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第4話 責任/無責任
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◇ 15日前(金曜日) ◇
三軒回った。
外に貼ってある情報を見て、条件を考えて、ここでいいかなと思ったところで店に入る。
いらっしゃいませー、と実に感じよく女性が出てくるので、実は外の貼り紙を見て、と言う。
どれかしら? ああ、ここ。ちょっと待ってくださいね。
女性は慣れた手つきでネットから、貼られていたものと同じ物件を見せてくれる。
――ここね、ここもいいと思うんだけど、もう少し出すといいところあるのよ。そこなら女性でも安心よ。
二階でしょう? ダブルロックだし、ドアフォンはカメラ付きでしょう? それに珍しいんだけど二重ガラスだから万が一の時でもすぐにガラスは割れないのよ。冬場に結露もしないし、室内の温度変化も少ないのよ。省エネでしょう?
ベランダもあって向きは東南だし、お風呂とトイレが一緒なのは残念だけどいいと思うわよ。ちょうど空いたところなの。
……はあ、と気圧されて返事をする。
で――。
ひとりで暮らすこと。定職には就いていないこと。バイトを辞めたばかりなこと。
どれひとつ取ってもいい材料はない。
せめて保証人でもないと。
保証人······。
口を開けば「帰ってこい」としか言わない親に頼むわけにはいかない。かと言ってほかに頼れる人もいない。
どの不動産屋に行っても同じことだ。
諦めない。あの不動産屋はどうかな、と駅前の大通りで大きな看板に目を留めているとまたもや声をかけられた。
「金沢。買い物?」
「……ああ、そうなんです。また会うなんて奇遇ですね。暑いですよね、そろそろ帰ろうかと」
あの美術教師だった。中学の時には感じなかった彼の圧力がわたしをひしゃげる。
わたしは早くその場を離れたかった。
「コーヒー飲まない? 今日はやけに蒸すよな。喉、乾いちゃって」
は? と言ったと思う。少なくとも口はそう動いた。なんなんだ、この自由人は。わたしの現状を恥ずかしげもなくまるっと話したのに、なんの躊躇いもなく誘ってくるとは。
いえ、今日は……と答えた。
「つれないやつだな。まぁいいけど」
まぁいいけど、と言われると途端に悪い事をした気になる。はっと顔を上げて彼を見た。
「お、やっと顔を上げたな。なんだ、やっぱり思った通り元気ないんじゃないか。かき氷でも食おうぜ」
前を歩く教師はくたくたに履き潰した古びたビルケンのサンダルと、Tシャツにハーフパンツというスタイルだった。Tシャツには有名な人の絵なんだなと思うポップアートのバックプリントが大きく入っていて、よく見ると細身なのにわりと大きな背中をしていた。
背が高くてそんな体型なので、歩道を歩く時は誰かにぶつからないよう始終気にしているようだった。
中学の時にはそんなことに気がつかなかった。なぜなら大人は大人だからだ。大きくて当たり前かと思っていた。
「なんだっけ、あの、ほら、交差点のところにできた帽子かぶったオジサンがコーヒー飲んでる……」
「コメダ?」
「そうそう、そこにしよう」
「若ぶってる?」
「若いんだよ。昨日も言っただろう?」
さっき来た道を今度は教師と並んで歩いる。そうしているとなんだか自分がまだ無責任な学生のような気がしてきて、悪い気分ではなかった。わたしは教師に引率されていた。
通りの角に面している一番近いコメダは、涼しい室内は満席に近く、ずいぶんな賑わいだった。先生、どうします、と聞くと、とにかく喉が乾いてるんだよと言うので空いているふたり席に座った。
冷房がよく効いていて、湿ってしまった髪を結んでいない、風に触れていない首筋も汗が引くように感じた。わたしは長い髪を片側の肩にかけた。
「ずっと長いままなの? その髪」
「ごめんなさい、鬱陶しいですか? すぐ結びます」
「いや、いいんだ。中学の時も珍しいと思ったけど、まさかこの歳でも腰まであるとはな」
「たまに毛先は切りますよ。傷むし、毛先だけオレンジに退色しちゃって」
それにはなにも答えず、教師はさも予定調和だというように注文のボタンを押した。
店員がさっと現れて教師は自分の食べたいかき氷を指さした。抹茶のやつ。レギュラーサイズ。お前は、と聞かれてミニサイズの平凡なイチゴを選ぶ。コーヒー飲みに来たんじゃなかったのか、と呆れる。
「無難な選択だな。昔のお前の絵からは想像つかないな」
「やめて下さい、そういうの。中学の時の痛々しい経験です」
お待たせしました、とあまり待たないうちにかき氷は運ばれてきた。鮮やかなピンクと、風情ある抹茶色。それぞれの席に恭しく並べられていく。
見ているそばからカップは激しく結露し、クリームがいまにもカップから逃げ出しそうだった。いただきますをして、急いでスプーンを取った。
わたしはイチゴ味の氷を、ソフトクリームとバランスを取りながら食べていた。教師は――。
「これなんでこんなに大きいんだ? レギュラーサイズだろう? ミニで普通サイズじゃないか!?」
ぷ、と笑ってしまう。ははーん、コメダに来慣れてないんだ。単に近いからここを選んだのか?
「先生、ソフトクリーム!」
「おう」
よく冷えた部屋だからいいものの、時間勝負だった。教師は「キーンときた」を連発して、ものすごい速度でかき氷の上部を食べてしまった。
恐ろしい。
「お前も早く食えよ。腹減ってない? なにかホットドリンクと一緒に食べない? ここは奢る」
わたしはもう明らかに笑っていた。
暑くてかき氷を食べに来たのに、ホットドリンクだなんて。しかも、フードが来たらまた新鮮にその大きさに驚くに違いないんだ。
「先生、ここの食べ物、どれもすごく大きいの。かき氷もそうだったでしょう? 写真の見た目とは全然違って。ネットでも話題になるくらいなの。カツサンドなんか持てないくらい。ハンバーガーも負けずに大きいの」
「おすすめは?」
「わたしがよく食べるのはミックスサンドだけど、なかなか一人前は食べられないな。コロッケバーガーもボリュームあって好きかな」
んん、と唸るような声を出して、教師はメニューを見比べていた。
わたしはかき氷を食べながら、その光景を意地悪く盗み見していた。ちら、ちらっと真っ赤な氷の向こうに見える教師は及び腰で、時折、周りの人のテーブルを見回していた。
少しすると覚悟が決まったらしく、呼び鈴を鳴らしてバーガーを指さした。お前は、と聞かれたのでホットのカフェオレを頼むと教師も同じものを、と言った。
「先生、甘いもの好きなの?」
「全人類、甘いもの好きだろう」
「それはないかなぁ」
半分赤い湖に沈んだ氷塊のようになったかき氷をすするように食べる。削りたてより食べやすくなって、完食が見えてきた。
「笑ったな」
「え?」
「いや、昨日はあんまり笑わなかったからさ」
そんな、学生みたいな顔をして照れ笑いされても困る。年齢の読めない人だ。
「でさ、バイトと住むところ、決まった?」
「……そんなにすぐには」
わたしは不動産屋を三軒回ったことと、どれもダメだったことを伝えた。
「いつまでに部屋を出るんだっけ?」
「二週間後」
教師はなぜか視線を逸らして、口元はなにか言いたげだった。
三軒回った。
外に貼ってある情報を見て、条件を考えて、ここでいいかなと思ったところで店に入る。
いらっしゃいませー、と実に感じよく女性が出てくるので、実は外の貼り紙を見て、と言う。
どれかしら? ああ、ここ。ちょっと待ってくださいね。
女性は慣れた手つきでネットから、貼られていたものと同じ物件を見せてくれる。
――ここね、ここもいいと思うんだけど、もう少し出すといいところあるのよ。そこなら女性でも安心よ。
二階でしょう? ダブルロックだし、ドアフォンはカメラ付きでしょう? それに珍しいんだけど二重ガラスだから万が一の時でもすぐにガラスは割れないのよ。冬場に結露もしないし、室内の温度変化も少ないのよ。省エネでしょう?
ベランダもあって向きは東南だし、お風呂とトイレが一緒なのは残念だけどいいと思うわよ。ちょうど空いたところなの。
……はあ、と気圧されて返事をする。
で――。
ひとりで暮らすこと。定職には就いていないこと。バイトを辞めたばかりなこと。
どれひとつ取ってもいい材料はない。
せめて保証人でもないと。
保証人······。
口を開けば「帰ってこい」としか言わない親に頼むわけにはいかない。かと言ってほかに頼れる人もいない。
どの不動産屋に行っても同じことだ。
諦めない。あの不動産屋はどうかな、と駅前の大通りで大きな看板に目を留めているとまたもや声をかけられた。
「金沢。買い物?」
「……ああ、そうなんです。また会うなんて奇遇ですね。暑いですよね、そろそろ帰ろうかと」
あの美術教師だった。中学の時には感じなかった彼の圧力がわたしをひしゃげる。
わたしは早くその場を離れたかった。
「コーヒー飲まない? 今日はやけに蒸すよな。喉、乾いちゃって」
は? と言ったと思う。少なくとも口はそう動いた。なんなんだ、この自由人は。わたしの現状を恥ずかしげもなくまるっと話したのに、なんの躊躇いもなく誘ってくるとは。
いえ、今日は……と答えた。
「つれないやつだな。まぁいいけど」
まぁいいけど、と言われると途端に悪い事をした気になる。はっと顔を上げて彼を見た。
「お、やっと顔を上げたな。なんだ、やっぱり思った通り元気ないんじゃないか。かき氷でも食おうぜ」
前を歩く教師はくたくたに履き潰した古びたビルケンのサンダルと、Tシャツにハーフパンツというスタイルだった。Tシャツには有名な人の絵なんだなと思うポップアートのバックプリントが大きく入っていて、よく見ると細身なのにわりと大きな背中をしていた。
背が高くてそんな体型なので、歩道を歩く時は誰かにぶつからないよう始終気にしているようだった。
中学の時にはそんなことに気がつかなかった。なぜなら大人は大人だからだ。大きくて当たり前かと思っていた。
「なんだっけ、あの、ほら、交差点のところにできた帽子かぶったオジサンがコーヒー飲んでる……」
「コメダ?」
「そうそう、そこにしよう」
「若ぶってる?」
「若いんだよ。昨日も言っただろう?」
さっき来た道を今度は教師と並んで歩いる。そうしているとなんだか自分がまだ無責任な学生のような気がしてきて、悪い気分ではなかった。わたしは教師に引率されていた。
通りの角に面している一番近いコメダは、涼しい室内は満席に近く、ずいぶんな賑わいだった。先生、どうします、と聞くと、とにかく喉が乾いてるんだよと言うので空いているふたり席に座った。
冷房がよく効いていて、湿ってしまった髪を結んでいない、風に触れていない首筋も汗が引くように感じた。わたしは長い髪を片側の肩にかけた。
「ずっと長いままなの? その髪」
「ごめんなさい、鬱陶しいですか? すぐ結びます」
「いや、いいんだ。中学の時も珍しいと思ったけど、まさかこの歳でも腰まであるとはな」
「たまに毛先は切りますよ。傷むし、毛先だけオレンジに退色しちゃって」
それにはなにも答えず、教師はさも予定調和だというように注文のボタンを押した。
店員がさっと現れて教師は自分の食べたいかき氷を指さした。抹茶のやつ。レギュラーサイズ。お前は、と聞かれてミニサイズの平凡なイチゴを選ぶ。コーヒー飲みに来たんじゃなかったのか、と呆れる。
「無難な選択だな。昔のお前の絵からは想像つかないな」
「やめて下さい、そういうの。中学の時の痛々しい経験です」
お待たせしました、とあまり待たないうちにかき氷は運ばれてきた。鮮やかなピンクと、風情ある抹茶色。それぞれの席に恭しく並べられていく。
見ているそばからカップは激しく結露し、クリームがいまにもカップから逃げ出しそうだった。いただきますをして、急いでスプーンを取った。
わたしはイチゴ味の氷を、ソフトクリームとバランスを取りながら食べていた。教師は――。
「これなんでこんなに大きいんだ? レギュラーサイズだろう? ミニで普通サイズじゃないか!?」
ぷ、と笑ってしまう。ははーん、コメダに来慣れてないんだ。単に近いからここを選んだのか?
「先生、ソフトクリーム!」
「おう」
よく冷えた部屋だからいいものの、時間勝負だった。教師は「キーンときた」を連発して、ものすごい速度でかき氷の上部を食べてしまった。
恐ろしい。
「お前も早く食えよ。腹減ってない? なにかホットドリンクと一緒に食べない? ここは奢る」
わたしはもう明らかに笑っていた。
暑くてかき氷を食べに来たのに、ホットドリンクだなんて。しかも、フードが来たらまた新鮮にその大きさに驚くに違いないんだ。
「先生、ここの食べ物、どれもすごく大きいの。かき氷もそうだったでしょう? 写真の見た目とは全然違って。ネットでも話題になるくらいなの。カツサンドなんか持てないくらい。ハンバーガーも負けずに大きいの」
「おすすめは?」
「わたしがよく食べるのはミックスサンドだけど、なかなか一人前は食べられないな。コロッケバーガーもボリュームあって好きかな」
んん、と唸るような声を出して、教師はメニューを見比べていた。
わたしはかき氷を食べながら、その光景を意地悪く盗み見していた。ちら、ちらっと真っ赤な氷の向こうに見える教師は及び腰で、時折、周りの人のテーブルを見回していた。
少しすると覚悟が決まったらしく、呼び鈴を鳴らしてバーガーを指さした。お前は、と聞かれたのでホットのカフェオレを頼むと教師も同じものを、と言った。
「先生、甘いもの好きなの?」
「全人類、甘いもの好きだろう」
「それはないかなぁ」
半分赤い湖に沈んだ氷塊のようになったかき氷をすするように食べる。削りたてより食べやすくなって、完食が見えてきた。
「笑ったな」
「え?」
「いや、昨日はあんまり笑わなかったからさ」
そんな、学生みたいな顔をして照れ笑いされても困る。年齢の読めない人だ。
「でさ、バイトと住むところ、決まった?」
「……そんなにすぐには」
わたしは不動産屋を三軒回ったことと、どれもダメだったことを伝えた。
「いつまでに部屋を出るんだっけ?」
「二週間後」
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