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11 次男の心の傷
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レオンは、唇を噛んだ。
「でも……本当は……それだけじゃない。
ぼく……あの日、もう息ができなくなるほど叩かれて……頭の中が真っ黒になって……
気づいたら、乳母が床に倒れてた。
ぼくの……闇魔法のせいだと思う」
私の指先がわずかに震えた。
闇魔法――それは、この世界では黒魔術のようなあつかいを受けている力。
19世紀の後半、上流階級では“オカルト学”がブームになっており、心霊術(スピリチュアリズム)、降霊会が存在した。
闇魔法も、これらとおなじようなものだけど、イングランド国教会は魔術を否定。
そのため、貴族社会では、闇魔法は宗教的にも政治的にも“危険思想”とみなされている。
実際に、闇魔法は危険な魔法であり、あつかい方を知らない子どもが発動すれば制御はできない。
レオンは泣きそうな顔で続けた。
「こわかった……誰にも言えなかった。
また、ぼくが“悪い子”って言われる気がして……だから、誰も来てくれなくなったのは、当然だと思ってた」
この子は、暴力の被害者であるだけでなく、そのあと自分を責め続けていたのだ。
私はそっとレオンの両手に自分の手を重ねた。
「レオン坊ちゃま……
それは、あなたが悪かったのではございません。叩かれていい子どもなんて、ひとりもいません。
魔法が出たのは、あなたが苦しかったからです。あなたを守ろうとした力です」
「……エマは……ぼくを、嫌いじゃない?」
「嫌うものですか。私は、坊ちゃまがここにいてくださるだけで、安心なのです」
その瞬間、レオンの目にたまっていた涙が、音もなくこぼれ落ちた。
レオンの小さな体をだきしめながら、私は考える。
乳母を、レオンから引き離さなければ。
この時代、乳母を非難することは、中流メイドである私の立場では決して許されない。
乳母は、屋敷内で最も権威の強い使用人の一人なのだ。
19世紀イングランドの上流・上中流家庭では、乳母は子どもの全権管理者であり、メイドより格が高く、主人からの信頼も強い。
使用人の序列でいえば、乳母はメイドより上の階級に分類される。
そのため、私が虐待の現場を見て、侯爵様に「乳母が次男坊ちゃまにひどいことをしています!」と通報しても、『主人の育児方針へ口をはさんだ』とみなされる。
場合によっては、私は即日解雇だ。
それに、侯爵様が虐待を知ったとして、調査をしてくれるとは思えない。
私は考えながら、レオンの頭をなでた。
「レオン様。夜が怖かったら、呼んでください。ここに来るだけなら……私に許されています」
「来て……くれるの?」
「はい。私はあなたを、おひとりにはしません。レオン坊ちゃまが落ち着くまで、ずっとおります」
部屋にある真鍮製のオイルランプの弱い炎が、泣き疲れた少年の横顔を照らした。
◇
灰色がかった夜明けの光が、ゆっくりと屋敷の屋根裏部屋まで染み込んでくる。
19世紀のイングランド(とくにロンドン含むイングランド南部)の朝は、しばしば“灰色”になる。
曇天の多い海洋性気候で、朝の光は柔らかく、石炭の煙が空気に滞留して曇り空がさらに灰色に見えるのだ。
私は誰よりも早く起き、メイド用の通路を抜けて廊下に出た。
昨夜レオンの部屋で過ごしたのは、ほんの短い時間。
本当は朝まで添い寝してあげたかったけど、主人の息子の部屋に長居することは許されない。
だから私は、泣き止んで眠りについたレオンを見届けて、暖炉の石炭に魔法で火をつけてから静かに退室したのだ。
そうして今。
小さく息を整え、レオンの部屋の前で扉をノックした。
「レオン坊ちゃま。朝でございます。お飲み物をお持ちしました」
返事はない。
いつもなら、それで終わり。
彼は人を寄せつけない。
部屋に入っても、視線さえ向けてこない日もあった。
「でも……本当は……それだけじゃない。
ぼく……あの日、もう息ができなくなるほど叩かれて……頭の中が真っ黒になって……
気づいたら、乳母が床に倒れてた。
ぼくの……闇魔法のせいだと思う」
私の指先がわずかに震えた。
闇魔法――それは、この世界では黒魔術のようなあつかいを受けている力。
19世紀の後半、上流階級では“オカルト学”がブームになっており、心霊術(スピリチュアリズム)、降霊会が存在した。
闇魔法も、これらとおなじようなものだけど、イングランド国教会は魔術を否定。
そのため、貴族社会では、闇魔法は宗教的にも政治的にも“危険思想”とみなされている。
実際に、闇魔法は危険な魔法であり、あつかい方を知らない子どもが発動すれば制御はできない。
レオンは泣きそうな顔で続けた。
「こわかった……誰にも言えなかった。
また、ぼくが“悪い子”って言われる気がして……だから、誰も来てくれなくなったのは、当然だと思ってた」
この子は、暴力の被害者であるだけでなく、そのあと自分を責め続けていたのだ。
私はそっとレオンの両手に自分の手を重ねた。
「レオン坊ちゃま……
それは、あなたが悪かったのではございません。叩かれていい子どもなんて、ひとりもいません。
魔法が出たのは、あなたが苦しかったからです。あなたを守ろうとした力です」
「……エマは……ぼくを、嫌いじゃない?」
「嫌うものですか。私は、坊ちゃまがここにいてくださるだけで、安心なのです」
その瞬間、レオンの目にたまっていた涙が、音もなくこぼれ落ちた。
レオンの小さな体をだきしめながら、私は考える。
乳母を、レオンから引き離さなければ。
この時代、乳母を非難することは、中流メイドである私の立場では決して許されない。
乳母は、屋敷内で最も権威の強い使用人の一人なのだ。
19世紀イングランドの上流・上中流家庭では、乳母は子どもの全権管理者であり、メイドより格が高く、主人からの信頼も強い。
使用人の序列でいえば、乳母はメイドより上の階級に分類される。
そのため、私が虐待の現場を見て、侯爵様に「乳母が次男坊ちゃまにひどいことをしています!」と通報しても、『主人の育児方針へ口をはさんだ』とみなされる。
場合によっては、私は即日解雇だ。
それに、侯爵様が虐待を知ったとして、調査をしてくれるとは思えない。
私は考えながら、レオンの頭をなでた。
「レオン様。夜が怖かったら、呼んでください。ここに来るだけなら……私に許されています」
「来て……くれるの?」
「はい。私はあなたを、おひとりにはしません。レオン坊ちゃまが落ち着くまで、ずっとおります」
部屋にある真鍮製のオイルランプの弱い炎が、泣き疲れた少年の横顔を照らした。
◇
灰色がかった夜明けの光が、ゆっくりと屋敷の屋根裏部屋まで染み込んでくる。
19世紀のイングランド(とくにロンドン含むイングランド南部)の朝は、しばしば“灰色”になる。
曇天の多い海洋性気候で、朝の光は柔らかく、石炭の煙が空気に滞留して曇り空がさらに灰色に見えるのだ。
私は誰よりも早く起き、メイド用の通路を抜けて廊下に出た。
昨夜レオンの部屋で過ごしたのは、ほんの短い時間。
本当は朝まで添い寝してあげたかったけど、主人の息子の部屋に長居することは許されない。
だから私は、泣き止んで眠りについたレオンを見届けて、暖炉の石炭に魔法で火をつけてから静かに退室したのだ。
そうして今。
小さく息を整え、レオンの部屋の前で扉をノックした。
「レオン坊ちゃま。朝でございます。お飲み物をお持ちしました」
返事はない。
いつもなら、それで終わり。
彼は人を寄せつけない。
部屋に入っても、視線さえ向けてこない日もあった。
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