アドレナリンと感覚麻酔

元森

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第三章 第十一話

114 悩む心

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◇◇◇◇
 
 聖月は眩い明りに照らせられながら、待ち人を待つため豪華絢爛な椅子に座っていた。周りには静かながらも、愉しそうに食事をする老若男女の声が響く。聖月は緊張からの喉の渇きを潤すために、一級品のガラスのコップに注がれた水を飲み干した。
 今日は金曜日の20時。約束の場所は前に指名された場所と同じ高級フランス料理レストラン。それが約束の日時と時間。聖月はその彼の指名を受けてから、明らかに緊張していた。いつも着ているはずのスーツも、どうしてか腕を通した瞬間に初めて着たような感触のように思えた。
 いつもは嬉しいと感じる指名。
 だが今の聖月は、普段では感じない緊張、不安を抱えていた。そんな聖月の耳朶に低く、どこか甘い声が響いた。
「待たせたかな」
「っ」
 横に立っていた待ち人―――宗祐の登場に、聖月は上を見上げ息を呑む。≪セイ≫の太客でスタイルのいい自分より10歳以上年上の紳士。彼は優し気な笑みを浮かべ、聖月を見つめていた。今まで会ってきた黒髪のオールバックで、一番この人のモノがカッコいいと思った。
 ―――あの人、他の男娼館で出禁になってんだってよ
 蒼の言葉が蘇る。聖月はその声を振り払うようにギュッと手を握る。
「もう何か頼んだ?」
「…え? い、い…え…」
 宗祐が気さくに話しかけてくれる。それなのに、聖月はぶっきら棒で、距離を感じる言い方をしてしまっている。表情筋が全く動いていないことが分かる。聖月のそんな予想通り、今聖月の顔は無表情そのものだった。
 それから、聖月はいつも以上にぶっきら棒で、無表情のまま宗祐と接していた。会話もままならないのに、宗祐は優しく話しかけてきてくれている。
 そんな自分に対する自己嫌悪と、こんなに優しい人が、≪そんな人ではない≫という思いが聖月の頭の中でグルグルと回る。
「…何か、あったの?」
「…―――っ」
 宗祐の低い声が、自分に対して問いかけている意味に気づいたのはずいぶん後の事だった。聖月は思わず飲んでいた水を出しそうになったが、すんでのところで抑えた。ここで吹いたら絶対に目立つと思ったからだ。宗祐の疑問が乗せられた視線に耐えられず、聖月は目線を逸らす。
 だがそんな反応は宗祐の問いにYESと言っているものと同じようなものだった。宗祐は目を伏せして口を開く。
「……何かしちゃったのかな?」
 その表情には、欲を一切感じない。ただ聖月を≪心配≫してくれている顔つきだった。
「―――――」
 ここで要領よく『違う』と言えばいいのに、聖月はそんな反応が出来なかった。聖月は悲しそうな声に顔を上げると、彼の表情を見て目を見開き、拳を握りしめる。全身から汗が噴き出た。目の前のお金を払ってまで来てくれるお客様に、嫌な…悲しい気持ちをさせてしまっている。
 それは分かっているのに、気のいい言葉が出てこない。今言った方がいいはずの適切な言葉が出てこなかった。胸が痛い。心臓がどくどくと嫌に鳴り響く。早く、早く言わなきゃ。そう思っているのに、口が動いてくれない。
 いつもとは違う空気が二人には流れていた。そんな空気を変えたのは、宗祐だった。
「…ここは緊張する?」
 聖月は、宗祐の話す「ここ」の意味をすぐには理解出来なかった。宗祐は、言いながら周りを見渡していた。聖月もその意味を知りたくて同じように見渡す。
 そこにはドレスコードを身に包んだ、選ばれしものたちが綺麗な所作で食事をしているのが目に映る。キラキラした眩いシャンデリアに、映画でしか見たこともない美味しい料理たち。庶民の聖月には一生来るはずもなかった場所と、一級の人々たち。
 目の前にいる聖月でも見惚れる程の色男。そんな彼の労わるような表情に、胸がつまる。
「……」
 聖月はゆっくりと、大きく頷く。
「セイくんもここじゃなかったら、緊張しないかな?」
 聖月はその問いにも、先程よりゆっくりと大きく頷く。
 宗祐はその回答を聞き、少しだけ考えるような仕草をした。そして、ある一つの提案を出した。聖月はその言葉に瞠目し、だが覚悟を決めさらに時間をかけてゆっくりと頷いた。目の前の彼は目を細め、聖月の肯定に嬉しそうに頷いた。
 
 
 ―――じゃあ、次の指名は私の家なんてどうかな?
「…はあ」
 聖月はベットに横になってため息を吐いた。どうして頷いてしまったのだろう。あそこで頷かないなんて人間じゃないかもしれないが、そう思わずにはいられない。あの時宗祐に言われた自宅に来なよ、という言葉が何度も頭の中で反芻していた。
 結局、あの後ロクな話も出来ずに宗祐とは別れた。元気を出して、とチップまで貰ってしまった。あまりに良い人過ぎて、聖月は目眩がした。普通だったら、クレームが入るぐらいの酷い応対だったはずなのに。
 浮かぶのはイヤだとか、不安とか、そんな感情ではない。緊張とまた指名があったことへの安堵―――それだけのはずだ。なのに、どうしてか、緊張とは他に別の感情が湧きあがる。
「ついに家か…、絶対に、する…よな」
 それが当たり前だ。今までなかったのが不思議なくらいだ。だが、はあ…とため息を吐いてしまう。
 ディメントでは、客の家に行くのは、客にとってはホテル代が節約でき安上がりだが、客の家に赴くのは男娼と店側の同意が必要だ。聖月が神山を通して小向に聞いた所、すんなりとOKが出た。粗相はしないように、と釘を刺されたぐらいだった。
 客の家に行くのは、聖月にとって、初めての事だった。
 聖月を指名する客は有名な人が多い。たとえ男娼でも家をバレたくないと思っているらしい。むしろ男娼だからこそ、知られないようにしているのかもしれない。あの橘にだって一度も家には呼ばれたことはなかった。今思えば、ヤツの家は十夜の家なので、今後も絶対に呼ばれたくはないが。
「……」
  ―――あの人、他の男娼館で出禁になってんだってよ―――あの人、男娼を半殺しにしてたらしいぜ?―――
「…はあ」
 聖月は思わず思い出し、ため息を吐く。昨日会って確信したが、やはり彼に出禁なんて言葉は似合わないと思った。優しくて、気さくで、カッコよくて、紳士的で。出禁になるような人には見えない。だが、今まで蒼が聖月に『嘘の情報』を流してきたことはない。
 ―――そんなに信じられないなら周りの男娼館に聞いてみればいい。羽山様の悪評はここらでは有名だぜ?
 心がざわついた。信じたくない。信じられない。
「―――クソッ」
 あの呪いのように蘇る言葉に、聖月は思わず言葉汚く吐き捨てる。聖月はゴミ箱を荒らし、自分がこの間捨てたメモを拾う。だがそれを見た瞬間、やはり自分のやろうとしている事に怖気づいてしまう。もう一度メモを握りしめ、しばらく考え思い直し、しわくしゃになったメモのシワを伸ばす。それを何度も何度も繰り返した。
「何で俺こんなに必死になってんだ…」
 シワを伸ばし、グチャグチャになったメモを見て聖月はポツリと呟いた。
 聖月は、宗祐のことを何も知らない。何でも気さくに話しかけてくれるので知っている気になっているだけで、プライベートの事なんて読書や映画鑑賞が趣味という以外知らない。家族構成、どんな幼少期を過ごしたか…。そう言った事は全く分からない。
 いつも聖月の事ばかり話題にして、彼は自分の事は極力話さない。
 聖月は宗祐の話術により何でも話してしまっている気がする。まるで自分の事を全部知られているのではないか、そう思った。
 自分と彼はただの客と、男娼。それだけの関係性のはずだ。
 ―――なのに、どうしてずっと彼は優しいのだろう。
 それがずっと聖月は不思議だった。男娼の聖月に食事だけをする彼は、初めて会った時からずっと不思議な存在だった。
 手を出さないただ話すだけの紳士的な彼。蒼が語る、出禁にまでにサディストの彼。どちらかが本物なのか…、どちらとも本物なのか…―――。そこまで考えて、チリッと胸が痛む。聖月は自分が一番不可解だった。自分は、どちらの彼を望んでいるのだろう。どちらの彼を≪受けいれられる≫のだろうか、と。
 どうしてこんなに、彼を気にしているのだろうかと。
 だが、それが分かったら、何かが変わる気がして聖月は布団に潜り込んだ。真っ暗な布団の中で、聖月は両親の顔を思い出していた。

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