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オメガの心

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*酒田視点から始まります。
ーーーーーー


 今日は慶介の服を永井に届ける日だ。

 追けて来た前科がある永井には待ち合わせではなく、永井の家まで届けることになっている。

 インターホンを押さずとも、玄関先で既に待っている永井に慶介の服を渡し、前回の分を回収する。

 永井は受け取ったらすぐに、ちょっとだけチャックを開けて服を抱き締め、溢れてくる匂いを取りこぼさいないように大事に嗅ぐ。
 険のある顔が緩んで、ヤバい目がイキイキと生気を取り戻す姿を見ると、苦々しい気持ちよりも幼馴染として安心する。

「・・・慶介って、シャツ一枚で部屋の中、過ごしてたりする?」
「いや、Tシャツ着てるが?」
「次の服、インナーとTシャツの2枚、持ってきてくれよ。」
「それなら、たぶんOKもらえると思う。」
「本音を言うとパンツが欲しい。」
「誰がやるかっ!」


 永井が家に入って鍵を締めたのを確認してからその場を去る。慶介の服の中にGPSなどの機器が隠されていないかのチェックをしたあと、永井のフェロモンが一切残らないよう洗濯しなおすために、酒田の家へ向かう。
 前回の持ち込んだ慶介の服を酒田の母親から受け取って、今回の分を頼んで、母親のお茶に付き合って近況報告をして「しっかり励むのよ」との言葉で送り出される。


 母親に見せた明るい顔をため息と供に捨てて、赤信号を目線だけで確認して夏の暑さにうなだれた。
 姿勢が悪くなると引きずられて気持ちも落ち込む。

(慶介は入院以降、何かを隠している。多分、本多さんは知ってて秘密にされているんだ。俺と重岡さんにだけ明かされない。水瀬さんは知ってるかもしれないし、知らないかも知れない。けど、水瀬さんはどっちだろうと仕事をするだけだから、気にしないだろうな。)


 淡路島の一件で、酒田は実感した。
 自分はもう信頼されていない。

 慶介はベータの友人たちに辛い気持ちを打ち明けて、ベータの彼らは慶介の心を癒やした。同じ土俵にも上がれないと思っていたはずのベータが酒田の役割を奪い、慶介が遠ざかっていく。足元がぐらつくほどの衝撃だった。
 信頼されていたのは俺ではなかったのか?そんなに俺は頼りないのか?なぜベータなんかに頼るのだ?と、嫉妬が渦巻き、彼らを敵視してしまった。
 慶介を大事に思い心配するのはベータの彼らも同じなのに。

 酒田に明かされない慶介の秘密はそうとう深刻な事なのだとわかった。でも、わかったのはそれだけだ。なにがどう深刻なのかは分からない。でも、なんにしろ、その秘密は慶介がベータの友人たちに堪えきれずに涙を見せるほどの我慢をしなければならない「辛い事」なのだ。
 分からないままでは、配慮のしようがない。酒田は自分がどう動くべきなのかが解らなくて焦燥感ばかりが募って、嫌な想像ばかりをしてしまう。


(慶介、何を、隠してるんだ?)


 酒田はポケットの中で拳を握った。



**


 永井の家に向かう酒田を見送ってしばらく経ってから、珍しく休みだという景明に呼ばれた。


「慶介、話がある。」

 慶介の自室に2人きりになると、景明はバックからポーチを取り出し、中から紙の袋が出されて、慶介の顔色が変わる。

「慶介。俺の部屋に勝手に入った事は、この際、許す。問題は、これや。ーー8月分の薬がなくなってる。学校に行っていない夏休みは弱い方の薬を飲むはずだったよな?何でなくなってるんや?」

 慶介の顔から血の気が引いていき、頭の中は言い訳の言葉が駆け巡り、視線が彷徨い、あるはずのない逃げ道を探して、口は乾いていく。

「・・・っ、・・・。」
「警護に嘘をつくな。正直に言え。」
「・・・は、腹が、痛くて・・・。」
「どんくらい痛む?」
「ほんとに、ちょっと。違和感あるなぁ、程度。」

 景明の圧のある視線が慶介の表情を捉え続ける。ついに、慶介は滲み出る涙を留められなくなった。

「・・・・・・認めたく、なかった。永井じゃなきゃダメなんて。」

 景明の厚く柔らかな手が慶介の頭を包むようにグリグリと撫でた。
 この手は警護の手じゃない。叔父として甥の慶介を、家族として、素直に心配してくれている。そういう気持ちを踏みにじり、お互いに信頼しあえるから成り立つ「部屋に勝手に入らない」という当然のルールすらを破ってしまった。
 慶介は「ごめんなさい」と、繰り返し謝った。

 景明が、深く重いため息をついた。


「永井はだめか?・・・永井は俺の教え子の中でも一等優秀だ。古臭い言い方をするなら超弩級の上位アルファだ。怪我がなかったら、本当に世界一に君臨したやろう。・・・性格はキツいが、あの手の優秀なアルファは自分のオメガにはメロメロになるからな、生活には苦労せんし、どんな我が儘も聞いてもらえる。家柄も悪くないし、柔道ができなくても素質が優秀やからいくらでも育てられる点においては将来有望や。釣書だけで見るならウチに届いた釣書の中でも一番候補だ。・・・・・・永井はそんなにダメか?」

 景明の言わんとしていることが捉えにくい。
 でも、多分、伝えるべき言葉は、

「・・・だめじゃ、ない。ダメじゃないけど・・・」

 慶介は続きの言葉を飲み込んだ。
 景明は先程の「警護に嘘をつくな。正直に言え。」を繰り返して慶介の口をこじ開けた。

「・・・っ、さ、酒田がいい。」

 こじ開けられた口は閉じることのできないまま、慶介の心が、言葉になり、音になり、景明に打ち明ける事になってしまう。

「つ、番とかよくわかんねぇけど、一緒にいるのは酒田がいい。ーー酒田がいいけど、駄目だったんだっ。酒田の匂いじゃ腹が痛いの治らなかった・・・!このままじゃ、酒田と番になったとしても、腹が痛いのは治らないままかも知れない。もし、番になってしまったら、もう永井の匂いは拒絶反応で駄目になるって医者が言ってた、そうなったら俺は・・・。どうしたらいいか、もう、わかんねぇ・・・」

 谷口に「付き合っちゃえよ」と言われてから慶介は、自分の中で酒田を友達と呼べない感覚があることを認めざるを得なくなった。そうすると、ズンと重い腹の痛みが、普通の抑制剤に追加分を足しても残る違和感すら、とてつもなく許せなくなった。
 何とかならないか。と酒田のインナーを盗んで、夜、抱えて眠ってみたけど朝一番に感じる鈍痛は消えなくて、こんなに心は安心で和むのに、どうして?と望みが断たれて行く現実が憎くて仕方がなかった。

 心が弱るほどに、余計に思うのだ。こんなことは何の解決にならないというのに、なんという無駄をするのだ。と。痛みを、違和感を、薬で消したって、その先にあるのは30代後半には始まる記憶障害と50歳まで生きられない現実。根本的に慶介の体は永井のフェロモンを求めていているのだから、心を騙してでも生きながらえるほうが正しい。

 そう、正しいと分かっている。だけど、


 涙が滲み出て、溢れて、拭って、泣くのを堪えて、やっぱり流れて、半そでの袖口が濡れてペタリと腕に張り付いた。

「隠すから1人で悩むことになるんだ。何とかならんか、俺も考えてやるから、これからはちゃんと相談しろ。お前の警護は酒田だけやないんやぞ。」

 ヘッドロックをかけるみたいな力強さで、景明の胸に押し込められた慶介は声を押し殺して泣いた。


「俺、なんか、最近泣きすぎな気がする。」
「当たり前やろ。それだけの事抱えとるんやから。」

 泣きすぎて頭が痛くなってきて、ベッドに横になる慶介に、景明がタオルケットをかけながら「泣いた痕跡を隠したいなら、しばらく寝て、上に上がってくる時には鏡で顔を確認してから来い。夕飯まで寝てていいぞ」と、言い、景明にしては珍しく視線をずらして言った。


「ーー薬、いつでも止めてええ事、忘れるな。」


 慶介はしっかりとうなずいた。










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