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サヘル王子と私の婚約についてイゥツェル神教国への連絡はレミア姫によって事前に行われ、オーティス・ティウ王子誕生を祝う為に来訪した王家一族から祝辞と共に歓迎の贈り物が届けられた。
イゥツェル神教国を加護する祭祀の為にレミア姫の姉君であるカシュミラ姫だけは本国に残っており、国王夫妻と入れ違いでレロヴァス王国に甥の誕生を祝いに来る予定らしい。
「元々好かれていたから、むしろサヘルを貰ってくれてみんな感謝してるくらいなのよ」
改めてレミア姫の流暢な言葉遣いに感服するとともに、喜びと同じだけ恐縮してしまう。
赤子のオーティス・ティウ王子は常にレミア姫と一緒にいる為、侍医も常に傍におり、私の代理教育も日々の中で同時に進められていた。
オーティス・ティウ王子を取り上げた女官は度々王族の出産に立ち会っており、彼女も年齢からこれが最後の仕事になるだろうと積極的に異文化を学んでくれている。
元気で可愛らしいオーティス・ティウ王子を中心とする日々の生活は、幸せな笑顔に満ち溢れる穏やかなもので、自然とサヘル王子と私の恋愛が話題に上げられることが少なくなかった。
「私も45日間の準備をするのですか?」
ある日の昼下がり、話の流れで私が尋ねるとレミア姫は軽やかに笑って手を振った。
「シンシアはあんな面倒なことはやらなくていいわよ。異国人だからやらせないって意味じゃなくて、異教徒だから必要ないって話ね」
「そうなのですね。承知しました」
「むしろ、サヘルにこちらの花婿らしい修行をさせなくちゃいけないと思うのよね」
サヘル王子にもサヘル王子の人生があるのだから、無理矢理レロヴァス王国風の結婚を押し付けたくはない。
併し、今の私はそれをレミア姫に言ったところで無力だということも理解している。力関係は揺るがない。
「まあ、ファロンに任せておけば上手く育ててくれるでしょう」
可愛らしい声と口調で、此方の夫婦の力関係も如実に表すレミア姫である。
オーティス・ティウ王子をあやすレミア姫と、母子を見守る侍医。
穏やかな時間の中で、私はイゥツェル神教国の手引書に対応する簡潔な訳書を、代理を務める女官の為にしたためる。
「これは何と読むのですか?」
「これは発音が独特で、舌なんてないと思って喉で声を出す気持ちで言うと正確に発音できるのですけれど……」
扉の脇で護衛にあたるサヘル王子から受けた訓練を、聞かれているとわかっていながら我が物顔で伝える気恥ずかしさと、甘酸っぱさ。
平和な日々は愛に満たされて、美しい未来へと積み重ねられていく。
そんな日々の中で、事件は起きた。
オーティス・ティウ王子が生後半年を無事に迎え、公に姿を現す日を迎えた。
そうはいっても繊細且つ神聖な赤子なので、毎日正午頃に宮殿のバルコニーに立ちお祝いの為集まった観衆に元気な姿を見せるだけである。
その宮殿に押し寄せる貴族たちの中にラムリー伯爵家の名を発見し、胸騒ぎを覚えた。
レロヴァス王国の貴族として第六王子の誕生を祝うのは当然の義務であり、権利でもある。そこへ私の私情を挟むのはお門違いなのだけれど、やはり無感情ではいられない。
「はぁん?」
サヘル王子が剣呑な唸り声を上げた為、更にぎくりとさせられた。
「〝兄者、切り殺すなよ?〟」
「〝ええ、はあ……まぁ。はい〟」
「〝めでたい祝宴の最中、レロヴァス王国の宮殿を血で汚すようなことがあってはならぬ〟」
「〝はい……併し〟」
レミア姫とサヘル王子の鬼気迫る会話に肝を冷やした私は、今日だけは私情を挟み、元婚約者へ穏便且つ丁重に早めの帰城を促すべきかもしれないと悩んだ。
悩んでいるうちに、使者が、来てしまった。
「レミア妃殿下の侍女であられるクレイン伯爵令嬢に、ラムリー伯爵が至急面会をご所望です」
「行こう!」
サヘル王子が先陣切って声を上げた。
「……」
私は言葉もなく現在の婚約者を愕然と見上げた。
サヘル王子は稀に見ぬ冷徹な表情で私に手を差し伸べている。
「シンシア、追い返そう。お呼びではないとはっきり言ってやるのだ。行こう!」
「でも……ただ、お祝いに来ただけかと……」
「ティティの誕生を祝うにかこつけて未練がましくシンシアを指名したのよ。せっかくだから、特別に誰よりも先に婚約発表してあげればいいわ」
レミア姫が両国の名前を繋げた愛称でオーティス・ティウ王子を呼び軽い世間話を装いながら、笑顔で私たちを促した。これは指示と理解するべきだろう。
「……はい」
私は重い腰を上げた。
レミア姫とファロン王子の結婚という国を挙げての歴史的な婚礼があった為、宮廷騎士師団長ダルネル卿が自身の結婚を一年待っている。
サヘル王子と私は、そのダルネル卿とヒューソン伯爵令嬢ビビアンの結婚を待ってから公的な婚約発表をすることになっていた。
だからこそ元婚約者であるラムリー伯爵パトリックも私と面会などと考えてしまったのだと思うと、多少、気の毒ではある。間が悪く厚かましいとは若干感じるものの、悪気はないはずであり、そもそもお祝いに来た一貴族に過ぎない。
私にとっては過去の人であり、名前を聞くまで忘れているような相手だ。
併しサヘル王子にとっては少し意味が違うということを、私もよく理解していた。
命を取るわけでもない。
サヘル王子が対面を望み、レミア姫も私への関与を良く思ってはいないのだから、祝宴というある種の保険の中できっちりと決別するのもいいかもしれない。
私はサヘル王子と並んで歩きながら、そう自分に言い聞かせていた。
イゥツェル神教国を加護する祭祀の為にレミア姫の姉君であるカシュミラ姫だけは本国に残っており、国王夫妻と入れ違いでレロヴァス王国に甥の誕生を祝いに来る予定らしい。
「元々好かれていたから、むしろサヘルを貰ってくれてみんな感謝してるくらいなのよ」
改めてレミア姫の流暢な言葉遣いに感服するとともに、喜びと同じだけ恐縮してしまう。
赤子のオーティス・ティウ王子は常にレミア姫と一緒にいる為、侍医も常に傍におり、私の代理教育も日々の中で同時に進められていた。
オーティス・ティウ王子を取り上げた女官は度々王族の出産に立ち会っており、彼女も年齢からこれが最後の仕事になるだろうと積極的に異文化を学んでくれている。
元気で可愛らしいオーティス・ティウ王子を中心とする日々の生活は、幸せな笑顔に満ち溢れる穏やかなもので、自然とサヘル王子と私の恋愛が話題に上げられることが少なくなかった。
「私も45日間の準備をするのですか?」
ある日の昼下がり、話の流れで私が尋ねるとレミア姫は軽やかに笑って手を振った。
「シンシアはあんな面倒なことはやらなくていいわよ。異国人だからやらせないって意味じゃなくて、異教徒だから必要ないって話ね」
「そうなのですね。承知しました」
「むしろ、サヘルにこちらの花婿らしい修行をさせなくちゃいけないと思うのよね」
サヘル王子にもサヘル王子の人生があるのだから、無理矢理レロヴァス王国風の結婚を押し付けたくはない。
併し、今の私はそれをレミア姫に言ったところで無力だということも理解している。力関係は揺るがない。
「まあ、ファロンに任せておけば上手く育ててくれるでしょう」
可愛らしい声と口調で、此方の夫婦の力関係も如実に表すレミア姫である。
オーティス・ティウ王子をあやすレミア姫と、母子を見守る侍医。
穏やかな時間の中で、私はイゥツェル神教国の手引書に対応する簡潔な訳書を、代理を務める女官の為にしたためる。
「これは何と読むのですか?」
「これは発音が独特で、舌なんてないと思って喉で声を出す気持ちで言うと正確に発音できるのですけれど……」
扉の脇で護衛にあたるサヘル王子から受けた訓練を、聞かれているとわかっていながら我が物顔で伝える気恥ずかしさと、甘酸っぱさ。
平和な日々は愛に満たされて、美しい未来へと積み重ねられていく。
そんな日々の中で、事件は起きた。
オーティス・ティウ王子が生後半年を無事に迎え、公に姿を現す日を迎えた。
そうはいっても繊細且つ神聖な赤子なので、毎日正午頃に宮殿のバルコニーに立ちお祝いの為集まった観衆に元気な姿を見せるだけである。
その宮殿に押し寄せる貴族たちの中にラムリー伯爵家の名を発見し、胸騒ぎを覚えた。
レロヴァス王国の貴族として第六王子の誕生を祝うのは当然の義務であり、権利でもある。そこへ私の私情を挟むのはお門違いなのだけれど、やはり無感情ではいられない。
「はぁん?」
サヘル王子が剣呑な唸り声を上げた為、更にぎくりとさせられた。
「〝兄者、切り殺すなよ?〟」
「〝ええ、はあ……まぁ。はい〟」
「〝めでたい祝宴の最中、レロヴァス王国の宮殿を血で汚すようなことがあってはならぬ〟」
「〝はい……併し〟」
レミア姫とサヘル王子の鬼気迫る会話に肝を冷やした私は、今日だけは私情を挟み、元婚約者へ穏便且つ丁重に早めの帰城を促すべきかもしれないと悩んだ。
悩んでいるうちに、使者が、来てしまった。
「レミア妃殿下の侍女であられるクレイン伯爵令嬢に、ラムリー伯爵が至急面会をご所望です」
「行こう!」
サヘル王子が先陣切って声を上げた。
「……」
私は言葉もなく現在の婚約者を愕然と見上げた。
サヘル王子は稀に見ぬ冷徹な表情で私に手を差し伸べている。
「シンシア、追い返そう。お呼びではないとはっきり言ってやるのだ。行こう!」
「でも……ただ、お祝いに来ただけかと……」
「ティティの誕生を祝うにかこつけて未練がましくシンシアを指名したのよ。せっかくだから、特別に誰よりも先に婚約発表してあげればいいわ」
レミア姫が両国の名前を繋げた愛称でオーティス・ティウ王子を呼び軽い世間話を装いながら、笑顔で私たちを促した。これは指示と理解するべきだろう。
「……はい」
私は重い腰を上げた。
レミア姫とファロン王子の結婚という国を挙げての歴史的な婚礼があった為、宮廷騎士師団長ダルネル卿が自身の結婚を一年待っている。
サヘル王子と私は、そのダルネル卿とヒューソン伯爵令嬢ビビアンの結婚を待ってから公的な婚約発表をすることになっていた。
だからこそ元婚約者であるラムリー伯爵パトリックも私と面会などと考えてしまったのだと思うと、多少、気の毒ではある。間が悪く厚かましいとは若干感じるものの、悪気はないはずであり、そもそもお祝いに来た一貴族に過ぎない。
私にとっては過去の人であり、名前を聞くまで忘れているような相手だ。
併しサヘル王子にとっては少し意味が違うということを、私もよく理解していた。
命を取るわけでもない。
サヘル王子が対面を望み、レミア姫も私への関与を良く思ってはいないのだから、祝宴というある種の保険の中できっちりと決別するのもいいかもしれない。
私はサヘル王子と並んで歩きながら、そう自分に言い聞かせていた。
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