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49(レオン)
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勘違いしてはいけない。
御令嬢は僕を好きだから仇を討とうとしているのではない。
その口で言ったじゃないか。
〝あなたは特別ではない〟と。
神が僕らを見下ろしているのなら、神がこの人をこういうふうに造ってしまったのだ。無謀な善人に。強く優しい人に。
悪の強さを知らない。
正しいから強いのではない、邪悪だからこその強烈な力をヒルデガルドは知らない。碌でもない元婚約者に打ちのめされてもそれがわからない。寧ろやる気を出してしまう。
放っておけない。
汚れた僕は彼女に触れる資格はない。
だが、僕の大切なヒルデガルドに牙を剥く狼たちに噛みつくことはできる。
「お嬢様。これは僕が始めることです。終わらせるのは僕です。男娼としてあなたと出会った。でも、今この瞬間から僕はあなたの忠犬です」
「……以前、ヨハンも似たようなことを」
「一緒にしないでください」
王女に目を付けられる前まで貞淑の見本のように生きて来たであろう御令嬢は、僕との物理的な近さにまごついているようだ。
他に恐がるべきことがあるのに、神は少し、手を抜いたらしい。
「僕を見て。余所見しないで」
「……」
「僕だけを見て」
ヒルデガルドが僕を見る。
美しいペリドットの瞳が戸惑いに揺れている。
「僕はいい仔ですよ」
自分が犬だと思えば彼女をまっすぐ見つめ、求められる。
もうこれからは汚れた男娼と貞淑な御令嬢じゃない。そう考えてみると解き放たれたように心が軽くなった。
僕はヒルデガルドの膝に横向きに頭を乗せた。悪魔たちの玩具に成り下がった男娼という一人の男としてではなく、彼女の忠犬なら、これくらいやっていいだろう。
「レオン……」
だが頭を撫でさせはしない。
触れていい時、触れていい場所、その方法は僕が決める。
僕は身を起こした。
気を付けないとこの人は僕に触るから。
「お嬢様」
僕が笑いかけるとヒルデガルドは少し緊張を解いた。
優しくされて懐いた犬の僕から見れば、彼女は高貴で高潔な神の娘というより汚れを知らない可愛い女の子だ。
「お腹は空いてませんか?怒るとお腹が空くのに、食べるのは忘れてしまうでしょう?」
「……そうかもね」
「今夜はお泊りですか?」
「あ……」
何かに気づいたようにヒルデガルドが表情を変えた。
少し待っても何も言い出さないので優しく励ますつもりで問いを重ねる。
「どうしたの?」
僕は犬なので。
少しくらい不作法でも、まあ、構わない。それより親しみ易さと信頼が大切だ。
ヒルデガルドが困ったように眉を顰める。
「今日は、着替えもないわ」
「衣装室はそのままですし、新品の夜着だって何着もあります」
二度と戻ってこないはずだった人のドレスは結果的に僕が買い取っている。二度と会わないはずだったから、静かに思い出に浸る目的で衣装室は丁寧に管理してきた。
ヒルデガルドが大切だからこそ二度と歓迎したくはなかったが、来てしまったし、此方も寛がせる用意に不足はない。
「レオン……そうしたら」
「はい」
「ジェーンも、今夜は此処に泊まるのかしら」
は?
「その、あなたたちの客ではなく、単なる宿泊者として」
「……どっちでもいいですけど」
「聞いてきてもらえる?」
「……いいですけど」
「その、着替えを手伝ってほしくて」
僕は一先ず首を傾げた。
滞在中、僕は不足なく務めたはずだ。ウィリスとかいう元婚約者の悲惨な姿を見て、同じ仕打ちを受けたであろう僕には同情の余り世話をさせられないということだろうか。冗談ではない。見縊ってもらっては困る。
沈黙を終わらせる為に口を開いたのはヒルデガルドの方だった。
理由を聞いて、僕は憤慨した。
もし僕が相応しい身分だったなら、一度だけでいいからそっと抱きしめこの手で労わりたい。だがそれはできない。叶わない。
僕は憤りを堪えとりあえず玄関広間に向かった。
ザシャとヨハンが壁際の書架のテーブルでジェーンの話相手をしていた。
「男爵令嬢」
僕はジェーンを呼んだ。
三人が同時に僕を見る。併し動こうとしない。
「男爵令嬢」
再度呼ぶとジェーンは困惑も顕わに腰を上げる。
「怒ってるみたいだけど……」
「卵投げたんだから仕方ないだろ。行けよ」
ザシャが促す。
そういえば王女の腰巾着でクローゼル侯爵家の令嬢でザシャの上客であるヘレネの姿はない。
下々の人間とは服を着て交わりたくないのか、単に引き籠っているのか。余計な動きさえしなければなんでもいいので僕はジェーンを顎で呼んだ。
「何よ」
不服そうであり、やや不安そうでもあり、ジェーンは僕を無遠慮に視線で舐め回している。立場が悪いわりに厚かましい。
「あなた泊まるんですか?」
僕の口調も刺々しくなるというものだ。
「え?やめてよ、そういうんじゃないわ」
「こっちだって廃業ですよ。そうじゃなくて、ヒルデガルド様の御世話をお願いしたいんです」
「は?私、もう貴族なんだけど」
「知らないんですか?伯爵家の御婦人には子爵家の御令嬢が侍女として仕えたり、宮殿では伯爵夫人や侯爵夫人が侍女として仕えたりしているんですよ?」
「知ってるわよ!何?どうしたの?」
階段を上がりながら僕は耐え難い事実を伝えた。
「元婚約者に杖で滅多打ちにされて、痛みで一人では着替えられないようです」
「はあッ!?あいつ……!」
「お風呂も入れてあげてもらえませんか?此処には、ヘレネ様とあなたしか女性がいないので」
「いいけど、腹が立つわ!あんたたちって本当にまともね!」
ジェーンは自分がしたことを棚に上げ、更には保身の為に来たことも恐らくは忘れてヒルデガルドに対する暴力に怒り狂っている。見直すとまではいかないが、悪くはない。
「シェロートの下衆野郎、あのまま死ねばよかったのに」
「同感です。でも、証言で役に立ちますよ。あなたみたいに」
「一緒にしないでよ!こっちには船あがるのよ!?」
とはいえあまり長く話したい相手でもない。
「僕、お風呂の準備しますので。くれぐれも失礼の無いようにお願いします」
「あんた何様?」
「ヒルデガルド様の犬です。次、何かしたら僕あなたのこと咬みますよ」
「前言撤回。変な奴ばっかり……」
「あ、ヨハンには気を付けてくださいね。あの人、変態なので。じゃあこちらです」
僕はジェーンにヒルデガルドの部屋を示し、そそくさと立ち去った。
着替えには立ち会わない。僕の汚れた目にヒルデガルドの無垢な肌は決して映してはならないのだ。
御令嬢は僕を好きだから仇を討とうとしているのではない。
その口で言ったじゃないか。
〝あなたは特別ではない〟と。
神が僕らを見下ろしているのなら、神がこの人をこういうふうに造ってしまったのだ。無謀な善人に。強く優しい人に。
悪の強さを知らない。
正しいから強いのではない、邪悪だからこその強烈な力をヒルデガルドは知らない。碌でもない元婚約者に打ちのめされてもそれがわからない。寧ろやる気を出してしまう。
放っておけない。
汚れた僕は彼女に触れる資格はない。
だが、僕の大切なヒルデガルドに牙を剥く狼たちに噛みつくことはできる。
「お嬢様。これは僕が始めることです。終わらせるのは僕です。男娼としてあなたと出会った。でも、今この瞬間から僕はあなたの忠犬です」
「……以前、ヨハンも似たようなことを」
「一緒にしないでください」
王女に目を付けられる前まで貞淑の見本のように生きて来たであろう御令嬢は、僕との物理的な近さにまごついているようだ。
他に恐がるべきことがあるのに、神は少し、手を抜いたらしい。
「僕を見て。余所見しないで」
「……」
「僕だけを見て」
ヒルデガルドが僕を見る。
美しいペリドットの瞳が戸惑いに揺れている。
「僕はいい仔ですよ」
自分が犬だと思えば彼女をまっすぐ見つめ、求められる。
もうこれからは汚れた男娼と貞淑な御令嬢じゃない。そう考えてみると解き放たれたように心が軽くなった。
僕はヒルデガルドの膝に横向きに頭を乗せた。悪魔たちの玩具に成り下がった男娼という一人の男としてではなく、彼女の忠犬なら、これくらいやっていいだろう。
「レオン……」
だが頭を撫でさせはしない。
触れていい時、触れていい場所、その方法は僕が決める。
僕は身を起こした。
気を付けないとこの人は僕に触るから。
「お嬢様」
僕が笑いかけるとヒルデガルドは少し緊張を解いた。
優しくされて懐いた犬の僕から見れば、彼女は高貴で高潔な神の娘というより汚れを知らない可愛い女の子だ。
「お腹は空いてませんか?怒るとお腹が空くのに、食べるのは忘れてしまうでしょう?」
「……そうかもね」
「今夜はお泊りですか?」
「あ……」
何かに気づいたようにヒルデガルドが表情を変えた。
少し待っても何も言い出さないので優しく励ますつもりで問いを重ねる。
「どうしたの?」
僕は犬なので。
少しくらい不作法でも、まあ、構わない。それより親しみ易さと信頼が大切だ。
ヒルデガルドが困ったように眉を顰める。
「今日は、着替えもないわ」
「衣装室はそのままですし、新品の夜着だって何着もあります」
二度と戻ってこないはずだった人のドレスは結果的に僕が買い取っている。二度と会わないはずだったから、静かに思い出に浸る目的で衣装室は丁寧に管理してきた。
ヒルデガルドが大切だからこそ二度と歓迎したくはなかったが、来てしまったし、此方も寛がせる用意に不足はない。
「レオン……そうしたら」
「はい」
「ジェーンも、今夜は此処に泊まるのかしら」
は?
「その、あなたたちの客ではなく、単なる宿泊者として」
「……どっちでもいいですけど」
「聞いてきてもらえる?」
「……いいですけど」
「その、着替えを手伝ってほしくて」
僕は一先ず首を傾げた。
滞在中、僕は不足なく務めたはずだ。ウィリスとかいう元婚約者の悲惨な姿を見て、同じ仕打ちを受けたであろう僕には同情の余り世話をさせられないということだろうか。冗談ではない。見縊ってもらっては困る。
沈黙を終わらせる為に口を開いたのはヒルデガルドの方だった。
理由を聞いて、僕は憤慨した。
もし僕が相応しい身分だったなら、一度だけでいいからそっと抱きしめこの手で労わりたい。だがそれはできない。叶わない。
僕は憤りを堪えとりあえず玄関広間に向かった。
ザシャとヨハンが壁際の書架のテーブルでジェーンの話相手をしていた。
「男爵令嬢」
僕はジェーンを呼んだ。
三人が同時に僕を見る。併し動こうとしない。
「男爵令嬢」
再度呼ぶとジェーンは困惑も顕わに腰を上げる。
「怒ってるみたいだけど……」
「卵投げたんだから仕方ないだろ。行けよ」
ザシャが促す。
そういえば王女の腰巾着でクローゼル侯爵家の令嬢でザシャの上客であるヘレネの姿はない。
下々の人間とは服を着て交わりたくないのか、単に引き籠っているのか。余計な動きさえしなければなんでもいいので僕はジェーンを顎で呼んだ。
「何よ」
不服そうであり、やや不安そうでもあり、ジェーンは僕を無遠慮に視線で舐め回している。立場が悪いわりに厚かましい。
「あなた泊まるんですか?」
僕の口調も刺々しくなるというものだ。
「え?やめてよ、そういうんじゃないわ」
「こっちだって廃業ですよ。そうじゃなくて、ヒルデガルド様の御世話をお願いしたいんです」
「は?私、もう貴族なんだけど」
「知らないんですか?伯爵家の御婦人には子爵家の御令嬢が侍女として仕えたり、宮殿では伯爵夫人や侯爵夫人が侍女として仕えたりしているんですよ?」
「知ってるわよ!何?どうしたの?」
階段を上がりながら僕は耐え難い事実を伝えた。
「元婚約者に杖で滅多打ちにされて、痛みで一人では着替えられないようです」
「はあッ!?あいつ……!」
「お風呂も入れてあげてもらえませんか?此処には、ヘレネ様とあなたしか女性がいないので」
「いいけど、腹が立つわ!あんたたちって本当にまともね!」
ジェーンは自分がしたことを棚に上げ、更には保身の為に来たことも恐らくは忘れてヒルデガルドに対する暴力に怒り狂っている。見直すとまではいかないが、悪くはない。
「シェロートの下衆野郎、あのまま死ねばよかったのに」
「同感です。でも、証言で役に立ちますよ。あなたみたいに」
「一緒にしないでよ!こっちには船あがるのよ!?」
とはいえあまり長く話したい相手でもない。
「僕、お風呂の準備しますので。くれぐれも失礼の無いようにお願いします」
「あんた何様?」
「ヒルデガルド様の犬です。次、何かしたら僕あなたのこと咬みますよ」
「前言撤回。変な奴ばっかり……」
「あ、ヨハンには気を付けてくださいね。あの人、変態なので。じゃあこちらです」
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