アドレナリンと感覚麻酔

元森

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第三章 第十三話

139 二人はここでしか生きられない

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◇◇◇◇◇◇
 
 ディメントの寮にある、立ち入り禁止エリアの階段は薄暗い。ケイは息を吐き、立ち入り禁止と書いてある看板の横を通り過ぎた。
 きっとディメントでこの場所を知っている人は少ない。ケイは、長い階段を上がり、その場所へと向かっていった。きっと彼はそこにいる。やがて見えた、カギもかかっていないドアを開けると、やはり探し人である蒼は屋上の手すりに身を預け寄りかかっていた。錆びついた手すりは今にも落ちそうな程古い。
 夕焼けと相まってケイはつい美しい容姿の蒼の姿を見詰めた。
 寮に、屋上があると教えてくれたのは、蒼だった。上の階なんて行く用事もないのだから、どうしてここを蒼が知っているのか?そう思ったがケイは聞かなかった。聞いたところで、対価を求められそうだったからだ。
「よぉ。セイちゃんの見送りは終わったのか?」
 ケイを見つけると、手招きして開口一番そう言った。ニヤリと笑う蒼は、ケイの今の気持ちとは正反対なのだろう。
 ケイは蒼に近づき、隣で彼と同様に屋上からの景色を眺める。オレンジ色の夕焼けが今のケイには眩しく思えた。
「うん。蒼も来ればよかったのに。顔見てお別れしなくちゃもったいないよ」
 上目使いで覗き見ると、彼は苦い顔をする。
「はぁ? 何で俺がそんな事しなきゃいけねえの…」
 悪態をつく蒼に、ケイはふふっと笑う。
 蒼だって、こっそり聖月を見送ってた癖に―――。
 聖月を見送るために、蒼が屋上に行き身を乗り出して、こちらを見ていることにケイは気づいていた。わざわざこの誰にも見られない場所に行き、遠くで聖月を見ている蒼は、どんな心境だったのか。それをケイは少し考えてから、クスリと笑う。素直じゃないな、と思う。どうせだったらきちんと顔を近くで見て、お別れすればよかったのに。
 そんな蒼の難儀な性格に、ケイは面白くなりさらにくすくすと笑う。その笑みは小悪魔そのものだった。
 だが、蒼の言葉によりすぐにその笑みは消えた。
「どうせアイツは俺の元に戻ってくるのに」
 ケイは蒼の言葉を聞いた瞬間、冷水をかけられた衝撃が襲う。
 夕暮れのオレンジ色に染められた蒼の横顔は、とても綺麗でこの世のものじゃない気がした。どこか昏い色を持って、聖月が歩いて行った道を俯瞰し見詰めていた。その言葉は、すぐに理解できるものではない。ケイは、ただ茫然とオレンジ色の世界に一人取り残された。
 圧倒的な自信に溢れ、君臨する目の前の支配者は高らかに笑う。
「あぁ、愉しみだなぁ。羽山様に堕とされたアイツを見るのが…」
 まるでケイに言っているわけじゃないような声音だった。多分、今、隣にいる彼にはケイの姿が見えていないのだろう。それでなけば、傷ついた顔をしているケイをからかわないはずはないのだから。
 蒼の言葉はきっとそうだと確信している声だった。そう。蒼は確信していた。宗祐により堕ちた聖月が、ここに――――ディメントに戻ってくる世界を。自分と同じくディメントに染められ、同じ世界に生きていくことを。
 心底愉しそうな顔をする蒼は、そのまま高笑いをする。それは心底愉しそうだった。ケイは目の前で繰り広げられる異常な光景をただ見つめる。こうやって愉しそうに笑う蒼を見ているとどうしてか胸が苦しくなった。聖月に、宝物のように触れられた時のように。愉しそうに、滑稽に笑う蒼を見ているとどうしてか泣きたくなった。
 その変化に気づいたのだろう、蒼はケイを見て違う顔をした。
「ぎゃははっ、お前何でそんな顔してんの? 聖月とお別れして辛かったのか?」
「―――」
 とても愉しそうに蒼はケイを見ていた。バックのオレンジ色が蒼と混ざり合う。この世のものではない倒錯的な光景だった。
 ケイは言葉を失った。
 先程ディメントから『身請け』をし、出ていった聖月の姿が蘇る。
 聖月は、不思議な存在だった。小向のお気に入りで、ディメントに入ってきた面白い「玩具」。自分と性行為をしたがらない、ケイにとって理解不能な青年でもあった。だから、まさか「客」に身請けされるとは思ってもみなかった。しかも、相手が羽山宗祐だと知ってケイは驚いた。
 ケイは、昔彼に殺されかけたことがあったからだ。ディメントにやってきた彼に、生死を彷徨うプレイをされた。テクニックは相当のもので、気持ちのいいものだったが、かなり怖かった事を覚えている。出禁になり、それが終わって聖月を指名したと聞いたがケイは何もそのことを伝えなかった。
 聖月が堕ちる姿を見たいと思ったからだ。
 だから、聖月が、死にかけるかもしれないと思っていた。が、そんなことはなかった。宗祐は聖月に対して、真摯だった。宗祐は聖月を最後まで優しく接し抜き、ナンバースリーである聖月を大金はたいてまで身請けした。
 宗祐が蝶を助けるなんてそんな風には見えなかったが、きっと聖月がまた彼を変えたのだろう。
 蒼の言う通り、宗祐なら聖月を自分たちと同じように変えられるかもしれない。
 だが、それは本当に、蒼の思い通りになるのだろうか。
 ケイも、聖月が自分たちと同じように堕ちたら幸せなのだろうと思う。
 ―――聖月は、ディメントを出られて幸せそうだった。未来に希望を持って「ここ」から旅立とうとしていた。
 きっと自分の事なんて、すぐに忘れてしまう気がした。なかったことにされそうな気がした。あの、壊れ物のように触れてくれたあの出来事も、何もなかったことにされそうで急に怖くなってしまった。だから、出ていくと彼が言った時、わざと寂しそうな顔をしてケータイ番号を自ら言わせるようにした。ディメントから出ていくことに、罪悪感を持ってもらおうと意地悪した。
 どうしてか、幸せそうな聖月を見ると、胸が張り裂けそうになったから。
 ケイはこんな感情、知らなかった。知りたくなかったのに、蒼にこんなことを言われてこの感情がまた沸き上がった。そんなケイの激情を知らずに、蒼はあまり見ない萎れたような状態のケイに対し欲情する。
 そんなに、聖月と少しでも別れるのが辛かったのかァ、かわいそうな奴だなぁ――――。そう、心の底から思っていた。またすぐに、アイツは戻ってくるのに、と。何も心配はないのに、と。
「あーぁ、またアイツとお前で3Pしたいねぇ。あの時、お前すっげえ聖月にいれられて気持ちよさそうだったしさぁ」
 肩を寄せられ、甘く囁かれ、ケイは瞠目する。
「え…、俺…が?」
「そうだよ。忘れちゃったか? お前、あの時薬飲んで飛んじまってたからなぁ。聖月が、俺に突っ込まれて欲しがってただろ? お前もさぁ、聖月の中に入れて気持ちよさそうだったし。お前も聖月と俺で回して、アンアン喘いでたじゃん」
 蒼は興奮した様子でケイの知らない話をする。話を理解するのにケイは時間がかかった。まるで、本当の事に思えてくる。だって、あまりにも、蒼が思い出深げに言うのだから『そう』なんだと思ってしまった。これは、蒼がケイが飲ませた催淫薬で見たありもしない夢の話なのに。蒼は、本当に信じ切って、今まで見た顔の中で一番幸せそうにしているのだ。それはケイにとって、衝撃的だった。
 あの時蒼に見た夢は、自分も出てきたんだ…―――。
 ケイが、聖月を犯し、蒼は二人を犯し、聖月もケイを犯す。そんな、ありもしない幻の夢を。
「…っ」
 ケイは耐えきれず目を瞑る。そして縮こまり、震えていた。蒼の夢に、自分が含まれていると知って、どうしてこんなに心臓が痛くなって息が苦しいのだろう。どうして――――。蒼とディメントで出会ってから味わったこともない感情が溢れた。二人はたくさんの肌を重ねた。だからこそ、蒼はケイに言うのだ。
「なあ、ヤろうぜ」
「――――あっ」
 耳を舐められ、身体が快楽に揺れる。こんなに苦しいのに、身体はもう期待に震える。これが、自分の身体だ。もう快楽なしでは生きられない。そうするしかないサガだということをケイは知っている。蒼の大きな手が身体をまさぐると、もうたまらない。もう、何も、ケイは考えたくなかった。こんな辛い感情なんて、気持ちよくなって忘れたい。
 いつもそうだった。難しい事は考えたくない。
 ケイの苦悶の表情は、すぐに快楽へと変わる。やがて空のオレンジ色の景色は紫色へ変わる。
「あぁ、愉しみだなァ…」
 ケイが流す涙を、蒼は舐めとり、うっとりとした様子で呟いた。それは、未来への期待だった。聖月がこれから自分の元へ堕ちていく期待。ケイの敏感に跳ねる身体を抱き寄せ、自身の欲望をぶつける。男を狂わす声で喘ぐ目の前の男を、蒼は目を細めて眺める。
「天使の顔が台無しだなァ…」
 舌なめずりをして、痙攣する天使をまじまじと観察する蒼の目は、どこか冷たかった。まるで、ゴミのように、ケイを見詰めていた。
 蒼は何もかもを見下していた。世界中の人間も馬鹿ばかりだと思っている。
 だが、ケイと聖月は、同じ馬鹿でもどこか違う。
「ふ、ぅ、っあんっ」
 キスしただけでこんなにドロドロになるケイが、可愛く思える。それは蒼にとって、普通の人間の感覚とは違う『可愛さ』だった。ケイは人を狂わすような甘い嬌声を上げ、快楽を貪欲にむさぼる。二人の哀れな蝶たちは番いと呼ぶにはあまりに歪だった。
 二人は「ここ」でしか生きられない。
 そんな二人は、もう一人の仲間をただ待ち続けるため、何度もその場で身体を重ね合った。

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