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一度でも願ってしまえば変わってしまう
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昼食の後二人は荷物を荷台に積み、街の散策を始めた。
ヴィルエイムは自分の領地とはいえ、こうしてきちんと歩き回った事はほとんど無い。
民からの声は全て文書でヴィルエイムに伝わる為、こうして本当の声を聞く事が出来るのは中々無い機会だった。
街は生き生きとしていた。
皆が笑っていて、楽しそうに言葉を交わす。彼らに読み書きは出来ないけれど、絵や言葉で思いを届ける事は出来た。
「あ、ヴィル見てください!何だかお祭りの準備をしてますよ?」
「ああ、あれはね……」
ミネアが指を指した先には、街の大通りに装飾を施そうとしている青年達の姿があった。
それを不思議に思っていたミネアに、ヴィルエイムは耳打ちをする。
彼の優しい息遣いが、耳を擽って何だかこそばゆい。
「——え!?婚約パーティーの為ですか!?」
思わずミネアは声を大にしてしまう。
目を丸くさせ、驚く様子のミネアにヴィルエイムは想定通りの反応だと笑みを零した。
「そう。どこから漏れたのか知らないけれどもうすぐ私達の婚約パーティーがあると知ったらしくてね。民の皆がお祝いにと街を飾ってくれているんだ。」
「そう、だったんですね……」
思いもよらぬ事にミネアは言葉も出ない。
ただ、皆がこうしてお祝いをしてくれるという事はとても嬉しい事だ。
最初はただの一平民だったのに、今はこんなにも沢山の人にお祝いをされている。
ミネアにとってそれは感慨深い事だった。
「皆はサプライズで準備をしてくれているんだ。私達がここで見た事は内緒にしよう?」
「そうですね。でも私はきっとこの景色を忘れないと思います。これから公爵夫人として頑張らなくちゃって、そう思わせてくれたんですから。」
それがいつまで続くのか分からない。
でも、こうしてこの領地の人達は皆ヴィルエイムの事をとても良く思っている。
だからこうやって、サプライズで準備を進めているのだ。
領民に愛される領主というのは、そう多くは無い。
彼が民に愛されているのは、ヴィルエイムがそれだけ努力を重ねてきたからだろう。
そこには沢山辛い事や悩む事もあったはずだ。
ヴィルエイムはそれでも、民を思って行動したのだ。
だから今の美しい景色がある。
焼き付けておこう。忘れないように、しっかりと。
ミネアは、視界に広がる沢山の人の笑顔を胸に刻んだ。
「そうだね。これからも、領民に恥じない領主として頑張って行かなくちゃ。ミネアと、二人で。」
ヴィルエイムはそっとミネアの手を握る。
暖かな温もりが伝わってくる。
二人で、という言葉がミネアの心に深く響いた。
ツィーピアとして、ミネアがヴィルエイムの隣に立つ資格が無いと分かっている。
ツィーピアは加害者で、ヴィルエイムの人生を狂わせた犯人の娘で。
だからきっと、いつかは話さなくてはいけない。
たとえその日が来て、拒絶されようとも。ミネアの全てが否定されようとも。
——それでもやっぱり、ヴィルの傍に居たい。
身の程知らずな願いだと分かっていても、この心は止められない。
好きになってしまったのだから、心に歯止めが効かない。
抑えようと思えば思うほど、感情が溢れてくる。
それが……恋と言うものなのだから。
「結構歩いたね。ミネア、足は痛めてないかい?」
あれから二時間ほど、色んな所を見て歩いた。
小腹が減って、近くにあった屋台で軽食を買った後二人で食べながら色々な話もした。
幸福な時間とは、こういう時間を指すのだろう。
それくらい、あっという間の二時間だった。
「はい、大丈夫です!とっても楽しくて時が経つのを忘れてました」
「それは私もだよ。元々私はあまり話すタイプの人間では無いのだけれど……不思議だね、ミネアの前だとつい口が回ってしまう」
そう言いながら、二人で笑いあった。
誰にも邪魔されない、たった二人だけの空間が広がる。
それは少し照れくさくて、むず痒くて、けれど不思議と心地がいい。
もうすぐ夕暮れ時。
空は少しずつ夕闇が襲い、紫色に染まっていく。
天を仰ぎながら、ミネアはツィーピアを思い出す。
もう一人存在するという、ツィーピア。
それはつまりミネアと血縁関係があると言うことなのだろうか。
本当に、自分以外のツィーピアが存在するのだとしたら、会ってみたいという気持ちは多少なりともある。
そのツィーピアは、何を思って何を考えて生きているのだろう。
この持て余す能力について、どう捉えているのだろう。
「ミネア?どうしたんだい、ぼーっとして」
「……あ、すみません!なんでもないんです」
紫色の髪。
それがツィーピアの特徴だ。
ミネアはふと思う。自分は本当にツィーピアなのかと。
髪が紫色だと言うだけで、ミネアはツィーピアとして何も持っていない。
真理を変える能力なんて、使った記憶も無い。
ミネアはただ、紫色の髪を持つだけの普通の人間だ。
そうだ、もしかしたらミネアはツィーピアの能力を受け継いでいないのかもしれない。
だとすれば、合点が行く。
ツィーピアの能力は、父親から受け継がれなかった。
もしそうなら、ミネアはこれからもずっとヴィルエイムと一緒に居られるのでは無いだろうか?
ミネアはその可能性を考えただけで、心の中に小さな光を見つけたような気がした。
勿論それで、ミネアの全ての罪が消えた訳では無い。
それでも、本当に能力を引き継いでいないのなら、もう少し長くヴィルエイムの隣に居られる。それだけでミネアの中にあった重石が軽くなったような気がした。
「ヴィル、私はこれからも貴方の隣に居たいです。ヴィルの隣でもっとこの街を見ていたいです。」
大それた夢だったかもしれない。身の丈に合わない願いかもしれない。
それでも、ヴィルエイムとこうして笑いあっていられるのならミネアは全てを差し出したって構わない。
ミネアの真っ直ぐな瞳が、夕日に燃える。
その眼差しを受け取ってヴィルエイムは、優しく微笑んでミネアに告げた。
「ミネア、目を閉じて。」
「……?」
ヴィルエイムの言葉通り、ミネアは静かに目を閉じた。
カツっとヴィルエイムの靴音が聞こえてくる。
何かがミネアの髪に触れる感覚。喉元に感じる違和感。
何が何だか分からないまま、ミネアはヴィルエイムの指示通りに瞳を閉じ続けた。
そう時間は長くなかったと思う。
一分にも満たない時間、ミネアがじっと固まっていると再びヴィルエイムの声が聞こえてきた。
「——目を開けて。」
長いまつ毛が静かに動く。
ミネアが顔を上げると、ヴィルエイムが柔らかな微笑みを見せていた。
何だかさっきよりも、首元が重いような気がする。
ミネアは静かに胸元を触る。
指先が触れたのは、何やら硬い物だった。なぞってみると、細かなゴツゴツが指を伝う。
ミネアは触れた物をよく見てみると、胸元には小さくも強い光を放つ宝石が輝いていた。
「……え?これって……??」
突然の出来事に困惑しているミネア。
宝石には細かい装飾まで施されており、見ただけでもかなり高価なものだと悟る。
目を丸くさせるミネアの前で、ヴィルエイムは恥ずかしそうに照れ笑いをした。
「女性にプレゼントを渡すのは初めてだから気に入って貰えるか分からないのだけど……。本当は指輪にしたかったんだ。でもそれは、婚姻式に取っておきたくてね。……どうかな、ミネア。あまり気に入らなかったかな?」
プレゼント……?ヴィルから……??
思いもよらぬ展開に、ミネアは口をぽかんと開く。
首から下げられているネックレスは、美しいという言葉では足りないほどの輝きを放っている。
「気に入らない訳ありません!!すごく……!!すごく、気に入りました……驚きすぎて声が出ないくらいに」
「それは良かった。実はずっと前から渡そうとは思っていたんだけれど、タイミングが分からなくて……。でもやっと渡す事が出来た。よく似合っているよ、ミネア。」
その笑顔が、その夕日が、その瞳が、その髪が、ミネアの心をぎゅっと掴む。
嬉しくて、幸せで、幸福なはずなのに無性に涙が出そうになる。
手の中の宝石が熱くなっていくのを感じる。
「——ありがとうございます、ヴィル」
泣いたら駄目なのに、涙腺が潤んでしまう。
こんなに沢山の宝物を貰って、ミネアはもう十分過ぎるほど満たされた。
だからなのだろう。
嬉しくて、幸せで、幸福なはずなのにこんなにも怖いと感じてしまうのは。
この幸せの中に居るのが怖い。いつか全てを失ってしまいそうで、全てを壊してしまいそうで。
幸せすぎて怖いなんて、初めて知った。
それくらい沢山の幸福を、ヴィルエイムが与えてくれた。
ミネアは、今出来る精一杯の笑顔をヴィルエイムに魅せる。
美しく、艶やかに輝くミネアの満面の笑みは、ヴィルエイムの瞳を奪った。
この瞬間を切り取って、永遠に形に残しておきたいと思うほど、ミネアとヴィルエイムは互いを強く思いあった。
「それじゃあ、そろそろ帰ろうかミネア。」
宝物のネックレスが胸元で輝く。
「はい!」
ヴィルエイムの差し出した手に、ミネアは笑顔で答えた。
今朝あんなに怖がっていたのが嘘みたいに楽しかった。
沢山のかけがえのない思い出を作る事が出来た。
心がぽかぽかと温かい温度を保っているのを感じる。
馬車が待っている場所まで歩き出そうとしたそんな時だった。
「うわぁ!……い、いたっ……」
ミネア達の反対側の道端で、一人の子供が転んだ。
石の段差につまづいて、その勢いで膝を擦りむいてしまったのだろう。
その子供の膝小僧が赤い液体を滲ませている。
その場には沢山の大人がいた。
そしてその大人達は皆、子供が転んで怪我をしている場面を目撃していた。
……だというのに。
誰もその子供に手をさし伸ばす人はいなかった。
皆、用事があるからと見て見ぬフリをして立ち去ろうとしていた。
「うっ……ううっ」
子供は起き上がれないまま、今にも泣き出しそうな顔をしている。
それでも、大人達は誰一人として子供を目にかけなかった。
まるでその場にいない存在のように、視界から消していた。
そんな状況に、思わずミネアは言葉を失う。
本当は、今すぐにでも駆け寄って子供の手当をしてあげたい。
でも馬車に乗る時間をこれ以上遅らせる訳にもいかない。何より、ヴィルの手を煩わせてしまう。
だから、ミネアは心の中で思った。
思ってしまった。
それはある種の願いで。
それはある種の祈りだった。
——皆があの子に親切にしてあげたらいいのに。
なんて身勝手な願いだろう。
自分は無理だからと、他人任せにしようとした。
なんて愚かな願いなのだろう。
他の人の事情なんて、何も考えずにそんなことを考えてしまった。
次の瞬間、ミネアは自分の視界に広がる光景を見て現実を疑った。
「大丈夫かい、坊や!」
「怪我してんじゃねぇか!」
「ほら、痛み止めあるよ!」
「服も汚れてるね、おばさんが新しい服を買ってあげよう!」
「泣いているのかい?坊主の好きな物買ってあげるから、泣きやみな!」
「そうだ、美味しいパンでも食べなさい!そうしたら元気になれる!」
「苦しいの?大丈夫、腕の立つ医者を知ってるんだ!」
「歩けないならおんぶしてあげよう!」
「坊や、名前は?家まで送ってあげる!」
「送るだけじゃ駄目だ。見舞いの品も用意しよう!」
「そうだね、フルーツなんかはどう?」
「私、最近手に入れた絵本があるの!それを上げる!」
「なら俺は、木製の剣を作ってやる!」
——異常だった。
それまで見て見ぬふりをしていた大人達が一斉に子供に駆け寄って、皆心配そうに声をかけている。
それまで、あんなにも冷たかったのに。
ミネアは段々と沢山の大人が子供を囲っていくその光景を見て、素直に気持ち悪いと、そう思った。
一気に手のひらをくるりと返したような行動に、ミネアは思わず鳥肌が立つ。
……あれ?でも私さっき、何を考えてた……?
ミネアはまだ知らない。
この小さな願いが、些細な祈りが。
全てを崩壊させる日の始まりになるなんて。
一度でも願ってしまえば、その力はもう誰にも止められない。
それを知るのは、この日から数日後の事だった。
ヴィルエイムは自分の領地とはいえ、こうしてきちんと歩き回った事はほとんど無い。
民からの声は全て文書でヴィルエイムに伝わる為、こうして本当の声を聞く事が出来るのは中々無い機会だった。
街は生き生きとしていた。
皆が笑っていて、楽しそうに言葉を交わす。彼らに読み書きは出来ないけれど、絵や言葉で思いを届ける事は出来た。
「あ、ヴィル見てください!何だかお祭りの準備をしてますよ?」
「ああ、あれはね……」
ミネアが指を指した先には、街の大通りに装飾を施そうとしている青年達の姿があった。
それを不思議に思っていたミネアに、ヴィルエイムは耳打ちをする。
彼の優しい息遣いが、耳を擽って何だかこそばゆい。
「——え!?婚約パーティーの為ですか!?」
思わずミネアは声を大にしてしまう。
目を丸くさせ、驚く様子のミネアにヴィルエイムは想定通りの反応だと笑みを零した。
「そう。どこから漏れたのか知らないけれどもうすぐ私達の婚約パーティーがあると知ったらしくてね。民の皆がお祝いにと街を飾ってくれているんだ。」
「そう、だったんですね……」
思いもよらぬ事にミネアは言葉も出ない。
ただ、皆がこうしてお祝いをしてくれるという事はとても嬉しい事だ。
最初はただの一平民だったのに、今はこんなにも沢山の人にお祝いをされている。
ミネアにとってそれは感慨深い事だった。
「皆はサプライズで準備をしてくれているんだ。私達がここで見た事は内緒にしよう?」
「そうですね。でも私はきっとこの景色を忘れないと思います。これから公爵夫人として頑張らなくちゃって、そう思わせてくれたんですから。」
それがいつまで続くのか分からない。
でも、こうしてこの領地の人達は皆ヴィルエイムの事をとても良く思っている。
だからこうやって、サプライズで準備を進めているのだ。
領民に愛される領主というのは、そう多くは無い。
彼が民に愛されているのは、ヴィルエイムがそれだけ努力を重ねてきたからだろう。
そこには沢山辛い事や悩む事もあったはずだ。
ヴィルエイムはそれでも、民を思って行動したのだ。
だから今の美しい景色がある。
焼き付けておこう。忘れないように、しっかりと。
ミネアは、視界に広がる沢山の人の笑顔を胸に刻んだ。
「そうだね。これからも、領民に恥じない領主として頑張って行かなくちゃ。ミネアと、二人で。」
ヴィルエイムはそっとミネアの手を握る。
暖かな温もりが伝わってくる。
二人で、という言葉がミネアの心に深く響いた。
ツィーピアとして、ミネアがヴィルエイムの隣に立つ資格が無いと分かっている。
ツィーピアは加害者で、ヴィルエイムの人生を狂わせた犯人の娘で。
だからきっと、いつかは話さなくてはいけない。
たとえその日が来て、拒絶されようとも。ミネアの全てが否定されようとも。
——それでもやっぱり、ヴィルの傍に居たい。
身の程知らずな願いだと分かっていても、この心は止められない。
好きになってしまったのだから、心に歯止めが効かない。
抑えようと思えば思うほど、感情が溢れてくる。
それが……恋と言うものなのだから。
「結構歩いたね。ミネア、足は痛めてないかい?」
あれから二時間ほど、色んな所を見て歩いた。
小腹が減って、近くにあった屋台で軽食を買った後二人で食べながら色々な話もした。
幸福な時間とは、こういう時間を指すのだろう。
それくらい、あっという間の二時間だった。
「はい、大丈夫です!とっても楽しくて時が経つのを忘れてました」
「それは私もだよ。元々私はあまり話すタイプの人間では無いのだけれど……不思議だね、ミネアの前だとつい口が回ってしまう」
そう言いながら、二人で笑いあった。
誰にも邪魔されない、たった二人だけの空間が広がる。
それは少し照れくさくて、むず痒くて、けれど不思議と心地がいい。
もうすぐ夕暮れ時。
空は少しずつ夕闇が襲い、紫色に染まっていく。
天を仰ぎながら、ミネアはツィーピアを思い出す。
もう一人存在するという、ツィーピア。
それはつまりミネアと血縁関係があると言うことなのだろうか。
本当に、自分以外のツィーピアが存在するのだとしたら、会ってみたいという気持ちは多少なりともある。
そのツィーピアは、何を思って何を考えて生きているのだろう。
この持て余す能力について、どう捉えているのだろう。
「ミネア?どうしたんだい、ぼーっとして」
「……あ、すみません!なんでもないんです」
紫色の髪。
それがツィーピアの特徴だ。
ミネアはふと思う。自分は本当にツィーピアなのかと。
髪が紫色だと言うだけで、ミネアはツィーピアとして何も持っていない。
真理を変える能力なんて、使った記憶も無い。
ミネアはただ、紫色の髪を持つだけの普通の人間だ。
そうだ、もしかしたらミネアはツィーピアの能力を受け継いでいないのかもしれない。
だとすれば、合点が行く。
ツィーピアの能力は、父親から受け継がれなかった。
もしそうなら、ミネアはこれからもずっとヴィルエイムと一緒に居られるのでは無いだろうか?
ミネアはその可能性を考えただけで、心の中に小さな光を見つけたような気がした。
勿論それで、ミネアの全ての罪が消えた訳では無い。
それでも、本当に能力を引き継いでいないのなら、もう少し長くヴィルエイムの隣に居られる。それだけでミネアの中にあった重石が軽くなったような気がした。
「ヴィル、私はこれからも貴方の隣に居たいです。ヴィルの隣でもっとこの街を見ていたいです。」
大それた夢だったかもしれない。身の丈に合わない願いかもしれない。
それでも、ヴィルエイムとこうして笑いあっていられるのならミネアは全てを差し出したって構わない。
ミネアの真っ直ぐな瞳が、夕日に燃える。
その眼差しを受け取ってヴィルエイムは、優しく微笑んでミネアに告げた。
「ミネア、目を閉じて。」
「……?」
ヴィルエイムの言葉通り、ミネアは静かに目を閉じた。
カツっとヴィルエイムの靴音が聞こえてくる。
何かがミネアの髪に触れる感覚。喉元に感じる違和感。
何が何だか分からないまま、ミネアはヴィルエイムの指示通りに瞳を閉じ続けた。
そう時間は長くなかったと思う。
一分にも満たない時間、ミネアがじっと固まっていると再びヴィルエイムの声が聞こえてきた。
「——目を開けて。」
長いまつ毛が静かに動く。
ミネアが顔を上げると、ヴィルエイムが柔らかな微笑みを見せていた。
何だかさっきよりも、首元が重いような気がする。
ミネアは静かに胸元を触る。
指先が触れたのは、何やら硬い物だった。なぞってみると、細かなゴツゴツが指を伝う。
ミネアは触れた物をよく見てみると、胸元には小さくも強い光を放つ宝石が輝いていた。
「……え?これって……??」
突然の出来事に困惑しているミネア。
宝石には細かい装飾まで施されており、見ただけでもかなり高価なものだと悟る。
目を丸くさせるミネアの前で、ヴィルエイムは恥ずかしそうに照れ笑いをした。
「女性にプレゼントを渡すのは初めてだから気に入って貰えるか分からないのだけど……。本当は指輪にしたかったんだ。でもそれは、婚姻式に取っておきたくてね。……どうかな、ミネア。あまり気に入らなかったかな?」
プレゼント……?ヴィルから……??
思いもよらぬ展開に、ミネアは口をぽかんと開く。
首から下げられているネックレスは、美しいという言葉では足りないほどの輝きを放っている。
「気に入らない訳ありません!!すごく……!!すごく、気に入りました……驚きすぎて声が出ないくらいに」
「それは良かった。実はずっと前から渡そうとは思っていたんだけれど、タイミングが分からなくて……。でもやっと渡す事が出来た。よく似合っているよ、ミネア。」
その笑顔が、その夕日が、その瞳が、その髪が、ミネアの心をぎゅっと掴む。
嬉しくて、幸せで、幸福なはずなのに無性に涙が出そうになる。
手の中の宝石が熱くなっていくのを感じる。
「——ありがとうございます、ヴィル」
泣いたら駄目なのに、涙腺が潤んでしまう。
こんなに沢山の宝物を貰って、ミネアはもう十分過ぎるほど満たされた。
だからなのだろう。
嬉しくて、幸せで、幸福なはずなのにこんなにも怖いと感じてしまうのは。
この幸せの中に居るのが怖い。いつか全てを失ってしまいそうで、全てを壊してしまいそうで。
幸せすぎて怖いなんて、初めて知った。
それくらい沢山の幸福を、ヴィルエイムが与えてくれた。
ミネアは、今出来る精一杯の笑顔をヴィルエイムに魅せる。
美しく、艶やかに輝くミネアの満面の笑みは、ヴィルエイムの瞳を奪った。
この瞬間を切り取って、永遠に形に残しておきたいと思うほど、ミネアとヴィルエイムは互いを強く思いあった。
「それじゃあ、そろそろ帰ろうかミネア。」
宝物のネックレスが胸元で輝く。
「はい!」
ヴィルエイムの差し出した手に、ミネアは笑顔で答えた。
今朝あんなに怖がっていたのが嘘みたいに楽しかった。
沢山のかけがえのない思い出を作る事が出来た。
心がぽかぽかと温かい温度を保っているのを感じる。
馬車が待っている場所まで歩き出そうとしたそんな時だった。
「うわぁ!……い、いたっ……」
ミネア達の反対側の道端で、一人の子供が転んだ。
石の段差につまづいて、その勢いで膝を擦りむいてしまったのだろう。
その子供の膝小僧が赤い液体を滲ませている。
その場には沢山の大人がいた。
そしてその大人達は皆、子供が転んで怪我をしている場面を目撃していた。
……だというのに。
誰もその子供に手をさし伸ばす人はいなかった。
皆、用事があるからと見て見ぬフリをして立ち去ろうとしていた。
「うっ……ううっ」
子供は起き上がれないまま、今にも泣き出しそうな顔をしている。
それでも、大人達は誰一人として子供を目にかけなかった。
まるでその場にいない存在のように、視界から消していた。
そんな状況に、思わずミネアは言葉を失う。
本当は、今すぐにでも駆け寄って子供の手当をしてあげたい。
でも馬車に乗る時間をこれ以上遅らせる訳にもいかない。何より、ヴィルの手を煩わせてしまう。
だから、ミネアは心の中で思った。
思ってしまった。
それはある種の願いで。
それはある種の祈りだった。
——皆があの子に親切にしてあげたらいいのに。
なんて身勝手な願いだろう。
自分は無理だからと、他人任せにしようとした。
なんて愚かな願いなのだろう。
他の人の事情なんて、何も考えずにそんなことを考えてしまった。
次の瞬間、ミネアは自分の視界に広がる光景を見て現実を疑った。
「大丈夫かい、坊や!」
「怪我してんじゃねぇか!」
「ほら、痛み止めあるよ!」
「服も汚れてるね、おばさんが新しい服を買ってあげよう!」
「泣いているのかい?坊主の好きな物買ってあげるから、泣きやみな!」
「そうだ、美味しいパンでも食べなさい!そうしたら元気になれる!」
「苦しいの?大丈夫、腕の立つ医者を知ってるんだ!」
「歩けないならおんぶしてあげよう!」
「坊や、名前は?家まで送ってあげる!」
「送るだけじゃ駄目だ。見舞いの品も用意しよう!」
「そうだね、フルーツなんかはどう?」
「私、最近手に入れた絵本があるの!それを上げる!」
「なら俺は、木製の剣を作ってやる!」
——異常だった。
それまで見て見ぬふりをしていた大人達が一斉に子供に駆け寄って、皆心配そうに声をかけている。
それまで、あんなにも冷たかったのに。
ミネアは段々と沢山の大人が子供を囲っていくその光景を見て、素直に気持ち悪いと、そう思った。
一気に手のひらをくるりと返したような行動に、ミネアは思わず鳥肌が立つ。
……あれ?でも私さっき、何を考えてた……?
ミネアはまだ知らない。
この小さな願いが、些細な祈りが。
全てを崩壊させる日の始まりになるなんて。
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この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。
ジュリエット・スチール公爵令嬢18歳
ロミオ王太子殿下の婚約者。
ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳
私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。
一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。
正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
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王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
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