アドレナリンと感覚麻酔

元森

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第二章 第八話

81 そういう話

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 こうやって笑う蒼の本性は、とんでもない悪人だ。
「いい、蒼が適当にいったことだろ」
 これ以上聞いてはいけない。まるで、アダムのようになったみたいだ。蛇に食べてはいけないと言われていたリンゴを勧められたような、あの罪の背徳感。悪魔の囁きに思えて、聖月は怖くなった。
 だめだ、聞いては―――。
 そう本能的に思い、聖月は背を向けた。そのまま歩き出そうとする聖月に、小さな衝撃が走る。
「まてよ」
 身体がつんのめって、聖月は身体を止まらせた。蒼が聖月の腕をひっぱり、引き留めたのだ。聖月は、蒼の繋がれる手の力の大きさにビクビクしながら、後ろをちらりと見る。
「な、んだよ」
「気になってしょうがない顔してんな。いっつも無表情キメてんのに、お友達のことになると変わるってか?」
 下品な笑みを浮かべ、蒼は言う。
 ぞっとして、聖月は腕を払った。
「勝手にいってろっ」
 そう叫びように言っても、蒼はただ楽しそうに笑うだけだ。それが恐ろしい。
 腕を振り払われたことも、別段気にしていないように見えた。普段だったら、文句もいいそうなのに、今はただ嬉しそうに自分の腕を触っている。聖月の不幸を何よりも望んでいる顔だ。
「まぁ、俺は優しいからな。教えてやるよ。お友達の名前は…十夜だっけ?」
 蒼の口から十夜と呼ばれてドキッとする。
 だが、前に聖月が話したことがあるので、蒼が知っていても別に何ら問題はない。なのに、なんでこんなに、恐ろしいんだろう。
 じっとしている聖月を、にやにやと見て蒼は悪魔の言葉を吐き続けた。
「アイツを、パーティで見かけたんだよ。ディメント主催のパーティでな」
「…っ」
 ドクン、と心臓が響く。
 これ以上聞いてはいけないとわかっているのに、真っ白になった頭は勝手に口を動かしていた。
「な、んで…十夜が、」
 声が震えて、身体も震えていた。
 蒼の顔が、何も見えない。ただ声が聞こえるだけだ。愉しそうな、声。
「さあな。でも近くに、喜多嶋議員がいたから、あの人の息子なんだろうって思ったけど」
 蒼の言葉は、歪な痛みを与える。
 聖月は反芻した。
「喜多嶋…議員…」
 喜多嶋…。
 ―――喜多島トシキ(きたじま としき)。
 それは聖月が、深い記憶の底に眠らせた十夜の実の父親の名前だった。それは、≪橘≫という偽名を使い、聖月を買う客の名前でもあった。聖月は、やっと現実の重さに気づき、鈍器で殴られたような衝撃が身体をつつむ。
 橘は、まるきり喜多嶋そのものじゃないか。
 あのテレビに映り、インタビューに答える橘。その優しげな笑みは、国の代表としてふさわしいものだった。なのに、橘はそんな綺麗なものじゃなかった。聖月をなぶり、泣かせ、叫ばせ、懇願させるのが好きな鬼畜野郎だった。
 テレビとのギャップは、想像を絶するものだ。
 最近はめっきりテレビをみなくなったが、その前はちゃんと橘の顔はちょくちょくテレビで見ていた。なのに自分は勝手に記憶のふたをとじて、そんなわけないと目を瞑ったのだ。
「世間って狭いよなぁ? テレビに出てるゲーノー人も、タレントも売れてきたモデルだってディメントにやってくんだぜ? 面白いよなぁ?」
 蒼はケタケタと嗤った。
 聖月は、耳を塞ぐように首を振った。
 こんな話聞きたくない。
「テレビで純情ぶってるあの木之部くんだって、俺に抱かれに来てんだぜ? 気持ちよさそうに腰振ってさぁ~、聖月にも見せてあげてぇ」
 ぎゃははと嗤う蒼に、聖月はたまらなくなって叫ぶ。
「聞きたくないっ」
 木之部(きのべ)とは、最近売れている若い実力派俳優だ。大学で女子がかっこいいと騒いでいるのを聞いたことがある。雑誌を見せてもらい、顔も知っている。圧倒的オーラがある、爽やか風のイケメンだった。
 聖月はそんな人も蒼の顧客なのかと、知りたくもなかったことを聞いてショックを隠し切れなかった。
「なんだよ、お前ああいうのがタイプなんじゃねえの?」
「違う、…そんなのが、聞きたいわけじゃないっ」
 蒼の笑う声が頭に響く。
 いやだ、聞きたくない。
 これ以上、人を嫌いになりたくない。信じられなくなるのは、もう嫌だ。聖月は、そんな思いにかられて、叫んだ。だが、そんな聖月の叫びを、蒼は一蹴するだけだ。
「ふーん、あっそ。こういう話嫌いなんだ」
 けらけらと笑っている蒼に、聖月はにらんだ。
「…なんで」
 蒼は、目を細めて静観している。その瞳は、ただ嬉しそうだった。
「…なんで、言ってくれなかったんだ」
 聖月の呻きに、蒼は目を丸くする。だが、すぐに目を細めた。
「言って何が変わった?」
 耳元に落とされた冷たい声は、聖月に直接訴えてくる。いつの間にか蒼の顔はすぐ近くにあって、その表情はとても冷たい表情だった。
「なんで…、って」
「俺が言って、何が変わったんだ? お友達がディメントに繋がってたと言って、聖月はどう行動するんだ? 何もできないじゃん。結局、お前がばれるのが早くなるか遅くなるだけの話で、何にも今とは変わらねえしな」
「っ…」
 蒼の言葉はその通りで、聖月はかたまった。
 真実は、あまりにも残酷で、もがこうとするとすぐにボロがでる。
 聖月は、目頭が熱くなり顔を俯かせる。蒼の言葉は、聖月の心を奈落へ落とすこともたやすい。
 ただ聖月は誰かのせいにしたかっただけだ。
「…なあ、つらい?」
「……」
 心配する言葉とはうらはらに、蒼の声は愉しそうだった。聖月は、首を振って否定した。
「友達にバレて、お前のその様子じゃ犯されたんだろ? かわいそうだなぁ、つらいなぁ…」
「ちがっ…」
 聖月は首を大きく振った。蒼の言葉は図星で、聖月は焦った。なんで、ばれたのかわからなかった。そんなに、今の自分は弱くなっていると気づかれるほどなのだろうかと、怖くなった。聖月は虚勢を張ろうとした。
「違う…十夜とはそんなんじゃ…」
 小さく笑う蒼の気配がする。
「嘘はいけないなぁ。ばれただけで、お前がこうなるわけがないだろ? お前と何年ここで住んでんだよ、バカだなぁ」
「違うっていってんだろっ」
 耳を甘噛みされて、聖月は蒼を突き飛ばした。
 驚いた顔をして、蒼は尻もちをついた。蒼の呻き声が聞こえて、聖月は怖くなって走り出す。後ろは振り向かなかった。どうしてか、蒼の罵声は聞こえない。いつもなら、聖月に罵声を浴びせているところなのに。
 聖月はそれを疑問に思いつつ、走った。走っているうちに、そんな疑問はどこかにいってしまった。
 蒼しかいなくなった廊下で、誰かが近づいてくる音が聞こえた。
「…あれ、蒼?」
 上から降ってきた声に、蒼は意識をそちらに向ける。尻もちをついた蒼の頭上では、天使のような愛くるしさのケイがいた。ケイは不思議そうに、蒼を見ていた。どこか色香を感じるケイに、客をとっていたあとだと蒼は察していた。
「なんでしりもちついてるの? あっ、聖月にやられた?」
「ごめーとう」
 察しのいいケイに、蒼は苦笑する。
 だが、先ほどの聖月の様子を思い出して、自然と口角があがった。
「何かいいことでもあった?」
 ケイに問われて、蒼はニヤリと笑む。
「早くこっちまで堕ちてくれば楽なのに、強情だよな」

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