19世紀イングランド風の異世界。未来で悪役になる貴族の息子を、メイドの私が溺愛して運命を変えます

ねこまんまる

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16 次男のトラウマ

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ベイワース侯爵家の屋敷は、古い灰色石で組まれている。
外観こそ壮麗だけど、19世紀前半のイングランド貴族の屋敷に典型的な、階層ごとの差が内部にくっきり表れていた。

子どもたちの生活空間であるナーサリー階(※子供部屋の階層)は、主階(※主人階層)よりもずっと冷え込む。
暖炉の規模も小さく、廊下は石張りのまま、夜になると音が吸い込まれるように静かだった。

十歳の次男レオンが暮らすのも、その静寂に包まれた一角だ。
この階は家庭教師とナーサリーメイドが管理する場所で、侯爵家の大人たちの目があまり届かない。

レオンは、ときおり深夜にうなされる。
長い間、暗い部屋に閉じ込められていたことや、乳母から受けた乱暴な“しつけ”のせいだと、屋敷の者たちは薄々察していた。

彼の寝室は、北側の隅にある。
19世紀の屋敷では、息子であっても家督を継がない次男は優先度が低く、日当たりの悪い部屋や古い家具がまわされることも珍しくなかった。
暖炉の火力も弱く、子ども部屋にしてはあまりにも寒い。

その夜も、私は深夜の巡回中に、すすり泣く声を聞いた。

――レオン様だ。

私は急いで扉をノックし、静かに入室した。

室内はカーテンをしめきったまま。
月明かりもほとんど入らず、石壁に囲まれた空間は布団越しに冷気がただよう。
小さな影がベッドの上で身を縮め、薄い毛布を胸に抱えて震えていた。

「……レオン様、大丈夫でございますか?」

私はオイルランプに火を入れ、眩しくならないよう芯を短く整える。

本来なら、メイドが主人の息子の身体にふれるのは原則として許されない。
でも、ナーサリー階では“子どもの看護”に限り、軽い抱擁や肩を支える行為は黙認された。
身分の境界線はきびしかったけど、幼い子どもをなぐさめる必要がある場合のみ、例外が存在する。

私は、迷わずに近づいた。
ベッドで寝ていたレオンは、きゅっと目を閉じ、息を荒くしている。

「や……だ……やめて……」

その声は、誰かの悪意から逃れようとする子どもの声だった。

私はベッドのはしに腰をおろし、震える肩にそっと手を添える。
強く抱くことはできない。
けれど、“落ち着かせるための軽い抱き寄せ”は看護行為としてみとめられるはず。

「レオン様、もう大丈夫です。あの乳母はここにはおりません。私は、あなたを傷つけたりいたしません」

その言葉に、レオンの小さな指が私の袖をつかんだ。

「……エマ、こわい……離れないで……」

私はためらいながらも、片腕だけ、そっと彼の背へまわした。
胸に抱き寄せたり、顔を覆ったりはしない。
ただ、寒さと恐怖を和らげるためのごく控えめな温もりを与えるだけ。

それでも、レオンの肩の震えは少しずつ弱まっていった。

「大丈夫です。朝になるまで、私はここにおります」

レオンは、しゃくりあげながら私に体を寄せ、やがて安らかな呼吸へと落ち着いていく。

幼い子が眠りにつくまで寄り添うこと――
これは、19世紀のメイドに許された仕事のひとつでもある。

私は彼の手をそっと布団に戻し、乱れた毛布を整えた。

――この子だけは、守らなければ。
前世で見たあのゲームのラスボスにならないように、私がどうにかしてみせる。

身分を越えた決意が、胸の奥で静かに燃えた。



その日の朝。
私はレオンの汗をぬぐった古いタオルを洗ってしぼり、ナーサリー階の洗面室から出てきた。

石造りの階段を降りる足音。
背後で、誰かがこちらへ向かってくる。

姿を現したのは、乳母アグネス・クックだった。

太い体躯に、キャップの下できつくまとめた灰色の髪。
19世紀の古い乳母に典型的な、“子どもは泣かせてしつけるもの”という価値観をにおわせる厳しい表情。

ナーサリー階の入り口に“門番”のように立つその姿は、幼いレオンにとっては影のような恐怖であっただろう。

彼女は先日、レオンの暴走した闇魔法に巻き込まれ肩を負傷し、休んでいたはずだ。
だが、その足どりは思ったよりしっかりしていた。
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