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謁見の間に戻ると、総帥が国王の遺体を片足で踏みながら玉座に座っていた。血溜まりには足跡が残され、何処までも国王の命が蹂躙されている。

総帥の脇を固める三人の軍人の名前は知らないが、きっと腹心の部下なのだろう。ジェイドとは違いクーデターの細部まで知っていたに違いない。

「どうした」

上機嫌な笑顔で総帥が私に声をかける。

「襲われました。ジェイドが、総帥のお傍に居た方が安全と言うので」

半分は嘘だ。

ここまで戻る間にほとんどの騎士に襲われたが、視界に入る軍人たちが自然と守ってくれた。併し騎士の中には《アヴァロンの徒》を名乗る者が数人いて、私に同行を求めた。彼らはスカーレイを奪還する計画に私が必要だと言った。

スカーレイの名前があげられたとしても、耳を傾ける心境ではなかった。スカーレイ奪還を謳うくらいならもっと迅速に行動してくれたらよかったのにと、恨みが沸いた。
私はスカーレイが死んでしまったと知っているから。
そんな時は黙って睨みつけていれば近くの軍人が助けてくれた。

「父と呼べ」

この男のせいで、スカーレイは死んでしまった。
父親と認めるのは難しい。それでも、この男の養女であるという今の立場が私の最強の鎧になっているのは理解している。

「お父様」

利用してやる。
そんな野蛮な考えが芽生える自分の心が、どこか遠い。

夢ならいいのに。

「誰に襲われた?」

総帥が手招きしながら問うてくる。
私は王室騎士や衛兵の遺体の中を、血を踏みしめながら玉座に進む。そうしなければ滑って転んでしまいそうだったが、総帥に侍る軍人の一人が感心したように呟いた。

「さすが、身のこなしが違いますね」

名前も知らない相手で、きっと私が養女になっていなければ〝罪の子〟として謗るはずなのだから、応じる義理はない。

「王室騎士や衛兵です。私はこのクーデターを起こした側の人間だと思われているので」
「私の部下はよく働いているようだな。誘拐されなくてよかった」

総帥は本当に上機嫌だった。
国王の遺体から足を退けるとやおら立ち上がり、玉座の背凭れに手を掛けて、恭しい身振りで私に座るようすすめてくる。私は冷笑した。
この男は何を考えているのだろうか。気が知れない。

だが総帥は私の無礼すら喜んで笑みを深めた。

「いい顔だ」

そう言って指先で私の頬を軽く叩く。
私が間近で睨みつけても、やはり嬉しそうに目を細めて笑う。

「座れ」
「……」
「神に選ばれた者だけが腰掛けることのできる特別な椅子だそうだ。座れ」
「……」

私は拳を握りしめ躊躇い、微かな恐れを認めざるを得なかった。
私は〝罪の子〟であり、何も許されず、責められ、蔑まれ生きてきた。国王が無残に殺されようとも、私のような身分の者が玉座に触れるなど、やはり考えられない。冒涜が過ぎる。

「ルビー」

近くの軍人に、ややきつめに促された。
総帥が私に笑顔を向けたまま部下を手で制した。

「私の娘の名前はスノウだ。そうだな?スノウ」
「はい」

私が総帥に返事をすると、先程の軍人がやや口調を和らげて再び促す。

「スノウ。総帥の命令は絶対だ」

また総帥が手で制した。

「娘には命令しない。スノウ、お前は自由だ。私に逆らうことが許された唯一の存在だ」
「お嬢様。お疲れでしょう。総帥は、あなたに寛いでもらいたいのです」

別の軍人が総帥の意を汲んだ形で丁寧に私を促す。

寛ぐ?
遺体だらけの、血の臭いが充満する、ここで?

「……」

私が何を恐れているにせよ、総帥には関係ないようだった。
総帥は国王の遺体を足でぐいと押し退けると、私の背後に立ち、そっと両肩を掴んで玉座に座るよう物理的に促す。

逆らうことが許される唯一の存在などと言われ、多少、納得できてしまう自分が恐ろしい。
総帥がどのような目的で卑しい身分の私を養女に迎えたのかと考えてきたが、前提が間違っていたのだ。総帥にとって〝罪の子〟は忌まわしい存在ではなく、勝利の象徴なのだから。

「……」

私は体の向きを変え、肘掛に掴まりながら恐る恐る玉座に腰を下ろした。

「さあ、座れ……そうだ」

総帥は喜んでいる。

「……っ」

私は動悸が乱れ、全身で震えながら玉座の上で耐えた。
なんとか呼吸を整えようと深呼吸を繰り返すものの、私の吸い込む空気には宮廷を守っていた男たちの血の臭いが満ちている。

「……」

目の前に転がる、いくつもの遺体。
嗚咽が込み上げる。

「どうだ?お前を蔑み、迫害してきた者たちは死んだ。お前の勝ちだ、スノウ」
「私は……なにも……っ」
「ああ。お前には何もない。聞かせてくれ。お前の中には、神など存在しないと」
「……」

血生臭い空気を深く吸い込み、吐き出して。
生理的な涙が自然と溢れる。

その時、総帥が耳元で囁いた。

「スカーレイは、神が殺した」
「!」

一瞬で意識が冴える。
体の震えも止まり、遺体の齎す恐怖も、血の悪臭も、私を脅かすものではなくなった。

「いもしない神の為に人生を捧げ、命を捧げた。憐れな狂信者の末路を無駄死に以外なんと呼ぶ?」
「スカーレイ様を侮辱しないで!」
「だが、お前はスカーレイの崇めた神を信じているのか?」
「……」
「お前の中に、その神はいるのか?」
「……」
「そうだ。お前には神という概念が無い。だから」
「罪の、子」
「そうだ」

総帥が国王の遺体を指差す。

「あの男はもっと悪い。自身を神に選ばれた特別な者と妄信し、神の名を騙り他人を支配する味を覚えた。自身が神かのように振舞い、人々の上に君臨した。それがアスガルド教団の作り上げた博愛国家だ」
「……」
「神の名の下に、一人の男の自己愛が何万もの民を奴隷に変えた」
「……」
「苦しんだのは〝罪の子〟だけじゃない」

だから、目にする度、総帥は国王の遺体を踏みつけているのだろうか。

「レイクシアの神も、アスガルドの神も、所詮は自己崇拝者の作り出した幻だ。神を崇める自分を崇拝している。そんな妄想に付き合わされて奴隷の一生を送る民は、本当に幸せなのか?神の愛など、何処にある?」

総帥が笑っている。
それは勝利に酔って慢心しているというより、晴々としている。

私の中に神はいない。
少なくとも、私を救ってくれる神などいなかったし、いたとしてもその神は〝罪の子〟である私を無視していると理解してきた。

私は神と切り離された世界で生きてきた。
それは〝罪の子〟が背負う罰だと、疑いもしなかった。

「神の加護などなくともお前は強く生き延びた。お前の力で、人間の足で、女の手で、やってきた。それが人間だ。お前はお前自身を主とし、お前の選択で人生を歩む。これぞ人の姿。真の人だ」
「でも、私は、幸せでは……」
「当然だ。神の名の下に、神に狂った者たちがお前を虐げてきた。神はスカーレイを殺し、お前を痛めつけた。神という妄想を抱いた狂人たちが、お前から幸せを奪い続けた」
「……」
「私は、この大地に人の国を建てる」

神の支配から解き放たれた、人だけの国。
総帥の思想が私の中で鮮明に形作られ理解の範疇に及ぶと、不思議と、何処からともなく安堵に似た感情が微かに沸いてきた。

自由だ、と。
総帥は言った。

その意味が腑に落ちた。

私は玉座の上で身をよじり、耳を寄せる為に屈みこんでいた総帥の顔を間近に見た。
嫌悪も恐れも呼び起こさない、一人の人間の顔がそこにあった。

私は〝罪の子〟に定められた。
そして総帥は、誰に定められなくとも初めから〝罪の子〟だったのだ。

「お父様」

私は総帥に呼び掛けた。私の声音から警戒心が抜け落ちたのを聞いて、総帥は心底嬉しそうにまた目を細める。

「姫様を殺そうとしている軍の人たちを止めてください」
「どうして」
「あの方はまだ幼くて、神がなんであるかも理解していません」
「だが成長すればその椅子を奪い返しにくる。その時、どうする」
「しません」
「何故そう言い切れる」
「乳母のロヴネル夫人が純真にお育てしていました。姫様は私を差別しません。友人のように接し、私の為に怒ってくれる純粋な方です。あの方の中にアスガルドの神はいません」

総帥の笑みに鋭利な冷たさが混じる。

「だが〝姫様〟なんだろう?」
「あ……」
「私は国を奪い、父親を殺した。お前はその男の娘だ。フローラが〝姫様〟でいる限り、お前たちはもう敵同士なのだ」
「……」

私は再び、謁見の間に倒れた遺体の数々に目を走らせた。

父親である国王と、王国に仕えていた男たちの遺体。
これを目にして、恨みを抱かないはずはない。

「あの方を殺さないでください」

懇願が口から滑り出る。
もう理屈では覆せないと悟り、お願いするしかない。

涙が溢れてくる。
嗚咽が漏れる。

総帥が身を起こした。

「ふむ。確かに、あの姫はお前に優しかった。王族という妄想を捨て一人の人として生きるなら殺す理由はない。スノウ。あれは〝姫〟か?」
「……っ」

私は涙を堪え総帥の横顔を見上げた。

わかっている。
言わなければいけない。

私の心が遜る姿勢を忘れられなくても、あの方が私にとって可愛らしい姫君で在り続けても、今、この場では言わなければならないのだ。

「フローラを殺さないで……っ、まだ小さな女の子だから……!」

泣きながら訴えた。
総帥は真剣に思案する表情で頷いて言った。

「いいだろう」
「!」

よかった。

私は安堵の余り顔を覆って泣き崩れた。
総帥は部下の一人にフローラ姫を襲ってはならないという指示を託して送り出し、私の肩に手を置いた。

「勇気ある判断だ。だが、私たちは親の仇だと忘れるな」
「……っ、はい」
「お前にとって心を許せる友はたった二人。スカーレイとフローラ。二人とも喪うのは辛い。二度と会えなくても、生きているだけでお前にとっては希望の光だ」
「はい」
「今夜、スカーレイを弔ってやろう。神を妄信していようとも、姉のようにお前を守り続けた高潔で純粋な女だった」

総帥が心の篭った声でそう言ってから、私の頭を優しく撫でた。
私は不思議と、その大きな手には嫌悪を抱かない自分になっていた。

本当に私を娘と思い、父親として接しているとわかったからだ。
それに話の通じない相手でもなかった。誰にも耳を傾けられずに生きてきた私の言葉をしっかりと聞き、無下にせず考慮してから言葉を返してくれる。

私は〝罪の子〟だった。
総帥は私を〝人〟として扱い、向き合ってくれる。

たとえその手が血に塗れ、足で遺体を踏みつけようとも、新しい世界を与えてくれた偉大な存在であることには変わりない。

そして私は、この血塗れの地に立たなければならないのだ。
それには総帥の理解が不可欠だった。

「……っ」

スカーレイが死んでしまった。
こんな血塗れの場所ではなく、美しい場所で静かに眠らせてあげたい。

私は玉座に座っていることも忘れ、悲しみのままに泣きじゃくった。

総帥の言った通り、フローラ姫は生きていてくれるだけでいい。あの方が何処かで生きていてくれるだけで、私は、頑張れる。

指示が行き届くまで、どうか無事で……

「スノウ」

総帥が私を呼んだ。

「恐がるな。父が必ず守ってやる」

私は頷くことができなかった。
今までの私なら跪いて感謝しなければならないだろう。でも、今は只、ジェイドが迎えに来るまで祈り続けていたい。


姫様、どうか無事でいてください。

スカーレイ様、どうか安らかに……

どうか……


「……」

でも、何に祈っているのか。
私はふと、目を上げた。
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