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カオス
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――え?
由多花は混乱していた。
り、涼? …て、松岡さんの名前だよね…。てか、今 呼び止めたの、どっち?
「…涼、こんなところに引っ越していたの…?」
口に出したのは林さんの方だった。由多花は自分の血の気が引くのを感じた。関わり合いになりたくない、と思っていた相手が松岡さんの知り合いらしい。世間は狭い。
そして、彼女は由多花の存在を思いきり無視して松岡さんとの会話を試みている。
由多花は思わず松岡さんを見上げた。
すると、そこには、由多花の見たことのない松岡さんの表情があった。
…嗤っている…?
彼は、とても意地の悪そうに口角を上げているのだ。
そして、なにも言わずに通路に入ろうとした。由多花は繋げている手をひっぱられ、バランスを崩す。
そのとき、ようやく林さんは由多花の存在に気がついたらしい。
隣の女の子が あ、と声を上げる。あれ、情報の佐々木さんじゃない? と。
――気がつくなよ、バカァ!
ととと、と転びそうな由多花に手を貸して ようやく松岡さんは林さんに振り返った。
そして一言。
「なんか、用? なにもないなら、帰りたいんだけど」
――ま、松岡さんがぶっきらぼうだ!!
「待って、涼、お願い連絡欲しいの。話したいのよ」
「俺はないから。それに今 付き合っている子いるし」
………おい……。
林さんは驚いて由多花を見た。
そして、由多花も驚いて彼女を見た――そして彼女は ほぼ恐慌をきたしていた。
彼女の同期がやはり慌てた様子で林さんを見ている。こんな状況でなければ、由多花は彼女に一番同情したかもしれん。
まさか、男女の修羅場に自分が当事者で立ち会うとは――。
それでも、さすがに公道での言い争いは松岡さんも避けた。と、いうより彼は林さんをいっさい無視した。
そして、ぐい、と今までの彼の姿からは想像出来ない強さで由多花の手をひき、彼はタワーの中に入っていった。
残された林さんが、顔をおおって泣いているのを 遠目から振り返り見てしまった。
そして、由多花の顔も歪む。
ああ、そうか。
やっぱり、今北、浮気だったんだ――と。
マンションのエレベーターでも松岡さんは無口なままだった。
こんなとき、高層階が忌々しい。
部屋に入ると彼はスツールしかないキッチンに どさ、と座った。
後ろを、やはり無口なままついてきた由多花は そろそろと買った食材を冷蔵庫に入れる。朝も見たけれど、本当になにもない。
そして、空になったビニールの買い物袋を折りたたみながら由多花は改めて対面キッチンから広がる がらんとしたリビングを見た。
なんで、なにもないんだろう、と思っていた。
引っ越して来たにしても、今 思えば なにもなさ過ぎる…。
「――なにか、言えば?」
苛立った口調で松岡さんが口を開いた。
なんだ、喋れるんじゃん、と由多花は思った。
で、なにを? とも。
「――聞いて欲しいんですか?」
とりあえず、由多花も驚いたのは確かなので聞きたいことは満載だった。しかし、今のこの松岡さんの態度とか、林さんの様子で大雑把にはあたりはつく。
「別れた彼女だよ。一週間前」
「――ああ」
そっか。今北と彼女が浮気した、そのとき別れたのか。
ぼうと、そう考えていると松岡さんの口角が上がった。
由多花はそれを見逃さない。あれは嘲り笑う顔だ。
――誰を? 今、ここにいるのは由多花と松岡さんしかいない。
そして、その今日初めて見た松岡さんの顔に、その左目の泣き黒子はとても似合っていた。
「あの…、私、彼女、知っています。同じ…」
会社だから、と言おうとして、その口角の上がったままの顔で松岡さんがその由多花の言葉を遮った。
「知ってる。今北ってヤツと同じ課なんだろ。火事のとき、電話したよな」
――え?
松岡さんは視線をずらして、携帯で時間を確認した。由多花に対する気遣いのなにもない態度。どこかで見た、と思った。
――最初の朝に見た、松岡さんだ、と思った。
その由多花の思考にさらに彼は追い討ちをかけた。
「――だから、一緒に暮らそうって言った」
爆弾発言だった。
「え…?」
「あのとき、お前がアゼチの社員だって知って、今北の名前を口にしていたから同居しようって言ったんだよ」
え、とまた口から出る。由多花は混乱の極みだ。
「なんで? なんのために?」
…私が今北の元カノって知っていた…?
いや、まさか。松岡さんと会う直前まで付き合っていたんだよ?
いや、この流れなら、むしろ、今北の彼女を寝取るつもりだったとか!?
しかし、彼の答えはそのいずれでもなかった。
「七穂の…様子が知れるかと思って」
「………」
なに、これ。
私、当て馬なの…?
「七穂って、林…さんですよね?」
そうだ、と松岡さんは答える。
また、眼前が暗くなる。貧血を起こしているのかもしれない。この感触は知っている。あの浮気イケメン今北に振られたときに感じたものだ。
…すっげーよ、林さん。愛されキャラだよ。イケメンキラーかよ…。
「…罵んないのかよ?」
松岡さんが呟く。
「…罵られたいの?」
呆れるわ。お前も、今北も。
「私、当事者から外れたい…」
「え?」
おっと、心の声が零れ落ちた。
半ば、由多花はヤケになる。
「あきれたっちゅーの! お前らに!」
松岡さんは無言だ。当然だ。ちなみに〝お前ら〟はあんたと林さんじゃなくって、あんたと今北だ。
はぁ、と由多花はため息ついた。
それで、苛立ち紛れに冷蔵庫を開け、とりあえず空腹を満たすことにした。その対応に松岡さんは目を見開いている。
「お腹、すいたの。食べるなら、松岡さんの分も作る」
松岡さんはスツールにかけたまま答えた。
「食う」
むっすりとしてこちらを見ている。
――ああ、そうか。
なんで、この人を信用出来なかったか、わかった。
こっちが素だろ。
その違和感がぬぐえなかったんだ。あの、優しい親切な松岡さんは幻。
だって、この泣き黒子はひどく、この感じの悪いイケメンに似合っていた――。
さよなら、私の優しい紳士な松岡さん。
由多花は混乱していた。
り、涼? …て、松岡さんの名前だよね…。てか、今 呼び止めたの、どっち?
「…涼、こんなところに引っ越していたの…?」
口に出したのは林さんの方だった。由多花は自分の血の気が引くのを感じた。関わり合いになりたくない、と思っていた相手が松岡さんの知り合いらしい。世間は狭い。
そして、彼女は由多花の存在を思いきり無視して松岡さんとの会話を試みている。
由多花は思わず松岡さんを見上げた。
すると、そこには、由多花の見たことのない松岡さんの表情があった。
…嗤っている…?
彼は、とても意地の悪そうに口角を上げているのだ。
そして、なにも言わずに通路に入ろうとした。由多花は繋げている手をひっぱられ、バランスを崩す。
そのとき、ようやく林さんは由多花の存在に気がついたらしい。
隣の女の子が あ、と声を上げる。あれ、情報の佐々木さんじゃない? と。
――気がつくなよ、バカァ!
ととと、と転びそうな由多花に手を貸して ようやく松岡さんは林さんに振り返った。
そして一言。
「なんか、用? なにもないなら、帰りたいんだけど」
――ま、松岡さんがぶっきらぼうだ!!
「待って、涼、お願い連絡欲しいの。話したいのよ」
「俺はないから。それに今 付き合っている子いるし」
………おい……。
林さんは驚いて由多花を見た。
そして、由多花も驚いて彼女を見た――そして彼女は ほぼ恐慌をきたしていた。
彼女の同期がやはり慌てた様子で林さんを見ている。こんな状況でなければ、由多花は彼女に一番同情したかもしれん。
まさか、男女の修羅場に自分が当事者で立ち会うとは――。
それでも、さすがに公道での言い争いは松岡さんも避けた。と、いうより彼は林さんをいっさい無視した。
そして、ぐい、と今までの彼の姿からは想像出来ない強さで由多花の手をひき、彼はタワーの中に入っていった。
残された林さんが、顔をおおって泣いているのを 遠目から振り返り見てしまった。
そして、由多花の顔も歪む。
ああ、そうか。
やっぱり、今北、浮気だったんだ――と。
マンションのエレベーターでも松岡さんは無口なままだった。
こんなとき、高層階が忌々しい。
部屋に入ると彼はスツールしかないキッチンに どさ、と座った。
後ろを、やはり無口なままついてきた由多花は そろそろと買った食材を冷蔵庫に入れる。朝も見たけれど、本当になにもない。
そして、空になったビニールの買い物袋を折りたたみながら由多花は改めて対面キッチンから広がる がらんとしたリビングを見た。
なんで、なにもないんだろう、と思っていた。
引っ越して来たにしても、今 思えば なにもなさ過ぎる…。
「――なにか、言えば?」
苛立った口調で松岡さんが口を開いた。
なんだ、喋れるんじゃん、と由多花は思った。
で、なにを? とも。
「――聞いて欲しいんですか?」
とりあえず、由多花も驚いたのは確かなので聞きたいことは満載だった。しかし、今のこの松岡さんの態度とか、林さんの様子で大雑把にはあたりはつく。
「別れた彼女だよ。一週間前」
「――ああ」
そっか。今北と彼女が浮気した、そのとき別れたのか。
ぼうと、そう考えていると松岡さんの口角が上がった。
由多花はそれを見逃さない。あれは嘲り笑う顔だ。
――誰を? 今、ここにいるのは由多花と松岡さんしかいない。
そして、その今日初めて見た松岡さんの顔に、その左目の泣き黒子はとても似合っていた。
「あの…、私、彼女、知っています。同じ…」
会社だから、と言おうとして、その口角の上がったままの顔で松岡さんがその由多花の言葉を遮った。
「知ってる。今北ってヤツと同じ課なんだろ。火事のとき、電話したよな」
――え?
松岡さんは視線をずらして、携帯で時間を確認した。由多花に対する気遣いのなにもない態度。どこかで見た、と思った。
――最初の朝に見た、松岡さんだ、と思った。
その由多花の思考にさらに彼は追い討ちをかけた。
「――だから、一緒に暮らそうって言った」
爆弾発言だった。
「え…?」
「あのとき、お前がアゼチの社員だって知って、今北の名前を口にしていたから同居しようって言ったんだよ」
え、とまた口から出る。由多花は混乱の極みだ。
「なんで? なんのために?」
…私が今北の元カノって知っていた…?
いや、まさか。松岡さんと会う直前まで付き合っていたんだよ?
いや、この流れなら、むしろ、今北の彼女を寝取るつもりだったとか!?
しかし、彼の答えはそのいずれでもなかった。
「七穂の…様子が知れるかと思って」
「………」
なに、これ。
私、当て馬なの…?
「七穂って、林…さんですよね?」
そうだ、と松岡さんは答える。
また、眼前が暗くなる。貧血を起こしているのかもしれない。この感触は知っている。あの浮気イケメン今北に振られたときに感じたものだ。
…すっげーよ、林さん。愛されキャラだよ。イケメンキラーかよ…。
「…罵んないのかよ?」
松岡さんが呟く。
「…罵られたいの?」
呆れるわ。お前も、今北も。
「私、当事者から外れたい…」
「え?」
おっと、心の声が零れ落ちた。
半ば、由多花はヤケになる。
「あきれたっちゅーの! お前らに!」
松岡さんは無言だ。当然だ。ちなみに〝お前ら〟はあんたと林さんじゃなくって、あんたと今北だ。
はぁ、と由多花はため息ついた。
それで、苛立ち紛れに冷蔵庫を開け、とりあえず空腹を満たすことにした。その対応に松岡さんは目を見開いている。
「お腹、すいたの。食べるなら、松岡さんの分も作る」
松岡さんはスツールにかけたまま答えた。
「食う」
むっすりとしてこちらを見ている。
――ああ、そうか。
なんで、この人を信用出来なかったか、わかった。
こっちが素だろ。
その違和感がぬぐえなかったんだ。あの、優しい親切な松岡さんは幻。
だって、この泣き黒子はひどく、この感じの悪いイケメンに似合っていた――。
さよなら、私の優しい紳士な松岡さん。
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