アドレナリンと感覚麻酔

元森

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第三章 第十三話

138 二月最後の日

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 2月最後の日は、晴天だった。まるで聖月の門出を祝うように、雲一つない空が広がっている。その天気は冬の快晴と言って相応しいモノだった。2月の冷たい空気が部屋に充満し、聖月はベットの上で身震いをする。
 最後の日―――、と言っても聖月にはあまり実感がなかった。部屋を見渡し、見るのは最後になるであろう自分の部屋の光景を眺めていると、部屋にノック音が響く。そして可愛らしい声も一緒に聞こえてきた。
「聖月~、朝ご飯最後に一緒に食べよーよ!」
 自分を呼ぶ元気な声は、ケイだった。
 最後に一緒に―――。
 その言葉を噛みしめ、聖月は「もうちょっと待ってて」と叫ぶと急いで支度をした。
 その後。朝食が食べ終わった聖月は小向に呼ばれた。何だろう?―――そう思っていると開口一番で「最後の挨拶をしてほしい」と言われた。聖月が目を見開き驚き「えっ」と反応する前にはもう台の上に乗せられた。そしてマイクを持った小向が食事中のメンバーたちに呼びかける。
「今日で、ナンバースリーのセイが辞めるから一言挨拶をする。皆、その場で聞いてほしい」
 小向の言葉によって、檀上に上がった聖月は一気に注目を浴びる。いくつもの目がナイフのようだった。初めてここで挨拶をしたことを思い出した。だが、聖月はあの時より随分と大人になっていた。身長ももちろんそうだが背筋が伸び、聖月は精悍な顔つきとなっていた。性格も、あの時よりもずっと大人になっていた。
 あの頃と違い、緊張していない堂々とした姿を見せた聖月は背筋をピンと伸ばす。古いメンバーからは、感慨深げな声が漏れる。
「…今までお世話になりました。ありがとうございました」
 聖月が一言大きな声を発し深々とお辞儀をすると、やがて不揃いな拍手がやってきた。その拍手からは、妬み、羨望、祝い、そんな様々なものが含まれていた。ディメントを辞めると言う事は、身請けか、借金が払い終わったか―――大体がそんな理由だ。
 だからナンバースリー、セイの卒業であっても決して手放しに喜ぶような心境の者は少なかった。
 まばらな拍手に紛れ、鋭い目線を感じ、聖月はすぐにその場から降りる。
 今のは、きっと―――。
 そんな考えを止め、聖月は前を向いて歩いて行った。
「あっ……」
 部屋に戻る途中、廊下で見知った珍しい顔に出会い聖月は思わず声を上げる。高い身長に、圧倒的なオーラ。美しい顔立ちの青年。目の前に立っていたのはナンバーツーの、クミヤだった。
「あの、俺今日ディメント辞めるんです。今までお世話になりました。ありがとうございました」
 形式だけでも、と聖月は深々とお辞儀をする。
 無表情な彼の顔からは何を考えているのかは聖月には分からない。だが、聖月を見て立ち止まってくれる分には、聖月の事を考えてくれているのだろうとは思った。
「…あぁ」
 無視か、無言だと思ったのに、一言だけそう言われて思わず「えっ」と大きな声を上げてしまった。その聖月の顔はなんとも言えず子供っぽく、見た者に笑みを与えるには十分に間抜け面だった。それは彼もそうだったのだろう。彼は今まで聖月が見たこともない程穏やかな顔をしていた。
「―――こんなところ、二度とくるなよ」
 聖月は彼が言葉を発した事にも、発せられた内容にも驚きつつ、聖月はさらに間抜けな顔で目の前のディメントナンバーツーを見詰める。それを初めて会った時より感情がある目で聖月の顔を一瞥し、彼はその場から去っていった。振り向くと彼の背中が温かい陽に照らされていた。そんな光景は、今の聖月にとってドラマチックに見えて仕方がない。
 まさか彼が、聖月を気遣うような言葉を発するなんて――――。
 彼も、聖月も、ディメントのメンバーたちも。
 きっと3年前より随分と変わっていっている。それが良いのか悪いのか、それは聖月には分からない。だが、興味を持たれていないと思っていた相手に、心配された聖月は嬉しくてほんの少し歩幅が大きくなった。
 昼過ぎに引っ越し業者が来て、荷物をテキパキと運んでいき物が段々と少なくなっていくのを見ているとやっとここから出ていき、『引っ越す』実感が持てた気がした。詰め込むための荷物分けや業者に指示することも不慣れな聖月をイチや、コウが、手伝ってくれた。イチは力持ちで、引っ越し業者と一緒になって運んでくれたので感謝してもしきれない。
 ケイも様子を見に来てくれ、特に手伝いなんて何もしてはくれなかったが、面白そうに聖月は荷物が消えていくのを眺めていた。
 ナンバースリーの最後の日、ということもあって興味ありげに遠巻きに見てくるメンバーも多かった。何か手伝いましょうか?と慌ただしく動く聖月に聞いてくれるメンバーもいた。
 聖月が知らないだけで、ほんの少しは『セイ』を慕ってくれる人はいるのか―――。
 感慨深げになりつつ、聖月は引っ越し作業を進めた。そして、夕方になってやっとトラックへ荷物が運び終わる。
「じゃあ、すいません。お願いします」
 聖月は深々と荷物を詰め込んだトラックの運転手にお辞儀をした。先に引っ越し先に向かっていく姿を見詰めていると、ふいに声をかけられた。
「セイさん、今までありがとうございました。あの、えっと…」
 コウらしくなく、緊張している。聖月はあまり見ないようにと、コウの後ろにそびえ立つディメントの寮の外観を見詰める。
「何急にそんな緊張してんだよ。ああ、すいません。これ、俺らからのディメント卒業のお祝いです」
 コウの隣にいたイチが、コウの持っていた包みを奪い聖月に渡してくれる。その瞬間コウの「はぁ?!」と、いつも以上に大きな元気な声が聞こえてきた。
「えっ。わざわざありがとう…っ」
 ずっしりとした重みのある綺麗な色をした黒いリボン包みに、聖月は驚きプレゼントをまじまじと見てしまう。
「頑張って選んだので喜んでくれたら嬉しいです。――――今までお世話になりました。どうかお幸せになってください」
 紳士な笑みを浮かべ深々とお辞儀をするイチに、聖月の心はじーんと温かくなる。やはりイチは初めて会った時と同じく優しくディメントらしからぬ温かな包容力があった。今でもこんな彼がディメントにいるなんて、信じられないぐらいだ。
「あ、それ俺が言いたかったヤツなんだけど~ッ。クソ―、イケメンだから絶対に俺よりカッコよく決まってるし」
 コウが顔を真っ赤にして、イチに文句を言っている。その姿は可愛らしく、二人が言い合う姿は仲が良く、見ているこっちまで温かくなる光景だった。コウも「また会いましょうッ。絶対っすよっ」と言ってくれ、いつもながらに太陽のような存在だった。それから聖月は見送りに来てくれた面々に囲まれたまま、最後の挨拶を繰り返していた。
「ねえ、もう行っちゃうの?」
 時計を確認していると、少し寂しそうに首を傾げられて胸が詰まる。夕日に照らされたミルクティーのふわふわとした癖っ毛の髪の毛が風に吹かれている。聖月はそんな彼の表情と姿に、つい見とれてしまう。そんな顔を見ていると、ケイと初めて会った時を思い出してしまう。
 あの小悪魔で、魅力的だった、今より幼い顔をしたケイの姿を。あの時、彼が話しかけてくれなかったら、きっと聖月はもっと寂しく寮を過ごしていただろう。
「あぁ、うん…。約束があるから、そろそろ行くね。今日は見送りありがとう」
 これから聖月は、宗祐の家に―――いや、引っ越し先の家に行くためにバスに乗らなきゃいけない。
 そのことを言うと、ケイは目を伏せる。だが、すぐに明るく笑みを浮かべた。
「…そっかぁ。あ、また、連絡するねっ。蒼さぁ、結局見送りに来なかったけど、薄情だよね。大丈夫? 聖月は怒ってない?」
「いや大丈夫だよ。そこは心配しなくても。最後の日まで尻追いかけられたくないし」
 それは率直な聖月の感情だった。蒼とは、何となくだが、また会うような気がする。聖月の勘ではあるが、そんな気がしてならなかった。素直に蒼への事を吐露すると、ケイは悪戯っぽく笑って見せた。その笑みは出会った頃と何も変わっていない。
「ふふっ、聖月って結構酷い奴だよねぇ~。蒼に言っちゃおうかな」
 くすくす、と笑われ、その可愛らしさに文句も言えない。
 ふいに―――その場から離れた所にいた神山を見つけ、皆に「ちょっと行ってくる」と言って聖月は走る。
 神山は腕を組み、不機嫌そうに走ってきた聖月を見詰めていた。
「今までありがとうございました」
「あぁ、羽山様に可愛がってもらえ」
 もう、お前はここには一生来なくていい、お前の人生なんか興味もない――――。スーツ姿の彼にそんな事を考えてる顔をされ、ゾッとし、聖月は一礼しすぐに神山から離れた。白百合のような凛としたオーラを放ちながらも、美しい顔立ちにあるその瞳は小向への想像を絶する愛に満ちていた。偏執的な愛は、小向の興味にも向けられ、彼のお気に入りである聖月を結局一度だって認めはしなかった。
 随分と皆と話してから、聖月は本当に最後の挨拶をした。
「ホントに今までありがとう。また、どこかで会えたら…」
 そんな聖月の言葉に「うん。また連絡するね」と、少し寂しそうにケイが。「はいっ」と元気よくイチとコウが言ってくれた。
 聖月は後ろ髪を引かれる想いで、ゆっくりと―――だが大きい歩幅で歩きだす。バスまでの鬱蒼とした森に囲まれた道を進んでいく。みんな、笑顔で送り出してくれた。本当に、嬉しかった。
 キダと蒼は、見送りには来なかった。もちろん小向も。でも、それでいいとさえ思う。きっとこれから、あの見送りしてくれた人たちの中で、もう会わない人もいるだろう。だが、それは、仕方のない事だ。ずっとディメントで過ごさないということを、聖月は選択したのだから。
 「羽山さん…」
 様、と呼ぶのはもうやめてくれ―――そう言われてから、もう3か月。
「――――」
 はぁ…、と息を吐き、夕暮れの道を歩く。聖月はもう、違う緊張感に包まれていた。
「俺も堕ちたもんだな」
 誰かの言葉を反芻し、聖月はバックをしっかりと持ち、バスへと向かう。これから、自分は――――…。はぁ、はぁ、はぁ…。熱い息を吐きながら、聖月は愛おしい人の家へと向かっていった。今日から住む、逃げることはない鳥かごへと。冷たい風が、瞬間、木々を揺らし聖月の身体を震わせた。
 ディメント―――、意味は狂気。
 あそこを離れられて、本当に聖月の気分は晴れ晴れとしていた。だが、まだあそこには、事情があって出られない子供がいる。彼らを救うために自分に何ができるのか―――。聖月が決意をかため振り向くと洋館のようなディメントの寮が、夕暮れに染まって真っ赤に色づいていた。
 

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