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違和感
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マンションの鍵を開けるとそこは確かに人の気配が皆無だった。
由多花と小夜子、それに沙菜は三人で結局そのまま まっすぐ松岡さんのマンションに来た。
ここに初めて入った沙菜は暢気にうわぁ、と歓声を上げている。空気読め。でも好き。
「やっぱり、いない…」
小夜子さんは不安そうな声を出す。
リビングに丸めて置いていたラグはさすがに大型ゴミで出してくれたのだろう。あの日の名残はもうなかった。
けれど、どこにも松岡さんはいない。
「これで、知ったの…。見て」
来月号の予告ページだ。松岡さんの連載が、来月は休載になっている。
そうだ、取材旅行に行きたいとか言っていたっけ。
「兄の休載って初めてで、母がもしかして体調崩したのかもと思って電話したのよね。そしたら、携帯も家電も出ないじゃない。…由多花さんがいるんだから、家電が繋がらないのはおかしいって言い出して。それで来たんだけど、誰もインターフォンに出ないのだもの。もう、パニックよ」
由多花は眩暈を覚えた。
なんだろう、あの人、人にしていいことじゃなかったな、とか言っていなかったっけか。あれは もしかして、私の幻聴だったのかな…。
……あり得ない、あり得ないよ、松岡……。
「……すみません」
「七穂は入院しているし、会社に聞いたら、金曜に電話に出た経理の方が 今、由多花さんはホテルから通っているって仰るからそのへんのホテルを片っ端から探したの…。びっくりしたわ」
小夜子さんは疲れた、と言ってドカっとソファに座る。
…あれ? なにか足りない。
「多分、取材旅行だと思います。私たち、今…ちょっと距離を置いていて…」
そう、と小夜子さんはその綺麗な横顔で頷いた。そして、沙菜をチラと見る。
沙菜はそれを察して由多花の部屋にいていーい? と気を利かしてくれた。空気読めとか思ってゴメン。
二人きりになった小夜子さんが由多花に問う。
「兄…、結婚を考えていた人とダメになったの、貴女で三人目なんだけど、その理由を教えてもらっていい?」
うお、他にもいたのか、と由多花も驚いた。
「結婚…、て私たち、特にそういう話はしていなかったから…。そのせいでこうなったんじゃないんです」
――に、しても、由多花はソファが気になって仕方ない。なんだろう、この違和感…。
小夜子さんは少し言いよどむ。
「じゃあ、貴女が今ホテルに寝泊りしているのは もしかして、七穂のせい?」
由多花は息を呑んだが、首肯することにした。
ごめん、と小夜子さんが由多花に謝罪する。彼女が謝ることじゃないのに。
「七穂から聞いた…。あの子が貴女の恋人とその…そうなったって」
「――全部、話したんですか? 彼女」
「――うん」
そっか、と由多花は呟いた。
――いや、正直もうほとんど今北を寝取られたこと どうでもいいことになってます。すみません。
「松岡さんと会ったのも、付き合うことになったのもソレとは関係ないんですよ。偶然が重なったって感じです。――いや、まあ、松岡さんは私がアゼチの社員だから一緒に暮らそうって言ったから、全く林さんを意識していなかったと言ったら…嘘かもしれないけど」
その言葉を遮るように小夜子さんが言う。
「……違うんじゃないかな。多分、お兄ちゃん、単純に貴女が好きだったと思う」
え? と由多花が首を傾げる。
「由多花さん、お兄ちゃんの初恋の人と、似ているから…。お兄ちゃん、女の子に入れ込まないって嘘。ホントはすごい入れ込むタイプなの。だから、ずっと心配だった。好きな子大事にしすぎて、上手くいかない人なの、あの人」
ひどく、不器用なんだ――と小夜子さんは笑った。
松岡さんが毒なく笑った顔とそっくりだった。
「七穂とはもう会わないって……。あの二人はもう完全に別れたの…。その話は兄から聞いている?」
「メールで――」
会いたいって、何度も来たメールで……。
そして、――由多花はソファをもう一度見て、あ と声にならない言葉を発した。
それから、家電から編集部に電話した。携帯だとファンだと思われて取り次いでもらえなかったんだと小夜子さんが言った。
――なるほど、ナンバーディスプレイに出るもんね。
小夜子さんが電話を終えて言った。
「…やっぱり取材旅行だって。担当の人も行き先までは聞いていないって。もうお出掛けになったんですかって言われたわ。予定は九月に入ってからって聞いていたみたい」
ほぅ、と由多花も安堵の息をついた。
「編集部には連絡入れているみたいだから、帰ったら実家か私の携帯に電話貰うようにしたわ。付き合ってもらってごめんなさい。今日、お友達と予定していたんでしょ?」
小夜子さんが深々と頭を下げた。いいえ、と手を振るとまたあの笑顔を見せてくれる。
なんか、嬉しい。
一人大人しくしていた沙菜は八畳間のコレクションに目を付けたらしく、今度見せてと言って来た。いや、あれ、松岡さんのだから。
それから三人で駅まで帰った。
駅前のいつもの冴えない喫茶店に入ったが、小夜子さんはそこのスペシャルサンデーを大層気に入ってくれた。
由多花はそれを眺めながらコーヒーを飲んでいたが、彼女はそれを大して気にしないでいてくれた。
意外に沙菜と小夜子さんは気があっていて、本やら映画の話で盛り上がった。
ワッフルを平らげた沙菜はまた今度ゆっくり話そう、と言って帰った。
残された由多花と小夜子さんはコーヒーのお替りをした。
「……あのね、さっき編集部の人が言っていたのだけど」
小夜子さんはノーシュガーだ。
「お連れの方がパスポートを取得していないから、八月中は家にいるって言っていたんだそうよ」
あ、と由多花が彼女を見た。
「…九月までにパスポート申請しておけって言われてた…」
あー、サプライズか、サプライズのつもりだったか。……一人で行きおって!
「じゃ、海外なんですね。いつ、戻るんだろう」
「聞いていないって。でも、休みは一ヶ月だけだから。――由多花さんは」
小夜子さんは真摯な色の声で聞く。
「――これからどうするの?」
……多分、由多花はポツンとひとり残された子供のような顔していたのだろう。
小夜子さんは心配そうな顔して帰って行った。
どうしようか……。
なんだか不思議だ。
決まっている。
あのソファの違和感の原因に気がついてから、由多花の中で次の行動は決まっていた。
由多花と小夜子、それに沙菜は三人で結局そのまま まっすぐ松岡さんのマンションに来た。
ここに初めて入った沙菜は暢気にうわぁ、と歓声を上げている。空気読め。でも好き。
「やっぱり、いない…」
小夜子さんは不安そうな声を出す。
リビングに丸めて置いていたラグはさすがに大型ゴミで出してくれたのだろう。あの日の名残はもうなかった。
けれど、どこにも松岡さんはいない。
「これで、知ったの…。見て」
来月号の予告ページだ。松岡さんの連載が、来月は休載になっている。
そうだ、取材旅行に行きたいとか言っていたっけ。
「兄の休載って初めてで、母がもしかして体調崩したのかもと思って電話したのよね。そしたら、携帯も家電も出ないじゃない。…由多花さんがいるんだから、家電が繋がらないのはおかしいって言い出して。それで来たんだけど、誰もインターフォンに出ないのだもの。もう、パニックよ」
由多花は眩暈を覚えた。
なんだろう、あの人、人にしていいことじゃなかったな、とか言っていなかったっけか。あれは もしかして、私の幻聴だったのかな…。
……あり得ない、あり得ないよ、松岡……。
「……すみません」
「七穂は入院しているし、会社に聞いたら、金曜に電話に出た経理の方が 今、由多花さんはホテルから通っているって仰るからそのへんのホテルを片っ端から探したの…。びっくりしたわ」
小夜子さんは疲れた、と言ってドカっとソファに座る。
…あれ? なにか足りない。
「多分、取材旅行だと思います。私たち、今…ちょっと距離を置いていて…」
そう、と小夜子さんはその綺麗な横顔で頷いた。そして、沙菜をチラと見る。
沙菜はそれを察して由多花の部屋にいていーい? と気を利かしてくれた。空気読めとか思ってゴメン。
二人きりになった小夜子さんが由多花に問う。
「兄…、結婚を考えていた人とダメになったの、貴女で三人目なんだけど、その理由を教えてもらっていい?」
うお、他にもいたのか、と由多花も驚いた。
「結婚…、て私たち、特にそういう話はしていなかったから…。そのせいでこうなったんじゃないんです」
――に、しても、由多花はソファが気になって仕方ない。なんだろう、この違和感…。
小夜子さんは少し言いよどむ。
「じゃあ、貴女が今ホテルに寝泊りしているのは もしかして、七穂のせい?」
由多花は息を呑んだが、首肯することにした。
ごめん、と小夜子さんが由多花に謝罪する。彼女が謝ることじゃないのに。
「七穂から聞いた…。あの子が貴女の恋人とその…そうなったって」
「――全部、話したんですか? 彼女」
「――うん」
そっか、と由多花は呟いた。
――いや、正直もうほとんど今北を寝取られたこと どうでもいいことになってます。すみません。
「松岡さんと会ったのも、付き合うことになったのもソレとは関係ないんですよ。偶然が重なったって感じです。――いや、まあ、松岡さんは私がアゼチの社員だから一緒に暮らそうって言ったから、全く林さんを意識していなかったと言ったら…嘘かもしれないけど」
その言葉を遮るように小夜子さんが言う。
「……違うんじゃないかな。多分、お兄ちゃん、単純に貴女が好きだったと思う」
え? と由多花が首を傾げる。
「由多花さん、お兄ちゃんの初恋の人と、似ているから…。お兄ちゃん、女の子に入れ込まないって嘘。ホントはすごい入れ込むタイプなの。だから、ずっと心配だった。好きな子大事にしすぎて、上手くいかない人なの、あの人」
ひどく、不器用なんだ――と小夜子さんは笑った。
松岡さんが毒なく笑った顔とそっくりだった。
「七穂とはもう会わないって……。あの二人はもう完全に別れたの…。その話は兄から聞いている?」
「メールで――」
会いたいって、何度も来たメールで……。
そして、――由多花はソファをもう一度見て、あ と声にならない言葉を発した。
それから、家電から編集部に電話した。携帯だとファンだと思われて取り次いでもらえなかったんだと小夜子さんが言った。
――なるほど、ナンバーディスプレイに出るもんね。
小夜子さんが電話を終えて言った。
「…やっぱり取材旅行だって。担当の人も行き先までは聞いていないって。もうお出掛けになったんですかって言われたわ。予定は九月に入ってからって聞いていたみたい」
ほぅ、と由多花も安堵の息をついた。
「編集部には連絡入れているみたいだから、帰ったら実家か私の携帯に電話貰うようにしたわ。付き合ってもらってごめんなさい。今日、お友達と予定していたんでしょ?」
小夜子さんが深々と頭を下げた。いいえ、と手を振るとまたあの笑顔を見せてくれる。
なんか、嬉しい。
一人大人しくしていた沙菜は八畳間のコレクションに目を付けたらしく、今度見せてと言って来た。いや、あれ、松岡さんのだから。
それから三人で駅まで帰った。
駅前のいつもの冴えない喫茶店に入ったが、小夜子さんはそこのスペシャルサンデーを大層気に入ってくれた。
由多花はそれを眺めながらコーヒーを飲んでいたが、彼女はそれを大して気にしないでいてくれた。
意外に沙菜と小夜子さんは気があっていて、本やら映画の話で盛り上がった。
ワッフルを平らげた沙菜はまた今度ゆっくり話そう、と言って帰った。
残された由多花と小夜子さんはコーヒーのお替りをした。
「……あのね、さっき編集部の人が言っていたのだけど」
小夜子さんはノーシュガーだ。
「お連れの方がパスポートを取得していないから、八月中は家にいるって言っていたんだそうよ」
あ、と由多花が彼女を見た。
「…九月までにパスポート申請しておけって言われてた…」
あー、サプライズか、サプライズのつもりだったか。……一人で行きおって!
「じゃ、海外なんですね。いつ、戻るんだろう」
「聞いていないって。でも、休みは一ヶ月だけだから。――由多花さんは」
小夜子さんは真摯な色の声で聞く。
「――これからどうするの?」
……多分、由多花はポツンとひとり残された子供のような顔していたのだろう。
小夜子さんは心配そうな顔して帰って行った。
どうしようか……。
なんだか不思議だ。
決まっている。
あのソファの違和感の原因に気がついてから、由多花の中で次の行動は決まっていた。
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