19世紀イングランド風の異世界。未来で悪役になる貴族の息子を、メイドの私が溺愛して運命を変えます

ねこまんまる

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10 夜の泣き声

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私は石造りの床に膝をつき、ベッドの高さに目線を合わせた。
 
「うるさくなんてありません。泣きたいときは泣いていいんです。ひとりで眠るには、夜はさみしいものです。
もしよければ、少しだけ、おそばにいても?」

レオンは、しばらく黙っていた。
やがて小さく首をたてに振り、声にならないむせび泣きをこぼれた。

私は、少年の細い肩に、そっと手を乗せた。
軽く触れるだけ。
それが、メイドがゆるされる、ぎりぎりの優しさ。

19世紀イングランドの屋敷では、メイドが主人の子どもを抱きしめるのは、基本的には禁止されている。
 
この時代の階級社会は、非常にきびしかったため、抱擁は、階級を越えた“親密すぎる行為”と見なされた。

でも、レオンがあまりにも泣くので、私のなかに迷いがうまれた。
 
執事・夫人・家令が見ていない状況であれば、おとがめはされないだろうか。

レオンは肩を大きく震わせながら、喉が詰まったように涙を流している。
泣き続ける子を、ひとりきりにしたくはない。

周囲に誰もいないことを確かめ、そっとレオンの小さな体を抱きよせた。

「大丈夫です、レオン坊ちゃま。誰にも聞こえません。ここにおります」

凍った体温が少しずつ溶けていくかのように、レオンは私の腕のなかで震えを止めた。

それにしても、こんなにさびしがっているのに、侯爵様と侯爵夫人は何をしているんだろうか。
 
ヴィクトリア朝の貴族は、親が子どもの世話をしない。
だから、乳母・ナーサリーメイド(※子供の世話専門)が“実質的な母親代わり”となる。
子どもの感情ケアは、下働き女性の役割なのだ。

でも、乳母がつくべき年齢なのに、レオンのそばには誰もいない。
本来なら、乳母が夜泣きに対応するはずの時間だ。
けれど、レオンはひとりで暗い部屋に置かれている。

「レオン坊ちゃま……なにか、苦しいことがございましたか?」

私が問いかけると、レオンは小さく息を飲み、私の袖口をぎゅっと握りしめた。
 
「……夜になると、こわくなるんだ。いつも、乳母に、ぼく……殴られてたんだ」

心臓が跳ねた。
でも、驚いた表情を悟られないよう、そっとレオンの手を包む。

「乳母が……? レオン坊ちゃまに……?」

「いつも、怒ってた。“手がかかる子”って……“役立たず”だって……冬なのに、水差しの冷水をかけられたり、朝の洗面をわざと冷たい水でやられたり……
いやがったら叩かれて……泣いたら、もっと……」

レオンは迷うように、自分の寝間着の袖をまくる。
細い腕の皮膚には、あざがいくつも散らばっていた。
帯状のものは、むちで叩かれたあとだろうか。
この時代でも、上流階級家庭では『鞭でしつける』文化が完全には消えてない。

衣服の下に隠れる部分を狙われたようだ。
上腕、脇腹、太ももなどを、青あざが出るほど叩くだなんて。
 
沐浴もくよく(※体を洗うこと)は看護のひとつでもあったし、泣いたら叩くことは“しつけです”と主張できるため、こういったことはバレにくい。

当時のイングランドの貴族・上流家庭では、子育てのほぼすべてを乳母にまかせている。

親は子どもとあまり接しないし、ナースリー(子ども部屋)は屋敷の上階・奥部で、親の目が届かない。

さらに、乳母は下層階級女性が雇われるため、監視が弱くなる。
この環境が、虐待を“見えないもの”にしていたのだ。

19世紀の屋敷では、乳母が子どもにきびしくするのはめずらしくないけれど、これはさすがにやりすぎだ。
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