アドレナリンと感覚麻酔

元森

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第二章 第九話

90 答えを出すために

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◇◇
 両親の葬式の日。後ろ姿の彼は、いつもより小さく見えた。いつもは冗談を言っている十夜だったが、その日だけは静かに立ち―――聖月の両親の遺影写真を見つめていた。
 その後ろ姿に声をかけたとき、聖月の声は震えていた。
 よく来てくれたね、とかそういう言葉をかけた気がする。だが聖月にはそんな言葉なんてかけたことも、うろ覚えだった。
 十夜は、聖月の泣いて疲れ切った顔を見てくしゃりと顔を歪める。そんな姿は見たことがなくて、空っぽの頭の中に衝撃が走る。
『…辛かったな…』
 そう言って、十夜は聖月を抱き寄せる。人の体温に包まれて、冷たい心が温かくなった。
『大変だったな…っ』
 十夜の聞いたこともないような呻き声が聞こえ、雫が首筋に濡れる。
 十夜が泣いている……。
 また電撃が走った。十夜の泣いているところなんて初めて見た。ぐすぐすと鼻をすすり泣いて、聖月の背中を力強くさする十夜に、聖月は両親が死んでしまったことを改めて感じた。十夜の悲しみに暮れた姿は、いまの弱りきっている聖月には耐えられるはずもなかった。
 聖月も手を伸ばし、十夜の大きな背中を触ると泣き腫らした目からまた涙が零れる。
『…じゅ、うや……』
 嗚咽を繰り返し、鼻水が十夜の胸に垂れてしまう。謝ることも忘れ、聖月は十夜と一緒に泣いた。
 両親を思い出すたびに、胸を刺す痛み。苦しくて、辛くて、どうしようもなくて。
『みつ…き、俺がいる…俺がいるから………』
 十夜の嗚咽と声に、心が絞めつれられる。
 ―――十夜は優しい。
 そのことをその言葉に包まれながら聖月は感じたのだった。
 
◇◇◇
 
 
 自分の選択はいつでも間違えている。
 そう思いながら、聖月は十夜と約束をした場所に向かっていた。いつの間にか夏休みが始まり―――あっという間に夏休みは終わり、あれからずいぶんと時間がたった。そして告白の返事もずいぶんと先延ばしにしてきた。いや、させられたというべきだろうか。
 セミの鳴き声もしなくなり、死骸も見なくなった。もう陽気も秋になりつつある。
 9月の中旬に差し掛かり、学校が始まった。あの身体を重ねた日から、何度も何度も指名され身体を重ねているのに――いまだに答えを言えないでいる。
 学校が始まっても、十夜は聖月を避けた。聖月が話しかけようとすると、逃げてしまうのだ。まるで告白の答えを聞きたくないというように。
 指名して夜に会っても、まだ考えてほしいと言って聖月の答えを先延ばしにされた。
 十夜はきっと聖月の答えを、分かっている。だからこそ、何度も答えを先延ばしにしている。
 だが、もう聖月は限界だった。
 この奇妙な関係を終わらせたかった。学校で見かける十夜は日に日にやつれているようにも見えた。それは自分のせいだと思うと、心がキシキシと痛む。今すぐにでも、十夜に答えを言いたい。そして自分から解放させてあげたい。
 その一身の願いのまま、逃げる十夜を廊下で無理やり捕まえて聖月は会う約束を取り付けた。
 十夜もきっと限界だった。
 深く頷いた後、十夜は聖月から去っていった。公園で19時に待ち合わせな、と確認して。俯いていて十夜の表情は見えなかった。
 そして、今聖月はその待ち合わせ場所に向かっている。
 涼しい気温で、歩くたびに気持ちのいい風が当たる。大学帰りの道は、少し夜の闇が下りてきている。
 場所は、あのときの公園だ。公園が近づくたびに、様々な感情と光景が湧きあがってくる。
 十夜に会った初めての高校のクラスの初日。衛とも仲良くなった日々。冗談を言う十夜。笑っている十夜。楽しそうな十夜。―――自分と関係のない両親の死で泣いた十夜。聖月を心配してくれた十夜。雨の日の忘れもしない十夜の顔。全てが浮かんでは消え、聖月の心に棘を差し込んでいく。
 それは、きっと罪悪感と後悔の念だ。
 これから、自分は十夜に謝っても謝れきれないことをする。これまで世話になった恩を仇で返すようなことだ。
 こんな酷い自分なんて死んでしまえばいい、聖月はそっと心で呟いた。
 だけど、答えを出さなきゃいけない。だけれど、答えを彼に言わなければいけない。
 それが自分の罪だし、告白された者への義務だ。
 聖月は暗闇を進む面持ちで、公園に足早に向かうのだった。
 
 
 公園に着いた時、まだ十夜は来ていなかった。緊張していたのでほっとしたような、少しあっけないようなそんな気持ちになった。公園のベンチに座ると、ケータイを確認する。18時45分。
 ―――早すぎたな。
 何を急いているだろう、と息を吐き出す。
 ぼんやりと道路を眺めていると、あの『橘』に会ったときを思い出す。あの時は心底恐ろしくて、怖かった。
「聖月」
 全身が、逆立つ。一瞬、『橘』が来たと思った。それぐらい声が似ていたから。
 顔を上げなくても、だれが居るかは分かる。聖月は、ゆっくりと顔を上げた。目の前に立っていたのは十夜だった。パーカーに紺のチノパンという格好なのに、スタイルがよくてかっこよく見えるのは普段と変わらなかった。
 だけど、やっぱり顔はやつれていた。久しぶりに目があった十夜の瞳は揺れていた。
「…十夜」
「…聖月、早かったな」
 そう言うと、十夜は隣に座る。ギシ…と音が鳴った。心臓が早まる。
「飲み物、買ってくる。あったかい紅茶でいい?」
 十夜があの時と同じことを言った。自覚はないのだろうが、聖月は心が揺さぶれた。あの時と違って、十夜は笑っていなかった。
「いい。ここに居てほしい」
「…聖月…」
 十夜が浮かした腰を戻して、聖月を見つめる。端正な顔は、いつもより元気がない。聖月が意を決して口を開けようとしたとき、十夜が声をあげた。
「…懐かしいな。ここで話すの」
「え? あぁ…うん」
 聖月が頷くと同時に涼しい風が、2人を包む。十夜がまたはぐらかしたのだろうかと思ったが、それは違った。
「あのときのオッサン、親父だったんだな。アイツから聞いて、思わず笑っちゃったよ」
「ッ」
 思わぬ言葉を聞き、動悸が激しくなる。ドクドクと血流が早くなったのを感じる。目に見えて動揺する聖月に、じっと見ていた十夜がははっと乾いたらしくない苦笑いをした。そして十夜は「そのとき気づいていれば、何か変わったかな?」と聖月に問う。
 聖月は何も言えなかった。あの時バレていたら、『橘』にも余計に弱みを握られたのかもしれない。それを伝えるのはどうかと思ったからだ。
「ごめん…。そんな顔させたかったわけじゃないんだよ…」
 十夜が苦しそうに顔を歪める。聖月は、さらに鼓動をはやめる。こんな顔にさせたいわけじゃないのは、聖月も同じ気持ちだった。
 震える声で十夜は、はっきりと聖月を捉える。聖月はその眼から逃げられなかった。
「俺…ずっと逃げてた…。答えを聞きたくなくて。でも、もう覚悟は決めたよ。聖月がゆっくり考えてくれた答え聞きたいんだ」
 十夜は切羽詰まった表情で聖月のことを見つめた。その表情は、決意を決めたものだった。十夜の顔は今にも泣きだしそうにも見えて、心が痺れる。
 ―――愛情か友情か。
 聖月はゆっくりと考え、苦しみながら決めた『答え』を十夜にきちんと伝えるため口を開けた。

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