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神秘的な大理石の大浴場で私は歓声を上げた。とても響いた。

「素敵!夢のようだわ!!」

大広間程の広さの大浴場は美しく磨き上げられ、天使像が両脇から支え傾けている巨大な甕が湯の注ぎ口になっている。
人を詰めれば百人程は直立できそうな浴槽で、見る限り中央は深くなっているので浮けるかもしれない。

「季節を問わず王家の方が湯治にいらっしゃいます」

ミネットがさらりと暴露した。
大浴場に感激していた私は一拍挟んでミネットの方へと振り向く。

「え?」

王家の方?

「御存じなくて当然です。秘密の湯治場ですから」
「……」
「滞在中の半分は全裸或いは半裸で濡れて寛いでおいでなのです。政敵などに知られては忽ち血祭にあげられてしまいますからね」
「……」
「肝心なのは血筋ではなく、この無防備な秘密を守れるかです。奥様が引き継がれる重要なお役目です」
「……王家の方?」
「そう申し上げました」

つまり私は王家専用お忍び温泉の宿主になったということ?

「使用人一同この温泉設備の管理を代々引き継いでおりますので、技術的な御心配は一切不要です。私たちにお任せください」
「私は何を……」
「侯爵夫人として私共を統治する極めて普通の女主でいてください。王家の方が湯治にいらっしゃった際には御持て成しを」

なるほど。
夫ランスが実は養子だろうと、私が血筋を変えようと、取り立てて問題がないわけだ。

「……領民たちは誰が管理するの?」
「各地方に土地管理の伯爵・子爵が配備されており、代々カルメット侯領に仕えておいでです」

カルメット侯領の農民は知っているのだろうか。
自身の育てた麦がやがて王族の胃袋へ辿り着くことを。

……きっと知らない。

「え、でも……では、ランスは……」

一つの大きな疑問が頭を占める。
私はミネットの真っ白に曇った方眼鏡に向かって問いかけた。

「それほど重要な役割を担っているのに……」

やったことは重大だけれど、これほど公に裁かれるものなのだろうか。
泥棒の濡れ衣を着せられて婚約破棄された田舎貴族を後釜に据えなければならないほどの窮地だ。

「ノアム侯爵の訴えについて私は何も申し上げられません」

ミネットの発言は尤もだった。彼女はいくら貫禄があろうと使用人なのだ。

「伝聞ですので」
「……」

私の考えた方向とは少し違うみたい。
片眼鏡を曇らせていようと揺らがない貫禄でミネットは続けた。

「ランス様の従僕デヴィッドなら口を滑らせるかもしれませんが……気になるようでしたら、ランス様に直接お尋ねになられてはいかがでしょうか」
「……」
「奥様にだけは真実をお話しになられるかもしれません」
「?」

意味深な言葉に考え込んでしまう。
ところが、私の思考を打ち破るようにミネットがにっこり笑った。

「追及するだけの時間なら充分残されています。まずは昨日の今日なのですから、奥様のものになったこの大浴場で思う存分泳ぐことを想像してみられては?」
「──」

そうだ。
考えてもわからないことを、判断材料もないまま頭の中で捏ね繰り回すなんて無駄なこと。

私は大浴場に目を戻す。

王族のお忍び温泉なんて贅沢すぎる。
たとえ私を揶揄う為の作り話だったとしても、泳げるほどの浴槽が目の前で湯気をあげているのは現実なのだ。

もう少し頭が回れば、私の最期は溺死かも……と考えてもよさそうなものだった。
問題は大浴場が素晴らしいことに加え、私が単純な性格ということ。

「結婚してよかった……!」

口に出ているとまでは思わなかった。
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