幼馴染か私か ~あなたが復縁をお望みなんて驚きですわ~

希猫 ゆうみ

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後日、セイントメラン城にフィンリー侯爵の訪問があった。

ノエル王子を乳母に託しグレース妃も同席した。
クリストファー殿下とグレース妃、更にはウォリロウ侯爵夫人も見守る中、私への正式な謝罪の場が設けられた形となった。

フィンリー侯爵は中年期に差し掛かった威厳と風格を兼ね備える大貴族そのものといった風貌であり、国を救った英雄としての貫禄が滲み出ている。
一見して、あのハリエットを妻に選びそうな人物には見えない。

私への謝罪も、最初から最後まで誠意の篭ったものだった。
私との身分の差を考慮すれば、フィンリー侯爵の態度は驚くほど謙虚であり、誠実だった。

「──私がもっと厳しく対処していたなら、これほど大事には至らなかったはずです」

離婚後までハリエットの不祥事の火消しに奔走しているフィンリー侯爵は、私からは謎めいた存在にも見えていた。

グレース妃は単純に怒っていた。

「詰めが甘すぎではありませんか?閣下」

長く丁寧な謝罪の直後、私の返答より早くグレース妃がフィンリー侯爵を手厳しく詰った。
そこへウォリロウ侯爵夫人も冷徹な一言を添える。

「守らなくてもいい者まで抱え込み過ぎです」
「……」

ちなみに、クリストファー殿下も珍しく鋭い眼光を他者に注いでいる。相手は無論フィンリー侯爵である。

フィンリー侯爵は、王弟夫妻の前だから私に詫びているわけではないようだった。
侯爵の表情や声音には責任を重く受け止めている真面目さと、下の身分の者への愛情が見受けられる。

グレース妃の言うように、フィンリー侯爵は甘いのだ。
国を救った英雄が、何故……

その疑問はこの場の誰しもが抱いている。

「閣下」

私は高貴な方々の口論が始まる前に口を開いた。

「私への悪意は逆恨みに違いありませんでした。ですが、閣下よりお詫び頂いても尚この心を苛むのは、そのせいでグレース妃とノエル殿下を危険に晒し、国王陛下に御迷惑をお掛けしてしまった事実です」
「責任は私と元妻ハリエットにある。あなたにも、殿下にも、陛下にも、重ねて深くお詫び申し上げます」

少なくとも国王陛下の最高権力によってこの件は解決を迎えている今、私が欲しいのはフィンリー侯爵の謝罪ではなく、フィンリー侯爵の理由の説明だ。

「ありがとうございます。もし、よろしければ、教えていただけないでしょうか」
「包み隠さずお話しすると誓います」
「何故そこまでして、ハリエットやマシューを庇われるのです?」
「……」

フィンリー侯爵は逡巡してから答えた。

「あなたを納得させるに足る理由とは思えないが……それでも、お話しいたします」

私は無言で待った。
やがてフィンリー侯爵は目線を落とし、囁くようにその低い声で語り始めた。

「私が陛下より大変な栄誉を賜った過去は、嘘偽りなく、輝かしい事実です。併しこの栄光は私一人で成し遂げたのではない」

瞳には哀しみが満ち、寂寞が切ないほど見て取れた。
フィンリー侯爵の声が震えなかったのは、既に悲しみが彼の一部になっているからだろう。

「私が皆の前に立ち名誉を賜った戦いは、多くの殉死者の上に成立している。王国の為、陛下の為、民の為に散ったのは多くの若い兵士たちの命だった」

共感するのは難しい。
それは反感や疑念ではない。

フィンリー侯爵の経験を軽々しく論じる人生が私の中にはないからだ。

だから共感はしない。
そのような感情は烏滸がましい。

ただ、その思考に至る筋立ては理解できる気がした。

そして私の予想は当たった。

「私は、若い命が輝く様を見たいのです。雄々しく、大胆に、時に傲慢でもいい、生きてその道を切り拓き歩む様が見たい。命ある限り過ちを悔い改め、やり直すチャンスは与えられるべきだと。私は信じているのです」

誰も口を挟めなかった。
フィンリー侯爵は戦いの指揮を執り生き永らえたが、決して無傷だったわけではないこともまた、王国の民ならば誰でも知っていた。

英雄の生還を誰もが喜んだ。
王国の勝利に、守られた事実に、歓喜した。

特別な絆を持たない者たちは、散った英雄たちを褒め称えながらも、次第に忘れていった。

フィンリー侯爵は決して忘れはしないのだ。

「ハリエットは若く、健康的で、愛と自信に満ちていた。輝いていた。彼女の人生の砦となり、その輝きを強め、見ていたかった」
「可愛いから脇に置きたかったのかと思っていました」

グレース妃はまだ辛辣に詰る。
責められたフィンリー侯爵は、それで少し気が楽になったのか、微かに笑った。

「妻はそう思って欲しかったようです。私は、夫としての資質は戦場で失ってしまった。妻に抱いたのは恋や情欲ではなく、崇拝でした。若さ、美しさ、輝き。誰よりも眩しく見えた」

単に外見に惑わされたという意味ではない。
フィンリー侯爵はハリエットに救いを求めたのだ。それは愛ある結婚とは呼べない。けれど、愛しあって結ばれる結婚とはまた違った尊さがある結婚だ。

フィンリー侯爵は相手を間違え、ハリエットは応えられなかった。
それだけだ。

もっといい女性を見初めてくれたらよかったのにと思わずにはいられない。

「崇高な目の眩み方ですこと」

ウォリロウ侯爵夫人が溜息まじりに呟く。
詰るようでもあり、揶揄うようでもあり、やはりフィンリー侯爵の表情を和ませた。

「戦況を見極める目が女の良し悪しを見極めるとは限らないからな」

クリストファー殿下が大真面目に、恐らくはフォローしている。

「偉大な英雄に離婚というケチがついて、可愛げが出た」

フォローを重ねたつもりであろうクリストファー殿下の手の甲をグレース妃がパシリと叩いた。

「あッ」
「ハリエットの愚行について、閣下が謝罪を重ねる必要はないように思います。ご覧の通りレイチェルは聡明な女性です。弁えています。これ以上は寧ろ過剰です。それより、若い者たちに望むように、閣下も内側の敵や守る価値もない者の存在を認め見極める方向で対人関係をやり直すべきでは?」

出産を経て恐いもの無しなのか、元々の性格か。
グレース妃がフィンリー侯爵を嗜めている。

「仰る通りなのでしょう。今回、よく学びました」

フィンリー侯爵は謙虚に応じた。
グレース妃は止まらない。

「マシューのこともそうです。頭のおかしいハリエットより、甘ったれのマシューを図に乗らせた件について謝罪していただきたいものですわ。閣下」

確かにそれもそうだった。
若くして散った名もない英雄たちと重ねるには、マシューは、あまりに頼りなさすぎる。こちらまで申し訳なくなってくるというものだ。

何をどう見ればフィンリー侯爵のお眼鏡に適うのか。
マシューには、ハリエットのような派手な魅力はあまりない。

「将来を棒に振る程の罪ではないと、お考えなのですね」

ウォリロウ侯爵夫人が冷静に口を挟んだ。
グレース妃は王宮から任命されて侍女頭を務めているウォリロウ侯爵夫人には特別の敬意を払っている為、彼女に対して感情的を解き放ちはしない。ウォリロウ侯爵夫人もそれをわかっている。

「レイチェル嬢には申し訳なく思いますが、コルボーン伯爵令息の過ちは若さ故というか……幼さ故の過ちだった。あなたの方が人格的にも、今では立場的にも格上の存在です。気にするなというのは横暴でしょう。併し、大目に見てやってはいただけないだろうか」
「……」

不満があるのではなく、あまりにも解せなくて眉を顰めてしまう。

「どなたか個人的な……殉死者と重ねていらっしゃるのですか?」

ウォリロウ侯爵夫人が無機質な声で尋ねる。
フィンリー侯爵は一度俯き、初めて息を詰まらせた。

語らせてはいけない。
英雄の心の傷を抉じ開けるには、私の破談など、到底、比べるまでもない軽傷だ。

私は僅かに身を乗り出す事でウォリロウ侯爵夫人やグレース妃の発言を封じた。

「閣下」

私の口からも切実な呼びかけが洩れる。
私は語調を和らげ語り掛けた。

「閣下。もし、マシューを目にかけることで閣下の心の痛みが癒されるのでしたら」
「……」
「彼は、甘やかし甲斐のある可愛い人です」

マシューの為ではなくフィンリー侯爵の為に。

「これからは道を誤らないように、他人様に迷惑をかけないように、……輝きが強まるように、ご指導ください」

フィンリー侯爵は誰を亡くしたのだろうか。
英雄は言葉も絞り出せないまま、私に深く頭を下げた。

もう誰も責める必要はない。
素晴らしい噴水のおかげでハリエットが収まるべきところに収まり、もう誰も、悩まされることはないのだから。

私にもトレヴァーがいるし。

「ふむ」

クリストファー殿下が感心したような声を発し、いつものように毛先を摘まんでくるりと回して言った。

「マシューはつまり、男運がいいんだな」

全て笑い話になった。
今は乾き、呆れ、悲しみさえ漂う笑いだとしても。

時間は流れていく。
私たちは、此処に今、確かに生きているのだから……
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