松岡さんのすべて

宵川三澄

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イケメンキラー

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…夜中に由多花は目を覚ました。

「あー…、眠ってた…」

カタカタとキーパンチの音が響く。隣の六畳間は確か書斎に使っている。多分、松岡さんがお仕事中なのだ。
ベッドから上半身を起こして毛布をめくる。自分のかっこうをそっと見た。

…ちゃんといつものように、松岡さんは避妊してくれたようだ。由多花の方が夢中になったので覚えていない。
スカートはベッド脇に丸まっているがニットはべろり、と捲られていて、ブラはずらされているが ついたまま、というなんとも悲惨なかっこうだ。勿論、下着ははいていない。
しかし、これは全て自分の責任だ。誘ったのは由多花で、焦ったのも由多花だ。
それでも、下腹部がスッキリ綺麗になっているので いつものように、由多花が寝ている間に松岡さんが簡単に拭いてくれたらしい。これについては考えると軽く死ねるので、気にしてはいけない。

「あー…。情けない…。まじ、猿…」
このままなら、マジでセフレ街道まっしぐら。
由多花の矜持のために言うが 由多花が松岡さんのセフレではなく、松岡さんが由多花のセフレだ。
こんなモラルのない女になるとは、ほんの二、三日前までは考えられなかった。
なにもかも、最初に松岡さんの目の前で食事が出来たせいだ。
「はー。もう…ベタベタ…」
まくりあがったニットを戻し、下着とスカートをはいて立ち上がる。シーツをはがして新しいのをつけた。さすがにこのまま寝るのは松岡さんも嫌だろう。

それから、ぺたぺたと素足で歩き、隣の書斎のドアをノックした。
松岡さんの どうぞ、という声が聞こえた。
そろ、とドアを開けるとパソコンに向かっていた松岡さんが、椅子に座ったまま こちらを振り返っていた。
由多花は眠い目でその松岡さんを見つめた。
「…光熱費、折半でいい…?」
松岡さんが苦く笑って、気にしなくっていいのに、と言った。

「折半にしよ…。居づらくなるから…。あと、シーツ換えといた。私、自分の部屋で眠るわ」
「わかった。――おやすみ」
「おやすみ…」

いったん止んだキーボードの音が また響き始めた。
由多花はそのまま風呂に入り、それからまた なにもないリビングを見渡し、ここになぜ なにもないのか理解した。
この家は松岡さんだ。きっと、松岡さんも新しいものを買い足す元気がなかったんだろう…。
――いつかの、由多花のように。



翌日、由多花は自分のお弁当と一緒に 松岡さんにもお昼の用意をした。食べるか食べないかは好きにすればいい。
冷蔵庫にワンプレートにしたお昼を入れて、メモを置き、がらんとしたマンションを出て鍵をかけた。
メモには夕食の食材も書いておいた。
買い物に出るかどうかは賭けに近い。とりあえず、円満な同棲生活を松岡さんが望むなら、今日くらいは買い物をしておいてくれるはず。

ふぅと、息をついて、晴れた空を見上げて由多花は会社に向かった。
そして、出社して また女の情報網のすごさを改めて知る。
イケメンキラーの称号が なぜか、由多花のものになっていたのだから。



「…由多花ちゃんさ、七…林さんの彼氏と付き合っているって?」
食堂から戻って来た今北の最初の発言がそれだった。
食事を終えて、由多花がお弁当の箱を洗って帰ってきてから言われたことだ。昨日のパートさんのように、食事中に来られるよりはマシだけど。
しかし、色々情報は錯綜してそうだ。
今北は はい、と由多花に買ってきたジャスミンティーを渡した。
情報料か? といぶかしむ。
しかし、ホント、今の発言どうなのよ。

「私、もう今北さんと付き合ってませんよね?」
「他の…彼氏だよ」

――うお、認めんのか、自分が浮気相手だって!

由多花は しばし考え込む。
どこまで話していいか正直わからない。これは、由多花が勝手に話していいことじゃない気がする。なので、こう言うことにした。

「今北さんは、やっぱり、林さんから聞くといいと思う。付き合っている人の言葉を信じるべきじゃないの?」
ごめんね、正論で。
「聞いて、そう言われたんだよ…」

(――――!!)

これには、由多花も驚いた。なので、つい声をあげた。
「え――?」
「あー、俺、なっさけねぇ!」
今北が頭を抱えて机につっぷす。
――なんなの、私、どういうスタンスになってんの!?
言っていいのか、悪いのか。
松岡さんは別れた、と言っているが林さんは別れていないと言っている。
て、ことは話し合いなしで切ったってコトかもしれん。あの俺様ならやる。
でも、松岡さんは未練あるみたいだし、林さんは断然未練アリだ。

(――両思いじゃん…)

ぼう、と考えて馬鹿馬鹿しい、と思った。
つまり、二人の痴話げんかに由多花は巻き込まれたのだ。ただ、松岡さんが再び林さんを受け入れるのは難しいのだろう。
そう考えたところで由多花は机につっぷす、己の元カレを見つめた。

こいつが、林さんにちょっかいかけなければ、何事もなく、あのマンションの由多花の部屋には林さんが納まっていたのだろう。
しかし、こいつが林さんにフラフラしたのは由多花が彼女らしいことをしなかったせいで…。
そこまで考えて頭を振った。

――なんと言う、矢印! ワケわからん!

ただ、由多花も松岡さんに、今北の元カノという情報を言っていない。
聞いたら、即効 マンションを追い出されるだろうか。
今北の名前に反応したと言っていたのだから、林さんの浮気相手の名前は知っていたんだろう。
はーっ長いため息をつくと、顔を上げた今北と目が合った。
すっかり、その存在を忘れていた。

「…どうなの?」

え、まだ返事待っていたんだ?
困って由多花もどう言ったらいいのかわからない。
「あの、今北さんは林さんが好きなんですよね? 私、そういう人にはちょっと お話出来ません」
なので、ズバっと言った。
今北は瞠目する。
「だって、今北さん、私が林さんに報復する、とまで言ったじゃないですか。不用意にそう言う人にお話して、自分の悪い噂が立つのは避けたいです」
お前みたいなヤツは好きな人のこと、盲目的に信じとけ、と暗に言う。
男もおしゃべり好きがいるから このことは噂になるかもしれないが、今北にだってプライドがあるだろう。林さんがらみだ。さすがに そこ、ここで今の由多花の発言をしゃべりまくるとは思えない。

それより、問題は林さんだ。

昨日、確かに松岡さんと由多花は一緒にいた。その由多花が彼女と認識されるのは仕方がない。一応、事実だし。
しかし、林さんと一緒にいた子も だいたい、わかるじゃないか? と思う。
林さんと松岡さんが別れた後だってことは、あの会話で。

昼休みも終わり、うつうつとした顔でパソコンに向かう今北を尻目に 由多花はデータ入力にいそしむ。
噂は放っておくのが一番だろう。
けれど、松岡さんはいずれ林さんと対峙せねばならない。
でなければ、今の彼女の由多花を守れない。

――まぁ、松岡さんにその気があれば、だけど。

…痛みは ほどほどならば、気持ちいい。
けれど、この人間関係はどうも由多花には荷が重い。
由多花はキーパンチで叩きつけた人差し指を見る。

「いってぇ…」
赤くなっていた。

由多花はそんな自分をチラチラと盗み見ていた今北には気がつかなかった。
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