松岡さんのすべて

宵川三澄

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ホウレンソウ

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翌日、帰ってきたらリビングに 六十インチのTVと応接セットがすえられていた。
赤茶の木製の脚に生成りのカバー。すっきりして合わせやすい、確かに無難。そのソファには色とりどりのクッションが置かれていた。 ミントグリーン、茶色、アースカラーの中に違和感ないくらいの渋さのピンクがあった。
松岡さんはそれを手に取りポンと由多花に渡す。それからソファに座ってTVのチャンネル調整を始めた。

「メモにあった買い物しといた。あと――昼、美味かった。明日も頼む」

受け取ったピンクのクッションを持ち上げ由多花は顔を隠す。
「……うん」

なにもなかったリビングに、生活の色が落ちた。
由多花はこのピンクのクッションくらいは、松岡さんの心に居場所を作ってもらえた気がした。

――嬉しかった。




しかし、由多花の仕事に この厄介な人間関係が影響を及ぼし始めたのは すぐだった。

最初はちょっとした行き違いかと思っていた。
由多花は入力の仕事を引き受けていたので、営業の顧客データも受け持っていた。
新規顧客のデータを入力し、それをサーバーに保存する。新規のあるたび行うことだ。
そして、それの更新も由多花が行う。このサーバーは情報課からしか更新出来ないものだから。

けれど、他の部署も見ることは出来る。
営業さんは高齢の方も多いので、サーバーのどこに保存したかと よく問い合わせが来るのだ。

「営業一課ってフォルダがあって…そう、その松本製紙株式会社ってアクセスファイルですよ」

こんな感じで、それに対応するのは割りとある。
しかし、その日はデータがどうしても見つからない、と苦情が相次いだのだ。


「おっかしいなぁ…」
苦情を言ってくるのは営業事務の拡声器さん。
彼女はあまり こういう入力には関わらないのに。
言われて探せばすぐ見つかる。なのに、これを今日は二回も言われているのだ。
はぁ、とため息ついたが、直に行って、どういう探し方をしているか ちゃんと確認とった方が良さそうだ。
そう思って、その日、由多花は席を立ち、営業部に向かった。

「ごめんねぇ、実はあたしも探していないのよ」
「ええ?」

これはびっくりだ。

「伝言頼まれるの。営業事務は外廻りしている営業さんから指示来るでしょう? あたしもおかしいなぁ、とは思ったんだけど…。忙しいから、伝言、そのまま情報さんに回しちゃった」
「はあ…。まあ、いいですけど、なんで外に出てからサーバーの中のデータのこと 言ってくるのかな。出る直前に気がついたから仕方なく…にしては、回数多いですよね」
朝に二件、十時に三件。多すぎだ。昨日、更新、新規で入力したものの ほとんどではないだろうか。だいたい、出てから気が付くって、おかしいよ。
「新入社員だから、先輩に頼まれたんでしょう? 気が利かないから、きっと忘れていたんじゃない?」
ごめんね、と拡声器さんは由多花にお菓子をくれた。
新入社員、という言葉に由多花は気になったが あの人の名前を口にするのは気がひけた。
だが、仕事にロスは大嫌い。ただでさえ、由多花の仕事は社内でしか利益を発生しないのだ。
時間はコスト。ミスはロスタイム。ミスなし、残業なしのコストダウンが由多花の二年目の目標だ。

「あの…、それって誰ですか?」

おそるおそる由多花は口を開く。
拡声器さんに聞くのは怖かったが、彼女以外に電話を受けた者はいない。
その気配を察したのか拡声器さんも、声を潜めた。

「あんまり、あたしもこれは広めたくないなぁ…。でも、言っちゃう。浅田さんから、伝言だったのよねぇ。ごめんね、注意しとくから」

――浅田さん。

林さんの同期の子だ。あの鼻柱の強い子。
拡声器さんが、いかにも好奇心丸出しでこちらを見ている。彼女も昨日の更衣室のことを聞いているのだろう。

「佐々木さんと林さんって、同じ人と付き合っているって本当~?」

…いっそ、清々しい。
これには答えず、浅田さんに注意お願いしますね、と一言 言ってその場を辞した。


席に戻ると体がぐにゃりと緊張から解ける。
「はああああ~」
大きく、伸び。
「…嫌がらせ、かなぁ…」
いやいや、悪い方に考えてはいけない。
営業のおじちゃんだってよくやるじゃん。自分で付けたファイル名、間違って覚えていて、違うファイルを一生懸命探したりとかさ。

情報課のパソコン以外からは実際にファイル削除も、更新も出来ない仕様のサーバーだから、実害はなかったワケだし。
いつもこうして騒がれるなら、無能の烙印は彼女に押される。嫌がらせにしても、続かないだろう。
だいたい、浅田さんが由多花に嫌がらせをする理由がない。林さんのため、と言うのは考えづらい。
SEの次長やプログラマーの今北なら他の仕事も営業から受けるけど、由多花はこれ以外は さほど営業と関わる仕事はしていない。まあ、大丈夫だろう。

貰ったお菓子をデスクに置いて、お昼まであと少しだが食べてしまおう、とインスタントのコーヒーを淹れる。
今日は次長は経理でシステム設定と午後から会議。多分、席には戻らないな。
お菓子は近所のケーキ屋さんのスイートポテト。これは由多花の好物だ。いただきまーす、とピリリと袋を破いたところで情報課のドアが開いた。

「あの! どういうつもりですか!」

現れたのは、営業の新人、浅田さんだった。
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