松岡さんのすべて

宵川三澄

文字の大きさ
7 / 34

疑念

しおりを挟む
翌日、由多花は総務に向かった。火事のせいで住所の変更を余儀なくされたから。
連絡先はもともと携帯なので問題ないだろう。最寄り駅の変更はないので、交通費は変わりない。
ついでに倉庫から出力用紙を持って帰ろう。
そう考えると由多花は少し重い体に ため息する。重い紙入りのダンボールを持つには辛い。
「今度から、コトは金曜にしてもらおう…」


朝、由多花より早く松岡さんは起きだしていた。
徹夜かと思ったが、いったんベッドで寝たらしい。由多花は全然、気がつかなかった。

松岡さんの生活はとても自由だ。そして、ほとんど、家から出ないとか。
話を聞けば、一年前までは会社勤めをしていて、今のマンションはそれまでの貯金で買ったらしい。ローンなしと聞いて驚愕した。どんだけ、稼いでいたんだか。
お互い、一応保険証なりで身分の確認をした。提案者は勿論、由多花だ。松岡さんは笑って応じた。
この人のこういうところ、由多花は好きだ。怒ってもいいところなのに。

彼の身分証明は写真付き住基カードと免許証だった。
由多花より十歳年上の三十二歳。由多花は今度の誕生日で二十二だから。思ったより上だった。自由業だから若作りなのかな? と思ったのは内緒だ。
それに、印象が若いのは好きなスタイルで生きているからかもしれない。
そう思うと、由多花は年上の松岡さんを 可愛い、と思えた。
マンションを出るとき、松岡さんはわざわざ玄関で見送ってくれた。
そして、そのとき。


「なんで、あんなこと聞いたのかな?」
そのときの松岡さんの言葉が正直 由多花はひっかかっている。

――由多花ちゃんの勤め先って、アゼチなんだよね?
って。

…聞いた。

「改めて聞くようなこと…かな?」
――いや、聞くようなことかも。私、社員証見せなかったし!
私だって、松岡さんの仕事、気になったじゃん。

体に筋肉痛が走る。
どうも、由多花は神経質だ。気持ちのどこかで松岡さんを疑っている。
失恋の痛みがきっと恋に溺れさせてくれないのか。それとも、こんなうまい話があるものかと 疑わせるものが松岡さんにあるのかしら?

データ出力に使う連続紙のダンボールに よいせ、と手をかけた。
「…イケメン恐怖症かなぁ」
離れると、彼が意味もなく自分と付き合いたいと思う理由がない、と考えるのだ。
「うお…、死ぬ。痛い…!」
総務の倉庫から五百枚つづりの紙を出すのに力をこめて持ち上げた。

すると、後ろから声がかかった。
「持つよ」
助かった、と振り向くとそこに、悪いイケメンがいた。


「良かったよ、怪我がなくて」
由多花はそのイケメン今北のうさんくさい顔を見ながら紅茶をすする。
今北は同じ情報課なので顔を合わせないワケにはいかない。けれど、せめて始業時間前に話す隙は見せたくなかった。

(なにも、倉庫まで探しに来なくてもいいじゃん)

そう ため息したが、結局ダンボールは今北の手によって運ばれ、そして紅茶を奢ってもらった。
素直に受け取ったのは、もう、こだわっていないことを示したいからだ。

情報課はシステム管理と個人情報を扱っているので個室になっている。
十畳ほどのスペースで、サーバー様のために空調管理がしっかりしているので居心地はいい。
ただ、外からの砂埃対策のため、窓がない。

今北はいつもはギリギリに出社なのに、今日は多分、由多花を捕まえようと早めに来たのだろう。おおよそ、話など見当がつく。
なので、由多花は自分からその話題をふった。

「あの、今北さん、私、誰にも話しませんから…」
ん? と今北は由多花の方を向いた。
「今北さんが林さんと付き合っていること。なので」
言いよどむ。
――関わらないで、は言いすぎだよね。まがりなりにも同僚だし。
「私のこと、あまり気にしないでください。私も もう、気にしていませんから」
今北は少し躊躇ってから うん、と素直に聞いてくれた。それに、由多花はホっとした。
おはようー、と間延びした声で次長が出社したところで話は終わり、由多花は通常の業務に戻れた。


しかし、女の情報網は侮れない。
昼休み、いつものように昼はひとりの由多花がデスクでサンドイッチをついばんでいると、興奮したように営業事務のパートさんが訪れた。女の子たちは影でスピーカー、と呼んでいる。

「ね、ね、今北さんて、林さんと付き合っているんだって!?」

由多花はそのまま、パンを口から吹いた。 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

憧れの小説作家は取引先のマネージャーだった

七転び八起き
恋愛
ある夜、傷心の主人公・神谷美鈴がバーで出会った男は、どこか憧れの小説家"翠川雅人"に面影が似ている人だった。 その男と一夜の関係を結んだが、彼は取引先のマネージャーの橘で、憧れの小説家の翠川雅人だと知り、美鈴も本格的に小説家になろうとする。 恋と創作で揺れ動く二人が行き着いた先にあるものは──

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました

cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。 そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。 双子の妹、澪に縁談を押し付ける。 両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。 「はじめまして」 そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。 なんてカッコイイ人なの……。 戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。 「澪、キミを探していたんだ」 「キミ以外はいらない」

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...