BiteRing

月神奏空

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2章 より親密に

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「クリスマスだねェ」
「クリスマスですなァ」
 あまりの寒さに外に出ることを諦めた二人はこたつでみかんを食べていた。
「夜も食べていく? めんどくさいからハンバーグでいい?」
 昨日ハンバーガーを食べたじゃないかというツッコミはなかった。東雲はまだ眠気が飛んでいないようで、ゆらゆらと頭を揺らしている。紅月は冷蔵庫の中身を見て足りないものをメモしていく。買うものが決まり、紅月はコートを羽織った。
「まだお昼前だよ」
 のんびりしていようよ、と東雲が言う。紅月はそっと近付いて首筋に吸い付いた。赤い痕を残して東雲の髪を撫でる。
「いい子で待ってろよ。すぐ戻るから」
「んん……やだ……」
 そういうところだよ、空音サン。東雲は昨夜自分を困らせた彼女の男前な一面に甘えたくなってしまった。
 紅月は何も意図してそうしているわけではないのだろう。恐らく彼女の抱えている病気のせいもあると思う。なんにせよ、多くの顔を持つ彼女は人を深みに嵌めていくのが上手だった。
 家族よりも付き合いが長く紅月のことをよく知っていると豪語する前園が言っていた言葉を思い出す。
 
『心が弱っている時にうっかり手を出しちゃうじゃないですか。縋ってみたくなるじゃないですか。そういう時、ソラは欲しい言葉を欲しいタイミングでくれるんです。それなのにソラの心は絶対に手に入らないんですよ。だって、ソラはソラであってソラじゃないから。その日の気分によって好きな人もモノも違うんです。その全部に愛されたいって思ったらもう、止まらないでしょう?』
 
 まるで怪しいクスリのようだと、彼女は言っていた。東雲もようやくその意味がわかった。
「空音サンなしじゃ生きていけない」
 突然弱音を吐いた東雲が捨てられた子犬のような目をしたので、紅月は小さくため息を吐いた。
「しょうがねェな。昼からちゃんと付き合えよ」
 紅月はコートを脱いでソファーに放り投げてこたつの中へと戻った。甘やかしすぎて人をダメにするタイプなのかもしれない。まあ、彼女自身も甘えすぎてダメになるタイプなんだろうけど。東雲はそんなことを考えながら手探りで紅月の指先に触れる。
「どんな空音サンも好き。俺のことを好きでいてくれる空音サンが好き」
「どしたの、いきなり」
「覚えていて」
 そこでようやく紅月は、自分が不安定だった間ずっと支えてくれた東雲に限界がきたのだと気付いた。
 二人は同じ精神障害者・・・・・という括りで見られるが、その症状は異なる。東雲は恐らく今鬱状態に陥っている。紅月は顎に手を当てて考え込む。紅月にはどうしようもない鬱状態というものが理解できない。
「おれも、晴陽サンのことが好きだよ」
 考え抜いた紅月は一度手を解いて立ち上がり、傍に寄って東雲を抱きしめた。泣き出すほどまで落ち込んでいるわけではないが、身体は小刻みに震えて弱々しく頼りない。小さな子供のように見えて、紅月は胸を締め付けられる思いになったり
「晴陽サンがおれのことを好きでいてくれるの、ちゃんと伝わってるからさ。今度は俺の番だよね」
 全身全霊をかけて愛を伝えるよ、と紅月は笑顔を見せた。幸い、今日は土曜日だ。もう一泊くらいさせたって構わない。紅月はスマホを取り出して、前園にもう一泊させてもらうようにメッセージを送った。
「アズにメッセージ送っただけ。今日も泊まっていきなよ」
 不安そうな東雲に証拠を見せ、そのまま画面をオンにしておいてこたつの上に置いておく。見られて困るものはない、という意思表示だ。猫にするように顎の下を撫でながら時計を確認する。東雲が泊まっていくなら夕食の時間は彼に合わせればいい。
「晴陽サン、してほしいこと、ある?」
 男なんて単純だ。やることやってすっきりすれば元気になるだろう。紅月は人生の半分以上の時間でそう思うようになっていた。男を悦ばせる方法だって知っている。
「キス、していい?」
「うん、いいよ。しよう」
 ほらな、と紅月は歪んだ笑みを浮かべる。
 ──結局お前も同じだろう。
 暗い何かが襲いかかってくるが、紅月は理性で抑え込む。気を張っていなければ共倒れになってしまう。
「だめ、触らないで。キスだけ」
 その声にハッとした。ぼんやりとしていた意識が覚醒し、強く掴まれた手首が少し痛かった。紅月は眉を寄せて首を傾げる。鼻先を触れ合わせたまま東雲に問いかける。
「するんじゃないの?」
「キス、だけ」
 一歩間違えば怪我をしてしまいそうな男の力。押さえつけられて意に反して行為に至ったことはあるが、そうはすまいと押さえ込まれるのは初めてだった。紅月はなんだか嬉しくなって口付けを深くする。舌を絡めとって唇で食み、ゆっくりと離れた時、東雲の瞳が甘く濡れていた。
「すげー、かわいい。晴陽さん、女のコみたい」
 紅月がそう言うと、東雲はとろけた目を向けたままぽつりと謝罪を漏らした。
「かっこ悪いね」
「いいよ、カッコ悪くたって。おれは晴陽サンのことが好きなんだから」
 カッコ悪くなんてないよ、と。そう言うのは簡単なことだが、今現在彼が求めているのはそういうことではないのだろう。欠点ごと愛してもらえる幸福を知った紅月だからこそ、そう感じた。
「そもそもかっこいい晴陽サンを好きになった覚えはねェ」
 余計にも思える言葉だったが、それこそが紅月らしくて東雲は安心して受け止めることができた。
「もう一回、して」
「もう一回だけ?」
 イタズラに微笑んだ紅月に、東雲は小さく首を横に振って「もっと」とねだった。
 何度か繰り返しているうちに、ようやく少し落ち着きを取り戻した東雲が外に出たがった。手を繋いで歩きたいと言うので車は使わずに近くの小さな商店に向かう。たまたま足りない具材は商店に揃っていたので、夕食はオムライスとハンバーグとコンソメスープに決めた。
「晴陽サン、甘えん坊だね」
 キッチンに立った紅月に東雲はぴったりとくっついて離れなかった。小鍋に赤ワインとケチャップとソースを大さじ6ずつ入れて沸かし、大さじ2の砂糖と5グラムのバターを入れて煮詰めていく。まだ完全にとろみが出る前に半分にわけて、片方は器にとっておく。残りをとろみがつくまで煮詰めたら火を止める。ひき肉に塩をひとつまみ混ぜて粘り気が出るまでよくこね、卵と牛乳でひたひたにしたパン粉を混ぜてまたこねる。すりおろした玉ねぎを加えてさらにこねて、空気を抜きながら成型してフライパンに並べていく。
「くぼませたりしないんだ?」
 テレビでよく見るよ、と東雲が言う。
「大丈夫だよ」
 しっかりと両面に焼き目をつけ、器にとっておいたデミグラスソースと少量のお湯を入れて煮込む。
 別のフライパンを用意して割り溶かした卵を焼いていく。くるりと包んだ半熟のオムレツを皿に山型によそったご飯の上に乗せて包丁で切り開く。デミグラスソースをかけて完成だ。
「すごい」
 東雲が褒めると、紅月は少しだけ苦しそうに顔を歪めた。 
「美味しいって。ママ、お料理上手だねって。そう、言ってくれた」
 紅月に子供がいるという話は、東雲も施設でちらっと噂程度に聞いたことがあった。どうして一緒に暮らしていないのか、今はどこにいるのか、東雲は全く知らない。今なら聞いてもいいような気がして、問いかけた。
「お子さんとは、会えないの?」
「会おうと思えばいつでも会えるよ。母ちゃんとこにいるんだ」
 東雲はその言葉でほっとした。聞いてみたはいいものの、その答え次第では後悔に苛まれることになっただろうから。
「長男が葵、次男が樹。葵は徳川家みたいに長く繁栄して欲しいから葵のご紋の葵。樹は大きく立派に育って欲しいから樹」
 紅月は歌うように述べた。
「どっちもやんちゃで大変なんだ、これが。まあ、しばらく会ってないから今はわかんないけど」
 寂しげな顔をしながら、紅月は東雲の頭を撫でた。
「葵くんと似てる?」
「ぜーんぜん。葵の方がもっと可愛いよ」
 そんなふうにふざけ合っているうちにハンバーグも完成した。紅月の手が東雲の顎に触れる。東雲はその手を掴んで紅月を壁に押し付けた。戸惑う姿は女性というよりも子供のように見えて、いけないことをしている気分になって手を離した。
「びっ、くり……した……」
「ごめん」
「キス、されるかと、思った」
 あ、してよかったんだ。東雲は前向きに考え、もう一度紅月を壁に押し付けた。逃げられないように脚の間に膝を割り込ませておく。
「噛んでもいいよ」
 噛みつきたいって顔してる。
 紅月がそう囁いたので、東雲は彼女の細い首筋に甘く歯を立てたをぴくりと肩を震わせた紅月が、それでも痛みを訴えないことをいいことに、何度も甘噛みを繰り返す。
 しばらくあぐあぐと噛んで冷静さを取り戻した東雲は、腰が抜けて立てなくなってしまった紅月の代わりに盛り付けをした。
「よく我慢したよね。空音サンなら最後までしてって言うかと思った」
 紅月はバツが悪そうに目を逸らしながら頭をかいた。
「だって、好きだからこそしたくない、なんて言う晴陽サンに求めたら、めんどくさいことになりそうだし」
「ふ、それはそうかもね」
 我慢してくれてありがとう、と頭を撫でる東雲に、紅月は柔らかい笑みを浮かべてみせるのだった。
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