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ラストダンス
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パーティー会場は、様々な色を放っていた。
シャンデリアの淡い光に照らされて、貴族達が身につけている宝石達がきらりと光る。
「初めまして、デルン男爵。私はヴィルエイム・ライ・グレーラビス公爵の婚約者、ミネアと申します。」
ミネアとヴィルエイムはゲストの貴族達への挨拶回りを行っていた。
平民だと言われても、信じられない程今日のミネアは光り輝いていた。
丁寧なお辞儀に、貴族として申し分無い立ち回り。
練習の成果が今はっきりと分かる。
嫌味の一つでも言われる事を覚悟していたヴィルエイムだったが、どうやらそれは杞憂に終わったらしい。
皆がミネアの美貌の虜になっている。
着飾った外見の美しさもそうだが、ミネアの内面の美しさもきっと貴族達には伝わっているのだろう。
ミネアは、男爵への挨拶の後令嬢達の元に向かった。
令嬢からのいびりなども心配していたが、ミネアは楽しそうに令嬢達と談笑している。
そんなミネアを横目に、ヴィルエイムが微笑んでいると、デルン男爵は彼を見て口を開いた。
「あれほど見合い話を断っていたというのに、感慨深いですなあ、ヴィルエイム公爵。」
「今まではあまり結婚に必要性を感じていなかったのですよ、デルン男爵。けれど今はこうして、最愛の人と巡り会う事が出来ました。」
「あの公爵がここまで言うとは……いやはや、ミネア様は中々隅に置けませんなあ。」
「ええ、本当に。でも……ミネアは誰にも渡しませんよ?」
ヴィルエイムはそう言って笑う。
自分でも、ここまで誰かを愛せる日が来るとは思ってもみなかった。
過去にヴィルエイムへの縁談を持ちかける人々は数え切れないほどいた。
その全員が、ヴィルエイムの地位を欲して女を送り込んでくる。
見え見えの魂胆に、ヴィルエイムは吐き気がした。
顔が良くても、どれだけ裕福な家庭でも、ヴィルエイムにとってはどうでもいい話だ。
だから自分が人を好きになる事なんて無い。この一生は兄を殺す為だけにあるのだとそう思い込んできた。
彼女に……ミネアに出会うまでは。
最初は、利用する為だった。そこに特別な感情なんて無い。
だからこの婚約に愛だの恋だのというものは必要無いとそう思っていた。
平民には決して送ることの出来ない生活。彼女が天狗になって、我儘を言ってきても、我慢しようとそう決めていた。
でも、彼女は何も望まなかった。
今のままで十分だと、これ以上は何も必要ないとそう笑って、本当に幸せそうに過ごしていた。
彼女は、今まで出会ってきたどの女性とも違う。
ヴィルエイムの前でありのままの姿を見せてくれる。
嘘も偽りも無い、屈託のない笑顔を見せてくれる。
そして、ヴィルエイムの傷に寄り添ってくれた。
共に戦い、共に傷を分け合うとそう言ってくれた。
愛も恋も、必要のない感情だと思っていたのに。
今ではミネアのいない世界なんて考えられない。
それくらい、ヴィルエイムは自分でも驚く程にミネアを愛している。
「——初めてなんです、こんなにも愛おしいと思える存在は。」
ツィーピアだから。復讐の為に必要だから。そんな言葉はもう要らない。
ただ純粋に、ヴィルエイムはミネアを愛しているのだと、今は胸を張って言える。
「良かったですな、公爵。」
「? 何がです?」
「今の公爵は、とても生き生きとしている。——実に人間らしい。」
そう男爵に言われてハッとする。
今迄の自分は、復讐に囚われた哀れな男。人間として必要な感情は全て忘却して、生きてきた。
でもミネアが教えてくれた。愛も恋も、喜びも、幸福も。人間らしい感情を。
「そうかもしれません」
暖かい事が心地良い事だと知った。
隣に誰かが居てくれる事が、安心する事だと知った。
ミネアが居たから、知ることが出来た。
心の底からヴィルエイムは思う。
あの日、あの雨の夜。出会ったのがミネアで本当に良かったと。
「おっと、もうそろそろダンスの時間ですね。それでは男爵、良い時間をお過ごしください。」
楽団のメンバーが一斉に楽器を持ち上げる。
パーティーもいよいよ佳境に迫っていた。
今回のパーティーでは、ホールのメインでミネアとヴィルエイムがダンスを踊る所から、ダンスタイムが始まる。
月の光と、パーティーの煌めきが夜の空を照らしていく。
こんなに賑やかな夜は、ミネアにとって初めての体験だ。
挨拶回りでは、沢山の人がミネアに詮索を入れて来た。
それだけミネアという存在は彼ら貴族にとって興味深い者なのだろう。
先生や、ヴィルエイム、シトラ達のお陰で笑顔で乗り切る事が出来た。
ほっと肩を撫で下ろすのもつかの間、ヴィルエイムが音楽に合わせてミネアの元にやってくる。
「ミネア、私の手を取ってくれるかい?」
ホールの端っこで一息ついていたミネアの前に差し出された手。
この手を取れば、ミネアはこのパーティーで真の主役となる。
これはその道を辿るための道標の手。
「……はい」
ヴィルエイムの手を取ったミネアは、背筋をピンと伸ばす。
貴族達の波は、ミネアとヴィルエイムの為に一本の道を作り出した。
大きなシャンデリアの下、この会場の中央。
スポットライトが一番当たるこの場所は、大勢の貴族の視線が一点に集まる。
今、ミネアはそこに立とうとしている。
自らの足で、愛する彼と共に。
一歩一歩丁寧に足を踏みしめ、二人はステージの中央に立つ。
ミネア達を丸く囲むように貴族達が集まってきた。
今、誰よりも貴族達の視線を奪っているのはミネアだ。
ヴィルエイムはそっとミネアから手を離し、静かにお辞儀をする。
「どうか、最初の栄誉あるダンスを私と踊って頂けませんか?」
ヴィルエイムが差し出す手は、いつ見ても美しかった。
でも、その裏で彼は必死に努力を重ねてきた。
綺麗な手では無いけれど、努力を積み重ねた美しい手。
ミネアはその大きな手で頭を撫でられるのが、実は好きだった。
なんて、もう言葉には出来ないけれど、ここまでミネアを支えてくれた彼に数え切れないほどの感謝を込めて、ミネアは微笑む。
ああ、分かっている。
この手を取れば、本当に終わりがやってくるのだと。
でも拒むことなんて出来ない。ミネアは静かに自分の手を前に出して、ただ一言。
「——喜んで。」
そう告げた。
その瞬間、音楽を奏でる音が一層色を増す。
二人は近付いて、息を合わせて足を踏み出した。
ヴィルエイムとミネアの顔の距離がグッと近付く。
ヴィルエイムの息遣いが伝わってくる。
少し前までは苦戦を強いられていた、ワルツ。
足元が覚束無くて、何度も失敗をしてしまったけれど、ヴィルエイムが教えてくれた。
前を向いて、相手の顔をしっかりと見る事。
無数の視線がミネアに集まる。
不思議と緊張は無い。今は、目の前にいる美しいこの人とこうして手を取り合って、踊っている事が何より楽しい。
初めて出会った頃は、想像もしていなかった。
自分がこうしてこの人を好きになって、一緒に踊る日が来るなんて。
ヴィルエイムの穏やかな微笑みは、どんな宝石よりも輝いて見えた。
音が消える。ミネアの耳には何も入ってこない。
奏でる音楽も、人々のコソコソと話す声も、ミネア達を見て褒め称える貴族の声も。
無音の中で踊っている気分だ。
どう動くのかは身体がしっかりと覚えている。
何より、ヴィルエイムと目を合わせていると何も考えられなくなる。
ここはもう、二人だけの空間。誰にも侵食出来ない、神域。
ああ、このまま時が止まればいいのにとミネアは思う。
ずっとこうして彼の瞳の中で生きていたい。
こうして二人で笑いあっていたい。
この先の未来を共に歩みたい。
叶う事のない願い。叶えてはいけない願い。
だから今は胸に秘めてこのダンスを楽しもう。
最初で最後のダンス。これが
——ラストダンスなのだから。
キラキラと輝くヴィルエイムをしっかり目に焼き付ける。
今世界で一番煌めいているのは、この場所なのだとミネアは自信を持って言える。
それくらい幸せだった。楽しすぎて、これまで抱えていた不安も恐怖も何処かに消えてしまったくらい。
こんな幸福をくれたのは、他でもない目の前にいるこの人なんだ。
ミネアは思わず、口を開く。
今言葉にしないといけないような気がして、今伝えないといけないような気がして、ミネアはヴィルエイムの耳元でそっと告げる。
「——愛しています、ヴィル。」
一瞬、彼女の周りに大輪の華が見えた。
たった一言。愛していると、そう告げられただけなのに。
ヴィルエイムは今どうしようもなく、胸が締め付けられている。
その言葉を向けられたのは、何時ぶりだろう。きっとずっと前に諦めていた。
自分が誰かを愛する日が来ないように、誰かが自分を愛してくれる日もまたやって来ないのだと。
違った。違っていたんだ。
ここに今、確かに存在している。
ヴィルエイムとミネアの間にある感情は、彼がとっくの昔に置き去りにしたはずのものだった。
忘れていた、誰かに愛される喜びを。誰かに愛される幸福を。
ヴィルエイムもまた、ミネアに沢山の数え切れない物を貰っていた。
紛れもないこの瞬間が、ヴィルエイムの人生で一番幸せだと心から言える。
「私も愛している。この先もずっと、愛しているよミネア。」
ヴィルエイムは誓う。
この先もずっと、何度でもこの手を握ろう。華奢で、細くて、今にも折れてしまいそうな程か弱い手だけれど、愛おしくて愛らしくて、大好きで堪らないこの手を。
未来でも離さないでいようと。
ヴィルエイムの声に、ミネアは満面の笑みで答える。
この時、ミネアの笑顔の意味に気付いていれば。
この時、彼女に対する心の中の違和感を無視していなければ。
結末は、変わったのだろうか。
ヴィルエイムがそう後悔する日は、きっとやって来ない。
ミネアの手によって全ては決められてしまったのだから。
その事に誰一人として気が付かないまま、ダンスは終わりを迎えた。
二人は手を離し、後ろに下がる。
ミネアとヴィルエイムが互いに頭を下げると、会場は拍手喝采だった。
誰もがミネア達のダンスに心を奪われていた。
溢れんばかりの拍手が、ミネアとヴィルエイムを囲む。
ミネアは、思う。
こんなに沢山の拍手を浴びて、ヴィルエイムと共に踊る事が出来て、自分はなんて幸せ者なのだろうと。
希望を、喜びを、楽しみを、幸せを、恋を、愛を、渇望を、期待を、幸福を、未来を。
数え切れないくらい沢山のものをミネアは貰った。
だからもう、何も要らない。
これ以上は、十分だ。
ミネアは会場の貴族達に向かってお辞儀をする。
忘れる事の出来ない、奇跡のような一夜を作ってくれた沢山の人達に向けてミネアは感謝をする。
声には出せないけれど、いっぱいのありがとうを心の中で叫ぶ。
これでもう、ミネアには思い残す事は何も無い。
シャンデリアの明かりがミネアを照らす。
何処までも美しく煌めく彼女は、そうして一夜限りの夢を見た。
夢のような時間を過ごした。
ミネアの頬が淡くピンク色に染まる。
今のミネアは、感謝以外、何も考えられない。
出会った人々に、暖かな日々に、沢山の奇跡に。
心からのありがとうを告げる。
ゆっくりと拍手の音は小さくなっていった。
それはまるで、ミネアの中で何かが終わりに近づいているのをさとったかのように。
——そして、いよいよ幕は閉じる。
シャンデリアの淡い光に照らされて、貴族達が身につけている宝石達がきらりと光る。
「初めまして、デルン男爵。私はヴィルエイム・ライ・グレーラビス公爵の婚約者、ミネアと申します。」
ミネアとヴィルエイムはゲストの貴族達への挨拶回りを行っていた。
平民だと言われても、信じられない程今日のミネアは光り輝いていた。
丁寧なお辞儀に、貴族として申し分無い立ち回り。
練習の成果が今はっきりと分かる。
嫌味の一つでも言われる事を覚悟していたヴィルエイムだったが、どうやらそれは杞憂に終わったらしい。
皆がミネアの美貌の虜になっている。
着飾った外見の美しさもそうだが、ミネアの内面の美しさもきっと貴族達には伝わっているのだろう。
ミネアは、男爵への挨拶の後令嬢達の元に向かった。
令嬢からのいびりなども心配していたが、ミネアは楽しそうに令嬢達と談笑している。
そんなミネアを横目に、ヴィルエイムが微笑んでいると、デルン男爵は彼を見て口を開いた。
「あれほど見合い話を断っていたというのに、感慨深いですなあ、ヴィルエイム公爵。」
「今まではあまり結婚に必要性を感じていなかったのですよ、デルン男爵。けれど今はこうして、最愛の人と巡り会う事が出来ました。」
「あの公爵がここまで言うとは……いやはや、ミネア様は中々隅に置けませんなあ。」
「ええ、本当に。でも……ミネアは誰にも渡しませんよ?」
ヴィルエイムはそう言って笑う。
自分でも、ここまで誰かを愛せる日が来るとは思ってもみなかった。
過去にヴィルエイムへの縁談を持ちかける人々は数え切れないほどいた。
その全員が、ヴィルエイムの地位を欲して女を送り込んでくる。
見え見えの魂胆に、ヴィルエイムは吐き気がした。
顔が良くても、どれだけ裕福な家庭でも、ヴィルエイムにとってはどうでもいい話だ。
だから自分が人を好きになる事なんて無い。この一生は兄を殺す為だけにあるのだとそう思い込んできた。
彼女に……ミネアに出会うまでは。
最初は、利用する為だった。そこに特別な感情なんて無い。
だからこの婚約に愛だの恋だのというものは必要無いとそう思っていた。
平民には決して送ることの出来ない生活。彼女が天狗になって、我儘を言ってきても、我慢しようとそう決めていた。
でも、彼女は何も望まなかった。
今のままで十分だと、これ以上は何も必要ないとそう笑って、本当に幸せそうに過ごしていた。
彼女は、今まで出会ってきたどの女性とも違う。
ヴィルエイムの前でありのままの姿を見せてくれる。
嘘も偽りも無い、屈託のない笑顔を見せてくれる。
そして、ヴィルエイムの傷に寄り添ってくれた。
共に戦い、共に傷を分け合うとそう言ってくれた。
愛も恋も、必要のない感情だと思っていたのに。
今ではミネアのいない世界なんて考えられない。
それくらい、ヴィルエイムは自分でも驚く程にミネアを愛している。
「——初めてなんです、こんなにも愛おしいと思える存在は。」
ツィーピアだから。復讐の為に必要だから。そんな言葉はもう要らない。
ただ純粋に、ヴィルエイムはミネアを愛しているのだと、今は胸を張って言える。
「良かったですな、公爵。」
「? 何がです?」
「今の公爵は、とても生き生きとしている。——実に人間らしい。」
そう男爵に言われてハッとする。
今迄の自分は、復讐に囚われた哀れな男。人間として必要な感情は全て忘却して、生きてきた。
でもミネアが教えてくれた。愛も恋も、喜びも、幸福も。人間らしい感情を。
「そうかもしれません」
暖かい事が心地良い事だと知った。
隣に誰かが居てくれる事が、安心する事だと知った。
ミネアが居たから、知ることが出来た。
心の底からヴィルエイムは思う。
あの日、あの雨の夜。出会ったのがミネアで本当に良かったと。
「おっと、もうそろそろダンスの時間ですね。それでは男爵、良い時間をお過ごしください。」
楽団のメンバーが一斉に楽器を持ち上げる。
パーティーもいよいよ佳境に迫っていた。
今回のパーティーでは、ホールのメインでミネアとヴィルエイムがダンスを踊る所から、ダンスタイムが始まる。
月の光と、パーティーの煌めきが夜の空を照らしていく。
こんなに賑やかな夜は、ミネアにとって初めての体験だ。
挨拶回りでは、沢山の人がミネアに詮索を入れて来た。
それだけミネアという存在は彼ら貴族にとって興味深い者なのだろう。
先生や、ヴィルエイム、シトラ達のお陰で笑顔で乗り切る事が出来た。
ほっと肩を撫で下ろすのもつかの間、ヴィルエイムが音楽に合わせてミネアの元にやってくる。
「ミネア、私の手を取ってくれるかい?」
ホールの端っこで一息ついていたミネアの前に差し出された手。
この手を取れば、ミネアはこのパーティーで真の主役となる。
これはその道を辿るための道標の手。
「……はい」
ヴィルエイムの手を取ったミネアは、背筋をピンと伸ばす。
貴族達の波は、ミネアとヴィルエイムの為に一本の道を作り出した。
大きなシャンデリアの下、この会場の中央。
スポットライトが一番当たるこの場所は、大勢の貴族の視線が一点に集まる。
今、ミネアはそこに立とうとしている。
自らの足で、愛する彼と共に。
一歩一歩丁寧に足を踏みしめ、二人はステージの中央に立つ。
ミネア達を丸く囲むように貴族達が集まってきた。
今、誰よりも貴族達の視線を奪っているのはミネアだ。
ヴィルエイムはそっとミネアから手を離し、静かにお辞儀をする。
「どうか、最初の栄誉あるダンスを私と踊って頂けませんか?」
ヴィルエイムが差し出す手は、いつ見ても美しかった。
でも、その裏で彼は必死に努力を重ねてきた。
綺麗な手では無いけれど、努力を積み重ねた美しい手。
ミネアはその大きな手で頭を撫でられるのが、実は好きだった。
なんて、もう言葉には出来ないけれど、ここまでミネアを支えてくれた彼に数え切れないほどの感謝を込めて、ミネアは微笑む。
ああ、分かっている。
この手を取れば、本当に終わりがやってくるのだと。
でも拒むことなんて出来ない。ミネアは静かに自分の手を前に出して、ただ一言。
「——喜んで。」
そう告げた。
その瞬間、音楽を奏でる音が一層色を増す。
二人は近付いて、息を合わせて足を踏み出した。
ヴィルエイムとミネアの顔の距離がグッと近付く。
ヴィルエイムの息遣いが伝わってくる。
少し前までは苦戦を強いられていた、ワルツ。
足元が覚束無くて、何度も失敗をしてしまったけれど、ヴィルエイムが教えてくれた。
前を向いて、相手の顔をしっかりと見る事。
無数の視線がミネアに集まる。
不思議と緊張は無い。今は、目の前にいる美しいこの人とこうして手を取り合って、踊っている事が何より楽しい。
初めて出会った頃は、想像もしていなかった。
自分がこうしてこの人を好きになって、一緒に踊る日が来るなんて。
ヴィルエイムの穏やかな微笑みは、どんな宝石よりも輝いて見えた。
音が消える。ミネアの耳には何も入ってこない。
奏でる音楽も、人々のコソコソと話す声も、ミネア達を見て褒め称える貴族の声も。
無音の中で踊っている気分だ。
どう動くのかは身体がしっかりと覚えている。
何より、ヴィルエイムと目を合わせていると何も考えられなくなる。
ここはもう、二人だけの空間。誰にも侵食出来ない、神域。
ああ、このまま時が止まればいいのにとミネアは思う。
ずっとこうして彼の瞳の中で生きていたい。
こうして二人で笑いあっていたい。
この先の未来を共に歩みたい。
叶う事のない願い。叶えてはいけない願い。
だから今は胸に秘めてこのダンスを楽しもう。
最初で最後のダンス。これが
——ラストダンスなのだから。
キラキラと輝くヴィルエイムをしっかり目に焼き付ける。
今世界で一番煌めいているのは、この場所なのだとミネアは自信を持って言える。
それくらい幸せだった。楽しすぎて、これまで抱えていた不安も恐怖も何処かに消えてしまったくらい。
こんな幸福をくれたのは、他でもない目の前にいるこの人なんだ。
ミネアは思わず、口を開く。
今言葉にしないといけないような気がして、今伝えないといけないような気がして、ミネアはヴィルエイムの耳元でそっと告げる。
「——愛しています、ヴィル。」
一瞬、彼女の周りに大輪の華が見えた。
たった一言。愛していると、そう告げられただけなのに。
ヴィルエイムは今どうしようもなく、胸が締め付けられている。
その言葉を向けられたのは、何時ぶりだろう。きっとずっと前に諦めていた。
自分が誰かを愛する日が来ないように、誰かが自分を愛してくれる日もまたやって来ないのだと。
違った。違っていたんだ。
ここに今、確かに存在している。
ヴィルエイムとミネアの間にある感情は、彼がとっくの昔に置き去りにしたはずのものだった。
忘れていた、誰かに愛される喜びを。誰かに愛される幸福を。
ヴィルエイムもまた、ミネアに沢山の数え切れない物を貰っていた。
紛れもないこの瞬間が、ヴィルエイムの人生で一番幸せだと心から言える。
「私も愛している。この先もずっと、愛しているよミネア。」
ヴィルエイムは誓う。
この先もずっと、何度でもこの手を握ろう。華奢で、細くて、今にも折れてしまいそうな程か弱い手だけれど、愛おしくて愛らしくて、大好きで堪らないこの手を。
未来でも離さないでいようと。
ヴィルエイムの声に、ミネアは満面の笑みで答える。
この時、ミネアの笑顔の意味に気付いていれば。
この時、彼女に対する心の中の違和感を無視していなければ。
結末は、変わったのだろうか。
ヴィルエイムがそう後悔する日は、きっとやって来ない。
ミネアの手によって全ては決められてしまったのだから。
その事に誰一人として気が付かないまま、ダンスは終わりを迎えた。
二人は手を離し、後ろに下がる。
ミネアとヴィルエイムが互いに頭を下げると、会場は拍手喝采だった。
誰もがミネア達のダンスに心を奪われていた。
溢れんばかりの拍手が、ミネアとヴィルエイムを囲む。
ミネアは、思う。
こんなに沢山の拍手を浴びて、ヴィルエイムと共に踊る事が出来て、自分はなんて幸せ者なのだろうと。
希望を、喜びを、楽しみを、幸せを、恋を、愛を、渇望を、期待を、幸福を、未来を。
数え切れないくらい沢山のものをミネアは貰った。
だからもう、何も要らない。
これ以上は、十分だ。
ミネアは会場の貴族達に向かってお辞儀をする。
忘れる事の出来ない、奇跡のような一夜を作ってくれた沢山の人達に向けてミネアは感謝をする。
声には出せないけれど、いっぱいのありがとうを心の中で叫ぶ。
これでもう、ミネアには思い残す事は何も無い。
シャンデリアの明かりがミネアを照らす。
何処までも美しく煌めく彼女は、そうして一夜限りの夢を見た。
夢のような時間を過ごした。
ミネアの頬が淡くピンク色に染まる。
今のミネアは、感謝以外、何も考えられない。
出会った人々に、暖かな日々に、沢山の奇跡に。
心からのありがとうを告げる。
ゆっくりと拍手の音は小さくなっていった。
それはまるで、ミネアの中で何かが終わりに近づいているのをさとったかのように。
——そして、いよいよ幕は閉じる。
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