アドレナリンと感覚麻酔

元森

文字の大きさ
52 / 168
第二章 第五話

53 橘(たちばな)*

しおりを挟む
 橘は、聖月にとって嫌な常連だった。
 顔はきっと50代ぐらいの中年だが、小向のように整っている。威厳があって、厳しそうな人だと分かる皺が深く刻まれている男だった。どこかで見たことがあるかもしれない顔だったが、どこで見たかは分からない。
 橘は2回目に聖月が受け持った客だった。初めての客と同じように素っ気無く挨拶したのに、橘は逆に嬉しそうにしていた。そして、初めて言った言葉が
『DVD見たよ。すごくよかった』
 だったので、聖月は思わず固まってしまった。初めの客と同じように自分の態度に不服を持ち、そのまま帰って欲しかった聖月はしまったなと思った。この人はまずい、と。
 橘は、聖月をホテルの食事に誘い、フレンチをご馳走するとペラペラと自分の職業やなんやらを話し始めた。
 橘という名前は偽名だという。それを云っていいのかと思っていたが、彼がそう言っているのでいいのかもしれない。そして、次には私のことを見たことがないかと聞いてきた。ないというと、珍しいねと橘は笑った。
 橘は、テレビのニュース番組でたまに特集を組まれるぐらい有名な国会議員だという。聖月は驚いた。こんな議員という立場の人が、男を好きだなんて、しかもあんな悪趣味なDVDを見て聖月を指名するなんて。男に失望しながら、聖月は話を聞いていた。橘の左手の薬指には指輪が光っている。また聖月は橘に失望し耳を傾ける。
 失望はそのままその夜に、最悪な形で実現することになった。橘は、最悪の趣向を持っていた。それが分かったのは、その日の夜のホテルだった。男はホテルの部屋につくと、聖月を「セイ、脱いで」と指示をした。嫌です、と云いたかったが従わないとどうなるかは想像出来た。聖月は仕方なく従う。
 そして、ベットに上がれと云われ、嫌な予感がした。後ろを振り返らずにいると、大きな衝撃が背中に伝わる。脳天が抉られる痛みに、聖月は喘いだ。うう、だとか、ああ、だとか獣に喉に食らいつかれた小動物のような断末魔をあげて聖月はのたうち回る。
 ―――打たれた。
 後ろを振り向くと、嬉々とした表情で、鞭を持った橘がそこにはいた。異様な光景で、寒気がしてくる。あの人にされたことが、頭の中でフラッシュバックして、段々と恐怖が湧き上がってきた。聖月は思わず「助けてくれ」と助けを請うた。だが、橘は笑うだけだった。
 もっと嫌な予感がしてきて、うわあと大声で叫ぶ。聖月は恐怖にひきついた顔をしているはずなのに、橘は首を傾げもう一度鞭を振り上げた。
 抉るような衝撃が何度か繰り返された。聖月は、何も言葉も出なくなり、ただ泣くだけだった。橘は、やりすぎた、と一言言うと、ごめんねと謝ってきた。意味が分からない。謝るんだったら、やらないで欲しい。
 ただ、聖月は早くこんなの終わって欲しいと願っていた。そして動かなくなった、マネキンのような聖月を橘は抱いた。痛みを通り越して、暴力になりかけたところで、意識を失った。
 朝起きると、その場に橘は居た。声も出せない聖月に、また笑顔で、「よかった。また来るよ」と、驚くことを言ってそのままお金を置いて帰っていった。このお金は、料金外なのでチップだった。机に置かれた額を見て、聖月は瞠目するしかなかった。
 聖月には何故自分が、男に気に入られたのか分からなかった。まず指名した理由が分からない。
 聖月はずっと痛がっていたしサービスというサービスもしていない。顔も綺麗なほうではないと、自分でも分かっている。その疑問を、聞きたくなかったが、蒼に聞いてみると意外な回答が返ってきた。
『お前、DVD見られて気に入られたんだろ。しかも鞭OKにしてるバカなやつお前ぐらいだし』
 話を聞くと、小向が聖月のDVDを売ったのは上のほうの会員らしい。金持ちは、そういう趣味の人が多いと蒼は失礼なこともついでに付け足してきた。
 つまり、蒼が云うには、DVDを見て気に入った橘が、鞭が大丈夫なようにしている聖月を知ってもっと気に入ったということだった。鞭を大丈夫にした自分を、今更ながら恨んだ。しかも鞭は特殊なプレイなので破格らしいが、それが出来るのはほぼディメントだけなので、破格の値段をはらってまでやりたがる輩はたくさんいるのだという。
 聖月は、自分がおかした失敗を悔やんだ。今更NGなプレイをかえられないのが、なお辛い。
 蒼は、さらにそいつまたお前を指名するかもねと、笑った。その言葉のままに、橘はまたやってきた。
 今まで3年の間、男が来た回数は数知れない。月に3、4回来る橘に聖月は悩まされた。橘は特殊な、精神的にも辛いものしか聖月に与えなかった。ある意味売り上げランキングで3位になったのも、橘が一役買っている気がしてならない。彼は上位になり指名料が破格になった聖月を、まだ指名し続けている。
 橘がこの前来たのは2週間前だったので油断していた。明日は、大学がある日だ。それでオールとはなかなか辛いものがある。オールとは、泊まりと同等のことだった。だが明後日の講義は4限からなのでまだましなのかもしれない。
「だとしても嫌なんだよなー…」
 はあ、とため息をついて聖月は項垂れた。聖月の背中は、いつもより小さく見えた。



 ――次の日。
 嫌なものは、あっけなく来た。大学の講義も終わり、衛と別れたあと、施設――ではなく寮に戻りスーツを着て部屋で待っていた。
 しばらくして、同伴の小奇麗なコウという名の20歳の男がやってきた。今日は彼が同伴だということだった。ランキング上位のものには、客に指名されホテルに向かうとき必ず同伴がついてくる。そういう仕組みらしかった。とは云っても、安全だと判断した場合などはつけなくてもいいらしい。
 同伴といっても、だいたいはタクシーを呼んで、その車のなかで聖月の話相手をするだけだが。だいたいにして聖月にはコウと話す内容がないので困る。
 コウはまだ入ったばっかりの下のほうの、蝶だった。コウはおしゃべり好きで無表情の聖月に構わずに話しかけてくる。
 だから今日は聖月のことをタクシーで、根掘り葉掘り聞くのである。
「セイさん。セイさんは、なんでランキングで上位取れたんですか? コツとかあるんすか?」
 コウがケイと同じようなことを云ってきて、つい笑ってしまった。
「コツ? コツなんてないよ。いつの間にこうなってたから」
「いつの間にって…それじゃわかんないじゃないですか」
 コウが、不思議そうな顔をしてタクシーの窓を見ている。ネオン街を見て、彼は何を思っているかは表情からは読み取れない。
「うん。分かんないほうがいいよ。参考にならないだろうし、コウくんには上にはなってほしくないから」
「ライバルになりたくないってことですか?」
「…そういうことじゃないよ」
 彼は、聖月が言いたいことを誤解していた。それもそうかもしれない。聖月の言い方は、誤解を招く言い方だったからだった。だが聖月は反論する理由を考えたが、それを聞いたコウがどんな顔をするのかを想像してやめておくことにした。云ったところで、彼を変な気分にさせてしまうだけだろう。
 コウは聞いた話だと、借金をした両親に売られるような形でここに入ったらしい。ここに来る人たちは、哀しい境遇ばかりだった。その中ではコウは明るい性格で、蝶のなかにはコウを同伴にしたがる人も多いらしい。
 コウは、早くお金を返したいといっていた。聖月が借金のお金を返してあげようかというと、コウは断わった。そもそもここでは男娼同士での、お金の貸し借りはご法度なのだが。だから、同伴をつけると金が聖月の接客代から引かれコウに支払われるので、間接的に聖月はコウにお金を渡していた。
 お金なんて、聖月には要らなかった。お金より、早くDVDを回収していたい。
 この前預金を見たら軽く8桁を超えていたので、むしろコウにあげたいぐらいだった。聖月には、このお金を自分で使おうとは考えなかった。むしろ使いたくなかった。聖月が、まただんまりだったので、またまた誤解したらしいコウはいう。
「意外と抜け目ないっすね、セイさん」
「……」
 俺も頑張らないとな、と笑ってみせるコウになんだか救われた気がした。









 コウとはタクシーで別れ、橘がいるホテルに入った。金持ちはすごいなあ、としかいいようがない豪華絢爛なホテルに、そろそろ慣れてきた聖月だったが場違いなことには変わりない。客の不躾な視線に耐え切れずに、聖月はロビーから早々と去った。橘から言われている部屋番号に入るため、エレベーターに乗った。

 ホテルマンに行く階を告げると、一瞬彼は驚いた顔をしていたが、そこはプロなので丁寧な対応をしてくれた。告げた階は、所謂このホテルのスイートルーム。一泊するだけで莫大なお金がかかる。
 聖月は、つい笑ってしまった。橘という男の性格の悪さに。スイートルームという、誰しもが喜びそうな空間に、狂気を孕んだ行為を行う。あの男はその背徳を愉しんでいるのだ。フロントで貰った鍵で、ドアを開けると素晴らしい部屋が目の前には広がっていた。
「……」
 これが、ディメントでの仕事でなかったらどんだけいいだろう。白い、綺麗な、優しい香りのするベットに横たわり聖月は目を閉じる。静寂は人を沈黙へといざない、睡魔に襲わせる。
 しばらくぼうっとしていると、しだいに足音が聞こえてきた。悪魔のようなドアが開き、スーツ姿の橘がそこにはいた。威厳のある立ち方で、目を引くが、聖月は無表情のまま迎える。
「こんばんは。ご指名をくださり、ありがとうございます」
 決まり文句をいって、頭を下げる。本当は来て欲しくなんてない。だが、こういう決まりだった。
「こんばんは。元気だった?」
「…はい」
 云いながら、橘は聖月を抱き寄せる。聖月の着ているスーツは、橘がくれたものだった。馬鹿高いスーツで、聖月は慄いたのをよく覚えている。聖月だって好きで着ている訳ではない。この間着てこなかったらそれをネタに散々身体を凌辱させられたのだ。
「…寂しかった? まあ、セイが私を待つのを望むなんてそんなのはないとは思うけどね」
「……」
「…ああ、こういっても無表情で無視をするから…だから君を選んだよ。私は」
 そういって、橘は背中に爪を立てる。背中に傷のある聖月が痛がると知って、ワザとの行動だ。
「ッ!」
「痛がるセイは可愛いからね」
 ああ、この人はもう――…。
 諦めた顔をしている聖月に、橘は嬉しそうな顔をして、次第に服を脱がし始めた。来たな、と聖月はいつも思う。肌に触れているはずの手から何も感覚がなくなっていく。これから、聖月はただの人形になる。マネキンのように、触られていても暖かさも、優しさも、痛みも、すべてが無になる。自分が木偶になっていく感覚が、そこにはあった。
 半裸になった聖月に手を這わせ、橘はキスをしてくる。唇を這わせたところから、舌が入ってきて、やがて口の中に何かあるような異物感があった。とっさに、聖月は橘に口から渡されたものを飲み込んでしまった。
「飲んだね」
 嬉しそうに、笑っている橘の顔にしまった、と聖月は混乱した。そして、客にとるべき態度をすぐさま取り戻した。
「橘様、俺は薬物NGです。1ヶ月の出入り禁止、さらに高額の金額を請求をいたします」
「私が薬を盛ったとも分からないのに、そんなことをいうのか」
 すべてを馬鹿にした態度で橘は微笑する。聖月は、静かに言った。
「分かります。これ、即効性でしょう」
 身体が熱い――。
 感覚のなくなった身体に、しだいに段々と熱さが身体を犯してくる。身体を赤くさせ、息を激しくさせて普段とは明らかに違う聖月に満足そうに橘は微笑んだ。
「ばれてしまったならしょうがない。即効性の媚薬、よく出来てるだろう? 効き目は抜群ってところかな」
「認めましたね。…一ヶ月の…出入り禁止…ですっ…はぁ…はぁ…」
 ――熱い。熱い。
 思わず、熱い吐息を漏らす。ただただ熱いのだ。媚薬といわれたそれによって、聖月は熱になったような熱さを感じていた。ただ、媚薬の特徴である、快楽は一切ない。橘がいやらしく触っているが、感覚も感じない。
 これが、聖月が3年間心を壊さずにディメントで耐えられ続けた秘密なのだ。これがばれてしまったらどうなるか分かったものではない、重大で常連を喜ばせてしまう秘密。そして、哀しい秘密だった。
 聖月は、ディメントでの性的奉仕の時だけ、体中に触れられても、触られた感覚が分からなくなる。まるで、マネキンのような状況。いってしまえば、身体と心が切り離された状況。鞭を打たれても、そのときは何も感じないのだ。すさまじい痛みが出てくるのは次の日だ。
 この感覚麻酔が出てきたのは、ディメントの蝶になって3回目の客を相手をしているときだった。
 さっきまで痛かったはずの、行為が『無』になってしまったのだ。感覚が異常になったと焦ったと共に、救われたと思った。神様は痛がる自分を救ってくれたのだと、感謝した。それがある意味間違いだと気づいたのは、それが終わったときだった。
 ――俺は、壊れ物になってしまった。
 行為が終わってから、そんな恐怖に聖月は陥った。感覚がないなんて、普通だったら――健常者だったらそんなのありえない。急いで医者に見せようと思ったが、なんて説明すればいいのか分からなかった。だから、今でも医者にも誰にも相談していない。
 聖月はディメントでも異色の存在だった。鞭を打ってもなにも声を上げない、無表情で客と交わる、どんな媚薬や苦しみをやっても呻き声もあげない。客は不気味がったが、ここはサディストが集まるディメントだ。そんな聖月を初めの頃のように泣かせたいとこぞって集まってくるやからも多い。
 そのことに気づいて聖月は、痛がる演技をすることに決めた。そして、今にいたるのである。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

チョコのように蕩ける露出狂と5歳児

ミクリ21
BL
露出狂と5歳児の話。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

隣の親父

むちむちボディ
BL
隣に住んでいる中年親父との出来事です。

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

処理中です...