魔法使いの同居人

たむら

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この中に魔女がいる

8話

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 俺と夜子と一ノ瀬、三人での打ち合わせは夜子の衝撃的な告白により一時中断になった。

 彼女の話を信じきることはできなかったが、かといって完全に否定もできず、これ以上議論することは不可能という結論になった。頭を整理するための時間が必要という話になり、昼食だけ取ってその場は解散となった。

 二人の部屋は一階にあるため、俺は一人で二階へ向かった。階段を昇った左手の中で、手前から二つ目が俺の部屋となっている。右手の一番奥は神藤と彼女が籠っている部屋だ。

 俺は足音を殺して歩く。神藤たちに俺が来たことを知られないためだ。赤茶色のカーペットがクッションとなり、足音は自分の耳にかろうじて届く程度しか響かなかった。

 自室より一つ手前の部屋の前で足を止めると、周囲に人影がないことを確認してから控えめにノックした。少しの間を置いて、音もなくドアが開く。

 十センチほど開けられた隙間から、女の右目が現れた。こちらを覗く大きな瞳は、俺の足から頭までを値踏みするように観察している。その後、人が通れる程度に扉が開かれた。

 目の前に立つ少女に俺は思わず息を飲む。

 端正な顔立ちに、小柄ながらもバランスの取れた体型。年齢は夜子と同じくらいだろうが、同年代の子には無い品格が感じられる。「美少女」という言葉が具現化されたような少女だった。

 彼女の名前は「アリス」という。本名かはわからない。名前だけ聞くと外国人みたいだが、容姿からは日本人とも外国人とも判断がつかなかった。

 アリスは黙って俺を見上げている。無表情なはずなのに、視線だけは刃物のように鋭い。「睨みつけられている」という形容がしっくりくる。美少女に睨まれると、落ち着かない気分になる。

「鏡音と話がしたい」

 端的に要件を伝えると、アリスはくるりと室内に振り返った。

「兄様。お客さんがいらっしゃいました」

 先ほどの冷たい表情をした少女とは別人のような甘ったるい声で、彼女は部屋の中へ呼びかける。

「入っていいぜ」

 室内から男の声が聞こえる。
 俺は促されるまま部屋に足を踏み入れる。

 椅子もあるというのに、絨毯に直接座る上下黒色のジャージを着た男がいた。足元にはトランプが散らばっている。男が片手を上げながら簡単な挨拶をしてきたので、俺も同じように返す。

 男の名は鏡音という。
 アリスと同様に、それが本名であるかは定かではない。日本人ではあると思われた。

 アリス跳ねるように床を蹴り、男の正面の位置に軽やかに座ると「さあ、続きをしましょう」と床に置かれたトランプカードを手に取った。来客を構うつもりはないようだ。

「お前もやる?」

 鏡音が言うと、アリスは鏡音には見えない位置から「邪魔をするな」という顔でこちらを睨みつけてくる。

 元よりトランプに興じる気分ではなかったが、ここまで露骨に拒絶されるといい気はしない。

「いや、やめとく」
「そっか、残念」

 さして残念そうな様子もなく、鏡音は言う。

「兄様、次は何をしましょうか?」

 アリスは流れるような手つきでカードをシャッフルしながら、鏡音に満面の笑みを見せる。この少女は顔を向ける方向によって表情が変わるみたいだ。

「どうしたもんかな」

 鏡音は頭の後ろで手を組んで天井を見上げた。

「なあ、トランプでできるゲームで、実力の要素が一切ない完全な運ゲーって知ってるか?」

 鏡音が俺に意見を求めてきたので、俺は「ババ抜きでいいんじゃないか」と思いつくままに答えた。こちらとしてはさっさと本題に入りたいところだが、こんなことで機嫌を損ねてしまうのもよろしくない。

「ババ抜きなんて百回以上はやってるっての。もっと別のゲームを教えてくれよ。わざと負けたりできないやつを」
「わざと負けるってなんだよ。ババ抜きだって、狙って負けることなんてできないだろ」
「アリスとババ抜きをやって、負けたことないんだよ」
「そんなわけあるか」
「それがマジなんだよな。どんな手を使っているのか知らんが、何度やっても絶対に勝っちゃうのよ」

 それを聞いたアリスが左右に首を振り、困ったという態度を大げさに表現する。

「兄様、それは誤解です。私はいつだって本気です。それでも兄様が必ず勝ってしまう。これは兄様が神に選ばれた人間だからとしか考えられません。いいえ、神なんかよりもずっと高みの存在です」
「こんな感じで毎回はぐらかされるんだ。だから、何とかして負けてやろうと、手を変え品を変え挑んでみるんだが、どんなゲームをしても一回も負けられねぇの。ちなみに、じゃんけんは千連勝以上してる。試してみるか?」

 二人は立て続けに十回ほどじゃんけんした。そして本当に鏡音がすべて勝利してしまった。

「どうだ?」

 そう言われても返す言葉がない。少なくとも俺の目にはアリスがインチキしているようには見えなかった。首をひねる俺と鏡音をよそに、アリスはうっとりとした表情を浮かべ、いろんな言葉を駆使して鏡音を称えだす。

 試しに俺と鏡音でじゃんけんをしてみると、結果は俺の六勝四敗だった。おおむね確率通りだ。鏡音が異常なまでに運がいいというわけではないらしい。やはりアリスが何かをしているということなのだろう。

 しかし、俺がじゃんけんに勝つ度に、アリスの目に殺意が宿っていくことに気づき、これ以上この件について踏み込むのはやめにする。

 ここらで本題に入ることにしよう。

「今日も一人殺されたよ」

 東館に隔離されて以来、ずっと自室に引きこもり、周りとの協力を遮断していた鏡音たちに、俺は今日起きたことを順を追って話した。内部分裂が発生したことも、夜子が魔女だと告白したことも包み隠さず打ち明ける。

 鏡音はときおり相槌をはさみながら、終始興味があるのかないのかわからない表情で聞いていた。

 アリスにいたっては俺の声が届いていないのではと思えるほどの無関心だった。鏡音以外の言葉は彼女には聞こえていないのかもしれない。

「残された三人で話したんだが、犯人を捜そうという意見も出た。でも捜すまでもないんだ、だって――」
「事件を起こしているのは、殺し屋である俺だからな」

 鏡音が不敵な笑みを浮かべる。

「そして俺に殺しを依頼したのはお前だ。つまり犯人は俺であると同時にお前でもある」

 俺は黙って頷く。彼の言う通り、犯人がいるとすれば、鏡音に殺しを依頼した俺自身に他ならない。犯人でありながら、応接室でよくあれだけふてぶてしい態度が取れたものだと我ながら感心する。

「でも大丈夫なのか? あんたたちが部屋に籠って単独行動をしていることで犯人だと疑われはしないかな?」
「問題ねぇよ。俺の殺しはいつだって完全犯罪だ。いくら怪しかろうと、俺が殺したという証拠が出ることはあり得ない。例えベイカーストリートから名探偵がやって来たとしても、俺を捕まえることはできねぇのさ」
「そうかもしれないけど。証拠がなくったって疑われる行動は控えるべきじゃないか?」
「他のやつらと行動を共にしたところで疑われことになると思うぜ。集団の中で俺とアリスが浮かなかったことなんて一度たりともなかったからな」

 その意見には同意せざるを得ない。人殺しが起きているシチュエーションで、深刻さの欠片も感じないこの軽薄な男と、絶世の美少女のコンビが違和感なく他のメンバーに溶け込む姿は想像できない。俺だったら、真っ先に疑う。

「せめて兄妹って設定はやめたほうがいいんじゃないか。無理があると思うぞ」
「んなこと言われてもなぁ。恋人とでも説明すれば怪しさが隠せると思うか? 俺たちのうさん臭さは一級品だぜ」
「恋人⁉」

 鏡音の言葉に、それまで黙っていたアリスが即座に反応した。顔を赤く染めて、身体がくねくねと揺らす。

「恋人なんてとんでもないです。私が兄様の恋人だなんて、不釣り合いです。絶対に怪しまれてしまいます」

 不釣り合いという意見には俺も賛同だ。しかし、どっちがどう不釣り合いなのかについては、認識齟齬がありそうだった。ただ、それを口にすると遺恨を残すことは避けられないので、心の中だけに留めておくことにする。

「つーわけで、兄妹って設定が一番無難な選択なんだ。わかったろ?」
「まあ、そんな気がしてきたよ」

 絶世の美少女との関係を聞かれて、なんと答えたところで納得はされないだろう。だったらこれが最善策なのかもしれない。もちろん、「殺し屋のコンビです」と言うのはもってのほかだ。

「なあ、こんな出来事が明日以降も続くのか?」

 俺は不安を口にする。鏡音は「さあな」とそっけなく返してきた。

「続くかもしれないし、続かないかもしれない」
「そうか。そうだよな」

 事件が起きたときの皆の絶望的な表情を思い出し、鬱屈とした気分になる。またあれが繰り返されることを想像して憂鬱な気分になる。

 そんな俺の気持ちを察知したのか、鏡音は眉をひそめた。

「今さら引き返そうってんじゃねぇだろうな」
「そういうわけじゃないけど」
「ここまで準備したんだ。今さら殺しの中止なんて出来ないからな」
「わかってるって」
「煮え切れない態度だな」

 鏡音は怪訝そうに俺を見つめる。値踏みするような視線に、顔をそむけてしまう。

「とりあえず、明日以降も俺は一ノ瀬千花と楓夜子の二人と行動を共にするよ。そっちは好きにしてくれ」
「もとからそのつもりだっての。けどな――」

 鏡音から微笑が消え、真剣な顔で彼は言う。

「お前もあんまり勝手な行動はするなよ。死にたくなければ俺たちの傍にいろ。巻き込まれたくなければな」

 背筋が凍りついた。人を人とも思わない冷たい表情に、この男が殺し屋であることを改めて思い知らされる。鏡音もアリスも俺とは住む世界が違う住人なのだ。

 俺は拳を握りしめ、身体の震えを押さえつける。

「わかってるよ」

 そう答えると、俺は部屋を後にした。

 すぐ隣の自室へ戻ると、内側から鍵をかける。密室殺人が起きた以上、この鍵がどれだけ当てになるかはわからないが、しないよりはずっとましだ。自分にそう言い聞かせ、動揺した気持ちを落ち着かせる。

 ベッドに横になろうとしたとき、変装用のカツラを付けっぱなしだったことに気づいた。念のためもう一度ドアノブがロックされていることを確認してから、俺はカツラを外した。
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