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永井
しおりを挟む大運動会は2泊3日、北海道で行われる。
少々移動に時間がかかるので1日目と3日目はほぼ移動日だ。大文化祭の時のようなベータっぽい行動は慎み、初めての飛行機だったが大人しくしておいた。
1日目は移動と予行練習日。
現地に到着してホテルに荷物を置いたら、全体の流れと個人競技の人の集合時間と場所の確認、クラス競技では位置の確認と素早く移動する練習もした。
あと残りの予定は、大運動会のために作られたアプリの運営テストが待っているという頃。
競技場のトイレで騒動が起きた。
誰かが凄まじい威圧フェロモンを出しているらしい。
伝播して聞こえてきた声の中に「永井」の名前が聞こえた。野次馬根性のあるやつが確認に行くと、本当に騒動の原因は永井だった。また、そいつが言うには「このまま放置すると永井は明日の大運動会も出席停止になりそうだ」という。
大縄跳びの回し手の補欠はいないのに、と焦る大運動会運営委員の2人が慶介に言った。
「運命の番ならなだめられるかも知れない。」
と。慶介は2人の言う意味が分からないが、皆もそう思っている様子に慶介だけがポカンとしていた。ただ、酒田も反対する様子がないので「じゃぁ、まあ、行くだけ行ってみますけど・・・」と向かうことにした。
凄まじい威圧だと思った。
獰猛な犬が噛み殺さんと吼え唸るような、ヒトとして本能的に恐怖を感じる威圧だ。
永井が東京校の3年生に馬乗りになって襟首掴んで抑え込んでいる。勇気ある誰かが止めに入るが永井は易易とそれらを振り払い、決してその3年生を逃さない。
永井の威圧は、周りの人間たち全てに対する敵意と殺意に満ちた怒りの感情をバチバチに感じる。
周りの皆が威圧に気圧されて近づけもしない中、慶介は1人なんとも涼しい顔で騒動の輪の中心へ歩みを進め、近くまで行き声をかけた。
「永井、どうした。何、そんなに怒ってんだ?」
慶介を見た永井の威圧がみるみるしぼんでいく。
「このままじゃ、お前、運動会に出れなくなるみたいだぞ。何があったか知らねぇけど、その辺で止めとけって。」
「・・・慶介・・・。」
永井がやっと獲物を手放し、フラフラと慶介に寄っていき、呟いた。
「慶介・・・、あいつ、殺したい・・・。」
「殺す?ーーいやいや、殺人はダメだぞ?」
永井の威圧がじわじわと膨らんでいく。慶介は焦ったし、困った。
えぇ~、殺したいは比喩じゃねぇのか?・・・うーん、なだめるって何したら良いんだ?・・・えっとー、そうだなぁ、・・・あ、そうだ!
慶介は自分よりも7cm高い永井の頭をナデナデしてやった。
「永井、良く我慢したな。偉いぞ、ヨシヨシ。」
その瞬間、永井が大量のフェロモンを放出する。誘引フェロモンとは違う別の謎のフェロモンは威圧フェロモンを一掃した。
永井がひしと慶介に抱きつく姿はでっかい子どもの様だ。慶介は子どもをあやすように背中をトントンして、永井の心が落ち着くのを待った。
ゆっくりと顔を上げた永井はいつもの傲慢不遜な笑みをたたえ言った。
「やっぱ、お前が俺の運命だわ。」
そして、慶介の唇におふざけみたいなキスをした。慶介は唇が受けた初めての柔らかな感覚を確認するように自分の唇を指でつまみ、呆然としたまま固まった。
さぞ、怒るだろうと思っていた永井は拍子抜けだ。ここで煽るようなことを言ってしまうのが永井の残念なところだが、つい口を突いて出てしまった。
「うばっちゃった~。」
みるみるうちに慶介の顔が染まっていく。恥ずかしさの赤から怒りの赤になり、酒田より弱いがしっかりと重みのある腹パンと肩パンチを甘んじて受け止めて声を上げて笑った。
さっきまでの騒動の張り詰めた空気は消え去り、周りは何を見せられているのか?と呆れ、和やかな空気になり、騒動は納まった。
その夜。慶介は永井に呼び出されホテルのラウンジに来ると、酒田と木戸、そして、今までに見ない真剣ながら弱った顔をした永井がいた。
「慶介、俺の話、聞いてくれるか。」
そうして語られた永井の輝かしい経歴と辛い過去。
永井の柔道は小学生のうちから大会で優勝したりして、将来を期待されていた。それを柔道の強化選手に選ばれるためにも中学は東京に来てはどうか?と言われ、永井はそれに乗った。
柔道一色の中学校生活。優秀な指導者、競い合える仲間やライバルたち。永井の力と技はメキメキと伸び、磨きがかかっていった。
そうして迎えた中学生の一番を決める柔道大会を目前にしたある夜、学校の帰り道で永井は金属バットで頭を殴られ頭蓋骨を骨折した。
幸いにして命に別状はなく、後遺症もなかったが、大会出場は断念させられた。この事件、永井は、犯人をフェロモンで特定していた。当時中学3年の柔道大会の2連覇を狙っていた先輩だと気づいたが黙っていた。
後ろ暗いところがあったその先輩は精神的な動揺からか、優勝を逃した。永井は大会が終わったあと、その先輩に向かって「2連覇をした後で、その輝かしい栄光をぶち壊してやろうと思ってたのに、腰抜け野郎」と言って告訴した。
その翌年、中学2年になった永井は実力を見せつけるように中学生柔道大会で優勝し、翌年の中学3年では世界U-18柔道選手権で7位の素晴らしい好成績を収め、当然、中学生柔道大会も優勝し2年連続優勝を勝ち取った。
高校生になった永井は、もしかするとオリンピック最年少メダリストも夢じゃない。などと言われる程に期待されていた。
そして、強化選手入りが決まる大会の目前で、永井はまたもや襲われた。
今度は、相手が複数人で最初にスタンガンで体の自由を奪われた後、殴る蹴るの暴行をうけ、その中で膝の皿を割られるという致命的な傷害を受ける。
実行犯は逮捕されたが、依頼人と目される男は証拠不十分で釈放され、その後、その男は大会に優勝し永井がなるはずだった強化選手に選ばれた。
それを膝の手術後に知った永井は怒髪天を衝き、怒りの感情のままに威圧を撒き散らした。
あんなに永井に期待を寄せていた人々がその男を守るようにかばい、永井の行動を責め、部活からは退部勧告を言い渡される。さらには、学校からも出席停止命令を受け、自宅でのオンライン授業にさせられた。
柔道が出来ない体、状況、環境に追い込まれた永井は、もう東京にいる意味はない。と、柔道選手という人生を諦めて大阪に帰ってきた。
昼間、永井が殺したいと言っていた3年生が、永井の代わりに大会に優勝し強化選手に選ばれた男であり、永井が真犯人だと思っている男だ。
そいつが言ったのだ。
すれ違いざまに「膝は治ったか?」と。
永井は抑えていた怒りが爆発した。犯人かも知れないヤツが堂々と闊歩し、栄光を手にしている。一方、こっちは膝に爆弾を抱えて、強化選手候補としての療養やリハビリの機会も奪われて、永井は選手の夢を諦めざるを得なくなったのに。
「それを思うと、怒りが抑えられない。」
永井から怒りの威圧が漏れだし、すかさず慶介が永井の頭を撫でてやると威圧は霧散した。
不遜な笑みの中に悲しみがにじむ永井に、慶介は初めて好感を抱いた。ずっと押されっぱなしだった慶介がやっと永井の方へ踏み込み、知る事ができたからだと思う。
「でも、慶介の匂いを嗅いでいると怒りが凪いでいく。」
「ははっ、俺はリラックスアロマか。」
慶介は酒田以外に許していなかった気安い関係の1つ、髪グシャグシャを永井にもしてやった。
まぁ、永井も短髪だし、風呂上がりのセットも何もしてない髪なので何の被害も無いけど。
「しかたねーから、運動会の間だけは匂い嗅ぐの許してやるよ。いいよな、酒田。」
「慶介が決めたなら、そうしたら良い。」
チャンスとばかりに慶介の腰を抱く永井。「そういうのは違う!」と剥がそうとする慶介。心の回復がしたい。と弱った声で言われたら、なんとも言えなくなったので、顔だけ遠くに押しやりながら聞いた。
「そう言えば、木戸がここにいるのはなんでだ?」
「情報開示命令だ。」
情報開示?永井の話のことか?酒田を見ると、反省の色が見える。つまり、酒田が何か意図的に情報を隠していたということか。
「酒田は、君に永井の中学時代の事件と高校で負った怪我とその経緯を隠していた。君が、永井に遠慮する可能性を危惧して。」
「遠慮?」
「もし、もしだぞ?慶介は、永井がレイプしてきた時、怪我した膝を逆に攻撃出来るか?抵抗してる最中に、膝を押さえて、痛てて、なんて言われたらむしろ気遣ったりしないか?・・・永井に同情して引き込まれるおそれもあった。だから、隠してたんだ。」
「だが、大運動会中の永井をなだめるには君を頼るしか無い。永井の過去を隠したままには出来なかったから、風紀委員として命令した。」
「じゃあ、みんなは知ってんのか?」
うなずく2人。これは慶介が情弱なのではない。バース社会が狭すぎるのだ。
「慶介、知ったからには、永井に同情し過ぎるな。本気で抵抗する時は膝を狙え。」
酒田は慶介から永井を剥がして、ジャージを捲くりあげ、見せられた永井の膝の怪我の跡。
「部活中に試したんだ。膝の少し上、ココをやや外に向けて押し込むように蹴ると良い。こうやるんだ、・・・ーーな?ここを狙えば永井でも、バランス崩すか避けようとして一旦引く。」
それに向かって一切の躊躇なく、本当に足を蹴り込み、やり方をレクチャーする酒田。
慶介は内心、苦笑いで思った。
(酒田、お前も、結構ヒドいことできるんだな・・・)
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