼含む娼館の取り締まり等を始めたら、その時は私が《ユフシェリア》の弁護人になろう。
そのような現実味を欠いた決意を抱くしか、私一人で彼らとの繋がりを続ける術はもうないのだった。

それでも朝は来る。

神の与える、聖き朝。
朝露が清らかに香る、純白の朝。冷たい朝風にこの日一日の祝福を感じる。

同じ風を彼らも浴びている。

男娼だけが特別ではない。
娼婦たちは夜が明けて疲れ果てた体を休めるのだろう。
私が汚らわしいと忌避しながらも自暴自棄になり、利用するつもりでなりふり構わず男娼の居場所を聞き回ったあの時、彼女たちは疲れや緊張を見せながらも親切にしてくれた。

何故……
どうして……

淫らな罪を犯すのか。
私はそんなことを真面目に考えたことすらなかった。ただ不道徳で冒涜的だと感じていた。神を恐れない肉欲の虜であると恐れていた。

本当にそうなのだろうか。

レオンやヨハン、ザシャが私と同じ人間であるように、彼女たちも神に愛された同じ人間のはずだ。
私には恐ろしくてできない行為が挨拶のように重ねられるからといって、その魂は汚れているのだろうか。

教会からの協力者はヨハンの書簡によって集まった。
男娼という生き方を選んだヨハンをツヴァイク伯爵家は勘当したが、教会は破門していなかったのだ。それが答えではないだろうか。

肉体的接触で得る快楽を強く求める命を与えられた。悪魔は命そのものを与えはしない。神に与えられた命は尊く美しいはずだ。
肉体が淫らでも神に祈りを捧げられる。

神を忘れ、神を嘲り、神を呪うのが肉欲の為であるならそれは確かに冒涜なのだ。悪魔の囁きに屈し、神に背く。その恐ろしさより快楽を選ぶ。快楽の為に悪魔に魂を捧げる。

この二つを分けて考えなければならない。

そして忘れてはならないことがある。
男娼の館で三人が身の上話をすることは決してなかったが、彼らが、そしてすべての娼婦たちが、望んでその生き方を選んだとは限らないということだ。

抗えなかった暴力や、命の代わりに差し出した純潔があるだろう。
私の父がソフィア王女に私の人生を明け渡したように。

失われた尊厳を憂い、絶望し、自棄になり強かに生き抜こうとしているのかもしれない。
私が男娼の館へ乗り込んだように。

レオンたちはもちろんのこと、娼婦たちは私より強い。

私は伯爵家に生まれた。
伯爵令嬢としての生き方が始めから定められており、忠実に従って生きて来た。それが義務であり誇りであった。

同じように娼館で娼婦の子として生まれた子が他の何になれただろうか。
それは農村や漁村、職人の家や、役人の家、都市部の商家に生まれるより、過酷ではないだろうか。

教会は神に祈る魂を拒まない。
併し各々が楔に繋がれているだけではなく、清くありたいと願う私たちが汚れを許さないのだ。これは人間の求めた規律でしかない。

人間が裁くことを許された罪は、人と人の間に犯された罪だけのはず。
魂を裁くことは許されていない。

私には現在、王家から支払われた莫大な賠償金がある。
ソフィア王女が宝物庫から秘密裏に持ち出した財宝とは違う、清廉潔白な財産だった。

私は父の執務室を訪ねた。

「……?」

併し父の姿はなく、私は廊下で使用人から急な来客を知らされた。
父はその対応をしているのだ。

謝罪を目的とした訪問者。
それはクローゼル侯爵とその令嬢、私を魔女とまで罵ったヘレネその人だった。
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