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第二章 第八話
82 何度目かの命日
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◆◆◆
黒い喪服を着た人々が、葬式会場に入っていく。
空が、暗い。夏なはずなのに、こんなに真っ暗だ。その空から、小雨が降っていく。霧雨が、身体にあたる。寒いような、蒸し暑さがじっとりと身体に纏わりついた。目を瞬きながら、それを拭うように傘を持ち直した。
聖月は、髪の毛を直した。ぬぐった手に、濡れた雨が触れる。
風で崩れた髪の毛を直して、黒いスーツの集団に、聖月はその中に仲間入りのように入っていった。
今日は、死んでしまった両親の命日だった。
もう最後の命日から1年もたったのか。いや、感覚的にはもう何年もたっている気がした。
もう両親は帰ってこない。
死んだ人は帰ってこない。
それは、この世の理だとわかっていたのに、聖月は浅はかにも期待した。両親がひょっこり、帰ってくるのではないかと。だが、そんなことはありえはしないのだ。
もう何度――自分は泣いたのだろう。数え切れないほど泣いて――――聖月は命日がくるたびに泣いた。いや、命日だけではなく、もっとふと悲しくなって涙が溢れてしまうのだ。
ふとした瞬間に夢を見る。
―――懐かしい両親の夢を。
兄が小学生のとき、運動会のレースでずっと一位だったのを家族でずっと応援した。あの撮ってくれたビデオテープは大切にとってある。きっとずっと一生の宝物だ。だってあのときには、もう戻れないのだから。
二人は聖月が高校に合格したとき、泣いて喜んでくれた。兄と世間と比べても頭がよくない高校にはいったのに、おめでとうと自分のことのように喜んでくれた。
優しいお父さん。怒ると怖いお母さん。
―――なんで、死んでしまったのだろう。
「聖月」
みつき、と懐かしい声で呼ばれて聖月は思考をそちらへ向けた。
「兄さん!」
聖月はつい声をあげた。
久しぶりに見る兄の顔は、前よりも少しだけ疲れているように見えたが、別段変わったところもなかった。そのハンサムっぷりに葬式会場に来ている人々(特に女性)から、熱い視線を受けている。いつみても、兄さんは兄さんだなぁ…―――と、聖月はほっとした。
「久しぶりだな。1年は会ってなかったんじゃないか?」
スーツを着ている清十郎をぼうっと見ていたら、耳の痛いことを言われてしまった。
「え…? あ、ぁ、うん、そうだね」
聖月は言われた言葉に、思わずつまってしまった。
前に会ったのは、前の両親の命日だった。
電話もしてるし、声も聞いている。だが、それだけに留めているのは、聖月に後ろめたさがあったからだ。
ディメント―――身体を売って働いていることを兄が知ったらどうなるのだろう。考えたくもなかった。知りたくもなかった。
「もっと会いにこいよ。別に大学いまは暇だろ?」
「そうなんだけどさ…」
「それだったら、俺のうちに遊びに来たりさ」
清十郎がいう言葉は、聖月には優しい甘い言葉だった。聖月は、もやもやとしたまま、曖昧に頷いた。
ほどなくして、葬式場にお坊さんがやってきた。
そうしていろいろな準備をしているうちに、あっという間に時間は過ぎていつの間にか聖月や清十郎、両親を思って弔う人々は正座をしてお坊さんのことを待っていた。
長い時間の正座は少しつ辛かったが、お坊さんがきて、お経を読んでいるうちに気にならなくなった。
お坊さんが、お経を読んでいるとき、聖月は不謹慎にも違うことを考えていた。両親は、どうして死んでしまったのか、ということだ。彼らが一体何をしたというのだ。お経の声に混じりながら、聖月はぼんやりと考える。
聖月は結局のところ、誰を怨めばいいのだろう。
事故を起こした運転手? それとも、あの高速道路に滑り止めの工事をしなかった国? それとも、あのときの大雨?
わからない―――そんなこと誰にもなにもわかりはしない。
全ては、結果論でしかなくて、誰のせいでもないのだ。
あの事故のせいで、あの事故を起こした運転手は死んでしまったし、その家族は深く悲しんでいるのだ。
辛いのは、聖月だけではない。
清十郎も、ここにいる人々もそれぞれの形で哀しんでいるのだ。
そんなことはわかっているのに、そう考えてしまう自分が嫌だった。
「……おかあさん」
誰にも聞こえないような声で、聖月は呟く。
「…おとうさん」
聖月の声は、お経に紛れ聞こえはしない。線香の匂いが、鼻につんとくる。
―――――なんで、死んでしまったの…?
聖月はただ哀しくて静かに涙を流した。
両親は、こんな自分を許してくれるのだろうか。こんな、もう汚くなった自分を。
「……聖月?」
聖月は、声にはっとして顔をあげる。そこには、兄の清十郎が心配そうにこちらをじっと見ていた。周りを見渡せば、人はまばらで、大半の人はいなくなっていた。お坊さんも、こちらを心配そうに見ていてやっと聖月は自分のことを思い出す。
「あ…」
「大丈夫か。ぼうっとしてるぞ」
具合が悪いんじゃないかと心配している清十郎に、聖月は首を振った。
「大丈夫…。ちょっと、お母さんとお父さんのこと思い出して…」
苦しくなった、と続けようとして、聖月は清十郎の顔をみてはっとする。兄は、とても悲しそうな表情をしていた。苦しそうに、聖月のことを見つめている。兄も、同様に両親の死は深い傷になっているのだ。
きっとその傷は、一生治らない傷だろう。
「ごめんな…聖月……俺、もっと親代わりになれたらいいんだけど」
兄が苦しんでいる。そんな悲しそうな顔をしてほしくない。全く違う状況なのに、そんな顔をした十夜のことを思い出した。
「兄さん……そんなことはないよ。兄さんは兄さんだよ」
聖月は手を伸ばそうとして、やめた。
今の自分は兄に触れていいほどの、資格はない。ずっと騙している。ずっと嘘をついている。
「俺は大丈夫…兄さんは、俺のたった一人の家族だから…」
だから、ばれたくない。
大切な存在だから。
聖月は、嘘をつく。壊したくないから。十夜のように、関係が壊れるぐらいなら、ずっと嘘をつく。つき続ける。聖月には、その覚悟がある。
――――どうか、暴かないで。悲しそうな顔をしないで。
「……大丈夫だから…」
聖月は唸る様にいって、また泣きそうになった。
黒い喪服を着た人々が、葬式会場に入っていく。
空が、暗い。夏なはずなのに、こんなに真っ暗だ。その空から、小雨が降っていく。霧雨が、身体にあたる。寒いような、蒸し暑さがじっとりと身体に纏わりついた。目を瞬きながら、それを拭うように傘を持ち直した。
聖月は、髪の毛を直した。ぬぐった手に、濡れた雨が触れる。
風で崩れた髪の毛を直して、黒いスーツの集団に、聖月はその中に仲間入りのように入っていった。
今日は、死んでしまった両親の命日だった。
もう最後の命日から1年もたったのか。いや、感覚的にはもう何年もたっている気がした。
もう両親は帰ってこない。
死んだ人は帰ってこない。
それは、この世の理だとわかっていたのに、聖月は浅はかにも期待した。両親がひょっこり、帰ってくるのではないかと。だが、そんなことはありえはしないのだ。
もう何度――自分は泣いたのだろう。数え切れないほど泣いて――――聖月は命日がくるたびに泣いた。いや、命日だけではなく、もっとふと悲しくなって涙が溢れてしまうのだ。
ふとした瞬間に夢を見る。
―――懐かしい両親の夢を。
兄が小学生のとき、運動会のレースでずっと一位だったのを家族でずっと応援した。あの撮ってくれたビデオテープは大切にとってある。きっとずっと一生の宝物だ。だってあのときには、もう戻れないのだから。
二人は聖月が高校に合格したとき、泣いて喜んでくれた。兄と世間と比べても頭がよくない高校にはいったのに、おめでとうと自分のことのように喜んでくれた。
優しいお父さん。怒ると怖いお母さん。
―――なんで、死んでしまったのだろう。
「聖月」
みつき、と懐かしい声で呼ばれて聖月は思考をそちらへ向けた。
「兄さん!」
聖月はつい声をあげた。
久しぶりに見る兄の顔は、前よりも少しだけ疲れているように見えたが、別段変わったところもなかった。そのハンサムっぷりに葬式会場に来ている人々(特に女性)から、熱い視線を受けている。いつみても、兄さんは兄さんだなぁ…―――と、聖月はほっとした。
「久しぶりだな。1年は会ってなかったんじゃないか?」
スーツを着ている清十郎をぼうっと見ていたら、耳の痛いことを言われてしまった。
「え…? あ、ぁ、うん、そうだね」
聖月は言われた言葉に、思わずつまってしまった。
前に会ったのは、前の両親の命日だった。
電話もしてるし、声も聞いている。だが、それだけに留めているのは、聖月に後ろめたさがあったからだ。
ディメント―――身体を売って働いていることを兄が知ったらどうなるのだろう。考えたくもなかった。知りたくもなかった。
「もっと会いにこいよ。別に大学いまは暇だろ?」
「そうなんだけどさ…」
「それだったら、俺のうちに遊びに来たりさ」
清十郎がいう言葉は、聖月には優しい甘い言葉だった。聖月は、もやもやとしたまま、曖昧に頷いた。
ほどなくして、葬式場にお坊さんがやってきた。
そうしていろいろな準備をしているうちに、あっという間に時間は過ぎていつの間にか聖月や清十郎、両親を思って弔う人々は正座をしてお坊さんのことを待っていた。
長い時間の正座は少しつ辛かったが、お坊さんがきて、お経を読んでいるうちに気にならなくなった。
お坊さんが、お経を読んでいるとき、聖月は不謹慎にも違うことを考えていた。両親は、どうして死んでしまったのか、ということだ。彼らが一体何をしたというのだ。お経の声に混じりながら、聖月はぼんやりと考える。
聖月は結局のところ、誰を怨めばいいのだろう。
事故を起こした運転手? それとも、あの高速道路に滑り止めの工事をしなかった国? それとも、あのときの大雨?
わからない―――そんなこと誰にもなにもわかりはしない。
全ては、結果論でしかなくて、誰のせいでもないのだ。
あの事故のせいで、あの事故を起こした運転手は死んでしまったし、その家族は深く悲しんでいるのだ。
辛いのは、聖月だけではない。
清十郎も、ここにいる人々もそれぞれの形で哀しんでいるのだ。
そんなことはわかっているのに、そう考えてしまう自分が嫌だった。
「……おかあさん」
誰にも聞こえないような声で、聖月は呟く。
「…おとうさん」
聖月の声は、お経に紛れ聞こえはしない。線香の匂いが、鼻につんとくる。
―――――なんで、死んでしまったの…?
聖月はただ哀しくて静かに涙を流した。
両親は、こんな自分を許してくれるのだろうか。こんな、もう汚くなった自分を。
「……聖月?」
聖月は、声にはっとして顔をあげる。そこには、兄の清十郎が心配そうにこちらをじっと見ていた。周りを見渡せば、人はまばらで、大半の人はいなくなっていた。お坊さんも、こちらを心配そうに見ていてやっと聖月は自分のことを思い出す。
「あ…」
「大丈夫か。ぼうっとしてるぞ」
具合が悪いんじゃないかと心配している清十郎に、聖月は首を振った。
「大丈夫…。ちょっと、お母さんとお父さんのこと思い出して…」
苦しくなった、と続けようとして、聖月は清十郎の顔をみてはっとする。兄は、とても悲しそうな表情をしていた。苦しそうに、聖月のことを見つめている。兄も、同様に両親の死は深い傷になっているのだ。
きっとその傷は、一生治らない傷だろう。
「ごめんな…聖月……俺、もっと親代わりになれたらいいんだけど」
兄が苦しんでいる。そんな悲しそうな顔をしてほしくない。全く違う状況なのに、そんな顔をした十夜のことを思い出した。
「兄さん……そんなことはないよ。兄さんは兄さんだよ」
聖月は手を伸ばそうとして、やめた。
今の自分は兄に触れていいほどの、資格はない。ずっと騙している。ずっと嘘をついている。
「俺は大丈夫…兄さんは、俺のたった一人の家族だから…」
だから、ばれたくない。
大切な存在だから。
聖月は、嘘をつく。壊したくないから。十夜のように、関係が壊れるぐらいなら、ずっと嘘をつく。つき続ける。聖月には、その覚悟がある。
――――どうか、暴かないで。悲しそうな顔をしないで。
「……大丈夫だから…」
聖月は唸る様にいって、また泣きそうになった。
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