9 / 32
9(パトリック)
しおりを挟む
午前の執務を済ませ食堂に足を踏み入れると、既にテーブルに着いた妻リリアナが酒を呷っているところだった。
私は重く沈む心を戒め、静かに席に着いた。
リリアナは昼食だと理解しているのだろうか。既に空けた酒瓶が4本あり、内1本は倒れている。
「リリアナ」
妻に声を掛ける。
ドンと激しい音を立てながら、リリアナは中身の減った酒瓶をテーブルに置いた。
「あら、パトリック。ごきげんよう」
泣き濡れた顔で挑発的に笑う妻リリアナ。
妻は、宮廷で披露された喜歌劇の内容を知って以来、酒に溺れてしまった。
その頃から私は言い知れぬ違和感に苛まれている。
──笑い者にされたのよ!どうしてなんとかしてくれないの!?
愛を貫いて結婚したはずの私たちだったが、周囲からの非難は激しかった。
野蛮で冷酷な家族に虐げられ続けていたリリアナを救い出し、英雄になったと思っていた。併し、誰からの同意も得られない。同意を得られないどころか、我々への非難に比例してリリアナを捨てたはずの宮廷騎士への賞賛も膨れ上がっていった。
──皆して私を苛めるのよ!ずっとそう!!
リリアナはけたたましく泣いた。
周囲のものを手当たり次第にあちこちへ投げつけながら、髪を掻き毟って泣き喚いた。
──結婚しても変わらない!誰も私を大切にしてくれない!!
私は次第に、リリアナの本性に気づき始めたような気がした。併し、認めたくなかった。
──あなたは騙されているのではなくて?
優しいシンシアの問いかけが蘇る。
──パトリック!ねえ、パトリック!!私を守ってよ!私の夫でしょう!?ちゃんと守ってよ!!
繰り返されるリリアナの怒号が私の美しい思い出を掻き消した。
妻は今、目の前で酒の臭いを撒き散らし、振り乱した髪を噛みながら、酒に淀んだ瞳で私を凝視している。
「なぁに?飲んでるのが気に入らないの?だって、しょうがないでしょう?あなたはなんにもしてくれないんだもの。私が馬鹿にされて、こんなに苛められているのに……」
──私と領地どっちが大事なの!?
「ほったらかしでお仕事ばっかり。どうして……?ねえ、どうしてなの?私を愛してないの?パトリック。私を愛していると言ってくれたのは嘘だったの?」
妻が酒瓶を揺らしながら泣き始めた。
酒を呷る間は泣き休んでいたと言った方が正確かもしれない。
「あなたは私の味方だったはずでしょう?何よ……まさか、あなたまでビビアンを選ぶって言うの?」
「違うよ」
「嘘!宮廷でお芝居になってビビアンが持て囃されているから!?ねえ、そうなんでしょう!?ビビアンの方がよくなったんだわ!だから私が苛められてても助けようとしてくれないのよ!」
こうなってはもう、どうしようもない。
「笑い者にされたのよ!どうしてなんとかしてくれないの!?」
「落ち着いてくれ」
「ずっとシンシアに未練があるのかと思っていたけど、違う。ビビアンね。ビビアンがまた私の愛する人を奪って行ったんだわ!」
「違うよ、リリアナ」
「それじゃあどうして私に優しくしてくれないのよ!!ああっ、どうしてなの!?なんで誰も私を正しく愛してくれないのよぉッ!!」
「!」
空の酒瓶が飛んで来て、私は咄嗟にそれを避けた。背後で硝子の砕ける音がした。
「おい!危ないじゃないか!」
さすがに声を荒げるが、リリアナは聞いてもいない。酔って赤く染まった喉を晒し、ぐびぐびと酒を呷っている。
「……」
見る見る内に瓶の中の酒が減っていき、数秒で空になった。
「ぶはあっ」
酒瓶を置かず此方へ投げつけてくるかもしれないと身構える。
「ふっ、ふふふ」
笑いだした。
投げてはこないらしい。
「ちょっと!お酒は!?さっさと持ってきなさいよ!!」
空になった瓶を投げはしなかったが、テーブルに底を叩きつけ続けながら使用人を恫喝している。
「あんたたち何様のつもり!?私はラムリー伯爵夫人よ!あんたたちの御主人様よ!?わかってんの!?」
「お、奥様……」
使用人たちは戸惑いながら私に目で指示を仰いだ。
私は短く首を振り、これ以上リリアナに酒を与えないよう命じる。
「ねえ、なんで突っ立ってるの!?私に逆らうつもり!?誰のおかげでラムリー伯爵家に仕えていられると思ってるの!?無礼者!!クビよ!あんたなんかクビ!!」
無論、妄言だ。
リリアナにそんな権利はない。
私は安心するように伝え使用人を下がらせた。
「パトリック、なんとかして!ねえ、どうして何も言ってくれないの!?なんでそんな目で私を見るのよぅ!王国中に馬鹿にされて、使用人にも相手にされない……ねえ、パトリック。もう私にはあなたしかいないの。愛してよ。私を愛して。ビビアンなんか選ばないで。私にしてよぉ……っ」
泣いている。
出会ったあの日のように、さめざめと泣いている。
悲しく、痛々しく、世界中の誰よりもか弱い存在であるかのように。
──あなたは騙されているのではなくて?
ああ、そうか。
家族に苛められているというのは、嘘だったのだ。やっと認められた。
リリアナは自分こそが被害者だと思い込んでいるのかもしれないが、激しすぎる自己愛がそうさせるのだろう。
「パトリック、聞いてる!?ねえ、無視しないで!!」
「……」
うんざりだ。
限界だった。
「パトリック!!」
リリアナが私を呼び詰る。
毎日、毎日……泣いて、泣いて、泣いて、私に罪悪感を抱かせようとする。私を責め続ける。
リリアナの理想通りに愛さないのは、暴力であり、罪だと。
「……もう、やめてくれ……」
シンシア。
君との結婚生活なら、こうはならなかったはずだ。
互いに認めあい、励ましあい、支えあい、尊重しあいながら各々の務めに邁進したはずだ。それを讃えあったはずだ。
幸せになったはずだった。
私が愚かだったのだ。
「パトリック!こっち見なさい!見ろって言ってるんだよ裏切り者ぉッ!!」
シンシア……君に、会いたいよ。
私は重く沈む心を戒め、静かに席に着いた。
リリアナは昼食だと理解しているのだろうか。既に空けた酒瓶が4本あり、内1本は倒れている。
「リリアナ」
妻に声を掛ける。
ドンと激しい音を立てながら、リリアナは中身の減った酒瓶をテーブルに置いた。
「あら、パトリック。ごきげんよう」
泣き濡れた顔で挑発的に笑う妻リリアナ。
妻は、宮廷で披露された喜歌劇の内容を知って以来、酒に溺れてしまった。
その頃から私は言い知れぬ違和感に苛まれている。
──笑い者にされたのよ!どうしてなんとかしてくれないの!?
愛を貫いて結婚したはずの私たちだったが、周囲からの非難は激しかった。
野蛮で冷酷な家族に虐げられ続けていたリリアナを救い出し、英雄になったと思っていた。併し、誰からの同意も得られない。同意を得られないどころか、我々への非難に比例してリリアナを捨てたはずの宮廷騎士への賞賛も膨れ上がっていった。
──皆して私を苛めるのよ!ずっとそう!!
リリアナはけたたましく泣いた。
周囲のものを手当たり次第にあちこちへ投げつけながら、髪を掻き毟って泣き喚いた。
──結婚しても変わらない!誰も私を大切にしてくれない!!
私は次第に、リリアナの本性に気づき始めたような気がした。併し、認めたくなかった。
──あなたは騙されているのではなくて?
優しいシンシアの問いかけが蘇る。
──パトリック!ねえ、パトリック!!私を守ってよ!私の夫でしょう!?ちゃんと守ってよ!!
繰り返されるリリアナの怒号が私の美しい思い出を掻き消した。
妻は今、目の前で酒の臭いを撒き散らし、振り乱した髪を噛みながら、酒に淀んだ瞳で私を凝視している。
「なぁに?飲んでるのが気に入らないの?だって、しょうがないでしょう?あなたはなんにもしてくれないんだもの。私が馬鹿にされて、こんなに苛められているのに……」
──私と領地どっちが大事なの!?
「ほったらかしでお仕事ばっかり。どうして……?ねえ、どうしてなの?私を愛してないの?パトリック。私を愛していると言ってくれたのは嘘だったの?」
妻が酒瓶を揺らしながら泣き始めた。
酒を呷る間は泣き休んでいたと言った方が正確かもしれない。
「あなたは私の味方だったはずでしょう?何よ……まさか、あなたまでビビアンを選ぶって言うの?」
「違うよ」
「嘘!宮廷でお芝居になってビビアンが持て囃されているから!?ねえ、そうなんでしょう!?ビビアンの方がよくなったんだわ!だから私が苛められてても助けようとしてくれないのよ!」
こうなってはもう、どうしようもない。
「笑い者にされたのよ!どうしてなんとかしてくれないの!?」
「落ち着いてくれ」
「ずっとシンシアに未練があるのかと思っていたけど、違う。ビビアンね。ビビアンがまた私の愛する人を奪って行ったんだわ!」
「違うよ、リリアナ」
「それじゃあどうして私に優しくしてくれないのよ!!ああっ、どうしてなの!?なんで誰も私を正しく愛してくれないのよぉッ!!」
「!」
空の酒瓶が飛んで来て、私は咄嗟にそれを避けた。背後で硝子の砕ける音がした。
「おい!危ないじゃないか!」
さすがに声を荒げるが、リリアナは聞いてもいない。酔って赤く染まった喉を晒し、ぐびぐびと酒を呷っている。
「……」
見る見る内に瓶の中の酒が減っていき、数秒で空になった。
「ぶはあっ」
酒瓶を置かず此方へ投げつけてくるかもしれないと身構える。
「ふっ、ふふふ」
笑いだした。
投げてはこないらしい。
「ちょっと!お酒は!?さっさと持ってきなさいよ!!」
空になった瓶を投げはしなかったが、テーブルに底を叩きつけ続けながら使用人を恫喝している。
「あんたたち何様のつもり!?私はラムリー伯爵夫人よ!あんたたちの御主人様よ!?わかってんの!?」
「お、奥様……」
使用人たちは戸惑いながら私に目で指示を仰いだ。
私は短く首を振り、これ以上リリアナに酒を与えないよう命じる。
「ねえ、なんで突っ立ってるの!?私に逆らうつもり!?誰のおかげでラムリー伯爵家に仕えていられると思ってるの!?無礼者!!クビよ!あんたなんかクビ!!」
無論、妄言だ。
リリアナにそんな権利はない。
私は安心するように伝え使用人を下がらせた。
「パトリック、なんとかして!ねえ、どうして何も言ってくれないの!?なんでそんな目で私を見るのよぅ!王国中に馬鹿にされて、使用人にも相手にされない……ねえ、パトリック。もう私にはあなたしかいないの。愛してよ。私を愛して。ビビアンなんか選ばないで。私にしてよぉ……っ」
泣いている。
出会ったあの日のように、さめざめと泣いている。
悲しく、痛々しく、世界中の誰よりもか弱い存在であるかのように。
──あなたは騙されているのではなくて?
ああ、そうか。
家族に苛められているというのは、嘘だったのだ。やっと認められた。
リリアナは自分こそが被害者だと思い込んでいるのかもしれないが、激しすぎる自己愛がそうさせるのだろう。
「パトリック、聞いてる!?ねえ、無視しないで!!」
「……」
うんざりだ。
限界だった。
「パトリック!!」
リリアナが私を呼び詰る。
毎日、毎日……泣いて、泣いて、泣いて、私に罪悪感を抱かせようとする。私を責め続ける。
リリアナの理想通りに愛さないのは、暴力であり、罪だと。
「……もう、やめてくれ……」
シンシア。
君との結婚生活なら、こうはならなかったはずだ。
互いに認めあい、励ましあい、支えあい、尊重しあいながら各々の務めに邁進したはずだ。それを讃えあったはずだ。
幸せになったはずだった。
私が愚かだったのだ。
「パトリック!こっち見なさい!見ろって言ってるんだよ裏切り者ぉッ!!」
シンシア……君に、会いたいよ。
154
あなたにおすすめの小説
「君は大丈夫だろ?」と可哀想な元恋人を選択した夫。~今さら復縁を迫っても、愛は既に錆び付いています~
水上
恋愛
夫と白い結婚をして、傾いた領地を努力と苦労の末に立て直した伯爵令嬢ヴィクトリア。
夫との関係も良好……、のように見えていた。
だが夫は「君は強いから」と、めそめそ泣く元恋人を優先し、ヴィクトリアの献身を踏みにじった。
その瞬間、彼女の恋心は錆び付き始めた。
「私が去ったら、この領地は終わりですが?」
愛想を尽かした彼女は、完璧な微笑みの裏で淡々と離縁の準備を始める。
これは、有能な妻が去り、無能な夫が泥沼に沈むまでを描く、冷徹な断罪劇。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
妹を選んで婚約破棄した婚約者は、平民になる現実を理解していなかったようです
藤原遊
恋愛
跡継ぎとして育てられた私には、将来を約束された婚約者がいた。
――けれど彼は、私ではなく「妹」を選んだ。
妹は父の愛人の子。
身分も立場も分かったうえでの選択だと思っていたのに、
彼はどうやら、何も理解していなかったらしい。
婚約を破棄し、妹と結ばれた彼は、
当然のように貴族の立場を失い、平民として生きることになる。
一方で、妹は覚悟を決めて現実に向き合っていく。
だが彼だけが、最後まで「元に戻れる」と信じ続けていた。
これは、誰かが罰した物語ではない。
ただ、選んだ道の先にあった現実の話。
覚悟のなかった婚約者が、
自分の選択と向き合うまでを描いた、静かなざまぁ物語。
婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました
由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。
彼女は何も言わずにその場を去った。
――それが、王太子の終わりだった。
翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。
裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。
王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。
「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」
ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
婚約破棄ですか?構いませんわ。ですがその契約、すべて我が家のものです
ふわふわ
恋愛
王太子ユリウスは、王立学園の卒業舞踏会で突然宣言した。
「カリスタ・ヴァレリオンとの婚約を破棄する!」
隣には涙を流す義妹ルミレア。
彼女は「姉に虐げられてきた可哀想な令嬢」を演じ、王太子はそれを信じてしまう。
だが――王太子は知らなかった。
ヴァレリオン公爵家が
王国銀行の資金、港湾会社の株式、商人組合の信用保証――
王国経済の中枢を支える契約のほとんどを握っていたことを。
婚約破棄と同時に、カリスタは静かに言った。
「では契約を終了いたします」
その瞬間、王国の歯車は止まり始める。
港は停止。
銀行は資金不足。
商人は取引停止。
そしてついに――
王宮大広間で王太子の公開断罪が始まる。
「私は悪くない!」
「騙されたんだ!」
見苦しく喚き暴れる王太子は、衛兵に取り押さえられ、床を引きずられるようにして連行されていく。
王太子、義妹、義父母。
すべてが破滅したとき、カリスタはただ静かに告げる。
「契約は終わりました」
〖完結〗残念ですが、お義姉様はこの侯爵家を継ぐことは出来ません。
藍川みいな
恋愛
五年間婚約していたジョゼフ様に、学園の中庭に呼び出され婚約破棄を告げられた。その隣でなぜか私に怯える義姉のバーバラの姿があった。
バーバラは私にいじめられたと嘘をつき、婚約者を奪った。
五年も婚約していたのに、私ではなく、バーバラの嘘を信じた婚約者。学園の生徒達も彼女の嘘を信じ、親友だと思っていた人にまで裏切られた。
バーバラの目的は、ワイヤット侯爵家を継ぐことのようだ。
だが、彼女には絶対に継ぐことは出来ない。
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
感想の返信が出来ず、申し訳ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる