松岡さんのすべて

宵川三澄

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イケメン

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そんな由多花の気持ちを知らずに狭い通路に立ち尽くした、その、どこぞのファッション誌から抜け出たようなイケメンは 由多花に目を釘付けにしている。
「え、なんで ここいんの…」
人違いです、と言おうとしたとき、イケメンから意外な言葉が出た。
「今日、チームは劇場じゃないの…?」

……完全に間違っている……か? もしかして、でっかい独り言か? もしかして。

「私、マミナじゃありません。それとマミナは今日はアンダーのMV撮りで沖縄ですよ」
「えっ!? ごめん、俺、声に出していた!?」

……。痛いイケメンだった。やっぱり…。
……アンダーガールズの予定暗記している私も相当だけど。
そうか、マミナってやっぱ、お知り合いではなく。この人は。

「…似てるって言われない?」

そう言ってその男は軽く笑った。酒の匂いがする。相当飲んでいるようだ。まだ早い時間なのに。
出来上がっているなー、と由多花はイケメンをまじまじと見た。
目じりに黒子。そのイケメン声でそいつは爽やかに笑う。なので、つられて由多花も笑った。
イケメン得だなー、と思いつつ、テーブルに頼んだものが来ていたので 由多花は軽く会釈して席に戻った。

サラダも海老のトマトソースパスタも美味しい。そして、ホッケも身がしまっているし、ホタテのバター焼きはやっぱり最高だ、と真剣に咀嚼する。この店は海鮮がやっぱり美味しいなぁと思い、ふと見渡すとさっきのイケメンがこちらを見ている。
そんなに似ているかな? とも思ったけれど無視して食べる。
…不思議だ。あのイケメンの視線があるのに、まるで気にならない。これが他人との距離がある安心感なのかな? と自分の心理分析。 今北には嫌われたくないという心理が働いて、食べることが出来なかったのかなと思うと 今度は悲しくなってきた。お酒のせいかなあ、と三杯目のサワーをちびちび口にする。

すると、誰かが由多花の目の前に座った。びくりとして顔をあげるとイケメンが座ってる。

「大丈夫? 飲みすぎじゃない?」

馴れ馴れしいなぁ、と思いつつ、なんとなく、イケメンがここに移動した理由に思い至った。
「マミナ押し?」
ニヤニヤ笑って由多花は男を見やる。イケメンはまた爽やかに笑う。うん、と頷きながら。
「待って、当てる。――モリちゃん押しでしょ」
「ブブー! アリスちゃん!」
言って、由多花とイケメンは声を合わせて笑った。由多花は酒の勢いもあってか、いつもよりずっと大きな声で笑った気がする。

そう、在宅――劇場に行けない地方都市住まいは、こうしてファン同士で話す場に飢えているのよ!
沙菜はジャニオタだけど、女の子グループには全然興味持たないからなー!

それからは堰を切ったようにアイドル談義で盛り上がった。

――イケメン、すごい。面白い!

今日はとっても特別な日だ。

――イケメンのこの残念さ! たまらん! と由多花とイケメンのテンションはマックスまで上がり――。

そして、その日、由多花は初めて男と寝た。





ガンガンとなる頭を抱えて由多花は陽の昇りきらない外を見た。

あ・り・え・な・い――…。

しかし、恐ろしいことに全て覚えているのがやりきれない。
そうだ、あの後 河岸を変え、イケメンと飲み明かし、誘ったのは由多花だ。
確かこう言った…。
――イケメンに振られたから、イケメンに捧げるはずだった私の処女をイケメンが責任とって貰って下さいよー!

「………痛い」
アタマじゃなく。もう、自分が…。主語なんだよ、早口言葉かよ、と突っ込みたい。
スプリングの利いているベッドはダブルベッドだ。
その部屋を落ち着いて見渡すと随分広い。でも、ホテルじゃなさそう…。
ベッドの上には自分一人。
かすかにシャワーの音がするので、イケメンはまだここにいるのか? と由多花はそっと荷物を確認する。貴重品はなくなっていない。ベッドの下には、夕べ乱れて脱いだ服がそのままの形で床に散らばっていた。これはまた痛々しい。
勇気を出してゴミ箱を覗くと 使用済みの避妊具がティッシュから少しはみ出て見えた。
泣きそうになったが なんとかこらえた。

――よく、勢いでもセックスなんて出来たなぁ。

中学生のときに、どうしても温泉に入りたくて アプリケーター付を使用してトイレでお母さーんと叫んだのは私です。あのとき、一生エッチなんて無理と思った。
思ったより痛くなかったと記憶している。きっと、イケメンが優しくしてくれたおかげだ。可愛いと沢山言ってくれたし、こういう釣りで女を漁っているのかもしれない、とイケメンにかなり失礼なことを考えた。

そっと服を着てベッドから出ると、イケメンがドアを開けて入ってきた。
やっぱりシャワーを使ってきたのだ、タオルでアタマを拭いている。
服装がジーンズにラフなロンTになっている。
もしかして、ここはイケメンの自宅かもしれない。

「あ、早いね。体、大丈夫?」
酒が抜けて夕べの勢いはない。由多花は恥じ入ってまともに顔を見られない。
「大丈夫です…。あの、今 何時でしょ…?」
「まだ朝の五時だよ。きみもシャワー使ったら?」
ふるり、と由多花は横に首を振った。
「仕事、あるから…。家に帰って用意したいんです」
そっか、とイケメンはあっさり頷いた。

厚意でもしつこくされるとちょっと怖くなる。
昨日は酔って不覚をとったが、由多花は知らない男、正体のハッキリしない人など信用出来ない。そういう性質だ。
イケメンは昨日より少し冷めた顔をしている。目元の黒子はそのままなのだけど、色気は醸しているが夕べの人好きのする笑みは なりを潜めている。
まあ、ナンパした女に気を遣わない人なんだろう。
そう思ったがイケメンがドアに寄ろうとする由多花に声をかける。

「待って、送るよ。車出すから。家どこ?」

―― 一夜限りの相手にさすがに家は教えたくない。
「えっと…タクシー捕まえるから…。あの、ここ、どこ…?」
「ここ? ××駅前のマンションだけど。地下鉄駅直結の」
げっ、と由多花は声をあげる。

――あの、超高級タワー!? むちゃ、近!

動揺したが、それなら歩いて帰れる。由多花のアパートは古いが便利な場所にある。
そう思うと つい窓の外を覗いてしまう。窓にはカーテンがひかれていたが、随分大きな窓だと思う。部屋もマンションにしては広すぎないか? と由多花は今更、改めてその部屋を見回す。
……あるのはベッドとベッドサイドの一人掛けのソファだけ。どんだけ、シンプルな生活だ、と思うほどの簡素さだった。
こういうの、生活感がないって言うのかな――。

「引っ越してきたばかりなんだ」
由多花の思考を察したか、イケメンがタオルをばさりと椅子にかけた。
見れば見るほどイケメンだった。今北なんか裸足で逃げ出すレベルだ。
それで、由多花はため息ついた。そして、ぺこり、と頭を下げた。

「あの、夕べはご迷惑おかけしました。それと、一応、お礼言わせて下さい。変なこと言う女と、サラっと流してくれるとありがたいんですけど」

イケメンは怪訝な顔をする。

「夕べ、可愛いって言ってくれてありがとうございました。おかげで私のズタズタだった女のプライドが守られました」

女を口説く常套手段だったとしても、あのときは ひどくありがたかった。それに愚痴も聞いてもらった気がする。
イケメンは驚いた顔している。まともな口をきく女だとは思っていなかったのかもしれない。
――どう思われようといいや。
それで、イケメンが朝日を大きく入れようとカーテンを引くと外の眺望が見えた。
相当な高層階だった。
「うわ」
思わずもらした小さな悲鳴にイケメンが少し笑った。
「やっぱり、送る――」

その、イケメンの言葉を遮るように、いきなり由多花は窓に向かってダッシュし、ぴったり顔をくっつける。そして、彼女はがくがく震えた。

イケメンはそれをいぶかしがって、彼女の見ている方向に視線を渡す。
住宅街の一角、細い路地。消防車のサイレンが聞こえる。どこかが火事らしい。
その火事の出所はすぐわかった。二階建てのアパートから黒い煙がたなびいている。
火の手はかなりの大きさだ。遠めでも、今 現在、燃えているのがわかるから。
「火事だね?」
イケメンが呟くと、それじっと見ていた由多花の喉が鳴った。
彼女は汗をかいている。そして、呆然と言った。

「あそこ…。うちです…」

悄然としている由多花の手をひいて、イケメンが車に彼女を乗せたのは それからすぐだった。 
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