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第4話 旦那の魂を売りたい
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今日も街に朝日が昇る。
リリムは雅宗の作った朝食を口にして、その日のエネルギーをしっかりチャージした。営業たるもの、身体が資本である。
「よーし、雅宗さんのご飯食べたら元気が湧いてきました! 今日も頑張るぞー!」
「はいはい。今日も飛び込み営業か?」
「ふっふっふ……今日の営業はひと味違いますよ」
「ほう。自信ありげだな」
「毎回『こんにちは契約してください』だけでは芸が無いですからね。少し変化球で人間さんを釣ろうと思います」
リリムの不可解な言葉に、雅宗は首を傾げるのみ。
『魂、買い取ります!』
リリムは商店街の端に座り込み、そんな文言が書かれた旗を置いていた。
ちなみに、当然商売の許可は得ていないのだが、商店街の人々は悪魔を恐れていたため、近寄ることすらままならない。
買い物客からも奇異の目で見られ続けるリリムであったが、彼女の物欲センサーは「ここに自分を求めてくる人が必ずいる」と告げている。
それを信じ、待つこと1時間。
とある女性が、リリムの前に立った。
「あなた、悪魔……よね? 本当に買い取ってくれるの?」
小声で話しかける女性に、リリムは笑顔でうなずく。
女性の名前は藤白かな子という。一般家庭の主婦で、子どもは既に巣立っていた。
かな子の家に呼ばれ、ついていったリリムは、お茶とお菓子をいただきながら、彼女の話を聞く。
「どちら様の魂を買い取りましょうか」
かな子は床に正座したまま、うつむいて服のすそをぎゅっと掴んでいる。何かに耐えているようだった。
「私の、……旦那の魂を売りたいの」
「旦那さん、ですか」
「結婚して最初は幸せだったけど……。子どもの世話、家事、義両親の介護。全部私に丸投げで。子どもが巣立ったあとは、私に『お疲れ様』の一言もなく、自分だけ『第二の人生!』とばかりに釣りやゴルフ三昧……。毎日、彼の笑い声を聞くことすらストレスなの」
リリムはズズ……とお茶をすすって飲む。
「だから決めたの。旦那の……健一さんの魂を売って、旦那抜きで新しい人生を手に入れる。ちょうどリリムさんが魂を買い取ってくれるって旗を見たときに思いついたけど、なかなかいいアイデアだわ」
「なるほど。大変だったんですね。それでは契約書にサインを」
かな子は契約書に名前を書こうとするが、震える手でペンを書類に近づけたり遠ざけたりを繰り返しており、葛藤が見えた。
それでも、なんとか自分の名前をすべて書き終える。
「ありがとうございます。それでは、旦那さんが帰宅次第、魂の価格を査定しましょう。日本円でよろしいですか?」
「ええ……」
かな子は心ここにあらず、といった状態で、天井の隅を見つめていた。
そこへ、「ただいま」と何も知らない健一が帰ってくる。彼はどこかそわそわとした様子だった。
「おかえりなさい……」
かな子は少し緊張した笑みを浮かべている。
健一はその違和感に気づかず、「これ、よかったら」と彼女に花束を渡した。
「これは……?」
「なんだ、お前忘れたのか? 昔は俺のほうが覚えてなくて、ずいぶんお前に叱られたもんだが」
健一は笑って、親指で壁のカレンダーを指し示す。
「あ……! もしかして、結婚記念日……?」
「そうだよ、本当に忘れてたんだな」
健一は声を上げて笑った。
そして、スッと真剣な面持ちでかな子に向き直る。
「俺、お前に育児も家事も両親のことも任せきりで悪かったよ。仕事を理由にずっと目を背けてきた。でも、俺ももう定年だ。これからはもっと、お前と支え合って生きていきたい」
かな子は健一の言葉に感極まって、リリムの存在を忘れたかのように、両手で口を押さえ、目に涙を浮かべていた。
リリムの目の前で、彼女が小さく震えながら呟く。
「私……、私、なんてことを……あんなものにサインしようとして……」
「ん? お客さんが来てたのか」
そこで、健一はやっとリリムの存在に気付いた。
リリムは「奥様、査定しますか?」と尋ねる。
「いえ! やっぱり今回の契約、なかったことにしてちょうだい!」
結局、リリムは健一の魂を奪うことはできなかったが、その顔は晴れやかだったという。
「――ふーん、今日はそんな感じだったのか」
「はい! とっても素敵なご夫婦でしたよ」
雅宗の家。
彼がよそってくれた茶碗を受け取りながら、リリムは元気に答える。
「ずいぶん機嫌がいいなとは思っていたが……お前、そんな仕事ぶりで大丈夫なのか? ちゃんと地獄に帰れるんだろうな?」
「おや、雅宗さん、私の心配をしてくれるんですか?」
「そりゃ、いつまでも家に居座られても困るからな……」
雅宗はやれやれと肩をすくめていたが、リリムは彼がそんなに薄情な人間ではなさそうだと本能で察していた。
そこへ、つけていたテレビから、あるニュースが耳に飛び込んでくる。
「――株式会社〇〇が事業の失敗により倒産、多額の借金を抱え――」
その文言に、リリムの肩がビクッと震えた。
「……リリム? 大丈夫か?」
「は、はい……」
彼女の反応を察し、雅宗はつられてテレビを見る。
リリムの箸を持つ手は震えていた。
「……私が人間界に来た理由を、まだ雅宗さんにはお話していませんでしたね」
リリムは硬い表情で口を真一文字に引き結んでいる。
「私が悪魔営業になった理由を、明かしましょう――」
〈続く〉
リリムは雅宗の作った朝食を口にして、その日のエネルギーをしっかりチャージした。営業たるもの、身体が資本である。
「よーし、雅宗さんのご飯食べたら元気が湧いてきました! 今日も頑張るぞー!」
「はいはい。今日も飛び込み営業か?」
「ふっふっふ……今日の営業はひと味違いますよ」
「ほう。自信ありげだな」
「毎回『こんにちは契約してください』だけでは芸が無いですからね。少し変化球で人間さんを釣ろうと思います」
リリムの不可解な言葉に、雅宗は首を傾げるのみ。
『魂、買い取ります!』
リリムは商店街の端に座り込み、そんな文言が書かれた旗を置いていた。
ちなみに、当然商売の許可は得ていないのだが、商店街の人々は悪魔を恐れていたため、近寄ることすらままならない。
買い物客からも奇異の目で見られ続けるリリムであったが、彼女の物欲センサーは「ここに自分を求めてくる人が必ずいる」と告げている。
それを信じ、待つこと1時間。
とある女性が、リリムの前に立った。
「あなた、悪魔……よね? 本当に買い取ってくれるの?」
小声で話しかける女性に、リリムは笑顔でうなずく。
女性の名前は藤白かな子という。一般家庭の主婦で、子どもは既に巣立っていた。
かな子の家に呼ばれ、ついていったリリムは、お茶とお菓子をいただきながら、彼女の話を聞く。
「どちら様の魂を買い取りましょうか」
かな子は床に正座したまま、うつむいて服のすそをぎゅっと掴んでいる。何かに耐えているようだった。
「私の、……旦那の魂を売りたいの」
「旦那さん、ですか」
「結婚して最初は幸せだったけど……。子どもの世話、家事、義両親の介護。全部私に丸投げで。子どもが巣立ったあとは、私に『お疲れ様』の一言もなく、自分だけ『第二の人生!』とばかりに釣りやゴルフ三昧……。毎日、彼の笑い声を聞くことすらストレスなの」
リリムはズズ……とお茶をすすって飲む。
「だから決めたの。旦那の……健一さんの魂を売って、旦那抜きで新しい人生を手に入れる。ちょうどリリムさんが魂を買い取ってくれるって旗を見たときに思いついたけど、なかなかいいアイデアだわ」
「なるほど。大変だったんですね。それでは契約書にサインを」
かな子は契約書に名前を書こうとするが、震える手でペンを書類に近づけたり遠ざけたりを繰り返しており、葛藤が見えた。
それでも、なんとか自分の名前をすべて書き終える。
「ありがとうございます。それでは、旦那さんが帰宅次第、魂の価格を査定しましょう。日本円でよろしいですか?」
「ええ……」
かな子は心ここにあらず、といった状態で、天井の隅を見つめていた。
そこへ、「ただいま」と何も知らない健一が帰ってくる。彼はどこかそわそわとした様子だった。
「おかえりなさい……」
かな子は少し緊張した笑みを浮かべている。
健一はその違和感に気づかず、「これ、よかったら」と彼女に花束を渡した。
「これは……?」
「なんだ、お前忘れたのか? 昔は俺のほうが覚えてなくて、ずいぶんお前に叱られたもんだが」
健一は笑って、親指で壁のカレンダーを指し示す。
「あ……! もしかして、結婚記念日……?」
「そうだよ、本当に忘れてたんだな」
健一は声を上げて笑った。
そして、スッと真剣な面持ちでかな子に向き直る。
「俺、お前に育児も家事も両親のことも任せきりで悪かったよ。仕事を理由にずっと目を背けてきた。でも、俺ももう定年だ。これからはもっと、お前と支え合って生きていきたい」
かな子は健一の言葉に感極まって、リリムの存在を忘れたかのように、両手で口を押さえ、目に涙を浮かべていた。
リリムの目の前で、彼女が小さく震えながら呟く。
「私……、私、なんてことを……あんなものにサインしようとして……」
「ん? お客さんが来てたのか」
そこで、健一はやっとリリムの存在に気付いた。
リリムは「奥様、査定しますか?」と尋ねる。
「いえ! やっぱり今回の契約、なかったことにしてちょうだい!」
結局、リリムは健一の魂を奪うことはできなかったが、その顔は晴れやかだったという。
「――ふーん、今日はそんな感じだったのか」
「はい! とっても素敵なご夫婦でしたよ」
雅宗の家。
彼がよそってくれた茶碗を受け取りながら、リリムは元気に答える。
「ずいぶん機嫌がいいなとは思っていたが……お前、そんな仕事ぶりで大丈夫なのか? ちゃんと地獄に帰れるんだろうな?」
「おや、雅宗さん、私の心配をしてくれるんですか?」
「そりゃ、いつまでも家に居座られても困るからな……」
雅宗はやれやれと肩をすくめていたが、リリムは彼がそんなに薄情な人間ではなさそうだと本能で察していた。
そこへ、つけていたテレビから、あるニュースが耳に飛び込んでくる。
「――株式会社〇〇が事業の失敗により倒産、多額の借金を抱え――」
その文言に、リリムの肩がビクッと震えた。
「……リリム? 大丈夫か?」
「は、はい……」
彼女の反応を察し、雅宗はつられてテレビを見る。
リリムの箸を持つ手は震えていた。
「……私が人間界に来た理由を、まだ雅宗さんにはお話していませんでしたね」
リリムは硬い表情で口を真一文字に引き結んでいる。
「私が悪魔営業になった理由を、明かしましょう――」
〈続く〉
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