松岡さんのすべて

宵川三澄

文字の大きさ
8 / 34

噂話

しおりを挟む
話はこうだ。
昨日、パートさんが会社から出るとき、少し離れた駐車場で一組の男女が言い争っている。
大声、というほどではないが気になって、横を通るときチラと見たらば それが営業の林さんと今北だったと。
今北が由多花を口説いていたのは社内では有名だったので、そのパートさんはビックリしてついつい聞き耳を立ててしまったという。


「おっどろいたわよー。佐々木さんと付き合っていると思っていたのに!」
飲み込めなくなったお昼ご飯を横目で見つつ、由多花はとりあえずカロリー摂取でチョコレートを口に入れた。
「私と今北さんは別に付き合っていなかったんですよー」
まあ、この一ヶ月は違ったけど、今更だ。
「そうなのねぇ。ずっと、佐々木さん一筋だと思っていたのに」
でもね、とパートさんは声を潜める。

「なんか、こじれてるっぽいわよ、あの二人。林さん、彼氏が他にいるらしいし」

チョコが口で どろりと溶ける。だが、飲み込めない。
「なんで、俺と付き合っているんじゃないのかよって、今北さん詰め寄ってんだもん。あの調子じゃあ、今北さんのが浮気なんじゃないかなぁ」
由多花は熱いお茶でチョコを流し込んだ。粘着した液体に変わった甘いチョコレートは気持ち悪かった。
「もし、佐々木さんが今北さんと付き合っていたら、と思って確認に来たのよ。ゴメンネ、変な話聞かせて。じゃあね」
いいえー、と笑って手を振り返したが、残ったサンドイッチを食べる気になれなかった。
好きにして、と小さく呟いた。
それから、携帯をデスクに広げて、好きな音楽を聴いた。あのアイドルグループの曲だ。爽やかな歌。初恋の曲だった。
ミントグリーンの香りが体を駆け抜けるような。



本当に女の情報網は恐ろしい。帰りには営業だけでなく、経理の女の子もそのパートさん情報を知っていた。そして、一ヶ月前から由多花と今北が付き合っていたという隠していた付加情報も加わって――。

「カオス…、と。送信」
沙菜に今日までの説明メールを打ったところで 地下鉄駅構内についた。
とりあえず、彼女には正直に話した。今度、松岡さんを紹介しなければ。
マンションまでは二駅。会社は市内でも外れだ。マンションのある駅がここらで一番の繁華街なのだ。
今日は噂のせいか、今北は少し挙動不審だった。
他の同僚から自分の噂を聞いたのだろう。由多花は知らぬ存ぜぬで押し通した。
別れた日を特定されると松岡さんと言う、新しい彼が出来たと誰にも言えない。言う必要はないかもしれないが、いずれ住所からあのタワーに住んでいるのか、なんとか根掘り葉掘り聞かれるに決まっている。総務のお局様は営業事務のパートの拡声器さんとツーカーだ。
んー、と悩んでポンといいアイディアを思いつく。
親戚かなんかにしとけばいいじゃん、と。
由多花がそう にんまりとして地下鉄を待っていると携帯が鳴った。
――松岡さんからだ。

『食材、買っておくよ。メールで指示して』
お、気が利くな、と松岡さんのラブポイントが一個上がった。
今日はせっかくなので松岡さんの好きなものを作ると約束していたのだ。
リクエストは和食、お魚の煮付けなので、由多花はさくさくメールを打った。どうせだ、待ち合わせて一緒に買い物しようと思った。
「今、駅です。ちょっと待っててください、一緒に買い物しましょう…っと」
そして、地下鉄に乗り込むその直前で あ、と思った。見知った顔――林さんが、いた。

思わず別の車両に乗り込み、彼女と接触するのを由多花は避けた。
隣の車両からそっと由多花は林さんを盗み見る。彼女は同期のやはり営業の女の子と一緒だ。

――営業職は今年初めて女子を採用したんだよなぁ。

二人とも爽やかで可愛いが、林さんは特に人の目をひくほどの綺麗な子だった。
スラリとした足がいかにも新人OLです、と言っている。
年齢的には彼女の方がひとつ上、だ。由多花は短大卒だから。

自分の姿をドアの窓ガラスに映すと、確かにまだ現役学生に見えるような浮かれた格好をしている。ピンクはダメか。みつ編み、というのがダメなのか。

ともかく、彼女が本当に今北と付き合っているなら 由多花が元カノという情報も入っただろう。

噂はお互いにとって いいこと言っていないから、あまり、彼女とは接触したくないと思った。

しかし、ここで会ったが百年目、という言葉を思い出すような、この時間のこの地下鉄に互いに乗り合わせたのが運命ならば、まったく、運命とはカオスという言葉がぴったりな出来事が このあと――起こる。




駅に着いたら改札には松岡さんがいた。軽く手を振っている。そんな様もかっこいい。道行く人、主に女性が彼を見ながら通り過ぎていくのを由多花は感心しながら見た。
確かに自分もあまりに可愛い子の場合赤の他人でも、つい二度見してしまう。
納得、納得、とひとりごちて松岡さんのいる改札口を通り、それからお帰り、と言った彼とともにショッピングセンターの食料品売り場に直行した。ひととおり、買い物を終えたあと、帰ろうかとマンションに向かう直通通路の扉に松岡さんが手を掛けたとき、その声を聞いた。

「――涼!?」

由多花が呼んだことない、松岡さんの、名前だった。

その声に驚いて後ろを振り向くと、そこには営業の林さんとその同期の女の子がいた。 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

憧れの小説作家は取引先のマネージャーだった

七転び八起き
恋愛
ある夜、傷心の主人公・神谷美鈴がバーで出会った男は、どこか憧れの小説家"翠川雅人"に面影が似ている人だった。 その男と一夜の関係を結んだが、彼は取引先のマネージャーの橘で、憧れの小説家の翠川雅人だと知り、美鈴も本格的に小説家になろうとする。 恋と創作で揺れ動く二人が行き着いた先にあるものは──

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました

cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。 そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。 双子の妹、澪に縁談を押し付ける。 両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。 「はじめまして」 そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。 なんてカッコイイ人なの……。 戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。 「澪、キミを探していたんだ」 「キミ以外はいらない」

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...